新選組史料集

  • 新人物往来社
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本棚登録 : 22
レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (362ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784404022004

作品紹介・あらすじ

新選組の原典をこの一冊に収録。研究者、ファン必備の書。

感想・レビュー・書評

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  • 再読。新選組おたく必携の基本史料集。おもなものを個別に備忘録メモ。

    ○西村兼文「新撰組始末記」:こちら永倉新八の自伝と並ぶ新選組のもっともポピュラーな基本史料として知られていますが、著者の西村兼文は西本願寺の侍臣で、慶応元年に新選組が壬生から西本願寺に屯所を移してきた頃から新選組とは近い距離にいたものの、基本的に西本願寺は勤王派で、西村兼文も新選組が大嫌い。文書のそこかしこで近藤土方に対する不満や皮肉が散見される。のちに分離する伊東一派とは親しかったようなので、そのあたりの事情はわりと信憑性が高いと思われるが、それ以外の部分は基本「伝聞」でしかないので、実は史実と違う部分も多く鵜呑みにはできない。山口二郎(斉藤一)が五稜郭にいたことになってるし。とはいえ、興味深い部分も多々あり。たとえば池田屋の事件の前、山崎烝が薬屋に変装して潜入していたという記述は本書にしかない。

    ○「中島登覚え書」:中島登はもともと近藤土方らの郷里・多摩の出身で近藤とは遠縁、新選組への正式入隊は慶応3年とあまり早くはないが五稜郭まで土方さんについていっている。箱館で降伏後、謹慎中にしたためられた手記なので、本人の記憶がまだ鮮明なうちに記録されており、実体験ゆえ臨場感も抜群。たまにある誤情報は伝聞部分で、たとえば斉藤一は会津の如来堂で戦死したと記録されている(実際にはもちろん生き延びているが、生死を確認する余裕もなく転戦していったのだろう)

    ○近藤芳助書翰:近藤芳助は試衛館の近所に住んでいたので元治元年後半の募集で新選組に参加、鳥羽伏見から各地を転戦、仙台で官軍に捕縛される。手紙は、明治40年頃に新選組研究をしている京都の議員に昔のことを質問されて答えたもの。リアルタイムではなく回想になるため若干の記憶違いなどはありそうだが、永倉新八の『新選組顛末記』との重複部分(雲井龍雄との出会い)などこちらにもあり。そして興味深いのは山崎烝の最期。子母澤寛の『新選組始末記』では鳥羽伏見での負傷からの、富士山丸で死去、水葬という有名なエピソードがあるが、近藤芳助は大坂で死去したと明言しており(「山崎ハ重傷ニテ大坂八軒家京屋宅ニテ確ト見認候。遺骸ハ大坂ニアランカ」103頁)、どうやらこちらのほうが信憑性は高いらしい。
    あとひとつ個人的に気になるのは白河口での戦いにて「会津滞在、諸口攻防戦故ニ我々隊ハ元斉藤四郎=一=ト申ス古参人、仮ニ隊長トナリ~(100頁)」という記載。斉藤一は山口二郎→藤田五郎と改名するたび数が増えていくので三郎と四郎の時期もあったんじゃないかと面白半分の推測をしたくなるのだけど、これ冗談抜きで「斉藤四郎」の時期存在した!?(笑)

    ○「秦林親日記」:秦林親=篠原泰之進。伊東一派なので新選組についての記述はその時期のみ(本書でもその部分のみ抜粋)日記とはいえリアルタイムではなく晩年の回想になる。

    ○近藤勇、土方歳三、沖田総司の手紙:土方&沖田書簡集は別に1冊読んだのでここでは近藤さんの手紙についてだけ。有名な池田屋後の「下拙の刀は虎徹故に候哉無事に御座候」の手紙や、池田屋直前の元治元年五月「局中頻ニ男色流行仕候」の手紙(この手紙がなければ司馬さんの「前髪の惣三郎」はなかっただろうな)など代表作(?)を収録。長州方面へ出張する前の慶応元年十一月の手紙で、自分に何かあったときは天然理心流の後継者は沖田に、と書いているので、やはり沖田さんの結核発病はもっと後のことなんだろう。あと個人的に気になるのは慶応三年十一月十八日の三浦休太郎宛て書簡。この日付は油小路で伊東甲子太郎が暗殺された当日。「のぶるに二郎事潜伏の儀~」と山口二郎こと斉藤一について言及されており、いろいろ興味深い。

