カウンセリングの技法

著者 :
  • 誠信書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784414403077

感想・レビュー・書評

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  • かったるくなり、途中から流し読み。著者の本を2冊読んで、著者の傾向がつかめた。

    著者はやたらと分類したがる。事務作業は得意なのだろうと思う。カウンセラーより事務局長とか、そういうお仕事が向いているのではないか。

    肝心のカウンセリングについての説明は、深みが感じられない。分類・見出しばかり多くて、中身が空虚である。ていうか…。

    「カウンセラーはクライエントの超自我」(P.32)「君は教育大の教育学をするのか、民間学者(フロイト、ニイル、霜田静志などを意味する)の説に従うのか」(P.197)

    スーパーヴァイザーである霜田先生からの指摘を、理解できていないのだ。「クライエントの超自我」を自認している時点で、受容は絶望的である。

    「教育大の教育学」者として、先公としてクライエントに会う。著者が初期面接で作り出すリレーションには、明白な"上下関係"が存在する。

    その閉じた関係の上に、著者いわく「折衷主義」で、危うい「カウンセリング」(と呼んでいいのか?)を展開する。折衷が悪いのではなくて、屋台骨が危ういのである。

    「来談者『一度先生の腕に抱かれたい』セラピスト『そうしてほしいならそうしてほしいと言えばよいじゃないか』やがてその女性来談者はセラピストの膝に座し、幼児のごとく抱かれていた」(P.5)

    「セラピストの中立性は今や時代遅れとなった。来るべき時代のセラピーでは、このように非言語的な方法も用いねばならない云々」(P.6)

    「第五の方法は、スキンシップである。来談者の背後にまわり、頭、首、肩をマッサージする。皮膚の接触は相互の心理的距離を近づける。」(P.102)

    身体接触は、クライエントの「行動化」(アクティング・アウト)を促進する。誰だって「言語化」などという、まどろっこしい作業はすっ飛ばしたい。

    そして転移を強化するであろう。クライエントは「からだもひとつになりたい」と熱望するかもしれない。

    けれど、カウンセラーは拒絶する。クライエントは激昂する。「そんな!こないだ抱きしめてくれたのに。私の気持ちに応えられないのが最初からわかっていたのだったら、中途半端に抱きしめたりして、いっそう私を苦しめないでほしかった、このサディスト!」

    結果、クライエントはアンビバレンツな感情を、行動化して(訴訟という形で)表現するであろう。「先生に攻撃されました」「セクハラされました」「先生に抱きつかれ、セックスをもちかけられました」(心的現実)「先生を訴えます」

    もしこうなったとして、悪いのはクライエントだろうか?

  • キャリアコンサルタントの勉強で國分康孝先生を知って読んでみました。

    古い本なのに古さを感じさせないのは、これが原則ということなのかも。

    カウンセラー自身がどのくらい自分と向き合っていて、自分に自覚的かが大切だと感じました。

  • カウンセラーの心得と理論。

    特に、相手に引っ張られず、自分の生活をまず幸せにしないといけない、という旨の一節は響いた。

    現場で活かせる内容。

  • 私が生まれる前に書かれたとは思えない。
    今読んでも本当に有益な一冊。

    文章から先生のお人柄が伝わってくる。具体例も多く読みやすい。実践で悩んだ時は参考になる。キャリアコンサルタントの実技試験突破にも役立った。

    印象に残ったのは28ページの価値観を捨てる=文化人類学者のマインドで!というところ。今まで学んでいたことがつながったようで、スッと理解できた。

  • 心構えや注意点などについて,平易な文章で書かれているので,おそらく,心理臨床家やその卵たちには非常に参考になる資料であると思います。ところどころ,「来談者中心」に対して反発しているような記述もあります。それだけでは効果的でないということでしょうが。

    ただ,読んでいて「??」と思ったところがある。ロールプレイは「子どもだましに打ちこめと言いたい (p.153)」と言い,その理由は「カウンセラーは各種各様の人たちの気持がくみとれないと適切な動きはできないから,離婚したことがなく,両親が健在で,大卒であっても,離婚した人,両親のない人,中卒の人の気持を不十分であってもよいから自分なりに味わってみようという姿勢 (p.153)」が大事だかららしい。でも,この著者は失恋の経験がなく,1回目の恋愛で結婚し,だから「失恋した青年が来室しても今ひとつピントこないのである。失恋したくらいで死にたいものかなあというのが実感である。つまり共感性がない。(p.12)」と述べています。この本を書いている時点でこういうことを述べているけど,これだけロールプレイや「苦労は勝手でもせよ」とか言うのであれば,この著書を上梓した後にロールプレイをしたのかなぁと勘ぐってしまいました。「リファー」でかわして,クライアントの福祉に貢献するということになるのでしょうか。


