山頭火句集 (山頭火文庫 1)

著者 :
制作 : 村上 護 
  • 春陽堂書店
4.08
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本棚登録 : 57
感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (489ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784394700548

感想・レビュー・書評

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  • 分け入っても分け入っても青い山

    まっすぐな道でさみしい

    すすきのひかりさへぎるものなし

    うしろすがたのしぐれてゆくか

    冬雨の石階のぼるサンタマリア

    ゆふ空から柚子の一つをもらふ

    ひつそりかんとしてぺんぺん草の花ざかり

    ながい毛がしらが

    あざみあざやかなあさのあめあがり

    雲がいそいでよい月にする

    はれたりふつたり青田になつた

    酔へなくなつたみじめさはこほろぎがなく

    やつと郵便が来てそれから熟柿の落ちるだけ

    月がうらへまはれば藪かげ

    ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない

    誰も来てくれない蕗の佃煮を煮る

    山から山がのぞいて梅雨晴れ

    食べる物あつて酔ふものあつて雑草の雨

    ここにわたしがつくつくぼうしがいちにち

    月も水底に旅空がある


     季語があるのかどうか分からない句もあるが、貧しくて孤独な自分と自然を愛とユーモアのある視点で切り取っている。自由闊達で、侘び寂びを地でいっているような俳人。どの句も素晴らしい

    • goya626さん
      Macomi55さん
      何十年も昔、「しってるつもり」という番組があって、それで山頭火を知りましたが、モーツァルトのクラリネット協奏曲の第2...
      Macomi55さん
      何十年も昔、「しってるつもり」という番組があって、それで山頭火を知りましたが、モーツァルトのクラリネット協奏曲の第2楽章が使われていて、この曲を聴くといつも山頭火を思い浮かべてしまいます。
      2022/08/08
    • Macomi55さん
      goya626さん
      山頭火とモーツァルト???
      あー、その番組のオープニングがなにかにモーツァルトのクラリネット協奏曲第2楽章が使われていた...
      goya626さん
      山頭火とモーツァルト???
      あー、その番組のオープニングがなにかにモーツァルトのクラリネット協奏曲第2楽章が使われていたのですね。
      2022/08/08
    • goya626さん
      Macomi55さん
      山頭火の生涯を紹介する場面で使われていました。それにしても、モーツァルトはなんでこんな凄い曲が作れるんだ!!
      Macomi55さん
      山頭火の生涯を紹介する場面で使われていました。それにしても、モーツァルトはなんでこんな凄い曲が作れるんだ!!
      2022/08/10
  • 自由主義をうたう、いかなる思想家よりも
    山頭火は、はるかに信用できる
    というのも
    かれが、自由であるということにまつわる
    あらゆる無惨、あらゆる孤独を
    その一身にひきうけているからである

  • 【内容】
    短文の美、もののあはれ。
    ぽつんとした切なさ、寂しさがぎっしりと詰まっています。
    情趣を重んじる、悠然とした人にお薦めします。

    【類別】
    俳句集。
    特に自由律。有季定型、新傾向も一部。

    【表現】
    初期のものはやや読み難いです。

  • いかなる理由をもってしても肯定ならざる生き様だが・・・・
    世間のしがらみを断ち乞食に行しても、己というものに勝てない。残ったのは「アルコール中毒」
    「咳がやまない背中をたたく手がない」
    「濁れる水の流れつつ澄む」
    「柱いつぽんをのぼりつくだりつ蟻のまいにち」

    なにげにしみじとした句がある

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著者プロフィール

尾崎放哉と並び称される、自由律俳句の代表的俳人。放浪の人生のなか、句を詠みつづけ、自ら終の住処と定めた愛媛県松山にて没した。

1882(明治15)山口県西佐波令村(現・防府市)に生まれる。本名は種田正一。
1913(大正 2)『層雲』に初入選。「山頭火」の号を用いる。
1916(大正 5)酒造業が破産。妻子を連れて熊本に移住。
1919(大正 8)心機一転、上京。アルバイト生活を送る。
1920(大正 9)妻サキノと戸籍上離婚。
1923(大正12)関東大震災に遭い、熊本に帰郷し仮寓。  
1924(大正13)泥酔して市電を止め、報恩寺で参禅の道へ。
1925(大正14)出家得度。僧名「耕畝」。 
1926(大正15)すべてを捨てて行乞流転の旅に出る。
1932(昭和 7)第一句集「鉢の子」刊行。
山口県小郡町に草庵「其中庵」を結庵。
1933(昭和 8)第二句集「草木塔」、1935(昭和10)第三句集「山行水行」、1936(昭和11)第四句集「雑草風景」、1937(昭和12)第五句集「柿の葉」刊行。
1938(昭和13)山口・湯田温泉に「風来居」を構える。
1939(昭和14)第六句集「孤寒」刊行。
10月1日松山へ。
10月6日四国遍路へ 11月21日松山へ帰る。
12月15日 松山市内の「一草庵」に入庵。
1940(昭和15)句会「柿の会」を結成。
自選一代句集『草木塔』を発刊。
第七句集「孤寒」刊行。
10月11日末明、脳溢血(診断は心臓麻痺)で死去。享年59歳。

「2021年 『山頭火句集 草木塔【復刻版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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