晴れた日には鏡をわすれて [改訂新版]

著者 :
  • 実業之日本社
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本棚登録 : 69
レビュー : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784408535838

作品紹介・あらすじ

誰もが眉をひそめるような容貌をもつ牟田口アカネは、二十一歳にして人生に失望していた。隠岐の島後にある民宿で働いていたアカネは、クサカゲという客に得体の知れぬ運命を感じる。クサカゲは人間の外見を自在にかえ得る、世界的な形成外科医であった。彼は自らが死を希求していることを打ち明けた上で、途方もない計画をもちかけた。アカネは断崖で自殺を装って姿を消す、自ら選んだ容貌にかえた後、別人として新たな人生を生きるのだと-。究極のラブ・ホラー!「整形して美女になったわたしは、幸福をつかめたか」。五木寛之の恋愛冒険小説。

感想・レビュー・書評

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  • 2017/7/6

  • 【Entertainment】晴れた日は鏡を忘れて/五木寛之/ 20160821(101/527)<300/50760><R>
    <きっかけ>
    ・上記、「【Entertainment】橋を渡る/吉田修一/ 20160819(100/526)<435/50460>」が期待以下だったので、口直しを探していたところ、ふと学生時代に読んだ本著を思い出して。

    <感想>
    ・学生時代に読んだことのある本を再読。以前とは違って、いろいろ考えさせられた。今年ここ一番の良書。
    ・大手術により顔こをは作り変えられたが、それだけでは意味がないという医師団の方針のもと、一年間も視力奪われ、「Blind Method」によってあらゆる語学やあらゆるジャンルの知識を身につけていく等、主人公アカネの必至の努力に「人間は変わることができる」という作者のメッセージを感じる。
    ・実際、美しい容姿と多くの教養を身に付けたアカネは、新たに旅立った世界で醜かったころには感じたことがなかった、他人の優しさや自分自身から出る思いやりに気づく(「優しさとは優越感の裏返しなのか?」という問いかけには、ある意味真実なのかもしれない。作者があとがきに記しているとおり、聖職者の優しさだって、上記で説明が付く)。
    ・しかし、その試みはやがて破たんをきたすようになる。名前と顔はその人を示すものであり、それが偽りだったのであれば、その人の人生そのものも偽りなのかもしれないと思える。結局のところ、人間は容姿を変えることができても、記憶を変えることは出来ないからだ。現に、アカネは自分が不細工だった頃のことに懐かしさを感じるに至る。石油王の息子との果てのないに旅に空き、ついには壱岐に戻ってきてしまうところで、彼女の昔と今の自分が混在してしまっている感が否めず、壱岐時代の山岸や、彼女を手術したクサカゲがこの世を去り、自分の運命に抗い、彼らの分まで生きぬくと語る彼女が、一体その後どうなっていくのか、とても気になるところ。
    ・作者がアカネを通して語っている通り、人間は生まれながらに不平等。例え、経済的な平等、人権、社会的な地位が平等になったとしても、人間の外見の差別は永遠に残る。たった、数ミリの顔の形の差の為に、肌の色も含めて。こうした、極めて哲学的問いに対して、自分自身答えを持ち合わせていない。
    ・一つ言えるのは、文中にもあるように容姿の美しさには時間的に限りがあるということだ。それは避けられない。であれば、Eleanor Rooseveltの"Beautiful young people are accidents of nature, but beautiful old people are works of art"の通り生きることができればと思う。
    http://estorypost.com/%E5%90%8D%E8%A8%80%E3%83%BB%E6%A0%BC%E8%A8%80/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E5%90%8D%E8%A8%80/

