感染症と憲法

  • 青林書院 (2021年3月13日発売)
3.00
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 18
感想 : 5
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (284ページ) / ISBN・EAN: 9784417018087

作品紹介・あらすじ

コロナ禍を素材に憲法の視点から感染症問題を考察。
リスク社会の立憲主義を念頭に,国家と公衆衛生の関係を探り,自由と安全のバランスのとれた感染症対策のあり方を検討。感染症法制を考える際の基盤となる研究書。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 自粛ベースのコロナ対策の憲法問題を論じる。
    現在、第5波を迎え、自粛ベースの対策は機能しなくなったように見える。次の段階に、強制措置を可能とする立法が課題になると思うが、自由と規制の間にあるグレーゾーンを上手く活用して自由と安全のバランスを保ってきた日本型の憲法秩序に影響を与えることになるので、憲法政策の観点からそのコストベネフィットを検討する必要がある、と主張する。

  • ■総括
    この本は、従来からの古典的立憲主義では現代社会に適さないとする問題意識があり、ヴァーミュールの最適化立憲主義(optimizing constitutionalism)に立脚しながらコロナ禍における諸問題を論じている。しかし、「感染対策について国家が悪さをするはずがない」という性善説にたっているようで、行政の権限拡大を無批判に是認する安易さが目につき、説明に説得力が感じられない。どうも上手くいっていない印象を受ける。
    そもそも著者はどうして最適化立憲主義なる新説に立脚したのか。それはコロナ禍における国民の意識が従来の憲法学の常識とかけ離れているという点が契機になっているようだ。
    従来の憲法学では、国家による規制は最小限度にして国民の自由を守るべきというのが基本だが、今回のコロナ騒動では、国民が国家に対して「もっと規制をかけてください」と要求する現象が見られた。「コロナが蔓延しているのだから安全第一でしょ。自粛に従わない人がいるのは許せない、政府はもっと強制的な措置を取るべきだ!」というのが民意(コモンセンス)だった、とする。この現象をどう見るか。
    著者によると、このコモンセンスは妥当なのに人権尊重に固執するばかりに新たなリスクに対応した有効な対策がうてない。だから場合によっては人権を抑制できる考え方があっても良いのではないかとする。古典的立憲主義は日本には適さないので固執せず、あらゆるコストベネフィットを比較衡量する新たな立憲主義(最適化立憲主義)によるということだ。
    しかし、この最適化立憲主義は、口先では「必ずしも人権抑制をするばかりではない」と言うには言うが本心はそこにはなく、「最適条件がそろえば」人権を抑制してもよいという結論を導く理論だ(そうでなければ新たな理論にする必要性がない)。これはすなわち、古典的立憲主義が墨守してきた人権(憲法の価値)が崩されるということだ。「それでもいいんだ(最適なんだから)」ということなんだろうが、2020年からのコロナ騒動は(著者の思惑とは裏腹に)理論的にも、現実的にもその理論の不都合性を露わにしたと私は思う。

    ■現実的な不都合
     戦争と疫病はいずれも「外敵による侵略」で国民大衆に恐怖心を植え付けるという点で類似する。そして、国家によるプロパガンダ宣伝が多くなるのもよく似ている。外敵を防ぐためという目的の正当化のために「手段を選ばず」ありとあらゆる人権侵害が起こりやすいのもそっくりだ。
    今回のコロナ騒動では、冷静にデータを見れば「さざ波程度」の重症化率・死亡率で、当初から大騒ぎをするほどの伝染病ではなかったが、必要以上の恐怖心を煽るプロパガンダ情報が流された。ワクチンに反対する意見等には「反ワクチン」というレッテル貼りが横行し、公的見解に異を唱える反対意見は専門的な科学的見解であってもYoutubeやSNSで削除された。マスク着用・アクリル板・ソーシャルディスタンス・黙食・新しい生活様式・ワクチン接種などを推奨する公的見解が常に「正しい情報」とされた。これらは戦時中の「大本営発表」そのものだ。
    しかしこの著者にそのような認識は1ミリもない。まるで政府の専門家による見解は「正しい情報」と思い込んでいるようだ(そういう前提の説明しかない)。しかし、現実は違う。この状況で少数派が「自分の身を守る」には古典的立憲主義に頼るしかない。実際に私は生まれて初めて憲法の「ありがたみ」を感じた。最適化立憲主義が採用されていない現状に安堵している。民意が後押しすれば「状況が許せば、あらゆる強制も可能」といえるのが最適化立憲主義だ。感染対策のためには全国民にワクチンを強制せよという意見も、それが(リスクを過大に評価するなどして)最適と判断されれば強制されうるのだ。また、いったん戦争が起これば「無駄な戦争だから止めろ」という反戦言論は、国益優先の最適化条件を前に厳しく規制されるだろう。
    これは、単なる人権抑制の手段にしか過ぎないではないか。あらゆるリスクをマネジメントしましょうという美辞麗句には騙されてはいけない。たんなるダマシで、これは全体主義へ一直線の危険な思想だ。
    ■理論上の不都合
    最適化立憲主義(optimizing constitutionalism)は、語句通りoptimisme(オプティミズム)を思想的な背景に持つのだろう。Optimaとは「最高到達点、最適状態」のことをいうので、要は最適化立憲主義とは、「あらゆるリスクをちゃんと計算して、ただしく計算すれば(1つの)正しい解に到達し憲法価値を実現できる」ということで、これはオプティミズム(合理的に考えれば全て解決できるという思想)の派生バージョンだ。
     しかし、そもそも「ちゃんとリスク評価をすれば最適解が見つかる」という保証はどこにもない。人類史上でも、現実の世の中でも正解が分かることは少ないし(そんなに単純に解決できないし)、正しい判断ばかりできる聖人君子のような人間像も想像できない。つまり、最適化など絵空事で、どうせ「できっこない」のだ。
     このことは思想史上でもヴォルテールが指摘して以来、ずーっと言われているオプティミズムの欠陥だ。最適化立憲主義はその欠陥を内包している。
     他面、古典的立憲主義であれば、何が正しいかは棚に上げてしまうため、そんな失敗はない。そもそも国家による規制は「性悪説」で考える。こちらの理論のほうが現実的で、かつ大人の考えだ(間違いが少ない)。
     また、最適化立憲主義はルソーの「普遍意思」の再来だ(これが一番怖い)。あらゆるリスクをマネジメントした最適解は「無敵」なわけなので人権よりも優先されるべし、となる。清水潤(白鴎大学教授)によるとヴァーミュールは「政府は強制的手段によって(場合によっては被治者の意思に反して)共通善を保全すべき」と主張しているそうだ(けいそうビブリオフィル、https://keisobiblio.com/2022/02/24/vermeule_gappyoukai01/)。共通善を最上位とする全体主義体制が見えてくるではないか。つまり「立憲主義の皮を被った全体主義」が本質であると私は思う。

