日本人の縁起かつぎと厄払い (青春新書インテリジェンスシリーズ) (青春新書INTELLIGENCE 175)
- 青春出版社 (2007年6月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
- / ISBN・EAN: 9784413041751
作品紹介・あらすじ
「妊婦はトイレを掃除すると、綺麗な女の子が生まれる」「厄年の男女は、その年齢の数だけお金を撤く」-民俗信仰のしくみを読み解く。
感想・レビュー・書評
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節分の豆まきのような風習や達磨、破魔矢といった縁起物の意味合いと成り立ちなどを解説している。初めて知ったもの(お盆に便所をまつる)も多かった。
成り立ちの中に「祟りを避ける(あるいは怒りを鎮める)ためにまつる」というものが多い印象を受けた。科学的な根拠が分からなかった昔は、自然災害や不幸な出来事に精神的なものが結びつきやすかったのだろう。
根拠に乏しいと感じる風習も多い。しかし昔は科学的に解明されてないから、と侮ってはいけない。現代でも根拠不明の噂や習慣(仕事上での非効率な習慣とか)は絶えることはない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
年末年始が近づいてきたせいか、縁起や厄についての本を手にとってみました。
民族学者が語る、知っているようで知らない昔ながらのしきたり。
漠然と(そういうものだから)とわかってはいても、実際の意味まではわからないことばかりでした。
厄年は、平安の頃から存在するという、驚くほどに古い慣習ですが、平安時代の厄年は12年ごとで、つまり自分の干支が厄年だったそうです。
いまではめでたい年男、年女が、かつて厄を背負う身だったとは。
12年ごととは、せわしなく思いますが、今よりもゆったりと年月が流れていた頃なので、問題はなかったのかもしれません。
また、賽銭箱に小銭を投げ込むのは、きれいなものを見ると汚いものを捨てたくなるという人の心理が起こす行為だという仮定が書かれていました。
古くから「きよし」美しいものや状態を好んできたという日本人の国民性も語られます。
ただ、その「美と醜」論理から、「熊手」が汚いものを集めるものなのに、縁起のいいものとなっているという著者の意見に関しては、考え過ぎではないかと思いました。
単に、一気に多くのものをかき集められるものとして、熊手が縁起物になっているのではないでしょうか。
奈良時代から平安時代にかけて、花の主役が梅から桜へ変わっていったという記述にはっとしました。
そういえば、奈良期の和歌では、花といったら梅ですが、いつの間にか桜にシフトしています。
平城京の紫宸殿の前には、左近の桜ならぬ梅が植えられていたそうですが。
それは、都城によって高い木がなくなり、桜が育ちやすくなったからという理由あってのことらしく、平安遷都にあわせて花の主役も変わったことに気づかされました。
山田孝夫著「櫻史」は、櫻花の文化史として有名な古典的名著とのこと。
覚えておこうと思います。
民俗信仰についても紹介されていましたが、その土地独特のものなどは、全くなじみがなく、地方色を感じました。
西行の「願わくば花の下にて春死なん」の歌は、はかなくも美しい歌で大好きですが、花を女性に見立てて、ビックリするほどセクシーに解釈したのには仰天して、目からウロコが落ちました。
これまた著者の意見にすぎないとのことですが。
多少の難しさはありましたが、興味深い事項が多く採り上げられており、ためになりました。 -
090627
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新谷尚紀氏は好きな民俗学者の一人です。
「人間はなぜ、占いや迷信を信じてしまうのでしょうか。それは自分を説明してくれるからです。不安定ではっきりしない自分をどこかに位置づけてくれるからです。人間とは自意識過剰な存在なのであり、自分を決めてほしがる動物なのです。」
「なぜ神様にお賽銭を投げるのか。神社は罪穢れや災厄を祓清める巨大な浄化の機能を持った場所でもある。」
「河川の真水と海の潮水が混ざる辺りは、本当に浄化作用が強い。大きな恵みへの畏敬の念・・信仰、経験的な知識が理解できない・・迷信」 -
自分の卒業論文のテーマ決定のきっかけになった本。
いや、こんなにたくさん読んでもホントに日本の文化を外国人に説明する自信ない…