本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
本 ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784420310970
作品紹介・あらすじ
味の記憶は、愛の記憶
父はアメリカ人、母は韓国人。
十代の日々に一度は決裂しかけた母を闘病の末に亡くし、
韓国文化との唯一の架け橋を失ってしまった著者、
ミシェル・ザウナー(ジャパニーズ・ブレックファスト)がだどる、
喪失と再生のメモワール。
ニューヨークタイムズ、タイム、エンターテイメントウィークリーなど、10以上のメジャー媒体で2021年のベストブックに。オバマ大統領も推薦!
「Hマート」は、アジアの食材を専門に扱うアメリカのスーパーマーケット。人々が「故郷のかけら」や「自分のかけら」を探しにくるところ。――韓国人の母とアメリカ人の父のあいだに生まれたミシェルは、アイデンティティに揺れる十代のときに音楽活動にのめりこみ、猛反対する母親とは険悪な関係に。それから十年、やっとわだかまりがとけかかったころ、母親の病気が発覚。辛い闘病生活の末に母は亡くなってしまう。喪失感から立ち直れず、途方にくれていた彼女を癒してくれたのは、セラピーでも旅行でもなく――韓国料理だった。
【著者略歴】ミシェル・ザウナー Michelle Zauner
韓国ソウル生まれ。米国オレゴン州ユージーンで育つ。父はアメリカ人で母は韓国人。16歳でギターを手にし、作曲を始める。Japanese Breakfastの名で発表したアルバム「Psychopomp」(2016)で注目され、「Soft Sounds from Another Planet」(2017)を経て「Jubilee」(2021)を発表。2022年第64回グラミー賞2部門にノミネートされた。
「Crying in H mart』(本書)は2021年に刊行され、1年以上ニューヨークタイムズ・ベストセラーに入り、10以上のメジャーな媒体でベストブックに選出されている。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
これは友達に勧めてもらった本。最初はなかなか流れに乗れなくて読み進められなくて、面白いんかなーなんて疑いを持ってしまったけど。とんでもない。疑うのが愚かな行為だって思わされるほど、親子の関係について、親子の関係にどれ程深く「食」というものが絡み合ってるか、また子への母の愛情の深さ(もちろん、父の愛情もあるだろうけど、この本は母がメイン。)があるのか再確認させてくれた。私の母はまだまだ健在だし、元気いっぱいだけど、いつかの別れについて考えさせてもくれた。命あるもの、いつか朽ち果てる。たまにこういった本を読まないと親は永遠ではないことを忘れてしまう。
親子の関係については、とにかくこの2人はファンキーだった。全体を通してファンキー。特に、お母さんの方が物凄い強烈。だけど、読み進めると、娘もなかなかしっかり強烈で、親子だなって感じがする。
そして、この話の肝、親子関係に絡んで美味しそうな母の手料理の話がたくさん。韓国料をたくさん知らないけど、ぜひ食べてみたいなってご飯がたくさんあった。それと同時に、やっぱりどの国でも母の料理の偉大さ、自分を作った母の味は一生物なんだなって。読み進めながら、自分の母親のご飯が恋しくなった。なんで今私は母のところにいないんだって何度も思った。何度も大好きな母の料理を思い出した、他人の母の料理なのに。それくらい色こく親子関係に「食」が韓国のカルビのタレみたいに絡み合ってた。
ちなみに、彼女のお母さんが彼女にブーツを贈った話の時はもう涙が溢れそうになった、通勤ラッシュの満員電車で。
とにかく、母は偉大なんだな。私は今のところ、母になる予定はないけど、なるならちょっとこのお母さんにみたいにファンキーで自分の母みたいに愛と優しさに溢れた感じになりたいな。 -
韓国人の母とアメリカ人の父を持つ著者。末期癌と診断された母親を看取るまでの記憶を、家族との関係を軸に書いた日記のようなエッセイ。彼女のこれまでの生き様が丁寧に綴られる。母親との確執を解きながらも後悔したり過去を責める彼女の姿が、すごく胸に迫る。大切な人の死に直面したら、後悔することはどれだけあるのだろうか。彼女と母親の架け橋になったのは、韓国料理だった。キムチやのり巻きやごま油の味。彼女が韓国料理を作ろうとキッチンに立つとき、毎回母の記憶を手繰り寄せるのだろう。誰かと繋がり作るご飯はどんな味がするのかな。 -
