本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (448ページ) / ISBN・EAN: 9784404037824
作品紹介・あらすじ
青森に端を発し古代史を震撼させた「東日流三郡史」の真贋論争。偽書を生んだ考古学・メディアの闇に迫り、論争に決着をつけた問題作。
みんなの感想まとめ
歴史のロマンと真実の狭間で揺れ動く人々の姿を描いた作品は、古代史の偽書「東日流外三郡誌」を巡る真贋論争に迫ります。津軽の農家の屋根裏から発見されたこの古文書は、一部の学者や作家によって持ち上げられ、オ...
感想・レビュー・書評
-
学生時代、超古代史が好きな友人がいて、竹内文書やキリストの墓などを熱く語ってくれた。
その中で知ったのが「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)。
大和朝廷とは別の朝廷が津軽にあった、というのはなんともワクワクする歴史のロマン。
そう、厄介な「歴史のロマン」。これにころっと騙されてしまうのだ。
「東日流外三郡誌」は、津軽の農家の屋根裏から出てきたといわれる古文書。
編集者やまわりの人も「おかしい」と思いつつ誰も問題にせず自治体の刊行物として世に出る。
研究者たちは、鼻から偽書として相手にせず黙殺した。
この「隠された日本の歴史」に飛びついた一部の学者や作家などにより持ち上げられ、オカルトブーム、邪馬台国ブームなどにのっかり、自治体も巻き込まれる。
で、ある在野の研究者が自書からの盗作を訴えた民事裁判がきっかけで、偽書問題として検証されるようになる…。
擬似科学も同じだが、きちんとした研究者が黙殺する、というのは正しい姿勢ではあるが、どこかでちゃんと歯止めをかけてくれる人がいてもよかったんじゃないか、と思う。科学者には研究とともに啓蒙という義務があるのではないだろうか。
誰もが「おかしい」と感じながらもなんとなくスルーしてしまっている、のも日本的。
津軽の古代から近世にかける歴史をコツコツと一人で書いていたというのは、ヘンリー・ダーガー的…とも思ったが、偽書も餌に二束三文の骨董品を高値で売りつけていた、とのこと。これは詐欺事件として扱われるべき問題ではなかったのか??
地方における県紙と中央紙のスクープ合戦という横山秀夫の小説的おもしろさもあり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まさにオカルト雑誌『月刊ムー』のようだ。
私が『月刊ムー』の定期購読を止めて以降に、大きな動きがあったようです。
真偽論争に決着がつけらた渾身のルポ。
『月刊ムー』でさんざんっぱら取り上げられたのになぁ~…偽書かぁ~…やっぱりね。
間接情報でしか知らなかったけど、実物を見ると、いかにも怪しげだったのかもね。
どうしてみんな騙されたのかな…村興し・町興しのためとか、好奇心とか、功名心とか…弱いところを突かれちゃったんだね。
最初は仲間内でやってたことが、自治体を巻き込んで…日本中、世界中に広まっちゃった。
折りしも、ポストモダン思潮に乗って、裏歴史みたいなものが、流行った。
実物はこんなに怪しげなものだけれども、みんなが惹きつけられたのは、ロマンを投影したからだろうね。
”まつろわぬ民”から見た歴史というものに。正史以外の歴史というものに。
最初から、創作だと発表したら、こんなに話題にならなかっただろうね。盗用・盗作・継ぎ接ぎで出来上がったものだったんだからな。
ネットがない時代に、出し惜しみと小出しという演出というか、求めに応じて創るという状況が、ブレイクさせたんだな…。ある意味スゲー。
ネットがない時代に、青森の片田舎から大ブレイクしたなんて、超スゲーよwww
「竹内文献」キター(・∀・)ー!
