終活なんておやめなさい (青春新書プレイブックス)

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  • 青春出版社
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レビュー : 16
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784413210164

作品紹介・あらすじ

団塊の世代が70歳まであと3年、「終活」が定着しつつある。お墓、葬式、遺言、相続などの法律や費用面をガイドした情報はすでにあるが、欠けているのは思想面、考え方の面である。巷にある「周囲に迷惑をかけないため」をメインとした終活指南のアンチテーゼとして、仏教思想家が、知的ベースを押さえながら、自由な終活を提案する。

感想・レビュー・書評

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  • 宗教関連の本については、この本の著者の「ひろさちや氏」の本は何冊か読んでいて、記憶に残っています。

    宗教学や「お経」の勉強をしたことの無い私には、彼の考え方の是非を論ずることはできません。しかし、彼が解説している「お経」の内容や、本来仏教とはどのようなものであり、どのように変わってきたかの説明はとても興味あり、そのエキスは私の中に残っています。

    この本は、自分が死亡した後にどうするかという、いわゆる「終活」について、生きている間に時間やお金を費やすのは不要だと論じています。私の家も含めて、代々のお墓があるので、それらを継ぐのは当たり前のように思ってきましたが、ひろ氏が、そのような習慣になった経緯も説明してくれたのは、私にとっては「目から鱗」でした。

    当たり前と思っていた、葬式にまつわること(戒名、墓石、33回忌までの法要)は、あとで作られたビジネスの一貫なのですね。とくに、法要については、儒教や神道の影響も受けていること(p87)を知りました。

    この本を読んで、死んだ後のことを色々考えるよりも、生きている間に、自分だからこそできた経験や体験を、子供や後輩にうまく伝えることが出来ればイイなと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・現在のように相続順位が同じ者は、均等に遺産を相続する「均分相続」が定められたのは、1948年の民法改正によってである(p23)

    ・終活とは、俺はここまで家族のことをかんがえていたのだ、ということを訴えたいがためのアリバイ工作にすぎない(p31)

    ・お釈迦様は弟子たちに対して、葬式などにかかわるな、といわれた。南都六宗といわれる奈良のお寺では、葬式は執り行っていない(p41、42)

    ・葬式が仏教行事であれば、死体のお清めから、死に装束の着付け、葬式に関するいっさいの取り仕切りまで、すべてやるのが筋(p43)

    ・葬式をやるにしても親族だけでやるべき、それが葬式の本筋。それ以外の人が別れを惜しみたかったら告別式をおこなうべき(p43)

    ・もともとは食料香典といって、不幸があった家に親しい人たちが食料をもっていくもの(p45)

    ・戒名は、仏門に入ったことを証すもの、つまり、出家したことの証。死者は在家のままで、ほとけさまに浄土に連れて行っていただいているのに、どうして出家する必要が有るのか。拝むのは位牌ではなく、ほとけさまのはず(p58)

    ・埋めたら二度と出てこないように、墓の上に重い石を置いたのが、墓石の起源(p60)

    ・庶民の死体は洞窟やキリスト教の地下に無造作に埋葬された、これがいまもイタリア、フランスなどに残っている「カタコンベ」と呼ばれる地下の墓所(p64)

    ・故人は墓の下にいない、私達の心の中にいる、さらに言えば浄土にいると仏教は教えている(p68)

    ・骨を捨てることを禁じている法律はない、しかし埋めても流してもいけないのが埋葬法(p71)

    ・死者は赴いた死後の世界で、7日ごとに裁きを受けて49日目でその行き先が決まる。生まれ変わり先は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天、という6つの世界。生前の行い、生き方によって、その世界に生まれ変わるかが決まる。よい行いをしてきた人は、人間・天界、悪い人は、地獄・餓鬼界となる(p75)

    ・死ぬと人は肉体を失った霊魂的死者になる、この魂的死者は荒れていて「荒御霊(あらみたま)」と呼ばれている、もっとも荒れている状態は「精霊」と呼ばれる。少し落ち着いて「荒御霊」になる。日本では、この両者を「ホトケ」と呼んだ(p85)

    ・年忌法要は日本だけ。もっといえば仏教からは離れた儀礼。儒教には、父親や母親が死んだときは、服喪期間が3年(実質25ヶ月)で、喪主は3年間、喪に服す(p86、87)

    ・忌とは、49日(あるいは100日)までの期間で、この間は死の穢れをまとっているため、他人との接触が禁じられている。その後は喪の期間となり、身を慎んで生活することが求められる。平安時代になって、長めとなり、7・13回忌となり、神道で、33・50回忌も必要とした(p87)

