落語家の通信簿(祥伝社新書)

著者 :
  • 祥伝社
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本棚登録 : 128
レビュー : 25
  • Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784396113377

感想・レビュー・書評

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  • 落語通ならもっと面白いかも。
    しかし、書かれていることは、円丈さんとどういう関係か、この人がどう思っているか、という主観的な見方ばっかり。
    この本読んで、一番面白いのは、書いた本人かも。

  • 独断すぎて笑える。
    円丈師匠は感覚が若いな~

  • 「新ニッポンの話芸 ポッドキャスト」で「噺家の壮大な洒落」と話題になっていたので、図書館で借りて読んでみた。
    今は亡き名人から、若手落語家まで一通りのラインナップ(しかし、紫綬褒章の権太楼師や、副会長の市馬師は入っていないけど)。
    内容は、円丈師ならではの見方は散りばめられているとは思うが、玉石混淆。『御乱心』のような切迫感はないし、基本的に何か粗い。
    「落語はライブに限る」というならば、又聞きやCD・ユーチューブで済ませないで、一席でもライブを見てから評価してほしかった。
    自分を「大御所」にしてしまう人には、どうでもいいことなのか。

  • ・三遊亭円丈「落語家の通信簿」(祥伝社新書)は 「落語家が、落語家を論評した初の本!」(カバー)である。落語家の著作は多いが、それはエッセイや理論書であつて、このやうな同業者批評の書ではなかつたらしい。円丈自身が書いてゐる、「はたして、落語家が仲間の落語家を本当に評論できるのか?」(4頁)。ほめるのは良い。しかし「『アンタの落語はつまらない!』と書けるのか?」である。けなされれば反論したくなるのは人の常、落語家等の芸人にとつて、自分の芸を、それも同業者にけなされてはただですませることはできないだらう。その時の覚悟があれば書ける……といふものであるのかどうか。帯には「この落語家を聴け! この落語家は聴くな(とまではいわ ないけれど……)!」とある。
    ・例へば談志、立川流の始祖にして家元、超人気落語家である。円丈は談志を古今亭志ん朝と比べて、「志ん朝師は(中略)まさに王道の芸。(中略)芸は、志ん朝師の圧勝である。」(150~151頁)と書く。理由は、稽古熱心の志ん朝に対して、「談志師の心中には『オレは落語の天才』というような慢心があっ たのではないか? だから、それほど稽古をしなかったのではないか?」(152頁)といふことである。これなどは弟子から異論が出てきさうである。師匠に 慢心はない、師匠は稽古熱心であつた……しかし、同業の円丈からはさう見えた。私にこの正否を判断することはできない。談志の落語をいくつも見て聴いたうへでの円丈のかういふ評は同業だからできるものかもしれない。円丈は談志を宗教家に例へてゐる。カリスマといふことであらうか。だからこそかういふことは書きにくい。それをきちんと書いた。いや、書くことができた。これは立派である。ただし、談志は故人である。弟子は円丈の後輩にならう。その意味ではまだ書き易いはずである。ところが、現役の落語家だと非常に書きにくさうである。例へば柳家さん喬、最近は売れてゐるだけでなく賞ももらつている。その芸は折り紙付き、それを円丈はかう評する、笑はせるよりも「“モテるために落語を演ってる”疑惑」(117頁)がある。理由は、さん喬は「与太郎噺、甚兵衛噺を演らない」し、「ネタをストーリーがおもしろいか、そばを食べるなどの見せ場があるか、ホロッとさせられるか、などで選択している気がする。」(116 頁)からである。寄席のネタ帳を見ることのできる円丈が書くのだからまちがひはなからう。更に「幾世餅」の出会ひを籠釣瓶の花魁道中から浮世絵に変へてゐ るとか。これも「モテる落語にするために、ストーリーを捻じ曲げてしまったのではないか。」(119頁)といふわけである。話の改変がどのくらゐ行はれて ゐるのか知らないが、リアリティをなくす方向に改変するのが多いとは思へない。それゆゑにこそ、こんな円丈の評も出てくるのだらう。さうしてふと、例へば今年の夏の鈴本演芸場での権太楼との1日代はりのトリの噺は人情噺のやうなのばかりであつたかと思ふ。さうして、さういふ人だつたのかと納得してしまふ。 高座も派手な爆笑派ではない。さん喬にはさん喬の言ひ分があるに違ひないが、私にはこの円丈の評が極めて妥当なものに思へるのである。これなどはけなすほ どではないのかもしれない。いくら後輩であつても、しかしモテるために落語する人とはなかなか書けないのではないか。本書で採り上げられたのは53人、名人から若手まで、長短あれどとにかく評してゐる。個人的には、それらはかなり的確な評であると思ふ。数多ゐる中のこれだけである。この選択作業だけでも大変な労作であつたらう。寄席のお伴に1冊、如何。

