「自己啓発病」社会(祥伝社新書263)

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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784396112639

作品紹介・あらすじ

「失われた20年」と軌を一にするように、日本人の間で自己啓発ブームが巻き起こった。合言葉は「セルフヘルプ」、「スキルアップ」、「夢をかなえる」…。このブームを支えたのが『自助論』という翻訳書だ。彼ら自己啓発に励む日本人は、同書をバイブルとして崇め立てた。だが、そのバイブルは、じつは抄訳であり、原著(完全訳)の持つ精神を損ない、たんなる成功のためのハウツー集になっていることに気づく人は少ない。日本人は、いわば「ゆがめられた自助」を盲信してきたのだ。自己啓発ブームの結果、格差は拡大し、「あきらめ感」が蔓延した。現代日本の社会病理を徹底的に解剖する。

感想・レビュー・書評

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  • 「自己啓発病」社会(祥伝社新書263)
    (和書)2012年05月14日 18:52
    宮崎 学 祥伝社 2012年2月2日


    柄谷行人さんの書評から読んでみました。宮崎学さんは以前にも柄谷さんの書評で紹介された本があり、それ以来新作が出るたびに図書館で借りて読むようにしています。

    今回も図書館にリクエストして購入して貰いましたが、かなり人気があって順番が漸く回ってきました。

    イギリスの著述家サミュエル・スマイルズ『自助論』(Self Help)全訳中村正直訳『西国立志編』講談社学術文庫

    本文・・・自助が成り立つ社会とは利己社会ではない。自助が成り立つ社会は、個人個人の自助が相互的に働いて相互扶助が成り立つ社会なのである。-終

  • 自己啓発本としてすっかり有名になったサミュエル・スマイルズの「自助論」であるが、最もよく知られているのは竹内均氏による訳である。

    ところが、これは抄訳であり、肝心な所がすっぽりと抜け落ちているのだ。全訳は中村正直により、「西国立志論」というタイトルで、講談社学術文庫より出版されているが、1871(明治4)年に出されたものであり、文語調でとても読みにくい。

    竹内氏の訳「自助論」でカットされている部分で、本書の著者である宮崎氏が重要だと判断しているのが以下の5点である。

    1.自助は利己ではない
    2.自助は相互扶助と両立する
    3.自助は成功のためではない
    4.自助とは人格をつくることである
    5.自助とは個人の尊厳を打ち立てることである


    これらが抜け落ちた状態の竹内訳を読むと、「人は努力した分だけ報われる。だから努力しない人は報われない。いま不遇をかこっている人は、ひとえに努力が足りなかったからであり、全ては自己責任である。だから成功したければ、粉骨砕身努力しなさい。努力すれば出世もできるし、お金持ちにもなれますよ」、としか解釈できない。

    だから、この本を推薦する有名人や文化人は、軽薄で嫌味な人ばかりなのだ。


    宮崎氏よ、よく言った!

    と心の中で拍手を贈りたい。


    ところで、この「自助論」であるが、2003年1月の施政方針演説で時の首相、小泉純一郎氏が引用していて、どうやらこの頃から、急に売れることになったようなのだ。

    その小泉氏が徹底的に行った聖域なき構造改革で、わが国のどこがどう良くなったか。

    何も良くなってはいない。


    そんな現代日本の病理の根源の一つを紐解けたように思えても言い過ぎではないだろう。

    ぜひ多くの人に読んでほしい。

  • 身内に「自己啓発マニア」がいます。半ばうんざりしている…というのが正直な所なので、その対抗のために手に取った一冊です。

    途中、筆者自身の政治活動の話が出てきて、少し戸惑う部分もありました。
    しかし全体として概ね同意する内容で、強く共感しました。

    努力をし、知識をつけること。
    それは現在においては、自己を高めて他人の助けにするためではなく、他人を蹴落とすために必要とされているだけといいます。
    実体験でいえば、これは企業などの場だけでなく、単なるアマチュアの趣味の場ですら見られる風潮となっているようです。
    これでは社会全体が疲弊して当然です。

    私から見れば、自己啓発マニアの人にとっての自己の高め方とは、「掲示版で論争している相手を『論破』するために知識を集めるようなもの」だと思っています。
    自分は相手に勝って、満足はするものの、その知識は周りの役には何一つたたないでしょう。
    そんな方が周りにいるなら、是非一度目を通すべき本だと思います。

