歴史と戦争 (幻冬舎新書)

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  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344984967

感想・レビュー・書評

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  • 文春新書の「父が子に教える昭和史 あの戦争36のなぜ?」を読んだ後に、本書を読んだ。ある程度、戦争に関する知識の下地ができたうえで本書を読めたことが非常によかったと思う。

    本書は、昭和5年生まれ(今年で90歳)の著者・半藤一利氏の著書から、本書のテーマ「歴史と戦争」にあった文章をセレクトして、一書に編集されたものだ。幕末・維新・明治から近代にいたるまで、特に近代では一年ごとに、その時を述べた著者の文章がセレクトされている。

    著者のすべての著書の中から、文章をセレクトし、それを時系列にプロットしつつ、全体として一つの読み物として完成させる、この膨大な作業に対し編集者に敬意を表するとともに、その完成度の高さにも感謝を述べたい気持ちだ。

    セレクトされた文書のすべてのその出典が示されているので、著者の原書に戻ってもみたくなる。

    ダイジェスト的でありながら、様々な角度から学びが得られる。知識としての発見もあれば、考え方に対する新たな気づきが得られることもある。

    例えば満州事変の発端となった「柳条湖事件」。我々が習った頃は「柳条溝事件」と教科書に書かれていた。この一文字の「ん?」が、その訂正された理由とか、この事件が日本の関東軍の自作自演だったことなどを再確認するきっかけとなった。

    零戦の戦闘能力が高かったのは、人命を軽視して、機体の軽量化を図ったこと、同様に戦艦大和が攻撃力は世界一だったにも関わらず、対空防御に弱かったことなど、戦時中の思想が異常へと傾いていたことを知ることができる。

    真珠湾攻撃での奇襲で戦果を得たことを、小林秀雄や亀井勝一郎や横山利一など日本を代表する作家がもろ手を挙げて大喜びしていたという事実を知り、どんな人であれ環境に翻弄されてしまうものなんだなぁと驚きさえあった。

    その背景には情報操作というものがあった。当時のマスコミは、人心をコントロールするためのツールでしかなかったような印象を受ける。

    「ノモンハン事件」が、陸軍エリートの過信や驕慢や無知から引き起こされた無責任な事件であったことを知る。

    フランスの社会心理学者ル・ボンの「群集心理」を引用し、個人が群集にることで集団精神というものが生まれ、衝動的となり、動揺しやすくなり、興奮しやすくなり、暗示を受けやすくなり・・・と、当時の狂気の思想が成り立つ仕組みを解説してくれる。

    日米戦の真実を語る石原莞爾の言葉。「この戦争は負けますなぁ。財布に千円しかないのに一万円の買い物をしようとしてるんだから負けるに決まってる。アメリカは百万円を持ってて一万円の買い物をしている」

    なぜ「終戦」と呼ぶのか。「敗戦」という表現を嫌ったから。毎年、「終戦記念日」という言葉になんの違和感もなしに過ごしてきたが、そこにはそんな秘密があったのだと知った。しかし、著者はむしろ、民衆にとっては「戦争が終わった」という意味で、この言葉は良かったと述べている。

    東京大空襲を指揮した男(米・空軍大将カーチス・イー・ルメイ)に旭日大綬章が授与されている事実を本書で取り上げ指摘している。推薦したのは小泉純一郎の父・当時の防衛庁長官・小泉純也らしい。カーチス。ルメイは、原爆投下についても、戦争を早く終結で来たメリットをいうような男でもある。

