少年少女のための文学全集があったころ

  • 人文書院 (2016年7月21日発売)
4.08
  • (9)
  • (10)
  • (5)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 115
感想 : 16
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

本 ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784409160985

作品紹介・あらすじ

児童文学への愛にあふれる珠玉のエッセイ

金原瑞人氏推薦!

「ぼくは、ここで取り上げられている子どもの本は、ほとんど読んでいない。それを、こんなふうに楽しそうに語られると、もう、悲しくて、くやしくて……このエッセイ集をまた、最初から読み直してしまった。ぼくの子ども時代は灰色にくすんでいるのに、松村さんの子ども時代はとても鮮やかだ。ずるいなと思う。そして、その鮮やかな読書体験を、こんなに楽しく語る言葉を持ってるなんて、さらに、ずるいと思う。」

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 子どもの頃に読んだ本への懐かしさとワクワク感。そして大人になったからこそ気づく、あのころ感じた違和感の正体。また視点を変えることによって見えてきた物語の別の側面。
    「世界が複雑化し、異なる文化や歴史を抱える人たちの理解が一層大切になってきた今」、子どもの本に求められるものについて考えを深めていこうと思えるエッセイだ。
    といっても、決して堅苦しいものではなく、著者・松村由利子さんの子ども時代に親しんだ児童文学の思い出は面白く、同じような経験をしてきた私は楽しかった。

    さて、子どもの本のなかに登場するもので、いちばんワクワクするものといえば、やっぱり食べものや飲みものではないだろうか。
    私は『赤毛のアン』の「いちご水」にずっと憧れを持っている。なんといっても「いちご水」という言葉の響きがすでにキュートではないか。
    松村さんは小学生の頃、メロンを食べるとき毎回といってよいほど、ルナールの『にんじん』を思い出したそうだ。それ以外にもさまざまな本の美味しそうな食べものの話が次から次へと続いていく。最後には、ローラ・インガルス・ワンダーの『長い冬』に出てくる「薄紅茶(ケインブリック・ティー)」と、村岡花子訳のモンゴメリ『可愛いエミリー』のエミリーが日記に綴った「甘茶」、「キャンブリック茶」、「ほんとうのお茶」とは何だろうか考察し、ついには訳者村岡花子の懊悩までをも想像するのだから、松村さんの熱量の高さには圧倒された。

    なかでも、近所の男の子とお互いに本を貸し借りしたエピソードは、ちょっぴり苦い結末も含めて、いちばん好きだ。
    「あ、あれ貸してくれる?」「いいよ」「じゃ遊びに行くね!」というやりとりに隠されたほのかな恋心がくすぐったい。本好きさんならキュンときちゃうに違いない。

    前半はそんな楽しい児童文学との思い出が語られるのだけれど、後半は「子どものための本は、おとなの本以上に、選び抜かれた言葉で書かれたものではなければならない」という著者の思いが込められた展開へとなっていく。

    とくに印象に強く残ったのは、児童文学のなかにある差別について書かれているところだ。
    たとえば人種差別的な内容で絶版された本といえば、『ちびくろ・サンボ』が思い浮かぶだろうが、松村さんにとって「サンボ」よりもはるかに強く黒人差別の問題を突きつけてきたのは、実はローラ・インガルス・ワンダー『大草原の小さな町』だった。
    なぜなら物語の中でローラの父さんが楽しんでいた仮装ダンスが、白人が黒人の扮装をして笑い興じる「ミンストレル・ショー」であったことを知ってしまったから。それは松村さんが中学生のころに感じた、「どうしてこんな「仮装の黒人ショウ」をローラたちが楽しんでいるのだろう」と何か落ち着かない気持ち、その正体が明らかになった瞬間でもあった。
    大好きな本の尊敬する登場人物の、そんな一面を知ったときのショックは想像に難くない。

    最近読んだ石井美保『めぐりながれるものの人類学』でも、たしかこの部分に触れられていたことがあったのを思い出し、読み返してみた。
    すると、石井さんが触れた『大草原の小さな町』についての一節は、松村さんのこのエピソードを参考にしていることがわかった。
    石井さんは、「違う光の下で景色をみるように、こうした場面に昔は気づかなかった何かを感じとってしまうのは、自分の視点が変わったせいだろう」と述べている。

