いっきに! 同時に! 世界史もわかる日本史 (じっぴコンパクト新書)
- 実業之日本社 (2012年7月5日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784408109350
感想・レビュー・書評
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【感想】
タイトルの通り、同じ時代に日本と世界で何が起きたかを時代ごとにまとめていて読みやすかった。
あくまで日本史ベースだった為、紀元前の歴史については殆ど記載していなかったが、全然いいと思う。
個人的に世界史にやや疎いため、日本史でこの出来事が起きている時代に、世界ではこのような事が起こっていたんだなーと復習できた。
ただ、やっぱり世界史はよく分からないな(笑)
イイ復習になりました。
【内容まとめ】
1.アラビア半島で、聖徳太子とほぼ同世代人であるムハンマド(マホメット)が生を受けている。
610年頃、唯一神アッラーの啓示を受けイスラム教を唱え始める。
ヨーロッパでは4世紀後半からゲルマン民族の大移動、395年ローマ帝国は東西に分裂、376年西ローマ帝国が滅亡。
2.混乱を極めた世相の中、聖武天皇は仏教によって国の安定を図るという鎮護国家の思想を取り入れ、710年に平城遷都を行なった。
日本最古の書物「古事記」、日本の正史の始めとなる「日本書紀」、「万葉集」が編纂されたのも奈良時代
3.794年、政変を憂いた桓武天皇より平安京に遷都がなされた。
788年に最澄が比叡山延暦寺を開き、空海が797年「三教指帰(さんごうしいき)」を著す。
唐から帰国すると、それぞれ天台宗と真言宗を開き、日本の仏教界に大きな影響を与えた。
4.「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば。」
藤原氏の他氏排斥により、藤原氏の権力は頂点を極める。
摂関時代の頂点に立ったのは藤原道長である。
5.1221年 承久の乱
源氏はわずか三代で滅ぶ。
三代目の実朝の死を機会に、倒幕の意志を固めた後鳥羽上皇だったが、北条政子(尼将軍)が鎌倉の御家人たちを奮い立たせた事によって幕府は守られる。
6.1274年 元寇(文永・弘安の役)
ヨーロッパ、中東へも進出していったモンゴル帝国は、ついにその矛先を日本に向けてきた。
二度にわたる元軍の襲来を幕府はかろうじて防いだが、鎌倉幕府は財政面・政治的求心力の面から急速に衰えを見せ始めていく。
7.1336年、日本で室町幕府が誕生したのと同じ頃、英仏百年戦争の勃発。
百年戦争の大きなきっかけとなるのは、フランスの王位継承問題である。
イギリスの王子が名乗りを上げ、イギリス・フランス間で戦争が勃発する。
8.1467年 応仁の乱(→「どろろ」もこの時代)
東山文化が支えた八代将軍 足利義政の時代に、跡継ぎ問題によって大きく世の中は乱れていく。
この乱によって幕府の権威は失墜し、世は戦国時代を迎える事となる。
9.16世紀に入ると、ルネサンスは最盛期を迎える。
レオナルドダヴィンチは人類史上最高の名画と言われる「モナリザ」を描いた。
ピエトロ大聖堂の建築のために発行した免罪符に異を唱えたマルチン・ルターが教会の問題点を指摘、宗教改革の始まりとなった。
10.シェイクスピアの「ハムレット」が執筆されたのが、ちょうど関ヶ原の戦いの頃だった。
11.「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」
「天明の大飢饉」によって失脚した田沼意次、「寛政の改革」によって建て直しを図った松平定信。
12.第二次世界大戦の流れ
1931年「柳条湖事件」→1932年「満州国建設」
→リットン調査団の報告書によって建国は認められず、国際連盟から満州撤兵を勧告され、日本は国際連盟を脱退。
→五一五事件、二二六事件などのクーデターが発生し、軍部の発言力が高まっていく。
→1937年、北京郊外にある盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突
→国際連盟から脱退した日本・ドイツ・イタリアは同盟を結び、結束。
【引用】
日本史と同時に世界史を学ぶ本。
日本で足利尊氏が征夷大将軍となり室町幕府が開かれた時期と、イギリス・フランスの間で百年戦争が勃発したのがほぼ同時期。
室町幕府3代将軍 足利義満の尽力で南北朝の合一が図られた時も百年戦争は停戦期、応仁の乱が始まる少し前にジャンヌダルクが現れて百年戦争は終戦する。
p26
日本で4世紀頃に政権を確立した大和政権。
593年、推古天皇は甥の聖徳太子(厩戸皇子)を摂政とし、政治改革を行なった。
