- Amazon.co.jp ・本 (183ページ)
- / ISBN・EAN: 9784403030178
感想・レビュー・書評
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タンホイザーに引き続き、『トリスタンとイゾルデ』を予習。音楽を聞きながら読みました。!
意外とこの2人、最初からずっと死による合一を望んでいたんだなあ。そういう意味だと、いわゆる日本の心中物の、やむにやまれぬ感は全くない。そこにあるのは陶酔や憧れだ。こんなにも光や昼間と対峙していたんだな。音楽と共に楽しむのが待ち遠しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
第二幕第二場
トリスタン「昼がその光でかき立てないような責め苦が、悩みがいったいあろうか?」
この作品では上記のセリフが示しているように光や昼にはポジティブな意味はない。昼の光は人を苦しみや迷妄へと誘うものとして忌み嫌われている。昼の光はイゾルデを「華やかな気高さ、栄誉の光と名声の力で包み、輝かせていた」そのむなしい幻がトリスタンをとらえ、イゾルデではなく「栄誉の輝きにこそ心をかけるよう誘った」一方で、夜の国では「すべての惑いが終わり、いつわりが描き出してみせる幻もかき消されてしまう」フランス語ではLumières(光)という単語は暗闇から人々を理性の光によって照らし出すという発想によって啓蒙思想という意味も表すが、この作品の思想はそれとは対照的だ。
また、二人の愛という言葉はこの作品を語る上では不適当だろう。二人が二人であること、つまりトリスタン『と』イゾルデであることが愛の最大の障壁なのだから。死はトリスタン『と』イゾルデの『と』という愛のきずな=ただ愛に生きる二人を邪魔する障害そのものを取り払う。この愛を完成させるにはこのきずなを死によって断つしかない。
闇が好まれ光が疎まれるのは、光は愛している私がいて愛されているあなたがいることをはっきりと区別してしまうのに対して、闇の中では愛の主体と客体の境界線が消滅し、愛のみが存在することができるからという考え方もできる。それでも死が究極の合一をもたらすことには変わりがない。 -
ワーグナーのオペラの小説版
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○○年前に買いました。なにも語りますまい。天野氏の古風なイラストが素敵。
( ↓ 以下関連の拙作はブログにて)
「ふたりのイゾルテ」『文鳥列伝』
http://r24eaonh.blog35.fc2.com/blog-entry-218.html
私が飼っていた鳥たちの生涯。トリスタンと名付けた白文鳥の物語です。
『伯爵令嬢シナモン』「第2部 コンウォールの才媛」
レディー・シナモン14歳。最初に解決した事件。伝説、「トリスタンとイゾルテ」の劇中劇にあわせてミステリーが進行します。
http://r24eaonh.blog35.fc2.com/blog-entry-35.html -
所在:実家
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イゾルデ 「不実なくせにやさしい人!」
トリスタン「こよなく幸せな女!」