- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784393957042
作品紹介・あらすじ
虚無僧尺八の鬼才が開く革新的音響文化論。
感想・レビュー・書評
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倍音という言葉は、楽器をやっている人には馴染み深いものです。
たとえばある楽器でド、という基音を出したとすると、そこにはソ、ド、ミ、ソ、シ♭…など高次の音も微妙に含まれていて、その多寡や強さによって音色が形作られている…というアレですね。
でも話はそれどころでは終わらない、というのがこの本の出発点。
人間の可聴音域は、だいたい20~20,000Hzと言われています。CDなどのデジタル機器や西洋音楽は、それ以外の周波数や雑音に分類される倍音成分をスポイルすることで合理化され発展したとも言えますが、人間は本来、耳だけでなく皮膚感覚などによってもっと広い領域を感じる能力も持っています。
森林の中の何者かの気配。雑踏や喧噪の中でも耳に入ってくる特定の音や言葉。暗やみの中での自分の位置。家族がふと漏らした吐息の意味。そうした意識下・無意識下で感じる何かが実は、音ならぬ音、すなわち倍音をかぎわけるチカラによってもたらされている。そしてコミュニケーションにとって重要なのは、むしろ明確化された音声よりもそっちなのではないか。本書は、その辺を強く示唆して行きます。
特に日本人においては、家屋が木や紙でできているせいもあり(音が反響しにくいので倍音がよく耳に届く)、また虫の声や草イキレなど自然の音が周囲に満ちているせいもあり、倍音に対する感受性が非常に研ぎ澄まされているといいます。
デジタル機器が全盛のいま、世の中には無機質な電子音ばかりが溢れている。それらは、日本人の鋭敏な感受性をスポイルしてはいないか。
西洋の純化された平明な音楽ばかりではなく、心の陰影を多く含んだ日本古来の盆踊りや民謡や歌謡曲のたぐいをもっと大事にしないとダメなんじゃないか。
そんな「日本人力の危機」みたいなことを漠然と考えていたんだけど、この危機意識に、これまで思ってもいなかった方向から鮮やかに切り込んでくれる良書でありました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タモリが2011年末の「徹子の部屋」出演時に紹介していた本。
カリスマ性を感じさせる整数次倍音を含んだ声の例として黒柳徹子とタモリの名が上げられていたためだ。
因みに情緒性、親密性を感じさせる非整数次倍音を含んだ声としてはビートたけし、宇多田ヒカルがあげられる。
またロックは倍音を多く含んだ発声が多く用いられ、これこそが多くの人々の心を捉え、西欧クラシック音楽主体の世界に終止符を打った歴史的なことだった。
<blockquote>日本の音楽とは、倍音の変化により空間性を変化させて楽しむ音楽</blockquote>なので、リズムの捉え方も西洋のそれとは変わってくる。
端的なのが「イヨー」と掛け声を上げ間を計り「ポン」とやるあれだ。
西洋のリズムの捉え方だと1拍目の頭だと4拍目の裏だとか時間が独立している。
ところが日本の場合は音高、音量、音質などのある要素が増大して減少して元に戻る時に「ポン」と叩くというように時間も空間も音質・音量が一体となり相互作用して捉えられるのだ。
上記の箇所が一番興味深かった。 -
予想を超える良書だった。
著者は尺八奏者なのだが、音全般から人体の認知のしくみなど、実によく調べており、また、その鋭い耳で得た様々な驚くべき知見を披露している。尺八によってアウトサイダー的に代表される日本古来の音楽は、倍音構造の変化を、空間と一体となったものとして味わうものであり、近代以降の西洋音楽や、そこから来たこんにちのポピュラー音楽の論理とはまるで異なる。だからそれは、欧米人にはなかなか理解されないだろう。
<整数次倍音><非整数次倍音>と著者は区別しているが、後者は自然音やちょっとがさがさした音、まあ、若干ノイジーなところのある音のことだろう。
<非整数次倍音>はささやき声や叫びなど、日本人にとっては親密で重要なメッセージを伝えるときに用いられる。歌手で言うと森進一。宇多田ヒカル。
一方<整数次倍音>はカリスマ的に「支配する」音調であり、歌手で言うと美空ひばり、浜崎あゆみなど。倖田來未はしゃべるとき<非整数次倍音>だが歌うときは<整数次倍音>の方が強いという。あのかすれた声は、特に子音がつづくとき<非整数次>の方じゃないかと私は感じるのだが、張りのある、伸びる声は<整数次>ということだろうか。