    *****
     大学を出たばかりのある若い女教師が来て言うには,通信簿の行動記録の欄に四十三名分違うことを書かねばならないのに,何を書いてよいかわからない。期日が迫ってくるのに少しもはかどらず,私は教師不適格者だと落ち込んでいる。私はスーパービジョンで対処した。
     私 「誰でもよい。クラスの子をひとり思い出してください」
     彼女「はい,思い出しました」
     私 「よろしい。では,その子にあなたはどんな感じをもっていますか」
     彼女「やんちゃで困っています」
     私 「もっとどうなってほしい?」
     彼女「おとなしくしてほしい」
     私 「じゃあこう書いたらどうだろうか。『君は男らしいところがある。来学期は弱い者をもっと助けてやれ』と。じゃあ,もうひとり,思い出してください」
     彼女「はい,思いだしました」
     私 「どんな子?」
     彼女「出しゃばりだからみんなに嫌わられているんです」
     私 「うーむ,結局その子にどうなってほしい?」
     彼女「仲間に好かれるようになってほしい」
     私 「そりゃそうだなあ。じゃあこれはどうだろう。『君は先生の手伝いをよくしてくれる気のつく子どもだ。来学期はクラスの友だちの面倒をみてやってくれ』。よくないかな?」
     こんな具合に三例ばかりやってみた。彼女はこんなことなら自分ひとりでもできますと言って,一時間くらいで全員の記録を書いてしまった。(pp.61-62)

     ところで,アドバイスを強制すべきときがある。相手がぐずぐずしていても強引にアドバイスするのが人倫にかなうときがある。それは生命の危険にかかわる場合である。そのままだと死ぬかもしれないと判断したときは,首に縄をつけても引っ張らねばならない。来談者中心の美名のもとに,だらだらとなまぬるい言辞を弄すべきではない。(p.70)

    ゴルフを断ってでもカウンセリングに来るほどに意欲がないことはカウンセリングの効果も少ない。カウンセリングは一つの学習体験であるから,教科学習と同じようにモチベーション(動機づけ)が必要である。(p.76)

     さて,抵抗の処理を重視するのは精神分析である。来談者中心法では抵抗という現象をそれほど重視しない。それは,来談者中心法ではカウンセラーの態度が権威的ではないので,来談者に抵抗が起こらないからだという。しかし,私はそんなことはないと思う。依存的な来談者は受身的なロジェリアンに腹立たしく思うことがある。出会いを求める来談者はロジェリアンの中立性のプロフェッショナリズムに不信の念をもつこともある。緊急な問題をかかえている来談者は,打てば響くような意見が得られなければ失望,怒りを持つこともあるからである。学派の如何を問わず,すべての面接にはいずれかの時期に抵抗が起こると考えられる。(p.103)

     面接記録は,毎回面接が済み次第その場で記入するのがよい。詳しく作文する人もいるけれども私は十分くらいで書ける程度でよいと思っている。用紙の表一面におさまる程度がよいと思う。あとで読みやすいからである。(p.141)

     しかし,体験学習の必要性を認めつつも私は概念学習の意義をも認めたい。概念化のない体験はドグマに陥りやすいし,カウンセリングを神秘化することもある。さらに,科学としてのカウンセリングの形成を遅らせるものだからと思うからである。もっとも,その逆もあるわけで,体験のない概念学習は単なる「物知り」であり,この「物知り」はやがて慢心のもとにもなる。数学と違って,カウンセリングは本来具象の世界(体験)を扱うものであるから概念(抽象)しか理解していないということはカウンセリングを知らないという理屈にもなる。(p.148)

    スーパーバイザーは実際経験が豊富で,かつ複数の理論をその背景にもっている人を選ぶのがよい。スーパーバイザーが一つの理論にしか通じていないと,スーパーバージー(スーパービジョンを受ける人)がたまたま自分の流儀に則していないと指導のしようがない。そこで無理に自分の流儀をおしつけてしまう。「来談者中心」といいながら「理論中心」になってしまう。(p.154)

