嘔吐 新訳

  • 人文書院
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レビュー : 55
  • Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784409130315

作品紹介・あらすじ

港町ブーヴィル。ロカンタンを突然襲う吐き気の意味とは…。一冊の日記に綴られた孤独な男のモノローグ。60年ぶり待望の新訳。存在の真実を探る冒険譚。

感想・レビュー・書評

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  • プルースト作品を読んで興奮冷めやらぬ私は、気づけばまたプルースト作品を再読しはじめている。シシュポス状態に我ながら唖然とし――要するにキリがなく、それこそプルーストの輪から抜け出せない(汗)――フランス脳内旅行の目先を思いきって変えよう! と、ジャンポール・サルトル(1905~1980年)を訪ねてみました。やれやれ、この人も一筋縄ではいかないものの、哲学と文学が混然一体となっていて結構おもしろい♪ しかも若さが溢れていますね(^o^)

    ロカンタンは歴史の本を書こうとしている30歳の高等遊民。6年前に妻と別れ、図書館で知り合った<独学者>とときどき声をかわし、ビストロのマダムと性愛に耽る以外、人づきあいはない。そんな孤独な彼が回想する、なんとも風変わりな物語。

    「物、それが人に、さわる、ということはないはずだろう。なぜなら物は生きていないから。人は物を使用し、それをまたもとに戻す。人は物にかこまれて生きている。物は役に立つ。それ以上ではない。ところが私には、物のほうからさわりにくるのだ。それは耐え難い……」

    決してオカルトものではありません。が、読んでいくと、スリリングな展開に身の毛がよだつ。ロカンタンは果たして壊れているのか? ハラハラさせるちょっと現実感を喪失した男の日常。でもよくよく考えてみると、こういった感覚はそれなりにあるかもしれない。人々がひしめく地下鉄の構内に響く靴音、ふいに自己の存在や現実感を失ってみたりする…。

    「要するに一つの冒険が私の身に起こっているのであり、自分自身に問いかけてみると、起こっているのは、私がまさに私であって、今ここにいる、ということがわかる」

    生の不条理、己の存在の不条理や偶然性といったような、繊細な感覚は、おそらく年月を経るうちに、いい意味でも悪い意味でもすり減ってしまうのかもしれません。今ここに存在する(偶然なのか必然なのかわからない)不思議さや、生きているという驚異自体が、あまりにも馴れ親しんだものになり、何も考えずとも習慣というルーティンや怠惰になっていたりする。ふとこういう作品に触れると、そういうことに面白い気づきを与えてくれてわくわくします。

    たしかに哲学的あるいは心理学的記述もあって、物語としては読みにくいところもあります。ですが私のようなひどいアバウト人間になってくると、もはや哲学と文学を明確に分別する必要がどこにあるのか、そんなことが果たしてできるのか、人間(存在)のおもしろさを内包しているものであれば、根底のところでこれらが混然一体となるのは至極当然のように思えてしまいます。

    ここからは備忘かねて少しマニアックですので、容赦なく読み飛ばしてください。本作を読みはじめてすぐに気づくのは、アンドレ・マルローの怜悧な筆致の影響だったり、ロカンタンの思索(迷走)は、サミュエル・ベケットのグダグダした堂々巡りの独白のようでもあり、さらにプルーストの小道具やエキスがそこここに散らばって、湿度計のお天気人形やら、モーブ色のあれこれ、なんといっても極め付きは、どうにも持て余してしまうロカンタンの「過去の記憶」。ということで、『失われた時を求めて』のパロディにもなってて笑えますので、こういった作品群がお好きな方にも本作はお薦め。

    ところで解説によると、サルトルは当初『アントワーヌ・ロカンタンの脅威の冒険』というタイトルにしていたそうです。でも出版社の提案で『吐き気』(嘔吐感)になったとか、興味深い。小説の表題としては後者のほうが妖しさが漂っていていいですね! でも副題で前者を残しても良かったかも。繊細で孤独で厭世的な若者の、まるで不器用でたどたどしい、ハラハラドキドキの冒険仕立てになっているから♪

  • 1970年代という不安定な時代に、高校生という不安定な世代で読んだ。不安を増長するような気もした。「嘔吐」が現代に受け入れられるかは解らない。自分の子供に勧める自信はない。