    幼い頃に憧れていた本の世界が、視点が変わることによって物語の別な側面が現れてくる。
    知らずに物語の世界を楽しんでいただけの頃には、もう戻れない。
    けれども、著者が「大好きな本の中にあるミンストレル・ショーの場面によって、私は肌の色の違う人たちをからかう残酷さをひしひしと感じることができた。この場面があるから子どもが読むのにふさわしくない、などと言う人がいたら、きちんと反論したい」というように、こういう場面があるからといって、何でもかんでも子どもの目に触れさせないように世の中がなっていくことになれば、それはとても恐ろしいことだと私は感じる。
    なぜならば、ローラの父さんたちが「ミンストレル・ショー」を楽しんだ時代が現実にあったことは忘れてはいけない歴史だと思うからだ。その時代を無かったものとすることはできない。

    そして私は、子どもたちは物語を通じて「違和感」を感じることも大切な体験なのではないかと思っている。幼いときは言葉にできないかもしれない。でもその「違和感」を持ち続けることによって、やがて「違和感」の正体に気づく瞬間がやってくるだろう。大人が子どもたちから「痛みを感じる瞬間」を奪ってはいけないのではないだろうか。

    “差別という問題は根深い。あらゆる差別が世界からなくなることは多分ないだろう。そうであればなおのこと、差別について考える機会はできるだけ多い方がよい。一人の人間が経験できることは限られている。子どものころ、いろんな本を読まなければ、成長してから「あの本はいつごろ書かれたものだったのだろう」「当時の価値観が、あそこに表れていたんだなぁ」などと考えを深めることはできなかった”
                      p159
    私はなんとなく思っていた「子どものころ、いろいろな本を読むことの大切さ」を、松村さんの言葉によって、はっきりと見いだすことができたのだ。

  • 子どもの頃に夢中になって読んだ「少年少女世界の名作文学」など、小学校の図書館にあって書店には並んでいない全集ものは、新刊と同じように惹きつけられたと云う著者が、子どもの頃の記憶をたどりながら、児童文学への愛と郷愁をこ持ったエッセイ集。〝読後感想文を書かせることが、果たして良い事かどうか疑問に思うのは、作品を読んだ時に受けた印象を「かき回してはいけない」と思うからだ。「本を読んで感じたこと、思ったことをそのまま書きましょう」なんて言われても「そのまま」 書くことは不可能である。 どんなに文章表現に長けていようとも、心に抱いているものを言葉にした途端に、そのときの思いは変質する。それが言葉というものの本質である...本当に大きな感動を覚えたとき、それは恐らく一生、その子の心に残る。言葉にしないまま、そっと胸の奥にしまっておくことで、その感動は子どもの成長と共に熟成し、心を豊かにする 〟

  • 朝倉めぐみさんのカバーイラストと導入の面白さにそそられて手に取ってみた。始まりこそ「メロンと菓子パン」といった、おいしそうな甘目テイストな児童文学エッセイで、ずっとこんな感じなのかと思ったら…いい意味で「思ってたんと違う」な内容で、目からウロコでした。
    著者の松村由利子さん、名前だけは聞いたことがあったけど著作を読むのは今回が初めて。英文科卒、元新聞記者で歌人でもあるという彼女の経歴が生きた内容で、気になるところをとことん掘り下げていく姿勢が、エッセイなのにちょっとノンフィクションっぽいところもありで、読んでいてワクワクした。作品の考察と、彼女の思い出話のミックス加減が絶妙。甘すぎずユーモラスで、ノスタルジックすぎないのがまたいい。
    若草物語、赤毛のアン、あしながおじさん、クマのプーさん、ちびくろさんぼ…といった有名どころから、名前しか知らなかった戦前の児童文学など取り上げてる作品は多岐に渡り、名作については「そんな見方があったのか」(特に翻訳について)と新鮮な気持ちになる。名作の抄訳のよさ、時代や価値観の変遷と共に変わる表現など…なるほどの連続!児童書の古本屋さんに行きたくなりました。

  • すごい人に出会ってしまった。
    こんなにも少年少女文学が好きな人に
    これまで会ったことがない。

    一冊一冊の本に対して、またその本たちを受け繋いでいくことに対しての愛があふれる本。
    何冊か読みたい本メモしたので、翻訳者も意識して読んでみたいと思う。

  • 私もたくさんのいい本に出会って、そして繰り返し読んで、今に至っております。

    いいタイミングで出会えたことに感謝!