     画家は個展を開く。自分の作品を人に見てもらおうとする。同じようにカウンセラーも自分の作品をオープンにする勇気がなくてはならない。ところが,カウンセリングの教師のなかには,受講生の前で演じてみせない人がいる。ある教師は受講生から,してみせてくれ,と要望されたとき「私がしてみせると私のやり方をみなさんが模倣するから」と拒否している。私はこう思う。模倣は学習の始まりである。そのためには,デモンストレーションを必要とするのである,と。(p.181)

     宮本武蔵から教わった第二のことは,使えるものはすべて使え,である。武士は大小二刀を腰に差しているが,武蔵にいわせると小刀を腰に差したまま殺されているものは馬鹿だというのである。使えるものを使わなかったからだという。太陽を背にして戦うのもそうである。太陽を使え,時間も使え,使えるものは何でも使えである。カウンセリングでもそうだと私は思っている。せっかく親がついて来たのなら,なるべく親とも会う。周りに事務職員がいるから事務職員の協力も得る。精神分析も使うし,暗示も使う。(p.195)

     クライエントが頭を下げるに価する学問を身につけること,これは私の倫理であると思っている。(p.197)

     本を読むことも倫理である。一冊の本を読んでいなかったばかりに,助言・処置が今ひとつ表層的・常識的に終わるということがある。それはクライエントに申しわけないことである。ななめ読みでもよいから,一冊でも多く読むのがよい。いや,読むべきである。(p.208)

    「若いうちは,好きなことをしてメシが食えるというのはむずかしいよ。ある年令になって初めて,好きなことが収入につながるようになる。それまでは勉強して実力を養っておくことだ。満を持して放たずというあれだよ,君」(p.226)

  • 凡百のマネジメント本が100冊束になってもかなわない一書である。「コミュニケーションの技法」として読むことが可能だ。上記テキストからも明らかなように國分は実務家である。たぶんカール・ロジャーズの名を借りて来談者中心療法を悪用するカウンセラーが多かったのだろう。因みに患者をクライアント(来談者)と呼んだのはロジャーズを嚆矢(こうし)とする。
    http://sessendo.blogspot.jp/2014/04/blog-post_9431.html

  • 「技法」「理論」「原理」の三部作の名著なんだろうが、カウンセリング初心者には、難易度は高い。更に深く勉強するための入口にあたるのかな。

  • 1979年発行という昔々の本なのに、今読んでもちっとも古くないし、文体も読みやすく、読んでいて面白い。
    カウンセラーは人間好きであるべし、ある一つの手法に囚われず自分をさらけだすことを恐れずに、手法の正確さより効果のあるなしで判断する、など、実際的だなー、と感心した。
    また、文末の読むべき本リストも活用したいなーと思ったけれど、なにぶん、すごい量!
    これだけ勉強し続けないといけないってことなんですね。

  • とにかく国分節とでも言いたくなるような、直截な言い方が分かりやすい。すいすいと頭と心に入ってくる。

    技法とあるが、特別なものは挙げられておらず、あくまで基本的なもの。カウンセリング初期、中期、終期にわけて、具体的に論じている。特に、ロジャーズ理論とのスタンスの取り方は、随所に甲乙を付けながら、触れているので、有益である。

    全般的に、何のために=目的、目標が明確で、そのために、常に頭をリセットしろ!と言われているように思う。ある一定の理論に凝り固まるな、と。

    とりわけ、支持、称賛、他者への弁護あるいは非難、診断、抵抗、対抗感情転移の項目は目から鱗であった。

    巻末の参考図書も他のカウンセリング入門書とは趣が違い、広い意味での人間を知るための推薦書になっている。

  • ■キャリアカウンセリング講座の中で先生にお勧めしていただいた本。■カウンセリングの本である。しかもその技法について述べたものである。プロがカウンセリングをする際、どんな風に心を動かし、思考を巡らせているのか。それによってクライアントの気持ちがどう動くのか……そんなん!難しいに決まってる。だって表紙だって堅い感じだし。と思いながらも勝って呼んでみると「ウソでしょ」ってぐらい読みやすい。わかりやすい。■カウンセリングの技法ってものは「神業」!カウンセリングを学びはじめたばかりのわたしにとってはそうとしか思えないのであった。(3月4日読了)

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