- Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
- / ISBN・EAN: 9784393332214
作品紹介・あらすじ
世間を跋扈する教育言説や、声高に叫ばれる教育論の嘘、誤解、無意識の前提を鋭く指摘。歴史的事実と資源の有限性の認識から、教育本来の意義と限界を問い、教育を蘇生させようとする意欲的論考。「母性喪失」「青少年犯罪の凶悪化」「学力崩壊」など、巷に横溢する教育言説や教育論を検証。その分析と歴史や環境の視座から、教育の目的と方法を問いなおし、教育にできることとできないこと、すべきこととしてはならないことを区分けして、めざすべき教育の未来像に挑む。
感想・レビュー・書評
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はじめは軽く、一般的なことが書かれており、教育関係者には軽いかな、と思ったが、後半の「教えるー学ぶ」のあたりや佐藤学の提唱する「学びの共同体」に関しての筆者の考え方には共感できる。
教育は社会問題と密接に絡み合っており、教育にできないこと=学校が担う範囲を明確にすることが、今の学校の多忙化に対する一つの解決策ではないかと思えた。
前半は一般の人向け、後半は学校の管理職にも読んでもらいたいような内容だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
教育は「家庭の責任が強くなった」という論と、「学校の責任が強くなった」という論があって実際はどっちやねんと思った。『教育には何ができないか』というタイトルの割には本質があまり言及されていない印象を受けた。
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2015.6.30教育万能論という、何にしても教育に責任を問い、何にしても教育による改善が大事だという様々な言説に対し、果たしてそうなのか、現実はその言説つまり思い込みと違うということを明らかにした上で、教育にはできないこと、そして教育にできることを論じた本。教育と社会との関係を考える際、社会は何か一枚岩の単色の共同体というわけではなく、様々な家庭の集合体であり、故に教育に対する要求も、かたや好きにさせろ、かたやもっと管理しろと矛盾することになる。また歴史的な流れで現代を見ると少年の非行などは全体的には改善されている。にも関わらずこんなに非行がやばいと言われるのはメディアの影響だろう。多くの教育への要求は現実が下がることでなく理想が上がることによるギャップから生まれている。我々は何にしても、わからないということを恐れるあまり、早急に答えを出し、頭の中で言説を作りがちである。そんな言説を、現実をありのままに見ることで壊していくのが社会学のひとつのものの見方であり、その目線で教育を論ずることの大事さを学べた。私の教育観にも影響を与えてくれたが、同時に社会学的なものの見方、自分にも世の中にも騙されない視点を学べた気がする。教育に対する要求が強くなる現代において教育の思い込みと教育の限界と教育の可能性を論じた一冊。
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世の中のいろいろなことの対処法として、教育が語られるけれど、教育ができることとできないことの区別、できることのなかでしてよいこととしてはいけないことの区別をつけてみようという内容でした。
「教育の確率論的な限界」、「<教える‐学ぶ>関係の偶然性」など、ほおほお、と思いながら読みました。道徳教育との絡みで、道徳は教えられるか、というテーマと近い議論でした。
ルーマンという人が、そのあたりを詳しく論じているらしいので、次はルーマンの本を読んでみよう。
家庭教育のお話が、子育てでいっぱいいっぱいの相方さんの気持ちをらくにするかな~、と思ったので「ここ読んでみて」といって渡したのですが、「わかってないな~、私が困ってるのはそんなことじゃないの」と言って突き返されました。かえって逆効果だったみたいです。
(つちなが) -
教育という抽象的な問題について、論理的に分析している本。
教育超初学者でもよく理解できる本。
概念を構造として捉える表現が多く、概念間の対立を指摘するものが多かった。
さまざまな捉え方があるものだと非常に感心してしまった。
技術的なことはほとんど書いておらず、メタ分析的。 -
分類=教育論・広田照幸。03年1月。