    ○小野圭次郎「伯父伊東甲子太郎武明」「岳父鈴木三樹三郎忠良」:著者の小野圭次郎は鈴木三樹三郎の娘婿。油小路の変についてなどは詳しい。あと鈴木三樹三郎については、高台寺党壊滅後に赤報隊に所属しているので、そのへんが興味深い。(最終的に解放されるが、一時的に捕縛されている)

    ○「島田魁日記」:中島登と同じく、箱館で降伏後、謹慎中にしたためられた手記。島田魁は入隊時期が早いので、ダイジェスト的ではあるが京都時代から語られているのが貴重。鳥羽伏見から五稜郭にいたるまで、実際に戦った者の臨場感あふれる体験記。とくに直近の箱館戦争の描写が詳しい。

    ○「立川主悦戦争日記」:立川主悦は慶応4年頃の入隊と見られるのでこの手記も甲陽鎮撫隊あたりから、そして五稜郭まで土方さんの側近として従った。たぶん土方さんの死を間近に見たんじゃなかろうか(この手記には具体的には書かれていない)(書けない理由があったのかもしれない)明治になってからは出家、僧侶になって終生土方さんの菩提を弔った。

    ○史談会速記録:膨大な記録(全45巻)の中から、新選組に関連した証言のみを抜粋。幕府関係者等の「土方まじイケメンだった」証言などのほか、高台寺党の生き残り、原田左之助の若かりし日を知る松山藩士の証言、そして新選組の少年隊士・田村銀之助の証言まで。13歳で入隊し、箱館戦争降伏後でもまだ15歳(子供なのですぐ釈放された)だった田村銀之助の談話は涙なしに読めない。
    高台寺党の阿部十郎の証言はいろいろ興味深い反面、むかっ腹も立つ(こら)谷万太郎にくっついて入隊するも一度脱走、またのこのこ戻ってきておいて今度は伊東一派にくっついてまた脱退、当然近藤一派憎しで彼らの悪口も多く、密偵だった斉藤一については恨みも深いのか、というかなぜか「斉藤一郎」呼ばわりしてる時点で記憶がいい加減なんじゃないかと思うのだけれど、祇園の芸者に入れ込んで高台寺党の金を盗んで使い込みそれがバレそうになったから近藤に密告して新選組に戻ったと話している。その他、同じ高台寺党の仲間だった篠原泰之進はその手記『秦林親日記』で近藤を撃ったのは自分だとしているが、阿部は篠原と加納は逃げて、近藤を狙撃したのは富山だとしている。真相やいかに。

    ○永倉新八「七ケ所手負場所顕ス」:新八おじいちゃんが歴戦の傷痕についてその戦闘と共に振り返る手記。やはり池田屋で「沖田総司俄ニ持病ガ起リ無拠表エ出ル」となっている。この持病が労咳だったのか他の病気だったのか、はたまた別の戦闘時の記憶を新八っつぁんが池田屋だと思い込んでいるのか、謎は深まるばかり。

    ○大野右仲「函館戦記」:大野右仲は唐津藩士。幕府の重臣だった藩主(世子)小笠原長行と、小笠原胖之助=三好胖に従い各地を転戦、仙台で便宜上新選組隊士となり、箱館戦争を土方さんの側近として戦い抜いた。島田魁、安富才助、立川主税らと並ぶ箱館新選組の主要人物。土方さんの死とその伝聞については彼らの証言や時系列が微妙に食い違っていたりして、単なる記憶の誤差や混乱なのか、なにかと藪の中(だから土方さんの死に陰謀説が出る)

    ※収録
    新撰組始末記(西村兼文)/中島登覚え書/近藤芳助書翰/秦林親日記/近藤勇、土方歳三、沖田総司の手紙/伯父伊東甲子太郎武明・岳父鈴木三樹三郎忠良(小野圭次郎)/勝沼・柏尾坂戦争記(野田市右衛門)/島田魁日記/立川主悦戦争日記/史談会速記録/金銀出入帳/隊士名簿に見る新選組の変遷/七ケ所手負場所顕ス(永倉新八)/函館戦記(大野右仲)

  • マニア向け。新選組に関する史料を集めた本。<br><br>
    【収録史料】<br>
    近藤勇書簡・土方歳三書簡・沖田総司書簡・函館戦記・伯父伊東甲子太郎武明-岳父鈴木三樹三郎忠良・金銀出入帳・新選組往事実戦譚書・新撰組始末記・七ヶ所手負場所顕ス・中島登覚え書・立川主税戦争日記・秦林親日記・勝沼・柏尾坂戦争記

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