禅と合気道

  • 人文書院 (1984年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (176ページ) / ISBN・EAN: 9784409410196

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  • ”病を去るとは執着をなくすことなのである。合気道でいえば、一カ所に気を停滞させないことなのである。何ものもとどめることがなくなったならば、それは達人の境涯となる。”

    ”心、鏡のごとし。鏡はきれいな花を映しても、鏡自体の価値が増すものではなく不動であり、きたない犬の糞を映しても、鏡自体の価値が減ずるものでもない。どんなものを映しても、鏡はそれを映しながらも自らをかえることはない。鏡こそ真の不動智であり、無心である。無心というと心がないのではない。あっても動揺しないことなのである。鏡のような心が無心であり、それはそのまま平常心なのである。合気道の技を行なう場合も、この無心の境地が大切である。どこまでも動揺することなく、一つに固まることなく、流れるように動いて動かぬ心を持たなければならない。胸に何事ものこさず、跡を少しものこさないこと、それが常の心であると説く。常の心こそ、無心なのである。”

    ”合気道の極意は円転自在の円運動にある。それは一瞬も停滞することがない無限の円なのである。その一瞬一瞬、無数の中心をもつ円運動の連続なのである。禅の悟りの境地は自在の心境にある。自在の心境とは何ものにもとらわれない境地なのである。沢庵の言葉を借りるならば、心をどこにも置かないことなのである。合気道の境地と禅の境地とは円転自在の境地において、まったく同一なるものを目指すものである。”

    ”無心とは沢庵禅師がいうように、心をまったくどこにもとどめないことなのである。心をとどめるからそこに敵があり、心をとどめなければ敵はない。”

    ”禅の言葉に「前後際断」というのがある。前の心と後の心を一つ一つ切断せよということである。前の心を捨てないで、後の心にそれを残すのはよくない。前と今、過去と現在との間を切断せよ、ということである。一念、一念を捨て去る事である。”

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著者プロフィール

1927年神奈川県生まれ。駒澤大学仏教学部卒業。東京大学大学院博士課程修了。
東京大学東洋文化研究所教授、国際仏教学大学院大学教授などを歴任。専攻は中国・朝鮮仏教史。
文学博士。学士院賞受賞。2001年没。主な著書に『般若心経講話』『華厳の思想』『維摩経講話』などがある。


「2020年 『朝鮮仏教史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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