- Amazon.co.jp ・本 (147ページ)
- / ISBN・EAN: 9784396633790
作品紹介・あらすじ
経済力もなく、政治的な意見が言えるわけでもない。そんな時、何者でもない「ぼく」だったらどうするのか。東京に住みながら福島に家族を持つ一人の男の子の感情を掘り下げて、愛と心の距離を描いた映画「FUKUSHIMA DAY」話題作の完全小説化。桜井亜美×岩井俊二氏対談収録。
感想・レビュー・書評
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◎内容
経済力もなく、政治的な意見が言えるわけでもない。
そんな時、何者でもない「ぼく」だったらどうするのか。
東京に住みながら福島に家族を持つ一人の男の子の感情を掘り下げて
愛と心の距離を描いた映画「FUKUSHIMA DAY」
話題作の完全小説化。桜井亜美×岩井俊二氏対談収録。
◎出版社商品紹介
まだ津波の惨禍も生々しい福島県・相馬郡新地町で
桜井さんは色んな思いを胸にカメラを回した……。
世界でいちばん大切な人が原発事故で避難していたら。
きっとみんな、「自然エネルギーに変えよう」っていう。
じゃあ世界で100番目だったら?
世界に大切じゃない人なんて、いない。(本文より)
福島に住む人々の気持ちが少しずつわかってくると
ドキュメンタリーの流れをそのままフィクションにして
東京に住みながら福島に家族を持つ1人の男の子の感情を
掘り下げていくのがいいかなと思いました。
経済力もなく、政治的な意見が言えるわけでもない。
そんな時、何者でもない「ぼく」だったらどうするのか。
何をどこから手をつければいいのか、いろんな問題に悩み
引っ張られながら思った。一言で言うと、せつない気持ち。
それを映画にしたかった。 桜井亜美詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
予想外に切ないストーリー(´ω`)
とりあえず映画を観てみたい。 -
メディアには映らないもうひとつの日常がそこにあるかんじ。
地震、津波、放射能、目を背けてしまいたい映像の端っこにこんな物語も息づいてるのではないかと読んでて感じた。
これもまた一つの真実なのかと思わせられた本でした。 -
東京にいて
福島の家族を
東京に来るように呼んだ方がいいのか
それともやはり福島に残るのか
ひとりひとりの福島があることを
あらためて感じました -
・感想
地震や原発を扱った小説です。
起こったことがあまりにも大きすぎて、実際には自分の力だけではどうすることもできないのかもしれません。でも主人公は故郷で暮らす家族のことを思うといてもたってもいられなくなります。「自分が救わなくては!」と。自分の大事な人を助けたいと思う気持ちは、純粋に「幸せでいてほしい」と願う気持ちと自分自身のエゴの両面があるのかもしれません。
渦中にいる人々が、あまりにも変わらない日常を送っているのを見て自分の無力さを突き付けられた思いの主人公ですが、変わらない日常に見えるのは、どうにかしたくてもどうにもならない現実があるから。そして大きな困難を前にしてもいろんなものをはねのけて、それでも前を向いて行かなくてはならないから。
そんな現実もつきつけられて、想いはFUKUSHIMAへ飛んだ。
・作品紹介
経済力もなく、政治的な意見が言えるわけでもない。そんな時、何者でもない「ぼく」だったらどうするのか。東京に住みながら福島に家族を持つ一人の男の子の感情を掘り下げて、愛と心の距離を描いた映画「FUKUSHIMA DAY」話題作の完全小説化。桜井亜美×岩井俊二氏対談収録。
(「BOOK」データベースより) -
軽いと言われれば軽い小説ではあったけれど、福島にいる大多数の人たちの気持ち「どこかに行ければ行ってるよ。でも、それって簡単なことじゃない」を再認識できる作品でした。
小説には、福島を東京から見ている福島出身の主人公がいました。「福島は危ないから東京に来い」という気持ちは空回り。それは上述したとおり「簡単ではない」。
僕も福島出身なので、震災当時、家族に抱いた想いも似たようなものでした。別に善人ぶりたかったわけではなく本当に心配もしたけれど「なんで福島にそんなに縛られるの?」という言葉は、東京から福島を見る僕の勝手なワガママだったと今ならわかります。 -
福島に住む家族を想い、東京に住む一人の男の子が帰郷してからの葛藤を描く「半」フィクションドキュメンタリー小説。
カバーイラストと帯に惹かれて衝動買い、そしてドトールで2時間かけて一気読みした感想は…結局どこからがフィクションでどこまでがノンフィクションなのかわかりづらかった。100%フィクションなら福島ディスりまくり青春小説。100%ノンフィクションなら何気ない日常の何気なくない一面を切り取った激動作品。なので非常に評価し難く、感情移入し難い作品でした。それもこれも、俺らはどんなに努力して気持ちを理解しようとも原発被害者からすれば「外野」だということ、そしてその「被害者」の線引きさえ非常に曖昧であることに起因すると思います。
しかし、最後の対談を読んでみて「プロパガンダで書かれた作品ではなく、フィクションを加えることで読み物にした作品」であることがわかり、少しホッとした。映画になるらしいので、まっさらな気持ちで観てみたいと思う。 -
装丁のデザインが良かった。タイトルに惹きつけられた。念のために「まえがき」に目を通した。よし、と思った。時間つぶしの本屋で衝動買いをしてしまった。これはきっと僕が「今」読まなければならない本なのだと思い込んでしまったのだ。「まえがき」には著者の想いがつまっていた。言葉も理解できた。その試みに共感さえした。ふと「その街のこども」という映画のことが頭をよぎった。阪神大震災と「その街のこども」の関係性のようなものが、「フクシマ」とこの本とにも成立するのではないかと感じていた。
結果、
ひどい小説だった。まさに宇宙人の「オナニーの残骸」のような小説。「フクシマ」は理解されていたのではなく、遠くから眺める矮小で無知な人々が生活する地帯として妄想ネタに使われていただけだった。ストーリーもひどければ、文章もひどい。なにより主人公の思考回路が破綻していて気味が悪い。あのまえがきの「想い」がどうやったらこういった小説になるのか理解できなかった。ひどい。ひどすぎる。