村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ

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レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (291ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784403210808

作品紹介・あらすじ

村上春樹のサリンジャー、ヴォネガット、ブローティガンから柴田元幸のオースター、ミルハウザー、ダイベックへ-謎と魅惑に満ちた世界文学空間のただなかにご案内します。

感想・レビュー・書評

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  •  村上春樹を通して柴田元幸を、柴田元幸を通して村上春樹を、そして村上春樹と柴田元幸を通してアメリカ文学を探ろう、という趣旨の本。
     比重としてはアメリカ文学よりも、村上春樹よりも、柴田元幸におかれているように思える。
     柴田元幸への長めのインタビューも掲載されているし、分量も一番多いんじゃないかな。
     そうはいっても村上と柴田の共通点、村上とアメリカ人作家、柴田とアメリカ人作家の共通点、といったように三つ巴の考察にも充分な分量は割かれている。
     中には少々強引な解釈もあると思えるのだが、興味深く読み進めることが出来た。
     タイトルを読めばわかることだが、良くある村上春樹作品の研究本とは一線を画している。

  • まずはアメリカ文学の知識が必要。

  • この本は村上春樹と柴田元幸を同等に論じているようなタイトルだが、柴田元幸の方を圧倒的に掘り下げて描いている。
    翻訳するということはどういうことか。

    翻訳とは、文章を作り出しながらも、読者の前から存在を消していなければならない。
    その消失ということにこだわって小説を書いていたのが、ポール・オースター。
    消失。
    柴田元幸にとっての消失ということに、結構なボリュームを割いており、ようやくもうひとつのアメリカへ。

    大人になることで消失する少年時代。大人の世界が少年の世界を覆い隠す。
    今アメリカは成長し続ける少年の世界を越えて、大人の世界で停滞を続ける。
    少年時代を消失することで浮かび上がる、自己内面の闇。

    今、アメリカはそれと向きあうのか、乗り越えるのか、見なかったことにするのか。
    文学はそれを書き、翻訳者はそれを伝えながら自己を消失させる。
    そういうことなのだそうだ。

    うーむ、やっぱり難しい。

  • 両氏のあまり知られていないエピソード集としてだけでも十分おもしろく読める。いろいろなところに書かれたものではあれど、一冊の本にまとめてくれていることに感謝。例えば、村上春樹が訳者あとがきで「テキストをお貸し頂いた志村正雄氏、高橋源一郎氏、また資料をお貸し頂いた青山南氏に深く感謝する」と書いているというエピソード。高橋源一郎と村上春樹の接点を書かれたものが異様に少ないので、改めて驚いてしまった。

  • 二人がいかに結ばれたかがわかる。

  • 柴田元幸といえばオースターの訳者という程度のことしか知らなかったけれど、この本で俄然興味を持った。
    引用した箇所のほか、自己消去が自己実現につながるという矛盾した翻訳の仕事、次男目線、シュレッダーに対するフェチズムなど、共感ポイントがいくつもあった。「死んでいるかしら」という題のエッセイ集があるらしく、まずはそれを読もうと思った。

  • 80年代90年代、ある意味日本文学の「変革」をもたらした村上春樹。
    歴史的な変遷が、彼にアメリカ文学を与え、影響を及ぼし、新たなスタイルが誕生する。
    彼から影響を受けた現作家や、アメリカ文学の翻訳でおなじみ柴田元幸氏の直接対談まで、文学の流れを理解することができる良書。

  • 柴田元幸を読んでも、三浦雅志を読んでも、内田樹を読んでも、わたしはそこに村上春樹を感じ取る。わたしが春樹を最も熱心に読み込んだのは中学3年間で、その後、春樹の訳した海外文学を読んだり柴田元幸の訳した海外文学を読んだりして、春樹自身の作品はそんなに読んでなかったのだけど、どこへ行っても村上春樹の庭の中という感じがします。柴田元幸の庭にいても、それは村上春樹の庭の一部だと思ってしまう。わたしがわたし自身の庭を形成する際に使ったのが村上春樹だから、わたしはいつまでも村上春樹の庭で遊んでることになるのかも。と、いうことを思わせる本でした。2人についてより「もうひとつのアメリカ」に関する考察が一番素敵だった。

