嘔吐 新訳

制作 : 鈴木 道彦 
  • 人文書院
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本棚登録 : 759
レビュー : 43
  • Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784409130315

作品紹介・あらすじ

港町ブーヴィル。ロカンタンを突然襲う吐き気の意味とは…。一冊の日記に綴られた孤独な男のモノローグ。60年ぶり待望の新訳。存在の真実を探る冒険譚。

感想・レビュー・書評

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  • 1970年代という不安定な時代に、高校生という不安定な世代で読んだ。不安を増長するような気もした。「嘔吐」が現代に受け入れられるかは解らない。自分の子供に勧める自信はない。

    不安な時に、本を読むのでは安定できないかもしれない。運動したり、旅行するとよいかもしれない。

    不安な時に,いろいろな作品を読むとなにか、ひょっとしたらつかめるかもしれない。
    いろいろな本を読むことが大切だという意味で、お勧め1000冊に入れたい。

    歴史に興味をもち、近代を理解しようと思ったときには、近代の代表作の一つにあげてもよい。

    時代を理解するという視点で読んでみて欲しい。
    人はそれを「実存主義」と呼ぶ。

    実存主義という言葉は気にしなくてもいいかもしれない。

  • プルースト『失われた時を求めて』の訳者による新訳。訳者は、サルトルの中にプルーストの影響を認めている。

    中村文則の小説『何もかも憂鬱な夜に』にサルトルのことが書かれていたので、読むことにした。

    そういえば、大学時代、サルトル好きの友人がいた。当時はフランス現代思想にかぶれていた僕は、現代思想が否定していたサルトルのことをバカにしていた。現代思想は、サルトル的な主体性、自由、行動する知識人の在り方を批判することから始まった。現代思想も廃れた現代において、改めてサルトルを読むと発見が多い。

    サルトルがガリマール社に『嘔吐』の原稿を渡した後、何度も改稿を命じられて、出版まで7年もかかったという。よほど編集者の直しが入ったのだろう、しかし、ガリマールの判断は正しかった。他のサルトルの小説といえば短編か未完作品ばかりだが、『嘔吐』は完結しており、サルトル自身認める傑作となっている。

    小説は主人公ロカンタンの日記の体裁をとっている。ロカンタンは十八世紀ヨーロッパの架空人物であるロルボン公爵の歴史研究をしている。生活のための仕事はしていないが、食べていける金利生活者である。行きつけの居酒屋の女主人、独学者の青年としか接触がなく、ロカンタンは物に囲まれた孤独な生活をしている。ロカンタンはある時、物に対して嫌悪感、吐き気を覚える。探求の結果、ロカンタンは、すべての物が偶然存在していることに気づく。存在に必然はない、世界の本質は偶然性だとロカンタンは喝破する。

    ロカンタンの目には、自分達の存在理由をかたく信じている社会の指導的エリートは俗物だと映る。以下冒頭の文章引用。

    「一番いいのは、その日その日の出来事を書くことだろう。はっきり見極めるために日記をつけること。たとえ何でもないようでも、微妙なニュアンスや小さな事実を落とさないこと、とりわけそれを分類すること。このテーブル、とおり、人びと、刻みタバコ入れが、どんなふうに見えるのかを言わなければならない。なぜなら変化したのはそれだからだ。この変化の範囲と性質を、正確に決定する必要がある」

  • <吐き気>は比喩。でもこの感覚は知っている!主人公ロカンタンと同じ30歳ということもあるが、今の自分にとってまさにタイムリーな内容で感動した。ロカンタンは物に対し<吐き気>を感じるが、私は人間に対してこれを感じているのだ、と気づいた。
    実存主義という言葉からして難しそうなイメージを抱いていて、自分に理解できるのか?と思ったが、小説(日記)という体裁だったからこそ読み切れた。これが論文として発表されたものだったら一生読まなかったかもしれない。
    独学者やアニーとの会話から理解できたこともあった。アニーの言う「完璧な瞬間」の意味が最初よくわからなかったけど、訳者のあとがきとNHKの「100分で名著」の解説を聞いたらすごく納得した。100分で名著録画しておいて本当に良かった。『嘔吐』わかりにくくて挫折した!という人に「これ見たらわかるから」っておすすめしたい。
    作中に少しだけど『ウジェニー・グランデ』が出てきてうれしかった。影響を受けたというプルーストもいつか読みたい。