  • 円丈師匠による落語家のズバリ直言の通信簿。
    同じ世界にいる同業者に対して、好き嫌い、合う合わないを言えるのはうらやましい限り。
    最終的には個々人が究めた、誰にも真似のできない芸の世界であればこその関係なのだろうか。

  • 星は四つなれども、
    素人落語評論とは一線を画す。

  • 落語家自身が書く落語家評論。そう聞いただけでも面白さがすぐ分かる。実際読んでみても期待を裏切らない内容。波紋を呼んだ某師匠についてのページももちろん面白かったが、圓窓師・小遊三師・歌丸師・米朝師・枝雀師・志ん朝師のページが個人的に興味深い。この本を読む前に予備知識として「御乱心」を読んでおくと、なお楽しめるはず。ちなみに円丈師匠はこの本で書いた師匠方全員に出来上がった本を送ったそう。丁寧な礼状を返してくれた師匠もいれば、音沙汰なしの師匠もいたそうで、誰がどんな反応を取ったかを想像しても面白い。

  • ざっくばらんに飄々と。

    ーー批評家は対象を「外」から見つめ肉薄するが、本書は逆。
    同業者ゆえ落語家の技巧や置かれた環境に慣れ親しんでおり、鋭い観察眼を見せる。

    「藝というのは砂の山。崩れるスピードより、早く登らなきゃいけない」
    「柳家は引きの藝。三遊派は押しの藝」

    など、49年におよぶ芸歴から引き出される至言のかずかず。

     著者は個人的な好悪をおりまぜた語り口で評価していく。
     知ってる落語家の項目では「そうそう」とうなずき、知らない場合は「ほほう」と思った。
     さすがに説得力のある各項目だ。
    「通信簿」と銘打っているが基本的には「聴いてみたいな」と読者に思わせる前向きな筆致だね。
    あ、でも一部例外あり。志らくの評価なんてもうwww (読んで確かめて下さい)

    落語家への評価のほかに惹かれたのが師円生に関する記述。

    師への畏怖や芸に対する敬愛がそれとなく見え隠れし、とてもすがすがしい気持ちになった。

    「落語家が落語家を評価する」という一歩間違えれば自らの立場が崩れかねない荒業を、
    ひょいっと身軽に著した著者の手腕に拍手。

  • 物事に対する評価は、たいてい過大であるか過小だという。
    談志に対する評価は腑に落ちた。
    志ん生と圓生の係わりや米朝と枝雀との関係などもっと聞きたい話もあった。
    又聞きの楽屋話の域を出ていないと感じられるエピソードもあった。

  • 現役の落語家がどういう形にせよ同業者の批評をするというのは難しい。
    聞いてもないのに批評をするなと怒った噺家もいたようだが、私はこの本に愛とリスペクトを感じた。芸談としても貴重な資料たりえる本。
    過去の円丈師の本にありがちな読みにくさはなし。そこは編集者の腕かも。

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著者プロフィール

1944年名古屋市生まれ。明治大学文学部演劇学科入学そして中退。高校時代より落語家を目指し、三遊亭圓生に入門。「ぬう生」となる。13年の厳しくも苦しい修業を経て「圓丈」で真打。新作落語で頭角を表し、ラジオ・テレビで大活躍。新聞・雑誌のコラムも執筆。主な著書には、ベストセラーの『御乱心』(主婦の友社)、『円丈18ラウンド・デスマッチ』(立風書房)、『まるでせこい回覧板』(PHP)、『落語家の通信簿』(祥伝社新書)等がある。現在、落語協会監事。

「2009年 『ろんだいえん 21世紀落語論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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