    自己啓発マニアや自己啓発本を批判するというよりは、小泉政権以後の新自由主義批判を主に、社会・経済に視点を当てている本だと考えます。

  • 著者の宮崎学は、ヤクザの息子として生まれ、学生時代はゲバルト隊
    の隊長を務め、社会人になってからは、グリコ・森永事件の真犯人
    (キツネ目の男)と疑われて話題となった人物です。その破天荒な半
    生を描いた『突破者』で華々しくデビューしてからは、執筆や政治活
    動で忙しくしているようです。

    タイトルの「自己啓発病」とは、スキルアップとポジティブシンキン
    グでキャリアアップを目指そうという「自己啓発」がブームになって
    いることを指しています。このブームは、1990年代に始まりますが、
    本格化するのは2000年代に入ってから。「自己啓発」本が飛ぶように
    売れ、「三種の神器」と呼ばれる英語、IT、会計の資格取得に人が群
    がるようになります。

    ブームの背景には、バブル崩壊とその後の新自由主義経済への移行が
    ありました。英国のサッチャーや米国のレーガンによる不況克服の手
    法(サッチャリズム、レーガノミクス)を参考に、規制緩和と民営化
    を通じた競争力の強化が叫ばれるようになり、企業では終身雇用の見
    直しと成果主義の導入が一般化していきました。

    政府が新自由主義へと本格的に舵を切るのは2001年。「構造改革なく
    して景気回復なし」をスローガンに、「聖域なき構造改革」を打ち出
    し、「恐れず怯まず囚われず」に「痛みをともなう改革」を断行した
    小泉政権の誕生がその契機でした。

    その小泉首相と側近の竹中平蔵がよく引き合いに出したのが、サミュ
    エル・スマイルズの『自助論』(Self-Help)。「天は自ら助くるも
    のを助く」という言葉で有名になった本書は、英国で、1859年に出版。
    1871年には『西国立志編』の名で翻訳され、明治の青年達によく読ま
    れたと言います。

    この『自助論』の内容が、日本では、意図的に歪めて伝えられてきた
    こと、それがために、「自助」が「利己」と同義になり、競争に負け
    る人間を努力不足=自己責任の名のもとに切り捨てることを正当化す
    る風潮が生まれたてしまった、と本書は分析します。

    そういう世の中にどう対抗していけばいいのか?著者は、東日本大震
    災の被災地で生まれてきた新しい共同体の中に、「利己ではない自助」
    「相互扶助と両立する自助」の萌芽を感じとり、それこそが、今、こ
    の国に求められている自助の姿ではないかと問いかけます。

    タイトルも文体も挑発的ですが、書かれている内容は至極真っ当。本
    当の自助とは何かを考えさせてくれる好著なので、是非、読んでみて
    下さい。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

    =====================================================

    日本の自己啓発ブームとは、その「前史」を含めれば、1990年代に
    発生し、2000年代初頭から今日にかけて過熱・成熟・定着したもの
    なのだ。この過程はバブル崩壊後の日本がたどった「失われた20年」
    とぴったり重なる。

    小泉構造改革が壊したのは、国家における「官」の構造ではなく、
    社会における「公」の構造だった。

    おしつけられてきた自助を、若者をはじめ多くの日本人が、おしつ
    けられたとは思わず、みずから進んでいそいそと、あるいは不安に
    駆られて懸命に、「自力をつけよう」と自己啓発に勤しんだのであ
    った。それが2001年以降の「自己啓発」ブームだったのである。

    スマイルズが「自助は利己ではない」「自助は相互扶助と両立する」
    といっているのに、新自由主義の『自助論』礼賛者である竹中平蔵
    たちは、相互扶助を「もたれあいの構造」「競争を排除する関係」
    だから自助に反するとして否定し、それぞれが利己的に利益を追求
    するしくみこそが活力をもたらす自助であると主張したのだった。

    護送船団方式で、さしたる「自助努力」なく国から手厚い保護と利
    権を享受していた大手銀行、ゼネコン、大企業に対し、嫉妬にも似
    た反感を懐いていた日本国民は、義憤を覚えるとともに自らが自助
    努力することによって報われる世の中が到来することを切に望んだ。
    小泉はこの義憤に訴え、まだ自助努力によって人は誰でも富と成功
    を手に入れることができるという幻想を国民に懐かせた。