  • 「この自由はいくぶん死に似ている」小難しいニート小説…というと雑すぎるけど、社会の仕組みから浮いた人間の心理をしつこいくらい炙り出している。自分が存在してしまう「余計さ」という言葉は痛いくらい響く。
    責任ある仕事とか社会の称賛とか「これがあれば幸せでしょう」みたいな価値観から自由になった時、自分の余計さがやっと死んでくれるのかも知れない。

  •  ニートを経験して、社会人になって、そこそこ生活できるようになって30過ぎて読むと実に面白く懐かしく楽しめる名作。愛すべき青春の一冊であり、サルトル33歳の時の作品。
     昔、好きな子がフランス文学科で、その子の話題に追いつこうと必死にフランス文学の小説や詩を読んでいた(死ぬほどつまらなかったというか理解する頭がなかった)。頑張ってサルトルの嘔吐(白井浩司訳)も読んだ。そうして読了して、さあ話をあわせるぞと「サルトル読んだで!」と笑顔で話しかけると、「あ、嘔吐、面白くて、あまりに感じすぎて読んでない、読み進めることがでけへんねん」と返された。私の頭の中で、必死に覚えた嘔吐のあらすじが、「俺も吐き気感じたりするわ~」みたいなわざとらしい感想が、すーっと消えていった。

     そうして、再読すると、この小説は実にリアルなのだ。アルファベット順に本を読む独学者とか、ビールを見ないとか自分ルールを作り出すとことか、哲学的と思われるかも知れないが、ニート経験者は「あるある!」と唸るポイントばかりなのだ。
     独学者VS主人公の、ニート自慢大会的な会話も楽しい。独学者は6年ぐらい勉強して冒険の旅に出るという。「あらゆる種類の冒険ですよ。汽車を間違えるとか、知らない街で下車するとか、財布をなくす、間違って逮捕される、ひと晩を牢獄で過ごす、といったような」みたいなしょーもない話を延々する。必死扱いて冒険の旅に出ることを述べる独学者の姿と聞いている主人公の心が手に取るようにわかる。また、隣のカップルのしょーもない話を延々盗み聞きするのもわかる。
     そしてしょーもない日々が続くうちに、だんだんと「何かが始まるぞ」と、まるで満月を見上げて「ちっ、早すぎる! やつが目覚めたというのか!?」という感じになってくるのをちゃんと書いているのもいい。ラノベ「中二病でも恋がしたい!」より70年はやく書かれた中二病小説でもある。
     みんな日曜日過ごして月曜日に心がむいているが、主人公は月曜日も日曜日もない生活。主人公は無人の通りにいるが、歴史が、現在が、猛烈な速度で様々な事件を起こして過ぎ去っていく。そのうち、在野の研究者的にマニアックな人物についての抽象的な研究をはじめたりするのだが、これもニートのことをよくわかっている描写で、何か抽象的ですごい論文を書いて哲学の究極大飛翔をするんだというのは「あるあるw」を通り越して、「心が痛い」。そして主人公はあっという間に挫折。「いったい、自分自身の過去を引き留める力もなかったこの俺が、どうして他人の過去を救い出すことなど期待できようか?」そして「何にも邪魔されずに自分の本を仕上げさせてもらいたい」という。
     誰も邪魔してないわ! とみんな突っ込むところだ。
     途中で強姦のことも考えはじめる。「強姦された少女」。これもほんとそうで、ニート時代は結構、世の中の不正義というか、悪に対してすさまじい嫌悪を持っていた。常に、邪魔者に対して敏感で、悪に対して本気で憎悪する。私もニート時代、違法駐車している車をどれほどひっくり返したかったものか。

    終盤、「それにしても、ブーヴィルにいたときは、いったい一日中何をしていたのか」という悔恨に爆笑。存在と自由を巡る話であるのだが、「ほんま何もしてなかったわ~」という結論。
     悲しいのは片っ端から本を読んでいた独学者の終わり方。少年へのセクハラで、ぼこぼこにされて、図書館を追い出される形。彼の学問も終わりである。
     研究対象だったロルボンから名もなきジャズを好きになり、その純粋な即興のようなものに心うたれたりして、ふと思い立ってパリに行こうと決心する。冒険に出るのではない。「何かが始まる」のを期待して、遠い未来で「この時、汽車を待っていた時が始まりだったのだ」と思い返せるために。
     もと愛人のマダムとの会話が良い。パリに立とうとしたら、愛人マダムもパリにいたとわかる。先を越されていたショックと同時に、さよならの時に、人の本当が分かるという、マンガの黄昏流星群のような展開に。