  • 歌人である著者が子どものころ読んだ本と、その思い出や印象的なシーンを語る。
    なんと素晴らしい読書体験をしてきたのだろうか。そして、とても細かく色々な事を記憶している事に感心。
    懐かしい本がたくさん登場します。

  • 再読候補。

    ◆きっかけ
    図書館 新刊棚
    ◆感想
    すごく良かった。松村さんの少女時代の読書遍歴が、生き生きと書かれている。なんて楽しそうに読書をするのだろう!児童文学への、本への愛がひしひしと伝わってくる文章だった。

    家族や親戚、友人にも本好きが多く、本の話を共有できるのが素敵だ。

    小学生の頃にすでに沢山の物語を読み、時代背景や舞台背景が次々にリンクしていっている。そうして更に更に、楽しい本の旅へと向かっていった少女の姿が目に浮かぶ。

    翻訳の違いや時代背景についても話が及び、面白い。どの本も読んでみたくなった。

    抄訳や言葉遣いの改変についても触れられていたが、私も筆者と同じく、賛成派である。今の子供達が読みやすく、登場人物や場面によりそえるもの。敷居は低く、より多くの子供達が名作に触れる機会があればいい。そこから読書の旅に出た子供達が、同じ物語を完訳含めさまざまな訳や表現で再度味わえたなら素敵だ。

    読書感想文について、「心に抱いているものを言葉にした途端に、そのときの思いは変質する。それが言葉というものの本質である。」と書かれており、日頃、言葉にすると意味が限定されてしまって、感じたことが伝えられない…と感じていたので、だよね!!と同調。「本当に大きな感動を覚えたとき、それは恐らく一生、その子の心に残る。言葉にしないまま、そっと胸の奥にしまっておくことで、その感動は子どもの成長と共に熟成し、心を豊かにする。(p143)」とも。娘が言葉を発するようになったら、読み聞かせの後、つい感想を聞きたくなってしまう気がする。が、ぐっと我慢することも大事だなとハッとした。

    ちびくろサンボについて、1988年12月、小学館、学習研究社、講談社、そして岩波書店が相次いで絶版を決め、この絵本をあまり目にすることがなくなった。(p151)とあったが、物語の最後、虎がバターになってしまうシーンはその挿絵をよく覚えている。なんて美味しそうなんだと思った記憶がある。あの絵本は、図書館で借りたのだろうか。

    「どんな作品も時代と切り離せない。現代の感覚や価値観を、古い時代の作者や登場人物に当てはめることはほとんど意味がないだろう。私たちはむしろ、優れた文学作品でさえ時代性から逃れられない面があることを直視し、そこから学ばなければならないのだ。(p156)」→物語のなかの行動や言葉に違和感や嫌悪感を感じることは確かにある。その時代背景や政治的背景を知って学んでいきたい。

    「小学生くらいの子どもたちの読みものの挿絵は、絵本ほどには質がよくないように思える。(中略)幼い子の感性を見くびってはいけない。(中略)本物の美は深く心に浸透し、いつまでもそこにとどまる。だから、幼年向けの読みものの挿絵は、もっと多様性があってほしい。マンガしか知らないより、いろいろな画法や色彩、質感の絵に触れる機会がたくさんあった方がよい。(p165)」

    紹介されている本を読むときに再読したい。また、娘が小学生になったときに彼女に勧める候補をさがすため、再読したい。

    2016/9/27

  • 子どもの頃に読んだ児童文学の思い出。
    翻訳についての言及が多いのが興味深い。それに伴い児童文学全集に於ける抄訳の意義や魅力についても語られる。
    子どもの時に出会った作品は後の人生に大きく関わる。いい出会いがありますように。

  • 松村由利子氏のエッセイ。本当に昔見たいな文学全集なくなったなあ。

  • ブックエッセイが好きなのでなんとなくタイトルが目に止まり手にした一冊だったけれど、愛に溢れた素晴らしい本だった。
    子供の頃に学校の図書館で借りた本や毎月のお小遣いで真剣に選んで買った本を読んでたあの気持ちを思い出した。
    今でも本が好きで良かったと思わせてくれた素敵な一冊。

全16件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

松村由利子(まつむら・ゆりこ) 1960年、福岡市生まれ。朝日新聞、毎日新聞記者を経て2006年からフリーランスのライターに。著書に『31文字のなかの科学』(NTT出版、科学ジャーナリスト賞)、『与謝野晶子』(中央公論新社、平塚らいてう賞)など。歌集に『大女伝説』(短歌研究社、葛原妙子賞)、『耳ふたひら』(書肆侃侃房)など。

「2016年 『少年少女のための文学全集があったころ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

松村由利子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×