チャプター11からはぽろぽろ泣きながら読んだ。
私にも、自分のためにとってある10%がある。
無意識にしていたことが物語の一部になっていて母娘への親近感がぐんと湧いた。
時に娘として、時に母として、時に姉として、
この作品に出てくる女性たちのそれぞれの立場に想いを馳せながら「終わらないでほしい」と願ってしまうほど没入し
無心でページをめくって1日で読了した。
個人的に心から凄いと思うのが、毒親家庭で育った父親を持ちながらも、著者が健やかに育ったこと。
父親がかなり壮絶な育ちをしている今作のような場合、子どもにも何らかの影響が出る家庭が多いけど(思春期に紆余曲折あったとはいえ)
母親が深い愛情で著者を包み、優しく厳しく育てて(しかも異国の白人コミュニティで!)最終的には著者自身が自分の出自に誇りを持てるようになるまでにステキな関係性が出来ていて、本当に凄いことだなぁと読みながら終始感動していた。
The summer I turned prettyのOSTで偶然知ったJapanese breakfastの曲からこんな素敵な物語に出会えた幸運に胸が一杯になる。
映画化されるとのことだけど、あまりにも本が素敵すぎて観たいような観たくないような…。 -
著者が20代の時の体験が中心のため、感性や心身がフレッシュで元気だと感じた。母親の病を受け入れられず過度に回復を期待し副作用に苦しむ母親に無理に食べさせる場面や、彼氏と結婚したり、料理にいそしんだり、バンド活動したり、何というか…喪失前も後も、悲しみに打ちひしがれても、今後の自分の人生を埋める作業であふれているのだ。
私のようなくたびれた中年だと「治らないことだってあるんだ」と自他の病を葛藤しながらも受容し、闘病中の姿を見て「私だって将来こうなるのだ」と自己に重ね合わせたり、モノも人間関係も断捨離したりと、引き算をする人生の段階にいる身としては、生命の痕跡を残すため奮闘している著者がとても眩しい。
感心したのは、韓国人の結束の強さ。親友が数週間も住み込みで看病したり、姉妹として最大限のサポートをするとか…日本では親友や家族と言えど、ここまでするかというほど世話を焼いてくれる姿が印象的だ。
個人的に爆笑したのが(笑う場面では全然ないが)、著者による最後の謝辞で、父親が出ない…!
闘病中の身内を持つ者として、いずれ迎える喪失に備えた感情ワクチン的な効能としての本を時々読んでおり、本書もその関連本と勝手に見なして手に取ったが、別の本で「どれほど親が老いても、関係性はかつてのままで、お互い変わらないし、変われないのだ、という新たな失意を実感すること」という記述がぶっ刺さった身として、ほんとそれなという思いで読了。自己の確立に葛藤し挑戦し続ける著者を応援したい気持ちになる。
ちなみに、食欲が刺激される本との評判だが、著者の母親の闘病の姿や著者の強く深い喪失の描写が苦しくて、食欲には至らず。しかし終盤の、みずみずしい描写でたまらなくなり、冷蔵庫からキムチ(チャンジャと水キムチ)を取り出した。キムチを食べながら読書をしたのは初めてです。 -
声をあげて号泣した一冊。父の書斎に置いてあったのを何気なく手に取り読み始めたが、3時間夢中で読み切ってしまった。素晴らしい翻訳による韓国料理の描写にお腹を空かせつつ、もう若くはない自分の両親を大事にしようと思える本だった。
カナダに留学中Hマートにお世話になっていたので、懐かしく感じたり、またルーツが韓国にある自分にとってはジョンやわかめスープなどの韓国料理や家族間の韓国文化など、馴染みの深い話が多かった。それもあって余計に感情移入してしまったのかもしれない。
アメリカに住む韓国人ハーフとして、多感な思春期には自分の韓国人の部分を隠そうとしたり、逆に韓国に訪れる際には自身に韓国の血が流れていることを証明する部分を探してアピールする主人公が、自分を客観的に描写されているようで少し心がザワザワした。
そして何より、主人公と母の関係がリアルで、自分と重ねてしまった。何歳になっても、親に褒められたい・認めてほしいという気持ちが自分にもあるのかもしれないなと思った。
キムチ、作ってみたい。 -