これも偽書かぁ~…まぁ、当然だな…これも絡んでくるとは、オカルト業界凄まじき。
オカルト雑誌からまでもネタを拾ってくるとは、まさにマッチポンプですな。
その昔は、『エニグマ』とか、『ムー』と同時代的には、『トワイライトゾーン』とか、版元の新人物往来社なら『AZ』とかありましたが、今は『ムー』が唯一生き残っていますね。だって、面白いんだもん。
偽書とわかっていても、偽書のネタ元に事実が含まれていれば、いつまでもネタになりますよね。-
「”まつろわぬ民”から見た歴史」
判官贔屓と一緒で消えていくモノ、消えていったモノに肩入れしちゃうのかも。。。「”まつろわぬ民”から見た歴史」
判官贔屓と一緒で消えていくモノ、消えていったモノに肩入れしちゃうのかも。。。2012/03/30
-
-
なぜ偽書作成なんていうハイリスク・ローリターンなことをするのか。なぜ一般人だけでなく、専門の研究者までもが偽書を真書だと信じて、それに固執してしまうのか。そのあたりの心の動きが知りたくて、いま読書中。
-
面白いと言えば面白い。
古田氏は、ほぼ偽書と確定した時点でどのような態度をとったのかが気になる。
まだ、認めてないのかな?
そもそもは、騙された自治体も悪いが、自治体のお墨付きがあれは、信じてしまう大衆も情けない。
面白がって盛り上がってるだけなら罪はないのに。
ある意味人間の滑稽さ悲哀も感じさせる顛末だったを -
素晴らしいルポルタージュ、取材力が素晴らしく、時系列で判りやすかったです。
-
<偽書発生のメカニズム>
偽書発生のメカニズムを、昭和•平成に登場した偽書を追って克明に描く。
津軽の古民家の天井から落ちてきた膨大な量の文書は、既存の歴史を覆す、東北王朝の存在を示す驚愕の古文書だった!?
しかし、その実、その文書は発見者と同じ筆跡を示していた。
更に古文書にも関わらず現代語を含んでいた。
つまり、完全なる偽書だったのだ。
こんなトンデモなくレベルの低い古文書もどきでしかないものが、大論争を呼ぶ文書となるから驚きだ。
とても信じられないが、そこにはそれなりの理由があった。
著者は梅棹忠夫との出会いを通して、この偽書を信じたいという東北人のルサンチマンの存在に突き当たる。
過去、偽書が流通したのは、その文書を信じたいという多くの民衆の願いがあったからなのだ。
偽書の存在根拠は理解出来る。
しかし、アカデミズムは「価値自由(vertfreiheit )」に徹しなくてはならない。
その意味で、日本史アカデミズムの重鎮でありながら、この偽書の流通に加担し、とんでもない理屈で偽書を正書と騙った古田武彦は、その「古田史学」が途轍もなく面白かっただけに残念だ。
しかも、彼のとんでもない理屈付けは、過去の業績全てを疑いの渦に投げ入れてしまった。
昭和薬科大学の職を追われたのも当然だと言えよう。
何故、一世を風靡した人気歴史学者が、一瞬で失脚したのかが分かる。 -
そもそも歴史に興味がない人からすると、タイトルから読めないだろう。
「東日流」と書いて「つがる」と読ませる。
筆者は青森の地元紙の記者であり、現代人が「江戸時代の古文書だ」と偽って発表した一連の偽造文書が引き起こした騒動を取材した立場。
下手なミステリーよりも奇想天外で面白い。 -
高校生から大学にかけて、所謂オカルト現象というものは全て信じていた。もちろん愛読書はムーで、少ない小遣いの中から毎月買っていた。
古史古伝、という分野があることも承知していて、竹下文書やら九鬼文書、宮下文献とかウエツフミ、ホツマツタエなんて学校で勉強する歴史とは異なる超古代文明があって、キリストの墓が日本にある、十和田湖は日本のピラミッド、外八島と呼ぶべき世界の大陸は、内八島、日本の島々を写しているとか、信じてましたよ(笑
そうした一連の書物の一つとして、東日流外三郡誌という名前も知っていたが、まさかそれがまだ、21世紀まで脈動する詐欺事件だったとは思いもしなかった。
東北の新聞記者が、事の起こりから週末まで全てを見聞きし、記す本著。
取り巻く色んな立場の人たちの思惑もあって、面白い。
偽書に関わらずオカルトがなぜオカルトとして存立し得るのかということを考える参考にもなる。
ちなみに今では、オカルト現象はあり得るけども、その原因に超常的なものがあるとは全く信じてません。 -
-
どっかの、パトリオティスムに溢れたをっさんが、一所懸命作った地方史といふか日本史は、一見東北を褒めるやうでゐて、実は地元を貶めるやうなアレなものであった。
