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Amazon.co.jp ・本 (128ページ) / ISBN・EAN: 9784398144829
作品紹介・あらすじ
近年、新たな史料の発見あるいは研究の成果により、従来の日本史観を見直す動きが見られるようになりました。本書は古代から現代までの通史において、これまでの通説に新しい解釈が加えられた歴史の事象の中からとくに知っておきたいものを選りすぐり、個々の事象・新史実をイラストや写真を交えながらわかりやすく解説していく一冊です。
【注目1】こんなに変わった歴史のターニングポイント
人類の誕生…人類の起源は、いったいいつ頃?
稲作の始まり…弥生時代の始まりが700年くらい早まった
ヤマト政権の発祥…「大和朝廷」とは呼ばれなくなった
平城京遷都…藤原京建設からわずか16年で遷都した理由が判明
平安京遷都…平安京は左右対称ではなかった!?
【注目2】覆された国際交流の常識
卑弥呼の遣使…三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡ではない?
遣隋使…隋との対等外交の樹立は嘘だった!?
遣唐使…実は成功率7割!意外に高い確率で帰って来られた留学生
遣唐使廃止…実は廃止後の方が、日中交流が盛んになった
鉄砲伝来…鉄砲を日本へもたらしたのは倭寇とポルトガル人だった
【注目3】大きく変わった日本人のくらし
縄文時代…狩猟採集生活を送る平等社会というイメージが覆された
国風文化…遣唐使廃止以前からすでに日本独自の文化が芽生えていた
貴族政治の実態…貴族は多忙でバイオレンスな日常を送っていた
武士の登場…武士は、地方ではなく都で生まれた
戦国時代…すべての戦国大名が天下を取ろうとしていたわけではなかった
【注目4】日本史を揺るがした大事件
乙巳の変…逆族を滅ぼす大義が否定され、権力闘争に
足利義満の栄華…足利義満の皇位簒奪計画は完全否定されていた
倭寇の跳梁…海賊集団に日本人はほとんどいなかった!
一国一城令…実は修復可能程度にしか破壊されていなかった
田沼意次の政治…賄賂まみれの「汚職政治家」が再評価
【注目5】 大きく変わった戦いの実態
三十八年戦争…蝦夷遠征は、「反乱鎮圧」から「戦争」になった
承久の乱…本当の目的は幕府打倒ではなかった?
文永の役…神風が吹いたのは弘安の役だけだった
伊豆討ち入り…北条早雲は一介の素浪人などではなかった
桶狭間の戦い…信長は決して義元に劣る弱小大名ではなかった
第四次川中島の戦い…激闘のドラマはことごとく否定された
【監修者】後藤寿一
1943年生まれ。早稲田大学卒業後、サンケイ新聞を経て、フリー・ジャーナリスト、エッセイスト。著書に『日本史泣かせるいい話 本当にあった胸を打つ人間ドラマ』(KAWADE夢文庫)、監修に『日本史世界史並列年表』(PHP研究所)、『オールカラーでわかりやすい! 太平洋戦争』(西東社)、『ほんとはこんなに残念な日本史の偉人たち』(じっぴコンパクト新書)などがある。
感想・レビュー・書評
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「刀狩令で全国の庶民は丸腰にされ、結果的に治安が良くなった」「これは源頼朝の肖像画である」「元寇で日本軍は二度にわたる神風に助けられた」…
今までの教科書の書き方が、いかに断言で済ませてきたかがよく分かる。
断言方式で習ってきたし、こちとらウブな子供だったから、てっきりそうだと信じちゃってたよ。「みんながみんなそうじゃない」「何も、それで全てが変わったわけじゃないんだよ!」と、史料から聞こえてきそうだ。
「『イイクニ(1192)つくろう鎌倉幕府』でなくなっている」といった消滅系から、単に大々的に捉えすぎていただけだったりと、「上書き」にも色んなタイプがあった。
ちらほら見受けられたのは、改名系だったと思う。「ヤマト政権」とか。
「大和朝廷」じゃなくて「ヤマト政権」…?字面からして違和感MAXであるが、なんでも古墳などの調査が進んだ結果、「朝廷にふさわしい政治体制を想定できないから」と改名されたらしい。また「大和」の字も、8世紀後半(奈良時代)から用いられていたとの事で、カタカナ表記となったようだ。
何だか改名って行為だけでも、時代の解像度が上がった気がする。
消滅系で一番衝撃的だったのが、「鎖国」。
なんと「鎖国」というワード自体、教科書から消えているらしい。出島(オランダ)以外にも、対馬(朝鮮)や薩摩(琉球王国)、松前(アイヌやロシア)がそれぞれ交易や交流をしていた。だから実質的には「鎖国」ではなかった…と。
でも、あの耳慣れた「鎖国」を消滅させるのって、流石にオーバーすぎない?と思うのは私だけだろうか。
