- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784406056328
作品紹介・あらすじ
昂ぶり、期待、不安…熱き上京者の「心の姿」は、いかに描かれたのか-。
感想・レビュー・書評
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岡崎武志さんの本の5冊目。
「上京」を切り口にして近代から現代にいたる文学作品を紹介する。
上京がどれほど憧れに満ちた行為だったか、どれほどの期待と不安を抱えて生きたか、東京の空の下で独り闘いながらどんな作品を生んでいったかに焦点をあてる。全18人。
岡崎さん自身も高校教師を辞めてから、書く仕事を求めて30歳過ぎて上京している。
知り合いもなく職もなく単身でやってきた時の興奮は今も忘れないのだとか。
登場する作家さんの中で東京生まれは漱石と向田邦子。漱石には上京小説の「三四郎」があり、向田邦子は幼くして東京を離れていることで上京組に入っている。
他は、斎藤茂吉(山形)、石川啄木(岩手)、井上ひさし(山形)、寺山修司(青森)、太宰治(青森)、宮沢賢治(岩手)と東北勢が6人。
室生犀星(石川)で中部から1人。
山本周五郎(山梨)、山本有三(栃木)で関東勢は2人。
川端康成(大阪)、江戸川乱歩(三重)、村上春樹(京都)と近畿が3人。
林芙美子(山口)、菊池寛(香川)と中国四国が2人。
松本清張(福岡)、五木寛之(福岡)と九州2人。
興味深いのは、実家が裕福で存分に送金してもらえたのは太宰と宮沢賢治のふたり。
ところがこのふたりは出自を憎んでいるかのように上京している。
他は、家出するにも出るべき「家」さえないような貧苦にあえいだ結果の上京が多い。
上京しても安定した職がなければ、啄木のように借金をする才能でもなければ生きてはいけなかった頃の話だ。決して楽ではない。
よく知られているが「川端康成」は幼くして両親を亡くし、祖父母に預けられた。やがて祖母も亡くなり8年間祖父と暮らす。その祖父も姉も亡くなり、10代で「葬式の名人」と呼ばれるほど何度も葬式を行っている。
「寺山修司」は早くに父を亡くし、母は家計を支えるために出稼ぎに行き親代わりとなる叔父夫婦に預けられる。帰る家のない少年は、「東京」と言う文字をおまじないのように落書きしながら過ごしたという。
5歳で父を失い、カトリック教会の孤児院に収容された「井上ひさし」。
2日がかりで上京した「五木寛之」は神社の床下に1か月住んでいた。昭和27年のこと。
驚くのは、当時それを聞いても誰もビックリしなかったということだ。
貧苦にあえいだと言えば「林芙美子」をまず思う。
お金もなく前途もなく頼る血縁もない。それでもなりふり構わずたくましく生きる様には「放浪記」を読むたびに勇気づけられる。
宮沢賢治や太宰のようなお坊ちゃんには決して真似できない真剣な生き方がそこにある。
合間に入る著者の体験談が温かな味を醸し出している。
山本周五郎作品が心の支えだった頃を語る箇所が特に良い。
昭和30年代半ば、貸本屋は全国に約3万軒。最盛期だったらしい。
そこで最も読まれるのが山本周五郎だったとか。
「(貸本屋は)たいてい商店街の途中、それに銭湯の隣にもあったという。まだテレビが普及していない時代、読書は重要な娯楽だった。
サラリーマンや工場労働者などが一日の労苦を汗とともに銭湯で落とし、湯上りの身体で貸本屋へ。そこでは文学史上の功績や受賞歴は役に立たない。
ただ就寝前のひとときを楽しませてくれる本物の作家だけが求められた」
・・そんな時代があったなんてね。懐かしいなどと言う表現はないが、岡崎さんの近現代文学に寄せる愛の源を知ることが出来た。
ところで本書の「遊び紙」は東京タワーのオレンジ色。
表紙画像がイントロになってるなんて、やるなぁ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
──東京へはもう何度も行きましたね。君が住む花の都。
言わずと知れた1970年代フォークソングの名曲、マイペースの「東京」の歌詞だ。
この曲の詩と同様に、高校時代のぼくは東京に夢を抱いていた。
絶対に東京の大学に行くんだ、という信念を持って。
ぼくをそこまで駆り出した欲求はどこにあったのだろうか。