それを著者が調べる。
雑穀による栽培と言ったら、佐々木高明説で、東北のどこぞで、生産力高めの雑穀の栽培がどうのといふ報告があった。 -
今年読んだ本で一番面白かった。
-
「東日流」と書いて「つがる」と読んだ人は、この本を読んだか事件そのものに相当関心がある方々だろう。20世紀末期に古代史ファン、殊に邪馬台国論争の当事者にあらぬ方向から投げつけられたけん制球、それが青森県津軽地方にあったとされる「安東王国」とアラハバキ神のトンデモ伝説だった。
邪馬台国との接点と訴訟事件については、本書を参照されたい。この訴訟が、東北最北端のねつ造古代史跡を一躍有名にした。
「東日流」の読み方からして、よく考えればインチキと分かる。この場合、「流」を「る」と読めるのが唯一まともで、「日」を「か(が)」と読むのは日月の呼び方(例:2日~ふつか)のみにかぎられる。「東」を「とう⇒つ」と読ませるのは最早論外である。
アラハバキにも同じことがいえる。「荒覇吐」の「吐」を「ハキ」と読むことはできない。「荒・葉・掃き」という意味なら、率直にそう書けばよかったのに、どうもひねり過ぎたようである。しかも、その「ご神体」なる代物は、超有名な遮光器土偶である。嘘八百も、ここまでくるとかえって堂に入っている。
なお、ねつ造史の「安東水軍」はまったくの虚構だが、安東氏は実在した。しかし、それをテコに部分的には正しい、という主張は成立しない。たしかに正しい部分を接ぎ合わせると、なんとなくそうかもしれない、という気になってくる。が、全体として間違っているなら、それは偽りの集大成でしかない。
安東氏。
倭の五王の倭王武は「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事
安東大将軍倭王」
と名のった。
安東氏のふかしルーツはここある。 -
それは二十数年前、NHKで見た東日流外三郡誌の真偽論争。
なんか凄そうなテーマ・・・と思って観たら、本当に凄かった。
うわあ、口論ってこういうのを言うんだ~!
放映内容はほぼ忘れているけど、興味を持ったのは確か。
それから「歴史読本」で特集号を読んだのだっけ?
で、最近、ふと思い出して読んでみたのが、この本です。
たまたま引き継いだ訴訟を追いかけた結果、
この事件に深く関わり、当事者の一人として、真実を探っていく。
ジャーナリストだけあって、取材の徹底さ・・・執拗さはスゴイ!
偽書派・擁護派、双方からも取材し、
一応の論争決着までを綴っている。
そして、その根底に潜む・・・村興し・功名・コンプレックス・・・
様々な要因をも探っている。なんかおかしい・・・と思いながらも、
声を上げられなかった人々についても。
そういえば、擁護派の古田氏が数年前に亡くなっていますね。
ご開帳された「寛政原本」はどうなってしまったのでしょうか? -
近々提訴される民事訴訟がある。内容は特殊で難しいが、歴史関係
が得意なのだからぜひとも追いかけて欲しい。
「東奥日報」の記者であり編集局政経部から社会部に移動となった
著者への、先輩記者からの引き継ぎだった。それがある古文書と
著者の出会いだった。
古文書は「東日流外三郡誌」。1940年代の後半の夏の夜、青森県
五所川原市の農家の天井裏から、突然に落ちて来た長持の中から
発見された。
そこには日本史を覆す津軽地方の歴史が綴られており、1970年代に
は地方自治体が編纂した郷土史の資料としても使用され、折からの
オカルトブームも相まって話題になった。
しかし、古文書発見の経緯、その内容を巡っては早くから真作派と偽作
派との対立が起こった。
本書は発見者である和田喜八郎が損害賠償請求で訴えられた裁判を
追うのは勿論のこと、真作派の言い分を掲載すると共に偽書派が提起
している問題点を詳細に解説している。
内容を読む前から私はこの古文書が偽作との認識を持っていた。だから
偽書派が真作派の言い分を次々と論破して行ったり、発見者である和田
喜八郎の発言や行動の矛盾を突いて行く過程は面白かった。
それにしても古代史研究家の古田武彦はなんでこのいわゆる「和田家
文書」を信じてしまったのだろうな。確かに「もうひとつの歴史」はロマン
なのかもしれない。本当にそうなのだとしたらわくわくするのは分かるん
だけどね。
でもね、研究者なんだよね。都合よく次々と発見される古文書、ただの
炭焼き山に神社まで作って古物までが発見さるようになった和田家文
書の「聖地」。それだけでおかしいと思わなかったのかな?