中国では隋が建国し、イスラム帝国の萌芽が見られた。
p30
アラビア半島で、聖徳太子とほぼ同世代人であるムハンマド(マホメット)が生を受けている。
610年頃、唯一神アッラーの啓示を受けイスラム教を唱え始める。
ヨーロッパでは4世紀後半からゲルマン民族の大移動が始まり、395年ローマ帝国は東西に分裂、376年西ローマ帝国が滅亡する。
p33
大化の改新とは蘇我蝦夷(えみし)、蘇我入鹿父子の暗殺事件を指すのではなく、この事件を契機とした中大兄皇子を中心とする政治改革を指す。
→すべての人民や農地は朝廷に属するという「公地公民制」や、公地を民に貸し与え税を負担させる「班田収授の法」など。
p40
混乱を極めた世相の中、聖武天皇は仏教によって国の安定を図るという鎮護国家の思想を取り入れ、710年に平城遷都を行なった。
現存する日本最古の書物である「古事記」や、日本の正史の始めとなる「日本書紀」や「万葉集」が編纂されたのも奈良時代である。
p47
794年、政変を憂いた桓武天皇より平安京に遷都がなされた。
また、この時代は仏教界にも大きな変化が起きていた。
788年に最澄が比叡山延暦寺を開き、空海が797年「三教指帰(さんごうしいき)」を著す。
唐から帰国すると、それぞれ天台宗と真言宗を開き、日本の仏教界に大きな影響を与えた。
p58
唐の国内では反乱が続き、支配体制が大きく崩れた。
これらの情勢を知り、894年に菅原道真は遣唐使の停止を建議した。
p60
藤原氏の他氏排斥により、藤原氏の権力は頂点を極める。
摂関時代の頂点に立ったのは藤原道長である。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば。」
p71
日本では平安末期になると華やかな王朝貴族の世界は様変わりし、武士が政権を握る時代が始まる。
p88
1221年 承久の乱
源氏はわずか三代で滅ぶ。
三代目の実朝の死を機会に、倒幕の意志を固めた後鳥羽上皇だったが、北条政子(尼将軍)が鎌倉の御家人たちを奮い立たせた事によって幕府は守られる。
p93
1274年 元寇(文永・弘安の役)
ヨーロッパ、中東へも進出していったモンゴル帝国は、ついにその矛先を日本に向けてきた。
二度にわたる元軍の襲来を幕府はかろうじて防いだが、それは幕府滅亡への序曲でもあった。
功績のあった御家人たちに幕府は恩賞を与えなければいけなかったが、このたびの戦闘はあくまで防衛戦だったため、何一つ得られるものがなく、これらの要求に応える事ができなかった。
この後、鎌倉幕府は財政面・政治的求心力の面から急速に衰えを見せ始めていく。
p100
後醍醐天皇が二度にわたる計画で鎌倉幕府の倒幕を目指すが、いずれも事前漏洩により計画は頓挫する。
そんな中、楠木正成などの挙兵により各地で悪党による反乱が起き、幕府の命により京都を守護していた足利高氏が一転して反幕府側に回り、京都における拠点である六波羅探題を攻略する。
こうして1333年、140年以上続いた鎌倉幕府は滅亡したのである。
念願の親政を始めることになった後醍醐天皇であるが、手法はやや性急すぎるきらいがあり、各地の武士の反乱を招いた。
このような中、足利尊氏が挙兵し、建武の新政は3年足らずで崩壊することになる。
1338年、足利尊氏は光明天皇を立て、征夷大将軍に任じられる。
一方、後醍醐天皇は幽閉から逃れ、吉野で南朝を建てる。
これにより、日本史上類を見ない南北朝時代が始まることになる。
p102
1336年、日本で室町幕府が誕生したのと同じ頃、ヨーロッパでも歴史を揺るがす大事件が起きていた。
英仏百年戦争の勃発である。
百年戦争の大きなきっかけとなるのは、フランスの王位継承問題である。
イギリスの王子が名乗りを上げ、イギリス・フランス間で戦争が勃発する。
同じ頃、イタリアではダンテの「神曲」、ペトラルカの「叙情詩集」など、ルネサンスの胎動が始まった。
p108
1338年に幕府設立後、なかなか内部での争いが絶えなかったが、三代将軍 足利義満の活躍によって、室町幕府の地盤は固まっていく。
また、1392年に南北朝の合一を果たす。
p114
・1467年 応仁の乱
→「どろろ」もこの時代
東山文化が支えた八代将軍 足利義政の時代に、大きく世の中は乱れていく。
子どもがいなかった義政は既に出家していた弟の義視を後継ぎとして指名したが、その翌年に夫人の日野富子との間に子ども(義尚)が生まれた。
日野富子は実子である義尚を次の将軍にしようと画策し、両派の間に対立が生じてくる。
ついに東軍、西軍に分かれた大乱へと発展したが、義政は我関せずの態度を取り続けた。
1473年に足利義尚が九代将軍となるが、戦乱はこの後も数年続いた。
この乱によって幕府の権威は失墜し、世は戦国時代を迎える事となる。