    しかし、こういった主張は差別をもたらす。この主張によれば、成
    功するも失敗するも、すべては自己責任に帰するわけである。その
    結果、零落した者は「努力を怠ったため」と切り捨てられ、本人自
    身もそう思い、自らのふがいなさを恥じる。

    小泉が持ち込んだ「頑張った人が報われる社会」は、実は数知れな
    い「報われない人たち」を生み出すことになったのである。

    大震災が起こった状況の下で、権力や資本力をもたない被災者が、
    権力や資本に服属せずに、自力で生存を確保し、復興をなしとげよ
    うとしたら、同じ状況の下にある者がおたがいに結びつきあい、助
    け合って、自力を補い合い、強め合って事に当るしかない。協同な
    くして自助はないし、相互扶助なくして自助はない。それが権力も
    資本力もない自助のかたちなのだ。

    広範な社会層において、人々はモノに頼らなければならない生活を
    変えようとしている。
    モノに頼らないなら、何に頼るか。ヒトである。ヒトに頼るとはど
    ういうことか。自分自身の力に頼り、他人との結びつきに頼る、と
    いうことだ。

    ほんとうに勤勉は美徳なのか。

    いくら努力しても向上できない、ふがいない自分がここにいる。結
    局、努力しても報われないこと。どんなに滅私奉公して会社に尽く
    しても、切られる時は簡単に切られてしまうこと??こういった事実
    が、いまの日本人の心に「あきらめ感」を生み、蔓延しているよう
    に思える。努力しないのではない。努力できないのだ。最後には努
    力するチャンスすら奪われるのである。

    われわれは、これから、成長なき時代、勤勉が成功を呼ぶことがな
    い時代を生きなければならないのだ。そうはっきりと知るべきであ
    る。
    そして、そういう時代を生き抜いていくためには、まず、みずから
    でみずからを助けようとする自助精神が必要なのである。
    だが、その自助精神とは、現代日本の『自助論』礼賛者たちがいう
    ような自助の精神ではない。竹中平蔵たちがいう「カネ儲けのため
    の自助」、勝間和代たちがいう「成功のための自助」ではない。

    「自助」というのは、自分がおかれた状況を、「みずから打開しな
    ければだれも打開してくれない」ものとして認識し、その状況の打
    開にみずから立ち向かっていくことである。ただ、そのとき、その
    場にいる全員が同じ状況に直面して、同じ自助の構えをもっている
    とするなら、そこには自助が他助になり、他助が自助になる関係が
    成り立つのである。これが「自助」の「連帯」である。

    自助が成り立つ社会とは利己社会ではない。自助が成り立つ社会は、
    個人個人の自助が相互的に働いて相互扶助が成り立つ社会なのであ
    る。

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    ●[2]編集後記

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    長く使っていたダイニングテーブルをやめ、大きなちゃぶ台という
    か座卓でご飯を食べるようになりました。座卓で食べる生活を始め
    てみて思うのは、食べる姿勢が難しいなということ。

    楽をしようと思ってあぐらになると落ち着きません。かと言って、
    立て膝というわけにもいかないし、結局、正座です。正座も、背中
    が丸まっているとどうも食べにくいので、背筋を伸ばして食べるほ
    かなくなります。

    あんまり長時間はやっていられないけれど、背筋を伸ばしてご飯を
    頂くのは実に気持ちがいいですね。

    そうして思うのは、昔の人はこういうことの日々の積み重ねの中で、
    合理的で美しい暮しの作法や身のこなしを身につけ、代々受け継い
    できたのだろうなあということです。

    そういうものを自分も妻も受け継いでいません。でも、勝手だけど、
    娘達の代には、受け継いで欲しい。だから、美しい所作を身につけ
    てきたお年寄りの傍で生活をし、自分が身に着けてこなかった「暮
    しの芯棒」のようなものを娘と一緒に学びたいなあと夢想します。
    ということで、「暮しの師匠」募集中です!

  •  私が本に期待すること・・・それは勇気をもらうこと・・・
     本は、ある時は優しく、そして、また、ある時は厳しく勇気をくれる。
     だから、私は、本を読むのが好きなのです。おそらく、映画が好きな人、 漫画が好きな人、アニメが好きな人・・・みんな、自分が好きなものから
     勇気をもらっているのではないでしょうか?