使用されている用字用語の矛盾や筆跡鑑定なんてしなくても、和田家に
一時期同居していた喜八郎のいとこである和田キヨエさんの証言だけ
で十分に発見者の自作自演だった分かりそうなものなんだけどな。
発見者であり作者であると見られる和田喜八郎は真相を語ることなく
この世を去っている。偽の古文書を作成した動機は金銭欲だったり、
名声欲だったりしたのかもしれない。
しかし、金儲けの為についた嘘を、いつしか自分自身で史実であると
信じてしまったのかもしれないね。
旧家の土蔵などから貴重な文書が発見さることはたまにあるけれど、
和田家は旧家でもなく、天井裏には長持を吊り下げられそうな梁も
なかったそうだ。
「これが津軽地方の隠された歴史だ」なんてやらずに、創作として発表
していたら歴史研究者や一般の歴史愛好家までを巻き込む騒動には
ならなかったのかもしれない。
新聞記者らしく時系列でまとめられており、文章も読みやすい。偽書と
いえばもうひとつ『竹内文書』があるが、本書ではこの『竹内文書』にも
触れており全編通して興味深く読めた。
偽書と言えば「ヒトラーの日記」事件なんてのもあったな。人間は大きな
嘘になればなるほど、騙されやすいのかも。 -
嘘のような本当の話。
-
面白かったけど、文章とか視点が下品なんだよね…。地方紙の記者のイメージそのまま。
-
偽書であることを証明していく内容ではなく,事件全体の流れを俯瞰的に見通すためのルポ。偽書証明なら別の書籍を読むほうが良い。克明なものが出ているようだ。
この作品の主眼は,最初から最後まで記者としてただ一人関わった著者の,時系列に沿った各事項のルポと,なぜ東北からこのような偽書が出てしまったのかの考察にあると思う。
司馬遼太郎の「街道をゆく-北のまほろば」ではないが,もし,明治政府が東北経営の中心を米作ではなく畑作と酪農に据えていたら,あるいは東北は「乳と蜜の流れる土地」となり,日本の北欧となり,いまとは異なった意味での豊かな大地となっていたかもしれない。ただし,その場合には,私たちは宮沢賢治の「稲作挿話」等の作品を享受することはできなかっただろうが。
現実は,東北は厳しい環境に耐えながら営々と米作を続けて,現在に至っている。日本中に知られたブランド米も存在する。そのような現実の裏にはどれほど巨大な努力の蓄積があったか,想像するだけでも,胸苦しくなる。
おそらくだが,そのような「巨大な努力の蓄積」が偽書づくりに向いた結果が「東日流外三郡誌」ではないだろうかと言ったら,肯定的に過ぎるだろうか。ただ,本書を読みおわった後には,偽書づくりに向いたであろう暗い情熱に胸苦しさを感じたのも,事実である。 -
青森の新聞記者である筆者がたまたまかかわることになった事件が「東日流外三郡誌」に関する民事訴訟だった。取材を重ねて記事にするうちに筆者自身が当時者の一人として深くかかわることになる。
歴史を金と名声の手段として偽書を作り続ける和田喜八郎という人物がいて、それを地元の自尊心や観光のために安易に利用する自治体があり、また彼を支援する一部の学者がいる。一方で「うその歴史が広まるのが許せない」という理由で益の少ない論争に加わる人々がいる。
最終的には和田氏の死去により、本人からの説明は永久にないままで終わる。その後に「東日流外三郡誌」が「発見」された部屋を初めて取材し、あらためてそれらは偽造されたものであるとの記事を掲載することで、この件に関する記者の新聞記事も終わる。
「東日流外三郡誌」事件のあらましと問題点が非常にわかりやすく理解でき、登場人物それぞれの考え方がよくわかっておもしろい。 -
おそらく戦後最大規模の偽書事件である「東日流外三郡誌」事件に深く関わった著者によるルポ。躍動感あふれる叙述であり、事件当時の青森にいるかのように文章を楽しめる。この偽書事件についてある程度前提知識を持っているとスムーズに読めると思う。
この本が好きな人におすすめの本
斉藤光政の作品
本棚登録 :
感想 :