    こういう半藤氏の視点に共感を覚えるのであり、氏の著書には読後の後味が非常に良く感じる。

    最後に印象に残った著者の言葉二つ。考えさせられる言葉である。

    ・戦前や戦中は、「人間いかに生くべきか」ではなく、政治や軍事が人間をいかに強引に動かしたかの物語であった。

    ・反省のない元軍人に対し、勝海舟の次の言葉を引用していた。「忠義の士というものがあって、国をつぶすのだ」

  • 半藤一利さん(1930-2021)の悲哀にみちた人間と戦争の歴史観~「明治維新などとかっこいい名前を後から付けたけれど、あれはやっぱり暴力革命でしかありません」 「大本営の学校秀才的参謀が机上でたてた作戦計画の為に、陸海軍将兵(軍属含む)は240万が戦死。このうち広義の飢餓による死者は70パーセントに及ぶ」「昭和23年(1948)1月21日 “生命売ります”という看板を胸と背中にかけた男が、寒風に吹き晒されながら数寄屋橋の上に立って、通る人を驚かした。とことん窮してこれ以上生きていても仕方がない。誰か俺の生命を買わないか...そんな時代が日本にあった。それもそんな遠い昔ではない」

  • 「歴史探偵」を名乗り、おもに近現代史に関する作品を発表してきた半藤一利氏による81の著作から言葉を選び時系列で並べたもの。
    昭和5年生まれの彼は第二次世界大戦前後の日本と一緒に生きてきました。
    「天声人語」を読んでいるよう。
    こういう本を読むとパワハラのニュースがたくさん流れる現代はほんとうに平和だなあと思う。

    構成したフリー編集者の石田陽子さん、お疲れ様でした!
    全部読んで選ぶのもたいへんな作業だと思うけど、各出版社に交渉しなくてはいけないものなのかしら?
    そのために金銭が必要なのかしら?

    ただ、このように書かれると、その本を読まないとわからないと思ったことがあります。
    たとえば「元首相東条英機の自決未遂」
    〈戦争に敗北することによって、日本人の無知、卑劣、無責任、狡猾、醜悪、抜け目なさ、愚劣という悪徳がつぎつぎにぶちまけられる。だれもが自分以外のだれかを罵倒しつづけた。日本人が自分たちを矮小化し、みじめなくらい自己卑下し、そして相互に浅薄な悪口をぶっつけあったのは、おそらく歴史はじまっていらい、敗戦後の初秋ごろほどすさまじいときはなかったであろう。
    そして人間不信、日本人であることの屈辱、嫌悪、情けなさ、それを決定づけたのは、9月11日の元首相東条英機大将の自決未遂ではなかったか。敗戦いらい失望することのみが多かったが、翌日の新聞で、ピストル自殺に失敗、の報道を読んだときほど、心底からがっかりしたことはない。『日本国憲法の200日』〉

    もっと詳しく彼の気持ちが知りたい。
    そのためにはこの本を読むしかないのですから、各出版社にとっても宣伝になって良い本といえるのでしょう。

    あともうひとつ、お気に入りの文章をのこしておきます。
    〈ボートと歴史探偵の共通点
    ボートをやっていて歴史の勉強には何かためになることがあったのか。そこが大事なところかもしれません。スポーツの練習とはくる日もくる日も同じことをやっています。くり返すことが、結局、いちばん大切なのです。スポーツの醍醐味とはくり返すことにあきないこと。あるいは何でもそうかと思いますが、ものごとの上達とはそうしていることで、ある日突然といってもいいほど開眼して、ボートを漕ぐことが楽しくなり、艇がエッと驚くほど速く滑るように走るようになります。歴史の開眼もまた然り。どうしても不可思議としか思えないことが、あきずにいろいろな史料を読んでいるうちに、パッとひらめくようにしてわかることがあるのです。その意味ではスポーツの練習と同じだと思います。〉

  • 歴史と戦争。

    よくよく考えさせられる。

    日本は惜しい人を亡くした。

    平和とはなんだろうか?