p117
同時代、英仏百年戦争は最終局面を迎えていた。
フランスは英国との戦争以外にもペストの流行や農民蜂起の勃発で絶体絶命の中、1人の少女がフランスを救った。
「ジャンヌダルク」である。
彼女の活躍によってイギリス軍を破ったが、翌年彼女はイギリス軍に身柄を拘束され、宗教裁判の後に火刑に処せられた。
こうして1338年から始まった百年戦争は、1453年にフランスの勝利で幕を閉じた。
p117
応仁の乱が起きた15世紀後半、イタリアではルネサンスが最盛期を迎え始めていた。
ボッエィテェリの「プリマヴェーラ(春)」、レオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」など。
そして15世紀後半、ポルトガルやスペインでは大航海時代が幕を開け始める。
p123
16世紀に入ると、ルネサンスは最盛期を迎える。
レオナルドダヴィンチは人類史上最高の名画と言われる「モナリザ」を描いた。
ミケランジェロは41年かけて、システィーナ礼拝堂天井画に巨大なフレスコ画「最後の審判」を書き続けた。
また、ラファエロにピエトロ大聖堂の建築を依頼するが、その建築のために発行した免罪符に異を唱えたマルチン・ルターが教会の問題点を指摘、宗教改革の始まりとなった。
旧派(カトリック)と新教派(プロテスタント)の争いにも発展し、改革の機運が高まっていく。
p137
1600年、徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍が覇権をかけて争う関ヶ原の戦いが勃発した。
(関ヶ原は天武天皇と天智天皇の皇子が争った「壬申の乱」と同じ場所)
この時期のイギリスでは、英国史上最も名高い劇作家が活躍している。
シェイクスピアである。
「ハムレット」が執筆されたのが、ちょうど関ヶ原の戦いの頃だった。
p144
日本では三代将軍家光の時代に、江戸幕府の幕藩体制がほぼ整備される。
参勤交代の義務化やキリスト教の禁教と鎖国など。
1637年、長崎の天草・島原地区で領主の圧政に対する大規模な反乱「島原の乱」が起こった。
飢饉が起こっているのに領主が農民たちに苛酷な税を課し、それが払えないと激しい虐待や拷問を加えた。
p153
・五代将軍 綱吉の時代(1680~1709年)
→「天地明察」「水戸黄門」はこの時代。
豊かな上方町人を中心にした元禄文化が大いに栄える。
松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門といった文人が現れ、俳句や人形浄瑠璃、歌舞伎などが流行った。
しかし綱吉の時代には悪名高き「生類憐みの令」が出され、政治的な混乱も起こっていた。
赤穂浪士の討ち入り事件が起きたのも綱吉の時代(1702年)である。
・8代目「暴れん坊」将軍 徳川吉宗
身長180センチという堂々たる姿をした彼は、財政再建など様々な改革を行う。
これを1716年の「享保の改革」という。
p160
十代将軍 家治の時代に実権を握っていたのは老中 田沼意次である。
彼の改革は幕府の財政を好転させた一方で、賄賂政治が公然と行われているなどの非難も受けていた。
1782年~1787年に「天明の大飢饉」が始まり、困窮した民衆の不満は為政者である田沼意次に集まる。
その中にあって1人の餓死者も出さなかったのが白河藩であり、藩主は松平定信である。
かつて田沼意次によって強引に白河藩に養子に出された男である。
1787年、白河藩での統治能力を買われて幕政を担うようになり、「寛政の改革」を行うことになる。
質素な暮らしを自らも実践し、商業資本が抑圧され農村の復興が強化された。
統制、規制の厳しさから庶民の不満を招き、こんな歌が流行した。
「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」
p172
・天保の大飢饉
天明の大飢饉よりもさらに激しく、約7年間で20万から30万の犠牲者を出した。
これにより「天下の台所」である大坂では米価が暴騰、連動して諸物価もことごとく上昇した。
そんな世相を憂いたのが大坂町奉行所与力の大塩平八郎であった。
たびたび貧民救済策を上申したが取り入れられず、ついに1837年に武力蜂起した。
(反乱はわずか1日で鎮められ、大塩は自害している。)
幕府の役人がこのような反乱を起こした事は大きな衝撃であり、乱後も大塩の影響を受けた人々が全国で一揆や乱を起こすようになっていった。
このような世情不安の中、老中の水野忠邦は1841年に天保の改革を始める。
倹約令を出すとともに厳しく風俗を取り締まり、化政文化を否定するかのごとく弾圧が続き、娯楽を奪われた庶民の反発は強くなる。