    ■流言・デマへの対処と表現の自由(第5章)
    一般人が流言やデマを発信するリスクについて論じているが、政府が流言やデマを発信するリスクについては全く想定していない。この点は致命的だ。
    2020年からのコロナ騒動では公的見解に反する意見は「デマ」扱いされた。しかし、実際に「デマ」だったのは公式見解のほうだ。2022年現在、「ワクチンに後遺症はない」「95%の感染予防効果がある」「心筋炎は起きない」という公的見解はすべてウソであったことが判明している。
    コロナ騒動における言論活動に大きな影響を与えたのが大手SNSによる情報統制だ。国民の自由な言論活動にこれらのプラットフォームは不可欠になっているが、公式見解に反対する意見はことごとくBAN(削除)された。実質的な検閲行為は現在進行形で行われている。この点について、著者は憲法上問題があると思うどころか、「デマ」に対処するための「穏当でソフトな手法」とまでいい肯定的な評価を与えている(p182)。
    いったい誰の味方なんだよ、御用学者ですか?といいたくなる。私は世の憲法学者に聞いてみたいものだ。憲法学者はこの程度の認識しかないのか。こういう憲法の網の目をくぐり抜けた言論統制について、いかに言論活動を守るのか、そういう立憲主義の視点が必要なんじゃないですか?と私は思う。
    ■同調圧力などの日本的特質について
    著者は、欧米型の強い個人と日本型の弱い個人を対比する。そして他者と歩調を合わせ、従わない者に同調圧力にかける日本人の特質について、一定の評価を与えている。同調圧力があると各人が周囲に合わせようとするのだから公権力が介入しなくても社会的利益が保持されることになるからとしている(p258)。
    ただ、この点も著者の感覚には違和感を覚える。公権力による介入じゃないから「よかったね」と評価なんてできない。強い規制も弱い規制も「規制される側からすれば同程度」だからだ。
    たとえばマスク着用について日本では公権力から強制はされないものの、教育機関や電車、小売店など津々浦々で「意に反した着用を強く求められる」行為が横行した。強制の程度はノーマスク民には(公権力でも同調社会でも)同じだ。実質的に見れば日本社会全体を敵に回しても自らの意思を貫く覚悟のある人だけがマスクを外し、内心は「マスクなんて意味は無いな」と思う人がびくびくして外せないのが現状だ。「令和の竹槍訓練」と揶揄されるマスク着用を、日本人の特質として肯定的評価を与えるのは倒錯した思考のように思われる。
    そもそも自らの意思に基づいて自由に行動することが自由主義の本質のはず。これを空気を読むのが日本人の良いところ・・・で片づけてはいけない。重苦しいムラ社会の因習そのものだ。未開社会の土人が因習を自慢しているようで、恥ずかしくて、私はいたたまれない気分になった。
    全体の空気に従わなければ人権はないも同然の社会であれば、他国に見られるような一党独裁の管理社会と大差がないことになる。そういう国にしたいのでしょうか?ムラの掟に従わない自由人は生きていけない社会でいいのですか?
    「ソフトな規制」といってしまうのは評価を誤っている。また国家によるソフトなパターナリズムに近いアプローチも「ソフトであれば良い」というものではない。そもそもアプローチをされる必要性自体がゼロ(存在しない)なのだ。全体の空気を原則として「例外的に人権を保護して過度な強制はだめですよ」などといいながら迫ってくる社会は根本的に「非立憲主義」として反対すべきだ。「マスクは有害無益だ」と科学的根拠に基づいて判断している個人からすれば「大きなお世話」であるし、その政策自体の誤りを民主政で正せるように同調圧力を廃し、言論の自由空間を守ることこそが今まさに必要なのだ。

  • 海外には公衆衛生に関する法を専門に取り扱う分野があるとの指摘は重要である。
    それにしても、プライバシーと防疫対策に関する論考がないのはどうしたことか。

  • 東2法経図・6F開架:498.6A/O12k//K

全5件中 1 - 5件を表示

著者プロフィール

慶應義塾大学教授

「2025年 『一歩先への憲法入門〔第3版〕』 で使われていた紹介文から引用しています。」

大林啓吾の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×