    「夜が落ちてくる。プランタニア・ホテルの二階では、二つの窓に明かりが点されたところだ。新駅の工事現場は、湿った材木の匂いを強烈に放っている。」というラストの段落は感慨深い。この材木の匂いにもう吐き気を主人公は感じないのだ。

     白井訳以来の、2度目の読了だが、はじめて読んだ時よりも数倍たのしく、深く、心に染みいるように読めた。あまりにしょっぱい主人公過ぎて、逆にハードボイルドな、男の切ないドラマに見える。
     哲学小説とか難解とか言われるかも知れないが、これ以上わかりやすく、楽しめるものもない。最初は「なんだこのしょーもない文学!」と20代のころに反抗的に読み、そして10年後、しみじみと再び読むべき書物だと思う。

  • 精一杯うんと背伸びして、アルベール・カミュの『異邦人』や、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』や、ジャン・ジュネの『泥棒日記』や、ルイ・フェルディナン・セリーヌの『夜の果てへの旅』や、アラン・ロブ・グリエの『反復』や、トマス・ピンチョンの『V』や、ドナルド・バーセルミの『口に出せない習慣、不自然な行為』や、そしてこの本、ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』などなど、誰も見向きもしないから綺麗なままの本をほとんど独占して読むことが出来た中学から高校にかけて,それにしても各々の学校の図書館に何故あれほどまでに尖鋭な現代文学の本が、私を待っていたのでしょうか?

    それはともかく、『嘔吐』は、カフカの影響を云々されていますが、骨の髄まで徹頭徹尾そのころ芥川龍之介に影響されていた私の文学観では、主人公ロカンタンの吐き気をもよおすこの嫌悪感は、まさに芥川龍之介のペシミズムに通じるものとして理解されたのでした。

    実存的存在などこれっぽっちも知らなかった中学生には無理もないことでしたが、その後ひそかにサルトルに少なからず入れ込んでいくにつれ、たとえ今ではもう誰もその思想性に注目しようとはしない流行遅れのような過去の遺物のような扱いをされようとも、私にとっては、思想や哲学をただ思弁的なものとしてだけでなく、現実の社会とのかかわりの中で見出そうとして批判して闘った人として、また1901年から始まったノーベル賞をベトナムの革命家のレ・ドゥク・トとともに二人だけ辞退した反骨の人として、深く記憶に刻まれたのでした。


  • サルトル 「 嘔吐 」ロカンタンが 吐き気を通して 事物と人間の実在を発見する物語。

    小説にすると 人間の主体性や自由のための実存主義の主張が弱まり、事物の存在の空虚性が目立つ。「実存主義とは何か」の方が面白い


    存在論
    *存在とは 何でもない〜外から物に付け加わった空虚な形式にすぎず、物の性質を何一つ変えるものでもない
    *本質的なことは偶然性〜存在は必然でない〜存在とは 単にそこにあること
    *現在 以外に何もない〜私自身も 〜現在でないものは存在しない

    「人生は それに意味を与えようとすれば 意味がある〜まず行動し、一つの企てのなかに身を投じる」

  • 物・自然・記憶、あらゆる存在から吐き気を催す……その正体は。
    実存主義者サルトル「嘔吐」59年ぶりの新訳。(K)

  • "存在を恥ずかしく思わせるような小説"、ここに息していること自体余計だけれど、情景の美しさや冒険の話は希望と捉えていいのか。ここまで人生に冷静な人がどこかにいてほしい

  • 読み心地はいいものではない。でも有意義な読書体験になると思う。作家の意図としてなのか意図せずにかはわからないけれど、読んだ結果の反作用的な意味で有意義だったような気がする。これは個人的な前提があってのことかもしれずよくわからない。ただ、哲学者らしいある種の徹底があるので、そこは柔らかくなく読み応えがあるので相応の読書になると思う。

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