わずか2年で改革は失敗に終わり、幕府の権力は失墜していくようになる。
p220
・大正デモクラシー
大正時代は自由主義、民主主義的風潮が高まった時代でもある。
この動きは普通選挙を求める運動へと発展し、1925年に25歳以上のすべての男性に選挙権が与えられる「普通選挙法」が公布される。
しかし同時に、「治安維持法」も公布された。
「国体を変革し、または私有財産制度を否認することを目的として結社を組織、または加入することを禁止」したもので、思想の弾圧につながるものであった。
p227
・日中戦争
1931年に日本の関東軍が南満州鉄道を爆破する柳条湖事件が起き、これを中国軍の仕業として関東軍がこの地を占領し、1932年に満州国を建設する。
しかしリットン調査団の報告書によって建国は認められず、国際連盟から満州撤兵を勧告されたため、日本は国際連盟を脱退した。
こうした中、国内でも1932年に首相 犬養毅が射殺された五一五事件、1936年には高橋是清蔵相らが殺害された二二六事件などのクーデターが発生し、軍部の発言力が高まっていく。
1937年、北京郊外にある盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突し、日中戦争へと発展していった。
国際連盟から脱退した日本・ドイツ・イタリアは同盟を結び、結束していく。
1951年、サンフランシスコ平和条約が結ばれる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
歴史わかりたくない?となり手に取った 日本史はちょっとわかるが世界史まじでわからんのでこの本は入門としてちょうどよかった 流れ、年表によってかなりわかりやすくなっており、するすると読むことができ大変よかったと思う
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日本史と世界史を同時進行で読めるのが面白かった。手塚治虫の絵がついてるのもお得。
こうやって読むと、地球上は戦争だらけですね… -
面白い。世界史と日本史を並行して学びたかったのでちょうどよかった。
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日本史と関連付けながらの説明でなかなか面白い。
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日本史については流れを知ってるから面白く感じた。世界史は忘れてしまった部分も多く、流れがイマイチ掴めなかった。
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日本で〇〇が起きていたときに世界では何が起きていたか、こうして並記してくれてると、複雑な世界史も頭に入りやすい。
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日本史をメインに30の重大事件をとりあげて、同時代に世界史で何か起きたかを手塚治虫の画も使って説明。チャート形式の年表がわかりやすいものの、これは日本史と世界史をそれなりに学んだ人が確認の意味で活用するものであって、世界史を勉強していない人が読んでも少々厳しいかもしれない。
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カバーイラストに大好きな『火の鳥 鳳凰編』のキャラクターがいるのは嬉しい。
日本史を学びつつ、同時期の世界史を教わるという趣旨はよい。ヨーロッパ史でもドラキュラとジャンヌ・ダルクとコロンブスが同時代人と聞かされて驚いたりする。ほか、高校生の頃、ブッダと孔子の生没年に重なる期間があることに気づき、昂奮を覚えたものだ。
手塚作品の引用は看板倒れに終ったように思う。「そこから引いてきたか」というマニアックな驚きが味わえなかった。個人的には、清朝末期の混乱から始まる『一輝まんだら』の引用が欲しい気がした。
なお、「聖徳太子には祖父が一人しかいない」というトリヴィアは論理パズルのようで面白かった。 -
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ポケットで持ち運べ、低山の寺社古墳を経巡るのに負担にならない世界年表を探していてもしやとネット購入。文字が多すぎ年表が少な過ぎ残念。著者はい...ポケットで持ち運べ、低山の寺社古墳を経巡るのに負担にならない世界年表を探していてもしやとネット購入。文字が多すぎ年表が少な過ぎ残念。著者はいいね。2020/03/21
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