    不安な時に、本を読むのでは安定できないかもしれない。運動したり、旅行するとよいかもしれない。

    不安な時に,いろいろな作品を読むとなにか、ひょっとしたらつかめるかもしれない。
    いろいろな本を読むことが大切だという意味で、お勧め1000冊に入れたい。

    歴史に興味をもち、近代を理解しようと思ったときには、近代の代表作の一つにあげてもよい。

    時代を理解するという視点で読んでみて欲しい。
    人はそれを「実存主義」と呼ぶ。

    実存主義という言葉は気にしなくてもいいかもしれない。

  • プルースト『失われた時を求めて』の訳者による新訳。訳者は、サルトルの中にプルーストの影響を認めている。

    中村文則の小説『何もかも憂鬱な夜に』にサルトルのことが書かれていたので、読むことにした。

    そういえば、大学時代、サルトル好きの友人がいた。当時はフランス現代思想にかぶれていた僕は、現代思想が否定していたサルトルのことをバカにしていた。現代思想は、サルトル的な主体性、自由、行動する知識人の在り方を批判することから始まった。現代思想も廃れた現代において、改めてサルトルを読むと発見が多い。

    サルトルがガリマール社に『嘔吐』の原稿を渡した後、何度も改稿を命じられて、出版まで7年もかかったという。よほど編集者の直しが入ったのだろう、しかし、ガリマールの判断は正しかった。他のサルトルの小説といえば短編か未完作品ばかりだが、『嘔吐』は完結しており、サルトル自身認める傑作となっている。

    小説は主人公ロカンタンの日記の体裁をとっている。ロカンタンは十八世紀ヨーロッパの架空人物であるロルボン公爵の歴史研究をしている。生活のための仕事はしていないが、食べていける金利生活者である。行きつけの居酒屋の女主人、独学者の青年としか接触がなく、ロカンタンは物に囲まれた孤独な生活をしている。ロカンタンはある時、物に対して嫌悪感、吐き気を覚える。探求の結果、ロカンタンは、すべての物が偶然存在していることに気づく。存在に必然はない、世界の本質は偶然性だとロカンタンは喝破する。

    ロカンタンの目には、自分達の存在理由をかたく信じている社会の指導的エリートは俗物だと映る。以下冒頭の文章引用。

    「一番いいのは、その日その日の出来事を書くことだろう。はっきり見極めるために日記をつけること。たとえ何でもないようでも、微妙なニュアンスや小さな事実を落とさないこと、とりわけそれを分類すること。このテーブル、とおり、人びと、刻みタバコ入れが、どんなふうに見えるのかを言わなければならない。なぜなら変化したのはそれだからだ。この変化の範囲と性質を、正確に決定する必要がある」

  • 2020/7 読了
    感想書き忘れ。
    自分が存在するとは何かと考えたとき、
    周りの人との会話などを通して存在が確かめられるけど、
    周りの人たちは自分が意識していない時は本当に存在するのか分からないって思っていた時期が昔あったなぁーと思い出した。

  • ブクログのモニター当選したやつなんですが、ようやく読み終わりました。大変。

    海外文学や海外小説の大半がそうなんですが、日本人の日本語の言い回しと違うところがかなり多く、頭の中で理解するのに時間がかかります。

    この作品なんですが、哲学系ですので、やっぱり難しい。一応、小説なんですけどね。

    日記形式の小説で、主人公が海辺の街で過ごすうちに、突然「存在」に目覚めるというもの。

    …中二病ですか。

    これ読んでて、哲学と中二病に凄く通じるものがあるんじゃ無いかと思えてきました。

    世界の在り処を疑ってみたり、そこらにあるものを疑ってみたりと、どこの中二病なのかと。

    なお、主な登場人物にろくな人は居ません…。

    結局のところ何を言いたいのかわからない話でした。が、絵が容易に思い浮かべる事が出来る話ではありました。

    わからないけど、ところどころ引き込まれて一気に読みすすめる部分もあったので、具体的に何とは言えないけど、面白かった部分もあったのかなぁとは思います。

  • 原題は『吐き気』と訳したほうが正確なんでしたっけ?