    ・二人の親がいると仮定して、25代遡ると1億人を超える。この前提は、夫婦二人の間にひとりの子供が生まれて永遠と続いた場合(p88)

    ・正月に使う箸は、両端が細くなっている。一方の端はカミが使い、もう一方を人間が使うから。大皿から取り分けるときに箸を反対に返すのは、とんでもない作法違い(p94)

    ・午前0時(子の刻)から始まるのが、天の一日、夕方から始まるのが、地の一日、神社の神事が真夜中に行われるのは、地の一日が基本だから。神輿タイムは「あとの祭り」、午前6時から始まるのが、人の一日(p95)

    ・江戸時代まで使われていた旧暦では、小の月(2,4,6,9,11)は28日、それ以外は30日、1年間は350日。ずれを調整するために、閏月を設けて調整した(p96)
    ・神を迎えるにあたっておこなわれる「すす払い」は、正月にカミを迎えるための準備で、12月13日と決まっている、この日から肉類を絶つ(p98)

    ・幕府がキリスト教徒を弾圧するために考えたのは、まず、檀家制度、次に、寺が葬式をおこなうべし、という通達をだした(p103)

    ・お坊さんの葬式は、お坊さんがやっていた、それを庶民に適用するために、死者を出家させた。俄仕立ての修行として、読経した。葬式で唱えられるお経は、出家したばかりの死者に仏教の法を説くためのもの(p104,108)

    ・欠礼する必要があるのは、忌中の間(49日)のみ、それが過ぎたら年賀状のやりとりをしても、いっこうにかまわない。お祝い事も差し支えない(p123)

    ・現人神である天皇が靖国神社にお祀りするから、戦死者はすぐにもカミ(英霊)になれるとした。ところが1946.1.1に天皇が人間宣言した。最後の戦争から、70年近く経過しているので、神道的にいっても英霊はカミになっている(p151)

    ・インドには、「四住期:学生期・家住期・林住期・遊行期」があり、それぞれどう生きるか示している(p155)

    ・生活を最優先させて生きると、人生を生きることができなくなる(p164)

    ・大切な人と大切な時間を過ごすのだ、という気持ちがあったら、それがそのまま生前葬になる(p200)

    2014年9月27日作成

  • 人生

  • という題名ですが、内容はむしろ
    「上手な終活のしかた」だと思います。

    死ぬ前に「葬式はいらない」「戒名はいらない」「位牌はいらない」など、はっきり言っておいたほうがいいと思うから。

  • 自分たちの知らなかった仏教の、本来教えんとする部分について知ることができます。
    故に「随分空虚な考えだなあ」と感じることもありました。

    後半からは「人と人との助け合いの大切さ」や「自分の感情を大切にすること」に内容が移ってゆく感じがします。
    それを見ていると「終活」とは、本来なすべき義務をなさず、人を押しのけて、自分だけの安息を求めようとする行為なのだろうか、と考えてしまいました。

    あの世で使えない財産を残す以外にも選択肢はいろいろあるということでしょうか。

  • 教員免許更新講習で紹介された本。宗教家の本なんて初めて読んだ。本題の哲学的な部分よりも墓参りの起源とか年中行事の意味とか民俗的な解説の方が面白かった。でも中々深い事も書いてありタメになった。

  • 終活のテーマとなる葬儀、位牌、墓、法事etcが、実は仏教のあるべき姿とはかけ離れたものであり、基本的には宗政複合体の利益維持のために「つくられた」後付けのならわしにしか過ぎないということを、軽妙な語り口で解説されていく。
    死後のことにあれこれ悩んで少なくない金銭を費やすより、生きているうちに家族と、知人と語り合い、現世を十分に生きることそのものが、なによりの「終活」なのだと説いているようだ。
    とても合理的で説得力十分な内容、しかも阪神タイガースの存在意義によってあとがきを〆るあたり、さすが、大阪人である。

  • 善人なほもて往生をとく、いはんや悪人をや
    人は多面的、善人と悪人が同居している。だから、誰かを悪人にすることでしか人は善人になれない。

    「葬式なんかやめなさい」と進言したら、坊主の本音「葬式やめたら、食っていけなくなります」ビジネス葬儀

    忌とは49日までの期間で、この間は死の穢れをまとっているため他人との接触が禁じられています。その後は喪の期間となり、身を慎んで生活することが求められます。だいたい三回忌まで。