<整数次倍音><非整数次倍音>の区分は、さらに、芸人や政治家にまで分析が延びていき、実に興味深い。
私は耳が悪いので、そんなに倍音を認知できないが、認識できないだけで、みな倍音を体感しているのかもしれない。CDやネットで出回るMP3などの音源は、高周波部分がカットされているので、「認識」できない高次倍音がカットされてしまっている。CDを聴くときとホールなどでじかに演奏を聴くとくとでは、このように倍音部分の差異が出る。
虚無僧尺八の音楽は倍音の芸術だと言う。
尺八の音楽は好きだ。それは西洋音楽とはまったく違う論理の芸術性を持っており、西洋アカデミズムの権威主義者に低レベル呼ばわりされるいわれはまったくない。
欧米人の脳の働き具合が日本人のそれと、聴覚に関して非常に異なっているわけだから、生まれてくる音楽文化は違って当たり前である。
この本は驚きをもたらしてくれる。音楽をやっている人は、いちど読んでみた方がよいかもしれない。 -
すこぶる面白かった。興味深い方の面白さも十二分。
今まで、あまり研究、言語化、されてこなかった分野で、
未知の部分にも言及しているのにも関わらず、
とても平素な言葉で書かれていて、とても読みやすい。
作者のあとがきに、本書の内容の中にも、突き詰めれば専門的な分野はたくさんあったけれど、分かりやすさを重視して、省略した部分もあるという意味のことが、書かれていたけど、大正解だと思います。
ともすれば、専門化、テクニカルな方向で書かれていて、
一段目のハードルが高くなることも多い、音楽書ですが、
この本は、一読目でも、納得しながら読み進めることが出来た。
自分の場合は、知らない個人名や、楽器が出てきた場合は、
youtubeで実際の音響を確認しながら、読みました。
そうすれば、よりスラスラ読めてオススメです。 -
演劇倶楽部『座』第27回公演
詠み芝居「歌行燈」は虚無僧尺八の中村明一氏とのコラボでした。
泉鏡花は難解だけど尺八のソロはド迫力だったなあ。壌晴彦さんが開演に先立ち、日本人は日本の文化を知らないといった話をなさいました。外国の方のほうが日本文化に詳しいのは、シェークスピア劇もバレエも行くところまでいった感があるので、他を見たとき日本のユニークさに目が行くからだという。彼らのほうが意識が鋭敏なわけだ。能の舞台は何もなくてこの世とあの世を行き来するかと思えば、デコの歌舞伎があったり、究極の人形劇の文楽があたりする。これまで以上に日本文化に向き合っていこうと思う。
倍音で日本文化を理解するユニークな本です。 -
倍音は意識と深く繋がっている。
無意識に声のトーンを使い分けたり、生活様式によって発声法が変化したり。
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作者は工学部卒の尺八奏者。読み始めは倍音ピンポイントな本が珍しくて、どんなにマニアックな話なんだろうと思ったら、ハーモニクスから芸能人の声まで裾野がどんどん広がる。最終的に尺八の話。尺八吹きの友人に勧めました。
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日本人と西洋人の音のとらえ方が違うのにも 驚いたけれど、音自体も こんなに奥深い物で 与える影響が様々なんだと驚かされた。
どうしても西洋音楽がメインになってきている昨今、こんなすごい物を持ってる 日本やアジアの音楽をもっと聴いてみたいと思いました。
音のことを文字で理解しようとすると結構難解なのでCDとかがついていると良かったなぁ・・ -
数年前に「徹子の部屋」でタモさんが紹介していた本。
直後に近くの紀伊國屋で探したが見つからず、新宿本店からの取り寄せになった。
積読で3年くらい寝かせた。
ハードカバーは荷物が多い時は持ち歩かないので読み終わるまで1ヶ月くらいかかってしまった。
この手は電子書籍向きかも。
まずは簡潔に。
倍音(整数次倍音、非整数次倍音とも)のサンプルCDでも付けてほしかった。
理工系の端くれとしては数学的アプローチは何となくわかる気はするのだが、音楽的説明はちょっとサンプルでも聞かないと理解しがたい。
一体、小中(高)の音楽の授業の知識って役に立っているのだろうか。
この手の本はいまなら電子書籍にサンプル音組み込んで出してくれた方が素人にはわかりやすいはず。
マルチメディア(死語)向き内容。
前述のハードカバー書籍電子化と相まってサンプル音源付いたら買い替えるな。 -
倍音のことにもう少し絞ってもよかったかと。