- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784396111779
作品紹介・あらすじ
思い出はなぜ美しくなるのか?目撃証言があてにならない理由とは?最新心理学が解き明かしたメカニズム「記憶はこうして捏造される!」。
感想・レビュー・書評
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人間の記憶は、【めちゃくちゃいい加減】って知っていますか?
自分は比較的知ってる方なので日常の事や、お酒の席の事もシッカリ覚えてます。
記憶は簡単に書き替えたり、誘導、質問の仕方とかでも全然操作出来てしまうし、その嘘の記憶の中に【思い出】を作ってしまう事も可能…
自分は勿論家族が大好きですが
基本「人」を信用しないし「人」に期待しないようにしてて、その中で仲良くしたり、親切にしたりを心がけてます。
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心理学的知見から冤罪事件をテーマに日常で起こり得る記憶の混線について書かれた本で、『人はウソをつく』ではなく『記憶はウソをつく』というところがミソです。
めちゃくちゃおもしろかったです。
考えてみれば、自分の記憶が本当に正しいのかどうかなんて、多くの場合は自分の記憶によってしか保証されていないわけです。
言った言わないの単純な食い違いに限らず、僕は日常生活において他人との記憶違いをよく経験します。
(それを伝えるかどうかは別として)
この本を読むことで、その原因や予防策の答えを少し知ることができます。
フロイトの話がとくにおもしろかった!
脳みそはかなりいい加減で、でもだからこそすごいんだという話にも繋がりそうです。 -
心理学的知見から冤罪事件をテーマに日常で起こり得る記憶の混線について書かれた本で、『人はウソをつく』ではなく『記憶はウソをつく』というところがミソです。 考えてみれば、自分の記憶が本当に正しいのかどうかなんて、多くの場合は自分の記憶によってしか保証されていないわけです。 言った言わないの単純な食い違いに限らず、僕は日常生活において他人との記憶違いをよく経験します。 (それを伝えるかどうかは別として) この本を読むことで、その原因や予防策の答えを少し知ることができます。 脳みそは意外といい加減だ!
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冤罪ミステリーを読んだ後なので、複雑。
自分の中にある記憶が、なくなるとか薄れるとかいうことより、作り変えられてしまうって、怖い。
怖いんだけど、自分ではそれを分かっていないわけだからなぁ……。 -
会社で同僚と話をしていた際に、過去に私が担当して構築していたシステムにも関わらず、私に対して構築時の苦労話を自分事で話している人がいた。何かおかしいなと思い、それっていつごろ誰と作ったのか意地悪な質問をしてみると、上手くは答えられないのに、やはり自分で作ったという。私は当時のメンバーも時期もプロジェクトの最終報告も全て自分の名前で残っているし記憶も間違いないから、その人の言う事は聞き流してしまうのだが、修正してあげないと少し可哀想に思う事もある。他にも自分の部下が数ヶ月前にメールしてきた内容と真逆のことを言い始めて、大量のメールから部下のメールを探し出し訂正したりするのだが、話している部下の言っていることは(間違えているうえに全く関わっていない同僚を話に登場させてきたりと)やたらと具体的で精密な構成になっていたりする。何故その様な記憶になっているのか、丸っ切り嘘をついてるようにも何らか言い訳している様にも思えず、仕事が忙しすぎて混乱しているのかもしれないと、大体は優しく訂正して終わる。
古い友人と会った時も、私は鮮明に覚えている記憶、例えば誰から誰へギターを売ったとか多数の人が出てきた時には、私の記憶にもだいぶ間違いがあると気づかされる事も多い。一緒に狭いお座敷で鰻を食べたと思っていたら、実は豚カツだったり。
10年以上前の昔のことだから仕方ないと諦められるが、つい数ヶ月前の出来事が、似た様な他の出来事の記憶と混同したり、自分の記憶力に自信を無くす事も屡々ある。
本書はそうした人の記憶が時と共に徐々に別の記憶にすり替わっていく事例を多数挙げ、記憶の曖昧さと、その危険性について述べていく。親しい友人同士なら問題に至る事は少ないが、ビジネスなら評価に関わってくるし、刑事事件や裁判沙汰では記憶違いは時に大きな不幸を招く。過去に沢山の冤罪事件がこうした記憶違いにより発生してしまった。刑事の執拗な質問や、吹き込まれた情報が容疑者に全く存在しない犯行事実を吐かせてしまうなど、人生を狂わせる可能性もあるのだ。
本書では様々な記憶に関する世界中の実験例にも触れており、大勢の人々の目の前で起きた事件(演技)の犯人の特徴すら翌日には大半の人が覚えていない。武器に目が入ってしまい犯人の特徴は意外と記憶していないものだということが分かる。こうなると刑事事件の目撃情報を人に頼るのは危険極まりない。
とにかく人の記憶などは、時間が経つほど薄れてくるものであるし、その欠けた部分を自分の都合通りの記憶で穴埋めし、周囲から入ってくる情報が更にそれを別の料理へと変えるスパイスの様に効いてくる。それが言葉として外に出る事で更に固い記憶として確立していくし、一度ねじ曲がった記憶が元の正確なものに戻るには、最初に私が思った様に、誤りを指摘して外部から強い力で戻す以外に無いのかもしれない。
ただ其れを正そうとする私の記憶すら、砂時計が落ちる様に日常的に正確性という名のガラスの器から零れ落ちていくのだから、中々その場で他人の誤りを訂正する勇気も生まれないのである。本書を読むと記憶の食い違いがあった際に、どの様に振る舞うべきか悩ましくなる。 -
摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99167704 -
ロフタスと浜田寿美男の研究紹介
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記憶とは、本当に過去にあった事実ではなく、後で入ってきた情報や現在の心理状態の影響を受けて刻々と姿を変えてしまうものである。書き換えや植え付けが可能でさえある。アメリカで1980年代後半から90年代にかけて精神分析家が掘り起こした抑圧されていた記憶によって被虐待を語り、訴える事件が多発した。記憶の不確かさ、曖昧さを自覚せずに、一貫性や同一性があるものだと考えがちである。本書を読んで自分自身の記憶を絶対視するのはやめようと思った。自分自身は正しいという思い込みは問題を起こす。
ロフタスのショッピングモール実験やピアジェの思い込みなど心理学的実験や有名なエピソードについて書いてあり、とてもわかりやすかった。
人間の心ほどおもしろいものはないと感じる。