時代を遡れば遡るほど、昔の政権って抜かりがなかったと思う。
黒船来航時も、幕府はオランダ風説書(これを書かせるところも抜かりがない…)によって、ペリー来航を早めに察知。ついでに対策も打っていたそう。幕府が開国・通商を進めたのも、全ては自国の発展のため。
キリスト教をブロックしたり、開国後居留地以外で外国人の商業を禁止したりと、手当たり次第日本を明け渡したりもしていない。当時だって、国力・軍事力はアメリカよりも劣っていたはずなのに、今みたいなヘコヘコ外交はしていなかった。抜かりがなかったと同時に、日本を真剣に守ろうとしていた政権だったのかもしれない。
日本海開戦時のバルチック艦隊撃破も、なかなかに抜かりがなかった。
最新鋭の無線や日本海側に設置した海底ケーブルを駆使して、バルチック艦隊を特定、迎撃に至ったという。黒船来航時の幕府もそうだけど、思っていた以上に計画的で、余計な労力を要していない。
こんなにも余裕があるように見せられちゃうと、そりゃこれからも安心して国を任せたくなるよね…。
「上書き」内容にザッと目を通したが、帰省した時の感覚と似ていた。慣れ親しんだ場所がいつの間にか違う施設に取って代わられていたり、綺麗さっぱり無くなっていたり…。
でも不思議と淋しくはない。「既存の歴史」が更新されるかもしれないと思うと、ワクワクさえしてくる。未来同様、過去だって予測不可能なのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
従来の定説とは違う衝撃の新研究成果。うっすらと聞いていたこともいくつかあったのだが。研究によって歴史的事実が変わってしまうものなんだなあ。
・稲作の伝来は縄文時代晩期の紀元前10世紀後半。
・3世紀末にあったのはヤマト政権。豪族たちが名手的存在として大王を推戴する連合政権に過ぎなかった。
・戦国時代は1457年の鎌倉府から始まった関東騒乱から。
・江戸時代、出島以外に薩摩藩、松前藩、対馬藩も窓口となって海外と交流を持っていた。今は「鎖国」とは言わず、「異国渡海御制禁」という政策による「海禁」と呼ばれる。
・武士の起こりは地方の反乱を鎮圧した貴族の子弟。
・戦国時代、天下布武を目指していたのは織田信長だけ。他の戦国武将は国衆に背かれないように恩賞を与えるために領土を拡大していただけ。
・参勤交代と江戸滞在の費用は藩財政の3分の1を占めていた。大名たちは見栄を張るため行列に大金を投じた。目に触れにくいところでは少数で超スピードで移動した。
・士農工商という身分制度はなかった。武士と農民・町人。これに属しない公家その他があった。身分も流動的だった。
・慶安のお触書は甲府藩が出したものに過ぎない。
・明治政府の四民平等はうそっぱち。皇族、華族、士族、平民という身分制度が編成しなおされ、華・士族は多くの特権を持っていた。
・鑑真は失明していなかった。
・今は大化の改新ではなく乙巳の変と言う。朝廷内の権力闘争だった。蘇我氏は開明的な豪族だった。
・奈良時代末期から平安初期の朝廷と蝦夷との戦争は、金山を奪おうとする朝廷側の侵略。
・承久の乱は、鎌倉幕府を倒そうというものでなく、執権北条義時を排除するだけのものだった。
・北条早雲はもともと室町幕府の要職にあった。姉の要請で今川氏の後継者争いに力を貸しただけ。
・桶狭間の戦いは奇襲ではなかった。今川側70万石、織田側75万石の力があった。
・長篠の戦いでの鉄砲三段打ちもなかったし、武田騎馬軍団もなかった。
・西南戦争は士族と徴兵制軍隊との戦いだった。武士の時代の終焉であり、近代戦の幕開けだった。
・日露戦争での日本海海戦で、日本海軍は日本周辺に哨戒網を構築し、いち早くバルチック艦隊を発見し、これを迎撃した。鎮海湾に配備した中継船から対馬~本土を海底ケーブルで結び、日本各地を電話線で結ぶなど広範囲な通信網を確立していた。世界屈指とされる三六式無線を開発し、哨戒システムに取り入れていた。
・楽市楽座は、近江の六角定頼、今川氏真、斎藤道三がいち早く実施していた。
・日本初の鉄道は高輪では、海の上を走っていた。海に石垣と漆喰で堤防を築き、その下を船が出入りする立体交差の構造だった。 -
各テーマに対して、見開き2ページで説明と地図が示されています。時間が経つにつれて歴史から遠ざかっていきますが、研究によって新しい発見や事実の見直しがなされていくのが面白いと思います。ざっと読んでいって、知らないことが多く、勉強になりました。
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自分が学校で習ってきた歴史と今の教科書に載っている歴史は随分変わってきているんだなと興味深く読みました。知識のアップデートって大事ですね。
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