    ご先祖様の年忌法要を真面目にやっている人たちは、江戸時代以降の歴史のなかで語られてきた、お坊さんたちの参百代言の口車に乗ってしまっている。

    檀家は江戸政府の苦肉の索
    幕府がもっとも怖れ、神経を尖らせたのは、キリスト教徒がキリスト教式の葬式を行うことでした。そこで幕府が通達したのは、寺が葬式をおこなうべし、という命でした。

    葬式で唱えられるお経は、出家したばかりの死者に仏教の法を説くためのもの。

    院号のついた戒名をもらって、ありがたがっている遺族がいますが、戒名料はバカ高い。その実態は、死んでから出家させられ、修行させられ、おまけに隠居までさせられた、ということ。

    靖国神社
    「現人神」である天皇が靖国神社にお祀りするから、戦死者はすぐにもカミに、すなわち英霊になれる、としたのです。

    人は何も持たない裸で生まれてきて、何ものも持たないで還っていく。その道理に気づくことが、生死をあきらめることだと思います。

    金勘定に躍起になっている終活と、自分の中にお浄土をつくることに幸せを感じる終活。

    四苦とは、相対性のない絶対的な苦。逃れようがない。

    煩悩の火をかすかなものにしてお浄土に行く。これは、かなり上等な終活だと思う。

  • 遺言書は、無用、無視、無視、というところ、いいですね。   阿弥陀仏に導かれて、みんな、お浄土に行くのだから、それで御仕舞い。 あれこれと、故人の事を、思い煩うことはなく、忘れるという供養もあるそうです。 死という物は、老いという形で、みんなの中で、日々育っているようです。自分の中で、深まり行く死をしみじみ思いつつ、暮らしてゆくことが大切。逆に言えば、毎日、心の中に、お浄土を作っていっているともいえますね。 そして、年齢を重ねたら、助け泊り、助け食事、助け飲み、ですね との事であります。

  • 正論。その通り。ブッダの教えとは、別離の苦しみ・悲しみのために、心を覆われたままでいることを執着であると悟ること、過去ではなく今を生きること=故人を早く忘れること。
    葬式仏教と檀家制度による民衆の管理は、はキリシタンの葬儀を禁じた徳川幕府の指示。奈良南都六宗は、葬式を行わない。戒名は、在家者ではなく、出家者=僧侶の葬儀のみ行っていた僧侶が、在家者を出家者として弔うためつけるようになった。葬儀の読経も、出家者となった故人のため。位牌は、中国儒教の伝統。墓石は、アニミズム・神道的な、死人が化けて出ないための重石。ホトケとは、カミになる前の鎮められない霊。香典とは、親族が嫡子=喪主に渡すもの。他人は不要。お返しは失礼。忌中とは物忌み=神道。黒い穢れ=死者。赤い穢れ=女性・出産。喪に服すのは儒教の考えで、期間は喪主3年。一周忌、三回忌、7回忌、33回忌、50回忌まで、だんだん長くなる、これは神道。
    盂蘭盆会も、日本で発生。浄土真宗は、1970年代まで、否定的だった。正月は、先祖を招く。晦日の夕方が元旦の始まり。雑煮は、お下がり。お年玉も餅のお下がり。
    終活とは、エゴイズム。遺言は、裁判にならない場合は、無効。
    家制度=墓守りは、長子相続が否定された現在の民法の平等主義のもとで、すでに崩壊している。

  • こんなに酷い本、読むに堪えない本はそう滅多に出会えるものではなく、その意味においては貴重とも言えなくはない。
    著者には「知識はあるが智慧はない」ということなのだろう。一日も早い絶版を望むばかりである。

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著者プロフィール

1936年、大阪市に生まれる。東京大学文学部印度哲学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程修了。1965年から20年間、気象大学校教授をつとめる。退職後、仏教をはじめとする宗教の解説書から、仏教的な生き方を綴るエッセイまで幅広く執筆するとともに、全国各地で講演活動を行っている。厖大かつ多様で難解な仏教の教えを、逆説やユーモアを駆使して表現される筆致や語り口は、年齢・性別を超えて好評を博している。おもな著書に、『仏教の歴史(全10巻)』『大乗仏教の真実――インド仏教の歴史――』『ひろさちやのいきいき人生(全5巻)』(以上春秋社)、『観音経 奇蹟の経典』(大蔵出版)、『「狂い」のすすめ』(集英社新書)、『〈法華経〉の世界』『〈法華経〉の真実』(以上佼成出版社)などがある。

「2019年 『生き方、ちょっと変えてみよう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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