  • <アメリカな、ぼくたちの存在>
    新人小説家との会話からこの評論集というには風変わりすぎる本は始まる。質問は、影響を受けた作家は誰か。影響と言われてもと言いよどんだこの20歳。


    「読んだのは村上龍、村上春樹さんですね、やっぱり。とくに村上春樹。誰でもそうだと思うけど。でも、それが終わってからは、柴田元幸さんの翻訳じゃないかと思います」

    「柴田さんの翻訳?」

    「ええ。日本の作家のものはほとんど読みませんでしたね。やっぱり柴田さんの翻訳だと思う」


    評論家は、20代の作家たちから同じような印象を受ける。そういえば、彼らの文体の中には、村上春樹を通して、サリンジャー、フィッツジェラルド、ヴォネガット、ブロードガンの文体が彼らに流れ込んでいるだけでなく、柴田元幸の翻訳を通じて、ポール・オースターや、スティーヴン・ミルハウザー、スティーブ・エリクソンなどの香りがする。


    佐藤友哉(「水没ピアノ」)、柳広司(「饗宴」「はじまりの島」)、小野正嗣(「にぎやかな湾に背負われた船」)等の作家たち。


    村上春樹や柴田元幸を通じて、こうした若い世代は、従来の日本文学史や、それどころか世界文学史の呪縛から逃れ(を無視というべきか)、ニューヨーカーなどに代表されるアメリカ文学の中に直接つながってしまった。


    これには、村上春樹の創作だけではなく、作品を書き続けるために不可欠な「外国文学という栄養、それもとりわけ同時代のアメリカ文学、あるいは英語文学という新鮮な栄養」を補給する手段としての翻訳活動を見過ごすことはできない。フィッツジェラルド、カーヴァー、アーヴィング、セロー、カポーティ、オブライエン、ストランド、ペイリー等。翻訳と自作が激しく拮抗していることが、まさに村上春樹という新しい作家の生き方であり、そういった感受性が直接的に20世紀後半の日本の小説家たちを形成しているというのだ。


    「翻訳でリズムをとりながら自分の小説を書いている」村上春樹の世界を、共同翻訳で支えたのが東京大学の英文学の教師である柴田元幸だ。しかし三浦は、他の翻訳家との質的な違いを1954年生まれの小柄な学者に見出す。


    ドストエフスキーの翻訳者の江川卓が好きという人はめったにいなくても、柴田元幸の翻訳が好きという人々がいる。


    「とにかく、柴田さんが翻訳したということは、それだけで何ものかなんです。中身が保証されているというか」


    そんな柴田元幸という存在の意味を探って、三浦が行ったインタビューが、この本の3分の1ぐらいを占めている。東京の下町の職人の家に育ち、渡り職人としてさすらう格好のいい兄を持つ、翻訳職人柴田元幸の存在が、肩に力の入らない会話の中から浮かび上がっている。


    そして村上と柴田のコラボレーションの中で、若い感受性がアメリカというものに直接繋がっていく時代を三浦は鮮烈に切り取ってくる。アメリカが唯一の超大国となった後に、「アメリカという国家連合の不思議な成り立ちが文学者の深部を暗く強く揺さぶり」そのはじめから「世界の別名」であったアメリカというものの輪郭が明らかになっていく過程が村上的アメリカの中に現れているというのだ。


    「アメリカははじめから世界の雛形、ミニアチュールとして誕生した。それは世界についての世界にほかならなかった。・・理想世界は、世界の記憶の集積にほかならなかったのだ。まるで世界の幽霊のようなものだ。」


    過去を追憶することがその存在証明である移民たちが日々創り上げていくアメリカ。その崩壊感覚が、世界に拡散していくのが、パクスアメリカーナだと気づくことが、村上春樹という現象を理解することなのかもしれない。

  • 面白いよ。村上春樹からどこかに行こうとしている人へのブックガイドと思えばいいんじゃない?個人的には村上春樹評論ってなんか不毛な気がするから、その部分はどうでもいい。むしろ俺の知らないところで、柴田元幸がこんなにもアイドルだったんだと知ったことのほうが大きい。俺は日本の現代作家読むより、外人にすごい奴がいっぱいいることに気づいたんだけど、そしてそれは俺なり運命の転換だったのに、それがまさに普通だって言われたことのこの悲しさ。

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著者プロフィール

評論家・編集者

「2016年 『ポストモダンを超えて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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