    とにかく、存在そのものに嘔吐しそうになる、という着想にはちょっと笑いました。
    「あなたという存在が気持ち悪い」みたいな言い方がありますが、サルトル流に解釈するなら、気持ち悪いのは「あなた」じゃなくて「存在」なんですよね。

    でも、すごく共感します。

  • ついに読み終えた、という読後感。
    「吐き気」という症状を持病という「存在」の一部として抱える身として、この作品においてロカンタンが吐き気に襲われる場面で本当に吐き気を催してしまうことが何度あったことか。
    しかし、僕にとってこの哲学小説は通るべき道のように思い続けていた作品(そう、まるでアニーの「完璧な瞬間」のように!)なので、吐き気を堪えながら読み終えた今、やれやれという心持ちとここ数年来自身が抱えていた内的問題に対する姿勢への得心を得たという感覚に浸ることができた。

    巻末の訳者解説によれば、この「嘔吐」はサルトルがフッサールとハイデッガーを咀嚼して実存主義を展開する前に書かれたために、「実存」という訳語を使わず「存在」に統一したということらしい。つまり、この段階ではまだ実存主義ではなくその萌芽が示されたに過ぎないと。けれど、この「嘔吐」を読むに当たっては「実存は本質に先立つ」という有名なサルトル実存主義の題目を念頭に置いておくと、ロカンタンの思索を読み解く助けになるように思う。

    例のマロニエの根のごとき存在(「自然」或いは「景色」と置き換えてもいい)と自己存在が完全な偶然性の下にリンクするような感覚をここ数年来覚えていたこと、またロカンタンのライフスタイルが僕にとても似ている(僕は高等遊民のような財を持たないが)ことなど、ほとんど身につまされながら、吐き気を堪えながら3ヵ月余りの期間の中で読了できたことを嬉しく思う。

  • <吐き気>は比喩。でもこの感覚は知っている!主人公ロカンタンと同じ30歳ということもあるが、今の自分にとってまさにタイムリーな内容で感動した。ロカンタンは物に対し<吐き気>を感じるが、私は人間に対してこれを感じているのだ、と気づいた。
    実存主義という言葉からして難しそうなイメージを抱いていて、自分に理解できるのか?と思ったが、小説(日記)という体裁だったからこそ読み切れた。これが論文として発表されたものだったら一生読まなかったかもしれない。
    独学者やアニーとの会話から理解できたこともあった。アニーの言う「完璧な瞬間」の意味が最初よくわからなかったけど、訳者のあとがきとNHKの「100分で名著」の解説を聞いたらすごく納得した。100分で名著録画しておいて本当に良かった。『嘔吐』わかりにくくて挫折した!という人に「これ見たらわかるから」っておすすめしたい。
    作中に少しだけど『ウジェニー・グランデ』が出てきてうれしかった。影響を受けたというプルーストもいつか読みたい。

  • 「この自由はいくぶん死に似ている」小難しいニート小説…というと雑すぎるけど、社会の仕組みから浮いた人間の心理をしつこいくらい炙り出している。自分が存在してしまう「余計さ」という言葉は痛いくらい響く。
    責任ある仕事とか社会の称賛とか「これがあれば幸せでしょう」みたいな価値観から自由になった時、自分の余計さがやっと死んでくれるのかも知れない。

  •  ニートを経験して、社会人になって、そこそこ生活できるようになって30過ぎて読むと実に面白く懐かしく楽しめる名作。愛すべき青春の一冊であり、サルトル33歳の時の作品。
     昔、好きな子がフランス文学科で、その子の話題に追いつこうと必死にフランス文学の小説や詩を読んでいた(死ぬほどつまらなかったというか理解する頭がなかった)。頑張ってサルトルの嘔吐(白井浩司訳)も読んだ。そうして読了して、さあ話をあわせるぞと「サルトル読んだで!」と笑顔で話しかけると、「あ、嘔吐、面白くて、あまりに感じすぎて読んでない、読み進めることがでけへんねん」と返された。私の頭の中で、必死に覚えた嘔吐のあらすじが、「俺も吐き気感じたりするわ~」みたいなわざとらしい感想が、すーっと消えていった。