先にJapanese Breakfastとして知っていたが、文才もすばらしいとは!過度にエモいわけではない、とてもみずみずしい筆致。
「母親」と「食物」という、人がどうしても逃れられない根源にとことん向き合う若さと勇気と、その先に至った悟りや郷愁のようなものが、作品全体に充満している。さらにそこに彼女自身のブレイクまでの道のりが重なり、まさに「生きざま」を映すような唯一無二の作品になっていると思う。
わたしは母であり娘でもあるので、ずっと涙腺が刺激され、胸がしめつけられるようだった。パートナーであるピーターの人となりも最高。 -
初読
第1章Hマートで泣きながら
だけでもちょっと圧倒される良さ。
帯の「著者がたどる、喪失と再生のメモワール」
に集約される、アメリカで、アメリカ人の父を持つ娘が韓国人の母を亡くす物語。
私の亡母と同じ56歳での膵臓がんなので、
なんとなくどういう感じなのかイメージは出来るのだけど、
日本在住の日本人である我が家のケースとは
やはり違って、彼女のルーツを巡る様々な思いが軸になっている。
妻と母、同じ女性に対する喪失を父と共闘出来ない、
というのがなんとも切なくリアルで。
こういう事って起こっちゃうんだよなぁ
24クールの抗癌剤治療も虚しく亡くなった妹を見た経験から、治療は2クールまで、家族がいなかったらそれもしたか怪しい、というお母さんの選択はよく理解できる、と思う。
それでも苦しいのが末期癌なんだよね。
ミシェルの幼少期、サンナクチから始まる味覚の冒険、
大人を驚かし未熟な同世代をぞっとさせる事に喜びを見出す件、
キッチン・コンフィデンシャルでもあった私の好きなやつ!
「イェッポ」と心根の良さと外見の良さとの混同する美へのこだわり、食べ方にあれこれ口を出す愛情、家族で盛り上がる花札、あらゆる韓国ドラマや小説で見る韓国文化のあれこれがアメリカで白人の夫との娘を育てた1人の女性にもあったという記録。
抗癌剤治療の後、家族韓国旅行での母の入院を経てアメリカに戻り、結婚式を挙げ、看取り、父とベトナムに旅行後、新婚旅行として再び韓国に行き、母がわかちあおうとした記憶をあらたに体験するミシェル。
結局、人と人は記憶で結び付いているのだなぁと思う。
それにしても、母の死後、思春期からの母との確執の原因になった音楽でミシェルが成功して
ポン・ジュノがアカデミー賞を獲った年にグラミー最優秀新人賞と最優秀オルタナティブミュージックアルバム賞でノミネート、ヴァレンチノのドレスでBTSと記念撮影、といった華々しい成功を収める事になるとは!
とはいえ、この作品はその前夜。料理を通してゆっくりと再生していくミシェル自身の物語が私にも浸透するような感覚が心地よかった。
そして食べる物と民族と文化の結び付きの強さよ。どの文化の食べ物も絶対に貶めてはならない、絶対に。改めてそう思った。 -
米国の女性ミュージシャンが、韓国人の亡き母を偲んでものしたエッセイをもとに連作小説に。
ちょうど亡母の8回忌に読んでいたので…もう…思春期あたりに断絶があったことも含めて共感の涙涙。
記憶に残る母の味、癌と闘う母のために作る料理、伯母や母友の滋味あふれるごはん…泣きながらおなかがへるのです。
辻仁成が男手ひとつで息子を育てる助けとなったのは料理だったし、『検屍官』シリーズでスカーペッタが捜査の合間に作るのは凝ったイタリアン。料理することって、人を救うよね。 -
立場の弱い子供でありながら、自分の信念を貫いた著者の並大抵ではない精神力に感服。
彼女が望む愛され方ではなかったが、理不尽ですらある母親からの愛情を受け取っていたからこそ、互いを理解しようと歩み寄れたのだろう。
音楽のみならず文才までも!これからの活躍が期待されます。 -
海外で韓国の友達がホームステイ先でもキムチを持ってきていた事を思い出して、あまり日本の味に思い入れがない私は不思議に思っていたのだけど、これを読んでその理由の一端が分かった気がした。ミュージシャンの筆者のことは音楽から知ったんだけど、バックストーリーは全然知らなかったので今回読めて良かった。ウィル・シャープが監督と言うこともあり、映画化もとても楽しみ。
-
移民であること、故郷とはなにか、属しているものとは、と色々考えさせられるが、著者の母親の闘病生活が辛すぎてしんどくなる人もいると思う、どうしたって自分と母親との関係が重なってしまう しんどいのだけれどグイグイ読ませられる
