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Amazon.co.jp ・本 (160ページ) / ISBN・EAN: 9784400320456
感想・レビュー・書評
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p.20
そうであればあるほど、貧しい人々を憐れみの対象として扱うことになり、貧しい人々をみずからの開放の主体として扱うことができなくなってしまう。貧しい人々はただ何も持たない人々として見られている。それは、貧しい人々が他者に抑圧されて貧しくされた、という見方をする点で誤っている。したがって、貧しい人々が持っているもの――すなわち抵抗する力、みずからの権利を理解する能力、自分たちを組織し、非人間的な状況を変えていく能力――を重要だとは考えない傾向がある。援助は、貧しい人々を、他人からの援助と決断にただ縛りつけることになり、彼らの依存心を強めてしまう。つまり、繰り返し言えば、貧しい人々が自らの解放者になることを妨げているのである。
p.42
解放の神学は、神学の学術・研究機関において神学論文や著書の発表をもって終了するのではなく、あるいは神学校において司祭や信徒指導者を訓練することで終了するのでもない。そのような場所が解放の神学の中心地であることはほとんどない。というのは、解放の神学者は、安楽椅子に座った知識人ではなく、むしろ民衆との有機的な交わりのなかで「有機的に活動する知識人」であり、またこの世の巡礼者たる神の民と共に働き、彼らのための司牧の責任を担う「闘う知識人」だからである。
p.55
弁証法的説明は、貧困を抑圧とみる。この説明によれば、貧困は社会それ自体がかかえる経済機構の産物である。こうした経済機構は、ある人々――労働者――を搾取し、ある人々――半失業者、完全失業者、様々な仕方で周辺化されたすべての人々――を生産の過程から排除する。
p.68
解放の解釈学は、聖書を、風変わりな物語の書物としてではなく、いのちの書として読む。テキスト(聖書)の意味を探求するが、それは現実の生活の中での意味を探る一つの方法であるにすぎない。すなわち、聖書の解釈そのものよりも、「聖書による」人々の生活の解釈(理解)のほうが重要なのだ。最終的には、この古くて新しい聖書読解の目的は、テキストの意味を、現代という時代へ現実化すること(実践の可能性)を見出すことである。
p.83
われわれは新しい信仰について論じているのではなく、むしろ使徒たちの信仰について、また非抑圧者のための解放にかかわるさまざまな苦難や希望と結合されている教会の信仰について論じているのだ、ということである。そこで、われわれはつぎのように問う必要がある。キリスト教信仰――永遠のいのちを約束するだけなく、生きるに値する、また正当なこの世でのいのち・生活を約束する信仰――のなかに、どのような解放の可能性が内包されているのだろうか。自らの解放をめざす抑圧された人々の闘いから、どのような神の姿が見えてくるのだろうか。キリストが存在した事実のどういう部分が、(解放の闘いにたいして)深い関連性を持つのだろうか。
p.90
社会的・経済的な環境によってもたらされる多様な形態の貧困が存在し、かてて加えて、それは具体的な抑圧を体現するものであり、それゆえに解放のための具体的形態を要求している。そういうわけで、人種の相違を理由に(黒人のように)差別される人々がいる一方、文化の相違を理由に(先住民族のように)差別されている人々もいるし、あるいは性の相違を理由に(女性)差別を受けている人々もいる。
p.112
貧しきものの権利は、神の権利である。人間の尊厳を促進するための闘いと、脅かされた権利のための擁護は、貧しい人々の権利から始めなければならない。
p.160
解放の神学は、この世における新しい社会の実現を切望し、そのために闘っている。この新しい社会とは、資本主義に変わるもう一つの道であり、今日存在するような社会主義をも超える真に新しい社会である。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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