    よく考える季節になってきた。

  • 「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」「日本人は歴史への責任を持たない民族」「明治維新などとカッコいい名前をつけても、あれはやっぱり暴力革命」... 文豪・夏目漱石を義理の祖父に持ち、東大の文学部を卒業後に入社した文藝春秋でジャーナリストとして活躍した戦史研究家である半藤氏が、80冊以上の自著から厳選した半藤流・日本史のエッセンス。日本民族は世界一優秀だという驕りによって無責任なエリートが戦争に突き進み、メディアがそれを煽ったと断罪し、過ちを二度と繰り返さないため歴史に何を学ぶべきか、をウイットの効いた文章で紡いでいく。

  • お盆の時期なので何か戦争に関する本を読みたいが、子どもの遊びにも付き合わねばならないから分厚いものは無理だなあと考えながら、本屋で見つけたのが本書。半藤氏の過去の著作からの短い引用が、戦前〜戦中〜戦後の順に並べてあり、時代をざっと概観するには良かった。次は引用元である著作のどれかをじっくり読んでみたい。

    以下、面白かった点。

    P16-17
    人工的な神国意識や天皇観。

    P20
    新旧両思想に帰依せず『宙吊りの孤独に堪えねばならなかった』勝海舟。

    P34
    日露戦争で日本兵の精神的弱さが認識されていたにもかかわらず、戦史には残されなかった。

    P44-45
    「非常時」の掛け声の下の軍国化。

    P46
    売るために積極的に戦争を煽った新聞。

    P133
    資料の整理保存が国家の仕事。

    P142-144
    石原莞爾の平和主義と人間味。

    P146
    東条英機の形式主義。

    P151-152
    『人間そのものから考えずに、機械や組織や権力や制度や数字といった人間とは別のものから考える傾向』『非人間的ーそのことがすなわち「戦争」』『大本営の学校秀才的参謀どもの机上でたてた作戦計画』

    P185
    日本はもう現状維持でいい。

  • 歴史に関する様々な作品がある著者の、幕末以降、戦争にまつわる作品を選び、著者の言葉をまとめたもの。
    著者の作品は何冊か読みましたが、このよな編集になっているとは知らず手に取ったため、本全体としての主張などは分かりません。この中から気になるフレーズを探し、実際に原典にあたるためのガイドブック的なものとしてとらえればいいのかなと思っています。
    個人的に気になった部分をメモしてみました。




    ・「フランスの社会心理学者ル・ボンは『群集心理』(創元文庫)という名著を、十九世紀末に書いているが、かれはいう。『群集の最も大きな特色はつぎの点にある。それを構成する個々の人の種類を問わず、また、かれらの生活様式や職業や性格や知能の異同を問わず、その個人個人が集まって群衆になったというだけで集団精神をもつようになり、そのおかげで、個人でいるのとはまったく別の感じ方や行動をする』そして群集の特色を、かれは鋭く定義している-衝動的で、動揺しやすく、昂奮しやすく、暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じる、と。そして群集の感情は誇張的で、単純であり、偏狭さを保守的傾向をもっている、と。昭和十五年から海鮮への道程における日本人の、新しい戦争を期待する国民感情の流れとは、ル・ボンのいうそのままといっていいような気がする。それもそのときの政府や軍部が冷静な計算で操作していったというようなものではない。日本にはヒトラーのような独裁者もいなかったし、強力で狡猾なファシストもいなかった。」(『昭和・戦争・失敗の本質』)

    ・「戦争をいうものの恐ろしさの本質はそこにある。非人間的になっていることにぜんぜん気付かない。当然のことをいうが、戦争とは人が無残に虐殺されることである。」(『B面昭和史』)

    ・「よく『軍人はつねに過去の戦争を戦う』といわれる。先頭の技術や方式の急激な変化を予測することは、たしかに非常なる困難なことに違いない。が、戦いがはじまってそれをまのあたりに見せつけられながら、なお『過去の戦争』を日本人は戦っていた。その悲しき象徴が戦艦大和・武蔵なのであった。」(『歴史探偵かんじん帳』)

    ・「本当に日本人は歴史に対するしっかりとした責任というものを持たない民族なんですね。軍部だけではない。みんなが燃やしちゃったんですから。」(『「東京裁判」を読む』(保阪正康氏・井上亮氏との鼎談で))

