ビジュアル ライバルで読む日本史 古代から近代まで、歴史を面白くした100の「対決」

  • 世界文化社 (2012年4月21日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784418122110

感想・レビュー・書評

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  • ★★★★☆
    ライバルって燃えますよね^^
    小野田先生の文章は、詳しく分かりやすくおもしろい!
    ふりがなをきっちりふってくれているので、小学生も
    6年生の調べに重宝しそう
    (まっきー)

  • 2015年1月10日に紀伊国屋書店台北微風店で購入した。

  • 「ライバルとして読む”平清盛 vs 源義朝”の生涯」

    武士政権の礎を築く流れをつくった平清盛(たいらの・きよもり)と源義朝(みなもとの・よしとも)。今回はふたりの生涯を“ライバル”という観点から見ていきます。

     * * *

    平清盛(たいらの・きよもり)と源義朝(みなもとの・よしとも)はそれぞれ1118年(元永1)と1123年(保安4)に生まれた、ほぼ同世代の武士だ。しかし、2人の前半生は対照的だった。

    武士として初めて昇殿を許された平忠盛(たいらの・ただもり)の子として、清盛は中央政界で昇進を重ねる。一方の義朝は、官位を持たないまま東国(とうごく)に下向し、曾祖父 源義家(みなもとの・よしいえ)が築いた関東の地盤の再構築に精を出した。

    2人の運命が交錯したのが、保元の乱。清盛と義朝は、共に後白河天皇のもとに駆けつけ、崇徳上皇方(すとくじょうこうがた)を打ち破るのに大きな功績を挙げた。

    この功績があって、2人は後白河院政の政権内部で重きをなしていくが、義朝の官位は本人が望むようには進まなかった。後白河の近臣であった信西(しんぜい)が義朝に好感を抱いていなかったからである。

    信西の専横に怒る義朝は、信西の政敵である藤原信頼(ふじわらの・のぶより)と共謀し、清盛の留守を狙って挙兵。信西を殺し、後白河と二条天皇を幽閉する。

    清盛は、特に信西派だったわけではないが、上皇・天皇を幽閉するという義朝たちの暴挙を見過ごすわけにはいかなかった。上皇と天皇が脱出し、清盛に庇護を求めると、これに応えて挙兵。東国からの救援が来ないうちに義朝を打ち破った。

    信頼は討死に、義朝は東国に落ちのびる途中で部下の裏切りにあって落命。その子供たちも、捕らえられたり戦死したりと敗残の運命をたどることとなる。

    この義朝の子どもたちの中に、源頼朝(みなもとの・よりとも)がいた。頼朝は義朝の三男。平治の乱当時13歳の若武者だった。

    2人の兄はこの戦乱の中で死んでおり、捕えられた頼朝も処刑されると思われたが、結局伊豆への流刑に処された。清盛の養母である池禅尼(いけのぜんに)が助命を嘆願したからという。清盛は、京から遠い伊豆に置いておけば、問題を起こさないだろうと判断したのである。それが、京で育ち、中央政権で出世を重ねた清盛の限界だった。東国の事情、地方武士の中央政権に対する不満が見えていなかったのである。

    ~『ビジュアル ライバルで読む日本史』より

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著者プロフィール

1944 年、静岡市に生まれる。1972 年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。2009 年3 月、静岡大学を定年退職。静岡大学名誉教授。著書本、監修本、多数。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の時代考証も務める。

「2021年 『東京の城めぐり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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