    <引用>
    ・BOOK セリーヌ、夜の果ての旅
    ・きみがやさしい気持ちになったり、喜んだり、笑ったりすると、まるで花がひらいたような劇的な美しさがあらわれてくる。そこが素敵だ。
    ・はたして、自分がこの顔にふさわしい人間かどうかって自信をなくしそうになる
    ・他人に褒められ、周囲に賞賛されることで、たったそれだけで、人間はこんなにやさしい気持ちになれるのだ。真の寛大さが、ある意味で優越感かもたらされるもの。宗教家が寛大な心を持てるのは、自分は神に近い場所にいる、という精神的な優越感からではないか。
    ・わたしは再びみじめな気持になった。人間は顔を変えることはできても、記憶をかえることはできない。
    ・どうして人間はこんなに不平等に生まれてくるのだろうか。経済的な平等、人権、社会的な地位が平等になったとしても、人間の外見の差別は永遠に残る。
    ・人の値打ちはどこになるのか?寛容な心か。やさしさか、それとも勇気か。学歴や、財産、地位という見方もあるだろう。身体的能力も、頭のよさも、大きな価値である。しかし容貌とか体型といった物理的条件はどうか。わずくあ1ミリか2ミリの顔の形の差が、その人の人生を左右することもあるからだ。美しい人とそうでない人との差はなにか。それは必ずしも、当人の精神的豊かさとは関係がない。つねに感謝の気持ちを忘れず、心に愛を抱いている人は美しい、という。しかし、その美しさは、内面的なものであり、世間一般の見方とは違うのではないか。美しい心と、美しい容貌の、どちらかを選べと言われたら、人はどう決断するだろう。美しさは、磨いてえられるものだ、とミスコンの優勝者たちは言う、その栄冠を獲得するために、血のにじむような努力を続けたのだと。しかし、それは間違っていると思う。美声も容貌も、天性の土台の上に磨かれて光るのだ。玉磨かざれば光なし、とはよくきかされる言葉である。しかし、この格言には残ごくな心理がかくされている。それは、もともと玉であるからこそ、磨けば光るのであって、石を磨いても、光らない、という事実である。

  • 大好きな作家さんで、色々と読みあさった時期があったけど
    5年ぶりくらいにまた読んでみました。

    整形することによって変わっていく自分自身と世間とのギャップ。
    それを受け入れる覚悟を決めて踏み出した生き直す人生なんだけど、深いところで過去の自分を忘れなれないことを
    自覚。ラストがなんとも切ないというか。
    後半は概念的な要素が多くて読みにくかったようにも感じたが、やはり五木寛之さんの文章は惹かれるものがある。
    外国の風景の描写がたまらない。

  • 不細工は心がキレイというのは幻想。そうだといいなという願望に引きずられて忘れがちだけど、改めて心に刻んだ。
    人はみな平等という幻想も同様。それを認めて生きていくのはなかなかしんどいことですな~。
    自分ってなんだろ?内側と外側には分けられない。時分の醜さをどんなに呪っても別れることはできない。

  • 超絶ブサイクな女の子が整形して中身も磨いて新たに人生を歩む話。

    結局、整形してからのアカネの人生がどんな風に変わったのかあまり描かれてなくって残念。人生は平等じゃなくて美人は得をするけど変えられない気持ちもあるって言ってるけど、そのへんをもっと掘り下げて欲しかった。

  • 雑誌で、女優の竹内結子さんが紹介していたので気になって読んでみることに。
    シンデレラストーリーのようであり、でも、ハッピーエンドとははっきり言えない。女性にとって「容姿」は生きるか死ぬかまで考えてしまうほど重要な問題。
    それを男性の五木さんが描いたのはさすがだと思う。

  • 整形して美人になる話。百田尚樹の「モンスター」を先に読んでしまったので、ちょっとインパクトに欠けたかも。

  • 容姿の違いによって受ける差別。
    結局そこから逃れる術はみつからない。
    容姿を変えれば幸せになれるわけではなく、彼女はより醜さや見た眼に敏感になった。

    露骨な人間の姿は、いやらしいものだが、
    だからこそ愛らしいとも思えるのではないか。
    沢木涼子の視点からそんなことを感じた。

    山岸の行動は、喜びなのか、絶望なのか、

  • 容姿の醜さによって、すべてを否定されてしまう…
    それは否定できないテーマだからこそ、TV番組でも「美容整形」によって変身という形で華々しく語られる。
    主人公は、運命的(?)に出会ったお金持ちの天才的な医師により、長い時間をかけ美しい女になる。
    なんだかんだとあっさりその美しさを受け入れ、その美貌に惹かれたお金持ちの青年をパトロンに世界を旅し、日本へと戻ってくる。
    予想されるようなあっけない終わり方に、少し不満が残ります。

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著者プロフィール

作家

「2018年 『人生百年時代の「こころ」と「体」の整え方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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