そこに行けばキラキラと輝く生活が手に入ると思わせる大都会への漠然とした憧れ。
あるいは、一人で生きていくことで、親からの煩わしい束縛から逃れられることができると思ったからか。
とにかくぼくは首尾よく大学に合格し、上京した。
寮に行くために初めて降り立った地下鉄表参道の駅から地上にあがると、そこは別世界だった。
表参道と青山通りの交差点にある厳粛な佇まいの石燈篭を見た瞬間、思わず武者震いがした。
待っていたのは、思い描いていたとおりの華やかな生活であり、自由な毎日だった。
この書は、夏目漱石から江戸川乱歩、川端康成、五木寛之、そして村上春樹まで、様々な思いを抱いて上京した作家の状況や作品との関わりが解説されている。
誰もが、「東京へ行けば……」と思い、物書きを志した。東京へ行かなければ書けないと思ったのだ。
いわば、ぼくもまったく同じような思いだった。
五木寛之の「青春の門」に感化され、キャンディーズに憧れていた高校時代のぼくにとって、東京は夢を叶えられる唯一の街だった。
地方にいたのでは、情報にも、最先端の環境や情景にも触れることができない。
──東京へ行けば、何かが変わるはずだ。
それは希望であり、欲望であり、確信だった。
明治時代から現在まで、上京を志した文豪、作家と称される人々もぼくと同様の気持ちだったのだろう。
彼らは東京という街のどんな魅力に魅き込まれ、上京したのか。
一人ひとり、それぞれの思いは、時代背景などで微妙に異なれども、その後の作品にどんな影響を与えたのかを知る意味では非常に興味深い一冊だ。
夢の街、憧れの大都会東京は上京してきた地方出身の作家たちをどのように迎えたか。
彼らの作品に寄り添いながら綴られた文学史として読める。 -
ジャカルタにて2013年2月読了。田舎者の私にとっては傑作。
「そして誰もが上京していく——『上京する文學』序説」で始まる本書、芯から痺れた。
きっと誰もが上京した頃、若かった頃を思い出しながら、ページをめくってしまうんだと思う。
P3
明治維新で江戸が東京と名を改め、無数の上京者が熱い興奮をこの大都市へ運んできた。東京はこの地方出身者のエネルギーによって、膨張し成長してきたとも言えるのである。日本の近現代文学の少なからぬ部分も、そうした「上京者」によって形成されてきた。
また、生まれ育った町ではないからこそ、新鮮な思いで風景や人々を眺めることができた。そこには、「憧れ」の眼差しがあった。「上京者」としての発見もあったのだ。
2013年、春を間近にして。最近のテーマって「憧れ」だったりする。文学への憧れ、東京への憧れ。決してたどり着かない「憧れる」ことの切なさ。
リリー・フランキーの文章が引用されている。
「弱い人間は東京に集まります。/なので 僕も行きます/街灯に集る蚋のように/なんの志もなく行ってきます」
私は弱い人間だけども、志だけはあって上京してきたと思う。でも今、あの時の志とか忘れてるような気がして怖い。 -
リリース:みさおさん
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石川啄木評で笑った。
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上京をテーマに作家を読み解く。
井上ひさしさんの項目はやはり面白い。 -
明治・大正・昭和、若者たちはそれぞれの時代の夢と憧れを持って、故郷を離れ上京してきた。太宰治も五木寛之も寺山修司も。えっ漱石も!?と思ったら東京牛込生まれでした。
Stories of popular novelists who came up to Tokyo in their young days. -
確かに、「上京」を軸においてみると一人の書き手の欲求やコンプレックスが浮かび上がってくるように見えて面白かった。
しかし、東京から中途半端な距離を置いた「ベッドタウン」で育った自分のような人間は、「憧れの東京」も「帰るべきふるさと」も持つことがなく、どうにも居心地が悪い。どこかに郊外文学論もあるだろうから、いつか読んでみたい。 -
五木寛之の章での喫茶店「クラシック」を思い出す。
入口の受付らしきところで、メニューの札付きのひもが3本ほど
つり下がっていたことを思い出す。