    ・「『一億総懺悔』は、そう影響がなかったと言う人もいますが、その後の日本人の精神や日本の歩みを見ても必ずしもそうではないように思えるんです。みんなして悪かったんだからお互いに責めるのはよそうじゃないかという『なあなあ主義』につながりもし、同時に、この言葉のなかに、トップ層の、結局は戦前戦中と変わらない国民指導の理念が垣間見えるからです。つまりこれが、『戦後どういう日本をつくるか』をわれわれがしっかり考えるための大きな障害になったと言いますか、むしろわれわれにそれを考えさせないようにした、という気がするんです。そしてこの先、皆がなんとなしに『そういうもんか』と、責任を追及しなくなったような印象があるのです。」(『昭和史 戦後編 1945-1989』)

    ・「まったく戦争というのはいつの時代でも儲かるのです。新聞雑誌もそうです。だから変なことを考えるやつが絶えないのです。」(『昭和史 戦後編 1945-1989』)

    ・「政治的とは、人間がいかに動かされるか、動かされたか、を考えることであろう。戦前の昭和史はまさしく政治、いや軍事が人間をいかに強引に動かしたかの物語であった。戦後の昭和はそれから脱却し、いかに私たちが自主的に動こうとしてきたかの物語である。しかし、これからの日本にまた、むりに人間を動かさねば…という時代がくるやもしれない。そんな予感がする。」(『昭和史 戦後編 1945-1989』)

    ・「戦争は、ある日突然に天から降ってくるものではない。長い長いわれわれの『知らん顔』の道程の果てに起こるものなんである。(中略)いくら非戦をとなえようが、それはムダと思ってはいけないのである。そうした『あきらめ』が戦争を招き寄せるものなんである。」(『墨子よみがえる』)

    ・「この元軍人には反省という言葉はないと、そのとき思った。そして勝海舟の言葉『忠義の士というものがあって、国をつぶすのだ』とそっとつぶやいたことであった。」(『B面昭和史』)


    <目次>
    第1章 幕末・維新・明治をながめて
    第2章 大正・昭和前期を見つめて
    第3章 戦争の時代を生きて
    第4章 戦後を歩んで
    第5章 じっさい見たこと、聞いたこと

  • 「コチコチの愛国者ほど国を害する者、ダメにするものはいない。」主観的過ぎると、盲信を生む。多角的視点とか批判的視点持つ、っていう21世紀型学力って、戦争しないための、取り返しのつかないことをしでかさないための視点なんだろうな、と思います。

  • 気軽に読める本だが多くの人の著述やコメントなどの中には心を打つものがある。

  •  幕末・明治維新からの日本近代化の歩みは、戦争の歴史でもあった。半藤一利氏の80冊以上の著作を1冊の本にまとめ上げたもの。一息に読了しました。戦争は悲惨、残酷、非人間的で空しいもの。戦争とは人が無残に虐殺されるものであることを改めて認識しました。戦後、長く続く平和を有難く思います。半藤一利「歴史と戦争」、2018.3発行。土を耕すことを忘れつつある資源亡き農耕国家の日本、大丈夫か。「軽武装・経済第一」の吉田ドクトリンから「普通の国」への転換は可能なのか。

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著者プロフィール

半藤 一利(はんどう・かずとし):1930年生まれ。作家。東京大学文学部卒業後、文藝春秋社入社。「文藝春秋」「週刊文春」の編集長を経て専務取締役。同社を退社後、昭和史を中心とした歴史関係、夏目漱石関連の著書を多数出版。主な著書に『昭和史』(平凡社 毎日出版文化賞特別賞受賞)、『漱石先生ぞな、もし』(文春文庫新田次郎文学賞受賞)、『聖断』(PHP文庫)、『決定版 日本のいちばん長い日』(文春文庫)、『幕末史』(新潮文庫)、『それからの海舟』(ちくま文庫)等がある。2015年、菊池寛賞受賞。2021年没。

「2024年 『安吾さんの太平洋戦争』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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