     そうして、再読すると、この小説は実にリアルなのだ。アルファベット順に本を読む独学者とか、ビールを見ないとか自分ルールを作り出すとことか、哲学的と思われるかも知れないが、ニート経験者は「あるある!」と唸るポイントばかりなのだ。
     独学者VS主人公の、ニート自慢大会的な会話も楽しい。独学者は6年ぐらい勉強して冒険の旅に出るという。「あらゆる種類の冒険ですよ。汽車を間違えるとか、知らない街で下車するとか、財布をなくす、間違って逮捕される、ひと晩を牢獄で過ごす、といったような」みたいなしょーもない話を延々する。必死扱いて冒険の旅に出ることを述べる独学者の姿と聞いている主人公の心が手に取るようにわかる。また、隣のカップルのしょーもない話を延々盗み聞きするのもわかる。
     そしてしょーもない日々が続くうちに、だんだんと「何かが始まるぞ」と、まるで満月を見上げて「ちっ、早すぎる! やつが目覚めたというのか!?」という感じになってくるのをちゃんと書いているのもいい。ラノベ「中二病でも恋がしたい!」より70年はやく書かれた中二病小説でもある。
     みんな日曜日過ごして月曜日に心がむいているが、主人公は月曜日も日曜日もない生活。主人公は無人の通りにいるが、歴史が、現在が、猛烈な速度で様々な事件を起こして過ぎ去っていく。そのうち、在野の研究者的にマニアックな人物についての抽象的な研究をはじめたりするのだが、これもニートのことをよくわかっている描写で、何か抽象的ですごい論文を書いて哲学の究極大飛翔をするんだというのは「あるあるw」を通り越して、「心が痛い」。そして主人公はあっという間に挫折。「いったい、自分自身の過去を引き留める力もなかったこの俺が、どうして他人の過去を救い出すことなど期待できようか?」そして「何にも邪魔されずに自分の本を仕上げさせてもらいたい」という。
     誰も邪魔してないわ! とみんな突っ込むところだ。
     途中で強姦のことも考えはじめる。「強姦された少女」。これもほんとそうで、ニート時代は結構、世の中の不正義というか、悪に対してすさまじい嫌悪を持っていた。常に、邪魔者に対して敏感で、悪に対して本気で憎悪する。私もニート時代、違法駐車している車をどれほどひっくり返したかったものか。

    終盤、「それにしても、ブーヴィルにいたときは、いったい一日中何をしていたのか」という悔恨に爆笑。存在と自由を巡る話であるのだが、「ほんま何もしてなかったわ~」という結論。
     悲しいのは片っ端から本を読んでいた独学者の終わり方。少年へのセクハラで、ぼこぼこにされて、図書館を追い出される形。彼の学問も終わりである。
     研究対象だったロルボンから名もなきジャズを好きになり、その純粋な即興のようなものに心うたれたりして、ふと思い立ってパリに行こうと決心する。冒険に出るのではない。「何かが始まる」のを期待して、遠い未来で「この時、汽車を待っていた時が始まりだったのだ」と思い返せるために。
     もと愛人のマダムとの会話が良い。パリに立とうとしたら、愛人マダムもパリにいたとわかる。先を越されていたショックと同時に、さよならの時に、人の本当が分かるという、マンガの黄昏流星群のような展開に。

    「夜が落ちてくる。プランタニア・ホテルの二階では、二つの窓に明かりが点されたところだ。新駅の工事現場は、湿った材木の匂いを強烈に放っている。」というラストの段落は感慨深い。この材木の匂いにもう吐き気を主人公は感じないのだ。

     白井訳以来の、2度目の読了だが、はじめて読んだ時よりも数倍たのしく、深く、心に染みいるように読めた。あまりにしょっぱい主人公過ぎて、逆にハードボイルドな、男の切ないドラマに見える。
     哲学小説とか難解とか言われるかも知れないが、これ以上わかりやすく、楽しめるものもない。最初は「なんだこのしょーもない文学!」と20代のころに反抗的に読み、そして10年後、しみじみと再び読むべき書物だと思う。

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著者プロフィール

J‐P・サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre)
1905年6月21日 - 1980年4月15日
フランスの哲学者、小説家、劇作家。20世紀を代表する哲学者・思想家のひとりで、「実存は本質に先立つ」と語り、実存主義思想の代表的哲学者とみなされる。そして、発言と行動が注目される知識人のひとりであった。フランスのみならず、日本でも大きな流行が起こり、多大な影響を各方面に与える。代表作に、『嘔吐』、『存在と無』、『実存主義とは何か』、『自由への道』など。

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