中国・開封のユダヤ人

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  • 人文書院
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  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784409510575

感想・レビュー・書評

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  •  ディアスポラ以後、ユダヤ人はイラン、イラクといった中東に移動した者、さらに東のインドに行った者などがいる。この本は、それよりも更に東に進んだ中国にいたとされるユダヤ人の顛末を追いかけた本。
    -------------------
    p.1,2
    中国・河南省の古都開封の博物館三階「猶太歴史陳列」室で、148
    年の石碑「重建清眞寺記」を初めて見た時の印象である[...]
    一千年も前にヨーロッパの周辺からこの遥かなアジアの地へ移住して来たユダヤ人が碑文冒頭に[...]祖師アブラハムの名を、しかも漢字で刻み込んでいるというのは、驚くべきことではないだろうか。

    p.15
    ヨーロッパ周辺から<彷徨って>きたユダヤ人が時の皇帝から「趙」や「李」といだた漢族姓を賜り、東アジアの懐深く入って根を下ろし、一千年も生き続けてきたというのだ

    p.40-41
    艾の先祖は、彼の時代から遡ることおよそ600年、ユダヤ人に対する迫害があったヨーロッパの周縁から想像を絶する艱難辛苦を経て、北宋の首都開封に辿り着いた。幸いなことに彼らは懐が深い中国に受け入れられ、南宋第二代目皇帝孝宗の隆興元年(1163年)には開封に最初のシナゴーグ「清眞寺」を建設するまでになっていた。

    p.81
    ユダヤ人商人はおそらく八世紀から九世紀初めにかけての時期に中国に足を踏み入れていたと思われる

  • 北宋期、十字軍の迫害を逃れて中国へ流れ着き、帝都・開封に土着したユダヤ人集団があった。
    皇帝のお墨付きで開封に共同体を作った彼らユダヤ人たちの、その後の歴史をたどっています。
    漢族社会の中でユダヤ教を信仰し続け、その一方で儒教も学んで科挙に合格し、官僚となった者もすくなくなかったようですが、それ故に中国への同化と民族のアイデンティティーの維持の板挟みに苦しみます。
    イエズス会宣教師との出会いによって欧州でもその存在が知れ渡りますが、その頃には同化による共同体の滅亡の危機に。
    そして現代における彼らユダヤ人の末裔たちが選択したイスラエルへの留学や移住の実態も述べられていますが、移民が味わう葛藤がよく表されています。

    著者はドイツ文学とユダヤ人の歴史の研究家で、インド・ユダヤ人についての著作もあります。
    しかし本来は中国史の専門家ではなく、本人も認める通り漢文の素養が無いので、中国史好きにはちょっと物足りないですね(;^_^A
    中国ユダヤ人たちの伝承では、「漢王朝の時代に中国へ来た」とありますが、それを虚構と断じ、記録に現れる北宋代に来たのだろうと推測しただけで終わっています。
    中国史に造詣の深い人なら、おそらくそこで言う「漢王朝」は前漢・後漢(前206〜後220年)ではなく、北宋(960年〜)直前の五代十国時代の「後漢」(947〜950年)だと推測するところですけどねw

    ニン、トン♪

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著者プロフィール

小岸 昭(こぎし・あきら)
1937年北海道生まれ。1963年京都大学文学部独文科修士課程修了。京都大学総合人間学部教授を経て、同大学名誉教授。1965年日本ゲーテ賞受賞。1995年「日本・ユダヤ文化研究会(現神戸・ユダヤ文化研究会)」創設。2001年「ブレーメン館」創設(札幌)。〓
著書・訳書にデッシャー『水晶の夜』(人文書院)、『スペインを追われたユダヤ人』(人文書院、ちくま学芸文庫)、『隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン』(人文書院)、『離散するユダヤ人』(岩波新書)、ウルフ『「アンネ・フランク」を超えて』(梅津真と共訳、岩波書店)、ハイマン著、シェプス編『死か洗礼か』(梅津真と共訳、行路社)ほか多数。

「2021年 『中国・開封のユダヤ人 増補版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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