- Amazon.co.jp ・本 (156ページ)
- / ISBN・EAN: 9784406033121
感想・レビュー・書評
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「戦場で心が壊れて」 アレン・ネルソン 新日本出版社 2006年
ベトナム戦争では、大勢のアメリカ兵がベトナムへ送られた。ベトナムのジャングルで多くの人々を殺し、村を焼き払う経験を経てアメリカへ帰還した元兵士の多くがPTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかっていた。PTSDは体験したものでないとわからない苦しみをもたらす。
現在はアジアの観光地として人気を集めているベトナムは、ベトナム戦争当時は南ベトナム(ベトナム共和国)と北ベトナム(ベトナム民主共和国)という二つの国に分かれていた。長く続いた戦乱の中で、北緯17度線で分断されたひとつの民族が、別々の国として対立させられていた。
アメリカは南ベトナムと北ベトナムの争いに介入し、南ベトナム政府軍とともに、北ベトナムやベトコンと呼ばれた南ベトナム解放民族戦線(南ベトナム内の反政府勢力)と戦った。ベトナム戦争は「宣戦布告なき戦争」であったので、いつはじまったかには諸説ある。一般には1964年か1965年と言われることが多い。そうした米軍の少なくない部隊が、日本や当時はアメリカ統治下にあった沖縄の米軍基地から投入された。ベトナム戦争には、日本も深くかかわっていた。
アレン・ネルソンは1966年の夏から約13カ月間ベトナムへ戦争をしに行き、ジャングルで多くの人々を殺した。当時の米兵は、ベトナムの人々は人間ではなく「グークス」(「野蛮な東洋人」、「異形の者」といった意味の差別語)なのだから、殺しても構わないという教育を受け、そのことを信じていた。
戦争を肯定するにしろ否定するにしろ、戦争の現実を知る必要がある。本当の戦場とはどういうものか。何が見え、どのような音が聞こえ、どのようなにおいのする場所なのか。アレン・ネルソンが戦場で経験したことは、2003年に出版された『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(講談社)にまとめられている。戦場を経験した結果、アレン・ネルソンは精神に障害を負い、当時としては幸運にもPTSDに詳しい精神科医と巡り合い、20年以上の時間をかけて、完全にではないが回復することができた。
PTSDの治療の道のりでは、自分の身に起きたことを正面から見つめる必要がある。時には、自分の生い立ちやその社会的背景とも。壊れた心とともに生きていくための生き方を探すためには避けて通れない道のり。それは壊れた心を再構築することなのかもしれない。
「その年の初め、海兵隊を除隊して、ニューヨークで暮らしていた私は、そんな光景の中、自分のすみかの近くをぼんやりと歩いていました。私の目が、そのとき何を見つめていたのかは、よく覚えていません。けれど、二十二歳の私にとって、そのお祭りさわぎは、なんだか現実ではないような感じがしていた気がします。
そのときまだ、私の国はベトナムで戦争をしていました。三年ほど前まで、私自身がその前線にいたわけですし、忘れようにも忘れられるわけがありません。目の前の楽しげな光景と、ジャングルを舞台とした戦争とが、この同じ地球上で同時に起きていることに、めまいがするような違和感を感じていたのかもしれません。」p.13-14
PTSDは強い精神的な衝撃を受ける出来事を体験して、大きなストレスにさらされると発症する。
「私の場合は、殺し合いが日常となっている戦場に身を置くことで生じる、恐怖と異常なまでの緊張がストレスになっていたのでした。ベトナムのジャングルでは、次の瞬間にどんな危険が襲うかわからないわけですから、常に自分の身を守ることを考えていなければなりません。ものを食べる時も、排泄をする時も、眠る時も、いつ敵の襲撃を受けて殺されるかわからないのです。私たちは極度の緊張状態に置かれていました。恐怖が、身体と精神に大きなストレスを強いていました。」p.22
PTSDは日常のほんのささいなことがきっかけとなって襲ってくる。そしてPTSDに襲われると、自分でも思いもよらないほど過度な反応が起きる。他の人にとって何でもないこと、ごく当たり前のことがPTSDにかかっていると大きな問題になる。そのため人生を積極的に生きる意欲が削がれてしまうこともある。PTSDは人生の質を破壊する。
眠っている時すら恐怖は追ってくる。そのように心が壊れようが、私たちは人々の中でしか生きられない。人間は社会的な動物だから。しかし、PTSDは人間関係を持つことも、社会で起きている出来事を自分自身の生きている時代の出来事として経験することも困難にする。
