日本の醜さについて 都市とエゴイズム (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
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レビュー : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344984981

感想・レビュー・書評

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  • (特集:「先生と先輩のすすめる本」)
    伝統的な秩序を基調にした欧州の都市は建築相互が慎み深く尊重し合って美しく、自己主張する新建築がひしめく日本の都市はエゴを晒して醜いと著者は評する。そしてその「事実」は、協調性が高く保守的という日本人像と正反対で、日本人は個人の自由と近代的な自我の獲得に大成功したのだと揶揄する。言い換えると、現代日本の都市風景は、とりわけ戦後日本人の幼稚さ、慎みの無さ、歴史への無理解の反映ということで一々腑に落ちる。そして、失われてきたものの大きさに嘆息してしまう。通学の際、車窓からの眺めを観察しながら読み進めて欲しい。
    (教員推薦)

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    http://mlib.nit.ac.jp/webopac/BB00546465

  • 大抵の日本人論では日本は西洋より遅れているといわれるが、こと街並みに関してはずっと自由で進んでいるという指摘。
    著者の過去の著作からの寄せ集めみたいな内容で、あんまり面白くなかった。

  • 日本のとイタリアの都市景観の差を、文化的歴史的背景から論じた本。
    視点が面白い。が、結論に救いがない。
    日本の都市景観が醜い理由の1つに、公共心の欠如をあげている。その通りだと思う。
    都市景観だけでなくインフラ問題など問題は山積している。都市や地域の公共性について議論をしなければいけない時期に来ている。

  • 全く纏めにくい本である。
    まあこの本に限らずこの著者の本は全てそうなのであるが・・・結論だけを纏めるのは簡単だが、著者はいろんな面白い例を繰り出して煙に巻く、その面白さを伝えるのが大変難しい。

    著者は、冒頭で「これから世間の常套的な物の見方にはむかう」と、見得をきる。
    「いわく、日本人には強い自我がない。欧米人とくらべれば、自己主張は苦手である・・・(略)・・・逆に全体の気配を察して、自分の立ち位置を探ろうとする・・・社会科学めかしてあらわせば、集団主義的な性質を日本人はおびている。逆に、欧米人は個人主義的であるという」
    この定説を建築というか都市景観という視点から突き崩していこうと試みているのが本書である。但しどこまでが読者に受け入れられるかは???である。

    欧州と日本との都市景観の比較を試みている。
    ・フィレンツェと京都、ヴェネツィアと大阪、ローマと東京等ヨーロッパの街並みと日本の都市景観の比較。我が国が誇る古都京都でさえ、都市景観という視点で見れば、落第であることがよくわかる。
    ・ドイツ軍に破壊しつくされたワルシャワの街を、ポーランドでは破壊される前の1760年代の景観に復元したという話。
    ・第二次大戦で、イタリアはローマが空爆を受けた翌日には、ローマの遺跡を守るために休戦を宣言している。日本では初めての空爆後3年4ケ月も抵抗をし続けた。イタリアが休戦を公表したあとに日本の大本営はこの国を口汚くあざけった。そう叫んだ大本営に、ローマの歴史遺産への想いをはせた者は、絶無であったろうと・・・我が国の文化的貧困を著者は嘆く。
    ・また第二次大戦のパリの解放しかり・・・ここで私はノンフィクション小説(映画にもなった)「パリは燃えているか」を思い出した。ヒトラーのパリ爆破命令に背いて、連合軍に無条件降伏をしてパリの街を守ったドイツの将軍がいた。

    現代の日本の建築行政は、安全面の配慮に神経をとがらす、火災の避難準備、建築資材の確認、風圧への備え、地震対策等々、だが、意匠面の要請は殆どない。街並みとの調和を求められるケースはまれである。

    その結果、勝手気儘な色や形のビルがならび、ふぞいな街並みが出来上がる。そんな日本的傾向は、大阪の道頓堀あたり(動くカニや食い倒れ人形等のバラバラで猥雑な街並み)で頂点に達する。
    「欧州の建築家には、皮肉も込めてのことだろうか、こう感嘆するものもいる。ヨーロッパではありえない表現の自由が、ここにはある・・・(略)・・・あの景観を、大阪が生み出した風変りなそれとして、受け止めるべきではない。あそこには、日本の近代の姿が、集約的に投影されている」

    かくて著者は「建築が『利益のためだけにつくられる』。ヨーロッパではありえない自由を、日本は勝ちとった・・・近代の日本はブルジョア革命をなしとげたのだ」とうそぶく。

    都市景観については、私は素人だが、そういう概念そのものがなかった日本とヨーロッパを比較するのは、そもそも無理な気がする。
    特に日本は木造建築主体で、台風・地震・火事にもてあそばれて、大陸の頑丈な岩盤の上に作られた石造りのヨーロッパとは比較しようがないと思うが、それを真面目に反論しても、この著者の場合意味がないように思う。

    著者は、従来思いつかなかったような例を並べ立てて、世の中の定説というような既存の考えを引っ掻き回すことに、喜びを感じているのかもしれない。
    つくづく食えないオヤジだと思うが、視点を変えて、このような見方もあるなと、面白がって読むと、読書の楽しみ方に幅が出来ると思う次第です。

  • 20190126 中央図書館
    井上のもともとの背景である建築を切り口に、イタリアと日本の比較の視点などから、日本はそれほどのものじゃない。。というスタンスかな。あるいは天の邪鬼的に逆の意味かも。

  • 18/10/17。

  • 東2法経図・6F開架 B1/11/497/K

  • ほとんど読んでこなかった版元が2つある。角川と幻冬舎。過去にテレビで見たトップに立つ人の何かがそうさせたのだと思う。本書もどうしようかちょっと迷ったけれど、娘が建築関係に進みたいと言っていることもあり、久しぶりに章一さんの本を読もうと思い立った。「京都ぎらい」は読まずじまいだったから、キリスト教の本か性欲研の本かくらいから15年ほど遠ざかっていたはずだ。で、やっぱりおもしろい。視点がおもしろい。ヨーロッパへは新婚旅行で20年ほど前にライプツィッヒとウィーンに行ったきりだが、町並みは大変美しかった。石畳があり、建物も外観は古いままで、タイムスリップしたような気分が味わえる。それに引き換え京都はどうか。古いお寺があったり、石塀小路があったり、京町屋がときどき出現したりはするが、スクラップアンドビルドで次々に新しい建物が立ち並ぶ。最近は、コンビニなども京都らしくと、景観を意識したりもしているが、それもほんの一部のこと。ヨーロッパの古都とは比較にならない。こういう点をとりあげて、日本人は個人主義であり、ヨーロッパの方が圧倒的に集団主義であると、ふつう言われるのとは逆の結論に持って行く。おもしろい。それで、本書で一番おもしろいエピソードは、「美人論」執筆のためにか、モデルだかアイドルだかを取材したときのこと。「桂離宮」を研究されている方と紹介されたのち、インタビューをしていた女の子に「桂離宮」って落語家さんですか?なんてきかれたとのこと。電車の中で読んでいて、思わず吹き出しそうになった。さて、さて、娘に読ませて、建築科の推薦入試にちょっとは役立つのだろうか? ちなみに、娘にも「桂離宮」って知ってる?と聞いたら、なにそれ?人?とか言っていた。千利休と勘違いでもしたのだろうか。京都に住んでいながら情けない。文化資本が不足している。

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著者プロフィール

国際日本文化研究センター教授

「2017年 『学問をしばるもの』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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