考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門 (幻冬舎新書)

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  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344985148

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  • 2019.3.4

  • 「考える」ことを議論した新書。

    題材は哲学対話だけど、第3章「問う・考える・語る・聞く」では考える方法論を扱っている。
    要旨は以下。
    ・哲学(考える)ことは、「問う」「考える」「語る」「聞く」ことでできる。
    1. 問うことと考えること
     - 問うことで初めて考える。
    - 問い、答え、さらに問い、答える−その積み重ねが思考
     - 重要なのは、何をどのように問うか
     - 考えるには、考える動機と力がいる=自ら問う
     - 具体的な問いを抽象的な問いに
     - 抽象的な問いを具体的な問いに
    2. 考えることと語ること
     - 考えていることは、語ることで初めて明確な形をとる
     - 自分とは異なる他者に語る
    3. 語ることと聞くこと
     - 語られたことは、聞かれることで受け止められ、意味をなす
     - 「受け入れる」ではなく「受け止める」
      (否定的な態度を取らない)
     - 「理解する」ではなく「受け止める」
     - 聞くことは場を共有すること

  • 著者は、「哲学対話」というもののコンサルをしている。「哲学対話」というのは、5人から20人くらいで輪になって座り、一つのテーマについて自由に話をしながら、いっしょに考えていくというものである。いわゆる学問としての「哲学」のテーマではないかもしれないが、哲学が時代的背景に基づく現代の課題について論じるものであるとするならば、その実践のひとつの形でもある。

    本書の副題が、「0歳から100歳までの哲学入門」となっているが、何かを始めるのに年齢は関係ないということと、その人の現代的課題はその人の年齢によって変わるであろうことも示している。年齢もそのひとつの要素として、対話においては多様性が求められることも、その副題によって示されている。哲学対話では、多様性があるほど活発化するという。考えてみれば、学校も、職場も、それが特定の目的やカテゴリーによって集められた場であることにより、ある種の多様性が喪失された場である。人生の時間の多くをそういった場で過ごすことになるため、自分も含めて人は想像する以上に考え方における多様性を失っているのではないか。オンラインのコミュニティや情報にしても、ターゲティングによって類似した仲間や情報が集まることで多様性が失われつつあるといわれている。そういった状況中でも哲学対話という方法は、何か有効な手段として働くのではないか。

    カントは「哲学を学ぶことはできない。哲学することだけを学ぶことができる」と言ったらしいが、その実践が哲学対話でもある。

    そもそも「考える」ということはどういうことなのだろう。「「考える」ということを学ぶ機会は、人生においてほとんどない」と著者は指摘する。逆に、「考えることを許さない、考えないように仕向ける力が世の中のいたるところに働いている」という。そのことで大切な自由を奪われている。考えることによって初めて、世の中の縛りから解き放たれて、自由を手に入れることができるという。そのための哲学対話だ、と。そもそも、著者が指摘するように、「思考とは自分自身との「対話」」なのだ。

    著者の考えで面白いと感じたのは、考えるということが身体感覚と結びついているという点だ。
    「対話が哲学的になった瞬間は、感覚的に分かる。全身がざわつく感じ、ふっと体が軽くなった感じ、床が抜けて宙に浮いたような感覚、目の前が一瞬開けて体がのびやかになる解放感、などなど」
    考えるということは、実際にはきわめて身体的なものも含むのかもしれない。自由になるといの感覚も、抽象的なものではなく、具体的で身体的にも感じることができるものなのかもしれない。

    「私たちは、考えることで自由になれる。そして共に考えることで共に自由になれる - それこそが哲学の意義である」

    そして、そのための具体的な哲学対話の方法論は次の通りである。

    ①何を言ってもいい
    ②人の言うことに対して否定的な態度を取らない
    ③発言せず、ただ聞いているだけでもいい
    ④お互いに問いかけるようにする
    ⑤知識ではなく、自分の経験にそくして話す
    ⑥話がまとまらなくてもいい
    ⑦意見が変わってもいい
    ⑧分からなくなっていい

    個々のルールには、それぞれ意味があり、それは本書の中で説明される。
    何よりも制約を払うということに重点が置かれている。

    哲学対話が重要だと考える理由を、「問うことと考えること」「考えることと語ること」「語ることと聞くこと」の三つのつながりから考えている。

    まず問うことから始めないといけないのに、多くの場合には与えられた問いについて考えることが学校でも会社でも繰り返される。本来、問いは思考を動かし、方向づけるものである。「考えるために問わなければならない。重要なのは、何をどのように問うかである」のである。その問いの動機は内在的なくてはならない。考えずにはいられないことを問うのである。そのために考える動機と力がいるのである。哲学対話は、問う方法に慣れることを手助けする。

    そして、考えたことは「他者」に対して語ることによって初めて明確な形を取る。「他者」に対して語ることは、「伝える」ということだ。そして、実際には自分ですらも「他者」とも言える。そして、考えることと同様に、自分の考えを語ることも多くは学んでいない。語るべきことは自分の考えではなく、正しい答えであったりする。「他者に対して語る」という経験を哲学対話は提供する場でもある。そして、哲学対話が多様性を求める理由でもある。

    「語る」ことと「聞く」ことは「伝える」という行為にとって常にセットとなる。そのときに重要なのは、ただ「受け止める」ことだという。まずは、受け入れる必要もないし、理解することからも切り離した方がよいという。その人の存在を受け止めることと、そこから場を共有することがまずは哲学対話における「聞く」には必要なのである。

    哲学対話は企業の研修でも使われているそうだが、確かになかなか正確に理解されるのは難しそうだ。ただ、学校教育や生涯教育に取り入れることは、とても意味があるような気がしてきた。社会規範やコミュニティのルールに従って行動する中で、束縛からくる習慣が澱のようにたまって、自由な考えや行動を抑制しているのは確かなことなのだと思う。