食べ物とは記憶であり、思い出であり、会話のツールであり、人との繋がりであるものだなと
おそらくまたある時に紐解くであろうなと思わせる本 でもそれが遠く遠く先であることを望む本 -
景色や音楽から記憶が甦り胸がヂリヂリした経験ならあったが味にも同じ効果があるんだなという発見
体がちぎれそうな程の苦しみや悲しみが描かれつつも
こんなに愛しくてたまらない本に出会えた事に感謝
親になんとか元気になってもらえる、喜んでもらえる為にと自分の一生で一番とも言える大きな決心をするというのは思い当たる記憶が自分にもあるのでこれをある種のあるあるという枠に入れるには抵抗があるが
今差し出せる精一杯の"何か"がそれにはあると信じる
気持ちはよーく理解できる
バンドの方から先に知り出版した本がベストセラーになったという話しは知っていたが、これほど胸を打つとは。なるたる幸せな読書時間を過ごせたのだろうと思い返すだけで数々の場面を思い出してはまた泣ける -
母の病気・死をきっかけに、自分のアイデンティティを模索する。
悲しい部分もあるけれど、愛と優しさと感謝がたくさん詰まった、あったかい成長ストーリー。
自分も同じような年齢のときに、同じ病気で母を亡くしたので、なんとも言えない複雑な気持ちで(泣いたり、ほほ笑んだりしながら…)読んだ。
タイトルが良いなー。 -
実家を出て、両親との距離感がうまく掴めるようになった。特に母との関係は、前よりもずっとずっと良くなったし、前よりもさらに母のことが大好きになった。
それなのに、両親は着々と歳をとっていて、私は着々と大人になっていて、いつか両親がいなくなることを否が応でも考えざるを得ない年齢になってしまった。
私が生まれてから、ずっと私を見守ってくれた両親。そんな2人がいなくなっても、私の人生が続くなんてとても想像ができない。
そんなことを考えていた頃にこの本を手に取った。
著者の苦労と悲しみは、いつかのわたしが経験するものなのだと思いながら読んだ。
第一章を読んでいるときから涙がどんどん溢れた。
大事な人を失った喪失感を深めるのも、その喪失感を慰めるのも、その人との思い出なのだと思う。
著者と叔母の関係性が、とても美しくて、とても切なかった。
著者と同じように、わたしも思春期の頃、母に当たったこと、ひどい態度をとっていたことを思い出した。「そんなことがあったけど、いまは良好な関係だ」とわたしはのほほんと構えていたけど、母には、この本のお母さんと同じように、顔に出さないだけでしこりが残っていたりするのだろうか。
-
はじめまして。
全く同じような気持ちだったので、うっ、とまた目頭がムズムズしてしまいました。
近くにいるとわからないこと、遠くになってわかる...はじめまして。
全く同じような気持ちだったので、うっ、とまた目頭がムズムズしてしまいました。
近くにいるとわからないこと、遠くになってわかることがたくさんあって。生きているうちはそれはフィードバックできるけど、いなくなった後にはどうしたらいいのか、いつか必ずくるその時を考えると辛くなります。
お互い親をきちんと最後まで大切にできるといいですね。
失礼しました。2023/11/02
-
-
親の介護と死に向き合うことがいかに辛いことか、当事者のリアルな視点から語られており思わず感情移入してしまった。迷惑をかけた母親への後ろめたさと母親の力になりたいという思いの間で揺れる主人公の葛藤が伝わってきた。
-
レビューからどんな内容かは覚悟して読んだけど、
闘病のシーンは声を上げて泣きながら読んだ。 -
韓国人の母とアメリカ人の父、2つのルーツを持ち、アメリカで育ったミシェルの自伝的な話。2つルーツがあっても、韓国の親戚たちと満足に会話ができないこととかあるあるなことだと思うし、こうなるよねと想像できる部分もありつつ、等身大の苦悩だったり葛藤の過程が書かれていて、亡くなったお母さんを着替えさせるシーンや、遺品整理しててお母さんが残していたミシェルの思い出の数々発見するところ生々しかった。
お母さんが亡くなってからなぜか人生が好転しはじめるというくだりも、えーそんなことある?という気がしつつも、良かったね。そして今に至るのね。という感じ。
韓国料理で育って、その味を再現したいけど、どれを選べばいいのかわからないところ、普遍的な家族の喪失感じるきっかけな気もした。