利休の茶を問う (佗び茶とは何か)

著者 : 立花大亀
  • 世界文化社 (2012年6月16日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784418125074

作品紹介

105歳で遷化するまで、多くの人々を魅了し続けた大徳寺を代表する高僧の、心に沁みる遺稿集。

利休の茶を問う (佗び茶とは何か)の感想・レビュー・書評

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  • 南方録にあるのを利休の言葉とするなど、根拠が自己中心な感じがするが、それをあまり嫌味に感じさせない妙な文章。あまり得るところはないが、次の文も読みたいと思わされた。
    津の茶のエピソードが一番印象的。

  • 「行き詰まったとき、人が茶道に向かう理由」

    私たち人間の暮らしは、毎日変わりなく流れていくようで実はそうではなく、後戻りのできない毎日の積み重ねです。喜怒哀楽は年齢を重ねるごとにその深みを増し、とくに悲哀の痛みは、ことのほか堪えます。

    そんなとき、茶道や禅に身を投じ、今ある環境や己(おのれ)の心と向き合って答を見つけるという方法もあります。それはときにとても苦しい作業となりますが、その中から見えてくるものもきっとあることでしょう。

    今回は京都府にある臨済宗大徳寺派大本山 大徳寺の名僧 立花大亀(たちばな・だいき)氏の著書よりお届けします。105歳で遷化(せんげ※)されたかの名僧。茶道や禅を通して得た言葉から見えてくる何かが、あります。

    ※遷化(せんげ)……高僧が死去すること

     * * *

    千利休の言行録である『南方録』の最後の言葉に、「茶の道かと思えば、即ち祖師物の悟道なり」とあります。茶の道はただ単に茶の湯のみでなく、行きつくところはわが禅道仏法であるということを示しています。すなわち、茶禅一味の境涯です。

    仏様や祖師方は、何を教えんとしているのでしょうか。まさに、この大宇宙の真理を教えんとしているのです。

    私どもは人間として生きることも自然でありますが、えてして人は自然を失い、自分という小さな穴に入りこみがちです。一個のわれを深く見つめて、おのれとは何か、自然とは何かを悟らしめるのです。茶の道も、結局はこの道を教えるものにほかなりません。

    人とは、自然から生じたとはいえ、人間の愛執(あいしゅう)の結実(けつじつ)なるがために、また欲望をかぎりなく行うものであるがために、必ずや人間生活には行き詰まるところが出てきます。

    矛盾といえばたしかに矛盾です。しかし、またそこに人間生活の妙味もあります。

    利休はこの妙味のあるところを取り上げて、矛盾の世界を矛盾としないで、これぞ人間の人間たるゆえんであるとして、茶の湯を創造したのです。しかも、それにはこの時代のだれもかれもが望んだ舶載品をもってし、数寄(すき)と称して割り切れぬ気持ちを割り切り、あたかも禅の修業をわが家で、しかも日常茶飯事をもって行えるようにしたのです。
    ~『利休の茶を問う』(立花大亀)より

     * * *

    タイトルや目次を見ると茶道の心得を記した本のように見えますが、ひとことで言うならば、人として必要な「心ばえ」について書かれたもの。生きることに悩んだとき、ひとりでどうしようもなく苦しいときにページを開くと、自分の心に向き合う勇気と力が生まれてくる1冊です。

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