    たいていの本ではこの最後に置いた言葉は著者にとって特別に選ばれた言葉であることが多い。その言葉を写し取っておく。

    「哲学は夢を追いかけるユートピア思想ではないし、社会全体を変えようとする革命思想でもない。それは「考える」ということを通して、誰もが自分の生きる現実をほんの少しでも変え、自由と責任を取り戻して生きるための小さな挑戦である。そこで必要なのは、高邁な理想よりも徹底的なリアリズムなのだ」

  • 哲学書でありながら哲学書で無い本。

    「考える」ことについて深く掘り下げていきます。

    企業や学校などで取り入れられて注目されているという「哲学対話」は非常に興味があります。

    「問いを問う」というのは非常に腑に落ちました。

    とても学びになりました。

  • 考えるということについて、また、哲学的に皆で議論するにはどのようにしたら良いかについて。

    割と同じことが繰り返されているような印象だったけれど、どんな風に話し合いをすれば良いかという部分は詳しく、とても参考になった。

  • 考えるためには、良い質問が必要である
    答えの出ない問いであっても、考え続けることで深い所まで理解できる。頭の中で考えていても、ぐるぐると回っているだけなので、紙に書き出す必要がある。

    アインシュタインは、
    自分が極地に追われている時、
    もし1時間しか時間がないとしたら何をするか
    最初の55分は良い質問を考えることに費やす と

    現代人は、考えないように世界が設計されている
    時間に流されるのか、自分で設計するのか

    少し意識するだけで、だいぶ異なる

  • はじめに
    第1章 哲学対話の哲学
    1 哲学対話とはどのようなものか
    2 哲学対話のルール
    第2章 哲学の存在意義
    1 哲学対話の効用
    2 自由のための哲学
    3 責任のための哲学
    4 自分のための哲学
    第3章 問う・考える・語る・聞く
    1 問うことと考えること
    2 考えることと語ること
    3 語ることと聞くこと
    第4章 哲学対話の実践
    1 用途と参加者
    2 場の作り方
    3 対話の進め方
    おわりに
    あとがき

    哲学対話というのは(中略)5人から20人くらいで輪になって座り、一つのテーマについて、自由に話をしながら、いっしょに考えていくというものだ。(p3)
    かつての哲学はいわゆる「知識」として学ぶもの(中略)昨今では対話において自ら「体験」するもの。(p12)
    私たちは考えることによってはじめて自由になれる。(p15)
    学校をはじめ、世の中では、いろんなことを学んで分かることを増やし、分からないことを減らすのがいいとされる。哲学はその真逆である。分からないことがたくさんあれば、それだけ問うこと、考えることが増える。だから、どんどん分からなくなるのがいい、というのが哲学なのだ。(p33)
    輪になって座る。参加者どうしが対等である。隣と接触するくらいがいい。連帯感が強まる。(p38-39)茶室
    哲学は体育会系、位置関係、相手との距離、姿勢、息遣い、眼差し、表情など(p40)

    ルール(p47)
    ①何を言ってもいい。
    ②人の言うことに対して否定的な態度をとらない。
    ③発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
    ④お互いに問いかけるようにする。
    ⑤知識ではなく、自分の経験にそくして話す。
    ⑥話がまとまらなくてもいい。
    ⑦意見が変わってもいい。
    ⑧分からなくなってもいい。

    何を言ってもいい場はない(p47-p50)面子、配慮、敬意、礼儀、TPO、空気。
    問うことの難しさ(p60-62)期待、邪推、忖度。
    知的な安心感(p67)

    答えのある問いの大切さ(p143)
    たとえば、「死刑についてどう思うか?」という問いに対して、何の予備知識もなしに、ただたんに命の価値、罪と罰の関係、復讐、救済などについて自由に話していれば、対話じたいは哲学的になりうる。しかし、死刑について、より深く考えられるとは限らない。

    何を言ってもいい、何を聞いてもいい哲学対話の場になると、子どもたちはしばしばそうした常識に問いを向けてくる。それに応答するのは、大人にとって大きな挑戦となる。(p159)

    「受け入れる」ではなく「受け止める」
    「理解する」ではなく「受け止める」
    「聞く」ことを、理解することから切り離したほうがいい。(p167-169)

    世の中ではほとんどのところで(中略)人間関係もないのに、いきなり重要な案件を話し合い、結論を出そうとする。(p181)

    考えるためには、問うことができなければならない。問う力を育てるためには、何でも問うていい場が必要になる。(p254)

    ありがちな日本人論(p256-257)
    日本人とは、何もしないでいるための方便にすぎないのだ。

    自分たちの問題を日本の問題、日本人の問題に広げ、全体が変わらなければ意味がないかのような議論をして、それができないから何もせずに、ただ批判したり嘆いてみせたりするのは、たんなる無責任である。(p258)

    公益財団法人上廣倫理財団
    http://www.rinri.or.jp/

    東京大学 共生のための国際哲学研究センター
    https://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/

    山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(PHP新書)

  • やる!

  • タイトルと内容がミスマッチな気がする.本書のテーマは,対話,それも著者のいう「哲学対話」という定式化された対話スタイルがもたらす考えることの解放,その意義である.そして哲学対話という極めて実践的で,自分でやって体験してみないことにはわからないそれ自体を追体験できるような記述あまりないので,対話の周縁をぐるぐると回ってる感は読んでて否めない.
    とはいえ,サクッとその全体像をつかめる.はじめにとあとがきが示唆に富んだ小論で,興味がある方はまずそこを読むのがおススメ.

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