     そんな私にとって、この「自己啓発病」社会は、救いがなかった・・・
     私が重症の「自己啓発病」だからかもしれませんが、
     「自己啓発病」を否定するのなら、「自己啓発病」に変わる
     新たな提案が欲しかった。と思うのは、私だけでしょうか?
     この本は、結局、批判だけで終わっており、新たな提案がなかった。

  • タイトルがよかったんで。だけど内容が全然入ってこない。「自助」を軸に話題は政治や欧米の歴史などいろいろ及ぶけれども、結局何が言いたいんだ?自己啓発本でも読んだほうがよかった。

  • 久しぶりの宮崎さん本。この本は大当たりです。
    不勉強ながら「自助論」がこれほどもてはやされている書物とは知りませんでしたが、一般的に普及している翻訳は要となる箇所がぬかされていて、誤った解釈がなされていることを端的に指摘。
    本書内の記述を用いて要約すると、バカも努力すれば利口と同じ、もしくはそれ以上まで行ける、という同じ基準での達成というのが間違い。また勝間和代などの解釈が普及し、それが昨今のスキルアップ幻想につながっているという実態。
    本来は一人ひとりにはかけがえのない資質があるので、そこに依拠してその人なりの人格を作っていくことが大事だということ。そして、そのことが自分だけでなく他人も助けることとなる、この「自助の相互性」が要ということ。
    自分が勝てばよいは大間違い、という意見に賛同も反対も出てくるが、宮崎さんが書かれているように、この震災で本来あるべき「自助論」の流れが確実に東北地方に出来ているという事実から、おそらくこれからは相互性(コミュニティ)への動きが大きくなること、そして自分はそこでどう動いていくかを考えさせられた。

  • 昨今騒がれている自己啓発、その中でも「自助論」に焦点をあてて述べている。スマイルズが書いた自助論が、いつの間にか誤ったカタチで大きく取り上げられ、その本質から逸脱しているのではないかというのが筆者の意見としてある。自らを助けることは、すなわち自分だけのためのものではなく、それはつまるところ互助、共助になってはじめて自助になる。本書の中では大震災の事例をとりあげ、その行為に自助を見いだしているが、それだけに関わらず、自分の周りを少し見渡してみても、自助につながる芽はそこらじゅうにあり、それに向けて動き出すことは誰しもが可能なのである。

  • 日本人がスキルアップに勤しむのは、小泉・竹中が押し進めた新自由主義の経済政策に置いて自助を強いられた結果である。Samuel Smilesの「自助論」がいかに誤読されてきたかを読み進めながら、その限界を指摘し、自己啓発による利己的ふるまいがいかに残念なふるまいなのかを論じる。茂木健一郎や勝間和代を俎上に載せる一章が興味深い。「自己啓発」が、自己をコントロール出来るものと考えるお気楽志向から来ているものと断じる。確かに「自分を磨いた」結果が自己利益のみの人が棲む社会は嫌だと思う。

  • チープで大量生産される自己啓発系の諸々を叩いてくれるものかと思い手に取った.しかし,冒頭でいきなり自民党小泉政権をはじめとする新自由主義批判が展開され違和感を覚える.

    日本での自己啓発の興隆がバブル期と重なることと,その背景に当時の政治的な思惑が働いたかことがなぜリンクできるのか

    「負け組」,相対的貧困が増加が増えた.というがなぜ勝ち負けの判断が収入の多寡でしかできないのか.

    村上ファンドの村上氏に対し厳しい表現があるが,彼の著書を読んだらそんな表現はできない.投資家に対するレッテルもいいところである.(2012年の著書なので仕方ないかも,しかし表面的にしか見ていないことは間違いない)

    と色々思い,著者のプロフィールを見たところ,共産主義系の運動にも従事していたらしい.
    なるほど. そこで本をそっと閉じた.

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著者プロフィール

写真家。1949年長野県生まれ。精密機械会社勤務を経て、1972年、プロ写真家として独立。自然と人間をテーマに、社会的視点にたった「自然界の報道写真家」として活動中。1990年「フクロウ」で第9回土門拳賞、1995年「死」で日本写真協会賞年度賞、「アニマル黙示録」で講談社出版文化賞受賞。2013年IZU PHOTO MUSEUMにて「宮崎学 自然の鉛筆」展を開催。2016年パリ・カルティエ現代美術財団に招かれ、グループ展に参加。著書に『アニマルアイズ・動物の目で環境を見る』(全5巻)『カラスのお宅拝見!』『となりのツキノワグマ』『イマドキの野生動物』他多数。

「2021年 『【新装版】森の探偵』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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