白夜に紡ぐ

著者 :
  • 人文書院
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本棚登録 : 33
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784409150191

作品紹介・あらすじ

紡ぎ、染め、織り…探しもとめていたほんとうの色、日本の色その長い歳月で繙いたかずかずの書物、とりわけドストイエフスキイの人物たちの苦悩と哀しみいま暮れ泥む夜の涯で祈る気持ちでいとおしく、愛すべきものたちに想いを寄せる書き下ろしエッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • うーん…。まず、値段がありえないです。

    あと文も、ロシア文学への愛は分かりますが、それにページを割きすぎです。エッセイを書くのはいいのだけど、あらすじを説明するのは不得意のようで、読みにくいです。

  • 「この年齢になって振りかえれば若い日の暴走は破局の道をすれすれに走りながら救われるべく衣を脱ぎ捨て、脱ぎ捨てて素裸になりようやくたどりついた仕事への道だったかと思う。」-『織物への道』

    言葉を紡ぐ。そう表現するとき、自分の中では、比喩半分、実感半分という思いがそこにはあるのだけれど、志村ふくみの文章を読んでみて思うのは、これらの言葉に限ってはまさに紡がれているという感覚を呼び起こすものであるということである。そうして文章というものが、如何にその人の日常において駆使される身体の動きに寄り添うものなのかということも、まざまざと見せつけられる思いがする。

    言葉を選びとる。そういう似たような表現があり、まさにそう表現するのが適切であるような、例えば詩人のものする文章などに出会うこともあるのだけれど、紡ぐ、という時、そこにはもっと地道な動きの気配がする。目には見えていない側に蠢くものがあるように、響く。もちろん、紡ぐとはもっぱら繭から糸を引き出してよりをかける行為を意味することだけれど、その行為の前にある時間、蚕を育て桑を育て繭を囲うまでの時間と、その行為の後にある時間、糸をより染色の草木を備え浸し晒し、そうして織るという時間を同時に想い起させるずしりとした密度の高い言葉でもあると思う。

    そういった、言葉の持ち重りする感覚は、著者が自らの人生を振り返る時に、尚いっそう強くなる。そこにある陰の一つ一つが全て異なる色の糸となり、著者の送る杼に収まり、少しずつ綾なして文章として織り上がってゆく。そして、その緯打ちをする筬の力強い動きは著者の年齢を思わず忘れてしまうほどにしっかりとした音を立てているように思うのだ。

  • 128
    130

  • 2009/
    2009/

  • 何故、この本を図書館で予約したのか、まったく記憶にない。

    たぶん新聞の書評に載ってたんだと思う。

    染織家?の人のエッセイなんだけど、
    その人を知らないから、エッセイ読んでも、いまいちピンとこなかった。

    ただ、第2章は「ドストエフスキイ・ノート」という題名だったので、

    本を予約した時の私はきっとこれが読みたかったんだろう。と思って、そこだけ読んだ。

    (ドストエフスキイに対して)「彼は体験している。気が狂うほどその人間と共に在る。現象の底を突き破って、地獄まで共に落ちる。何としても人間を見捨てない。人間というものをいとしく思っている。どんな極悪非道な人間も何故か憎めない。かばってしまう。」(128頁)

    極悪非道。

    極悪非道だろうが、なんだろうが、いっしょくたにして、

    死に逝く人を救うことが

    私にできるだろうか。

    これが最近の私のテーマだったので、

    ちょっと気になった。

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プロフィール

志村 ふくみ(しむら ふくみ)
1924年生まれの染織家、紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)、随筆家。滋賀県近江八幡市出身で、1942年文化学院卒業。若い頃から読書が趣味だったが、富本から仕事を裕にすべく文学を読むことを推奨され、『万葉集』『源氏物語』や世界の文学作品を学ぶ。
そして詩人・評論家の大岡信に「何か書いてみないか」と声をかけられたのをきっかけに、自分の仕事を文章化するエッセイに取り組んだ。
1983年『一色一生』で大佛次郎賞、1993年に『語りかける花』で日本エッセイスト・クラブ賞、2006年に第14回井上靖文化賞をそれぞれ受賞。教本として『伝書しむらのいろ』がある。

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