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Amazon.co.jp ・雑誌 (100ページ) / ISBN・EAN: 9784418111121
感想・レビュー・書評
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掲載順は違うが古代から戦前までの悪役を紹介。
戦前になると軍人の悪人多し。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「平清盛の五男・平重衡が日本史で“悪役”と呼ばれる理由」
日本史の中で“悪役”と言われる人物がいます。立場や見る人の考え方によって善し悪しの見え方はそれぞれ。ですが、多くの人を敵に回し、因果応報ともいうべき非業の最期を遂げたのが、平清盛(たいらの・きよもり)の5男・平重衡(たいらの・しげひら)[1157年(保元2)~1185年(文治1)]。
南都寺院を火の海にした「仏敵」といわれています。さて、どんな人物だったのでしょうか。
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平清盛の5男として生まれ、1162年(応保[おうほう]2)に叙爵(じょしゃく)、その後は順調に出世して、1180年(治承[じしょう]4)には蔵人頭(くろうどのとう)へ累進する。そのころから「三位中将(さんみのちゅうじょう)」と呼ばれるようになる。
平重衡の有名な悪行は主に神仏に関するものである。当時は今よりもずっと神仏には特別な力があるものとされていた時代だった。そんな時代にいながら、興福寺(こうふくじ)・東大寺(とうだいじ)に火を放ち、大仏殿を焼け野原にした重衡は、さぞ極悪人物だといわれたことだろう。
1180年(治承4)、重衡は源頼政(みなもとの・よりまさ)が企て、以仁王(もちひとおう)が進撃した平家打倒の謀叛(むほん)を迎え撃つ。同年、平家は頼政と以仁王の平家打倒に呼応した興福寺、東大寺に攻撃を仕掛ける。南都(※京都を北都と呼ぶのに対し、奈良を南都と呼んだ)の寺院は以前より平家に対抗をしていた。重衡はこのとき総大将として参加し、奈良へ4万の軍勢を率いた。
南都寺院での戦いが夜まで続くと、重衡は同士討ちを避けるために「火を灯せ」と命令をくだす。その命に従い、松明(たいまつ)代わりに民家に火をつけると風に煽られ、あっという間にその火は興福寺、東大寺にまで及ぶ。
南都の大衆は逃げ惑い、寺の内へと急いだ。大仏殿の2階に上り、重衡の軍勢から逃れるためにはしごを外すと、人々は猛火に襲われる。逃げ場はなく、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中、3500人余りが焼け死んだという。
重衡による南都滅亡は『平家物語』では第五巻「奈良炎上」として描かれる。興福寺、東大寺の炎上は故意だったのか、過失であったのか。同書のなかでは、故意の上で焼き払ったとしている。
~日本史100人ファイル『日本史“悪役”100人』より
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時の権力者となった重衡の神仏をも恐れぬその行動は、多くの人々の命を奪い、恨みを買いました。平氏滅亡後、源氏に捕らえられた重衡でしたが、その焼き討ちという所業を憎んだ南都寺院の衆徒の強い要望によって南都へ引き渡され、木津川河畔にて斬首されました。
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