「フラッシュバックや悪夢からくる「奇行」によって、またベトナム帰還兵に対するさげすみの感情によって、私は友人を持てない、いや、普通の人間関係を取り結べないという困難を抱えていました。一方、私の側から見ると、アメリカ人一般は、ベトナム戦争に対する認識が薄すぎるように見えました。
除隊になって家に戻った最初の夕食で、姉が、仕事でタイピングをしていて爪を割ってしまったと、不平をもらしていました。私はそれを聞いて無性に腹が立ったものです。「爪が割れたぐらいどうだっていうのか、この瞬間にもベトナムでは誰かが死んでいるのに」と。
当時、それと同じような気持ちを、誰に対しても持ちました。多くの人が、いま起きている殺人や暴力に対し、何の認識もないという、怒りのような恨みのような感情が、私の中には渦巻いていました。
つまり、私の周りの人々も、私も、お互いを忌避していたのです。」p.44-45
アレン・ネルソンがホームレスになったのは1970年。その少し前の時期から、アメリカ社会には大きな変化が起きていた。キング牧師の公民権運動のような非暴力の市民運動や、武力でアフリカ系アメリカ人を守り解放しようとするブラック・パンサー党による運動が盛んだった。反戦運動や反徴兵制運動もあった。
「しかし私は、当時のそういった動きには全く関わらず、外からそれを見るような立場にいたのです。」p.50
アレン・ネルソンがニール・ダニエルズ医師から受けたPTSDの治療では、自分の経験や感情について考え、語ることが重視された。
「戦場では、一秒を争って先へ先へと進まなければならないことが多いので、起きたことに対しいろいろな感情が自分の中に渦巻いていても、それを外に表したり、考えたりする時間が全くないのです。戦闘で仲間が命を落としたとしても、その遺体を後方に運んだら、またすぐ先に進まなければなりません。どこかに座って死んだ彼のことを考えたり、涙を流したりする余裕はないのです。
だから自分の感情を表す場も全くありませんでした。そういう感情は、しかし国に帰ってきた後に、戻ってくるというか、私の中にあふれ出るようになったのです。ダニエルズ先生はそれについて、私に詳しく考えさせたかったのだと思います。」p.65
自分の心の中の深くまで。自分自身に正直にならなければならない。事実を正しく認識することがPTSDから回復するための出発点になる。語れないけどいつも考え続けていることに、言葉を与えなくてはならない。トラウマの支配下から人生を取り戻すためには重要なことだ。
「8歳くらいの時の、私の母に対する気持ちは、愛情と憎しみの混ざり合ったものでした。もちろん自分の母ですから、当然愛してはいたのです。彼女は、父のように私たちから逃げることはせず、懸命に私たちのために、できる限りのことをしていると思っていました。
でも同時に私は、彼女を憎んでいたのです。彼女は、女性であるため稼ぎも少なく、シングルマザーとして人々に見下されており、弱い存在だと思っていたからです。母は私たちに、十分な食べ物も、よりよいすみかも用意してくれない、そう感じて憎んでいたのです。
そういった矛盾する感情が私の中に渦巻いていて、私はすごく暴力的になっていきました。」p.80詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2006年に書かかれた本なのに・・・。
私が知らなかっただけで 実は当時から憲法9条が改正されそうな動きがあって そのことを作者は懸念されていた。
戦争放棄することで 日本人は 戦場へ行けなくなった。
その事で 諸外国へ行って人を殺さなくて済んだのだ。
それが どんなに重大な事だったのか 忘れてはいけない 気が付かなければいけない・・・。
マスコミの問題点・戦争の本質・戦場の悲惨さ・PTSD・・・。
日本だけではなかった。
国は国民を守るものなのだと信じていた私は幼かったのだ・・・。
アメリカもまた 国民を守ってはいない。
靖国神社 参拝の事も なぜ諸外国からそのように責められるのか・・・。
新しい観点をもらった気がした。
戦争に行く兵士に志願する それは 「人を殺したいと思ったからだ」そう告白する事 生い立ち・・・。
暴力がどれほど 個人だけでなく社会までも蝕むものであるのかも・・・。
戦争について もっと知らなければならないと また強く感じる本でした。 -
前書「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」
を読んで、早速アマゾンに文庫を注文。
知り合いにほぼ無理やり貸し出してしまいました!
本書では、自身がわずらったPTSDを
いかに克服したか、について詳しく書かれています。
毎晩のように見る悪夢と幻覚に悩まされ、家族にも
見放されてしまった彼が、どうやって立ち直ったのか、
助けを求めた医師とのかかわりにも触れています。
途中、うるっとさせられるところもあって、
ちょうどスタバで読んでたので、やばかったです・・・。
まだ読中ですが、字が大きくて読みやすいし、
中学生から読めるかも。小学生には、前作がオススメ
ですかね。