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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784422112428
感想・レビュー・書評
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中年の哲学。「中年こそ哲学を」と言うべきか。本書で特に考えさせられたのは、そんなテーマだ。幸せとは何か。「中年の幸せ」とは。
河合隼雄の本はもう少し堅苦しい印象もあったのだが、本書は講演録であるためか、口調が柔らかく好好爺然とした感じで読みやすい。こころと人生に関するテーマに幅広くトークしていくのだが、その中に“刺さる言葉“があり、その度に脱線しては考えさせられる。
ー さっきのお父さんの言葉はすごくいい言葉ですね。今はボタン一つで月まで行く。ところが、どんなボタンを押したって、子どもが学校へ行かないということは動かせない。人間のあらゆる自然科学の知識を使っても動かしがたいものが存在するわけです。それは何かというと、子どもですよね。そう思いませんか。
人を動かすのは物理でも摂理でも、あるいは法理でもない。では、“こころ“は何に動かされるのか。その後も色々と言及しながら、ユングの言説に辿り着く。「中年の話」へ。
ー 「どうも中年というのは大変な時期だ」ということをユングは思いだしたんです。中年までは、うまくいく人は「よし、頑張ってちゃんといい人と結婚しよう、家庭も築こう、お金も儲けよう」というふうにして、ずうっと上がっていくんだけれど、上がりきったところで、結局、人間は死ななくちゃならない。そうですね。ちょうど太陽
みたいなもので、ずうっと上がっていって、上がりきったところでどこかへ行ってしまうというのじゃなくて、必ず沈むわけです。そうすると、「人間は、どうせ老いて死んでいくんだから、その老いて死ぬということを本当に意味のあることにしよう」と、今までとは全然次元の違う話になるんです。今までは「どうやって生きていくか」ということが、ものすごく大事なことでしたが、これからは「いかに死ぬか」ということのほうが、むしろ大事になってくるんじゃないかと思います。
幸せなんていうのは、自分がどう言い切ってしまうかという認知論でしかない。名もなき低い山を登って満足する人もいるが、名のある高い山を目標設定し、それを登って他人に語らなければ幸福感を得られない人もいる。他者に流されて「幸福基準」を設定していては、真の幸福には出会えない。だが、誰しも他者の目線は避けられない。
だから極力そうしたノイズに振り回されないよう、他者の目線を忘れるくらい夢中だったり、必死だったりという動的な瞬間が幸せに近い状態だと言える。生きることに必死であるがゆえ享受できる“不幸の忘却“という逆説的な幸福。
ところが中年になると、この「必死さ」は確実に衰えていく。体力の問題もあるが、それ以上に、人生の見通しが立ってしまうことが大きい。ある程度の達成と挫折を経験し、上り坂が永遠ではないことを、身をもって知ってしまう。ユングが言うように、人生が沈みゆく過程に入るとき、人は否応なく死生観と向き合わされる。
他者の価値基準を借りて設定した「幸福」は、つねに不安定で、更新を強いられる。真の幸福に出会えない理由は、幸福そのものよりも、基準が外部にあることにあるのだろう。
若い頃のように、外へ外へと価値を拡張していく生き方から、内側へと意味を沈殿させていく生き方へ。その転換がうまくいかないとき、中年は空虚や停滞として現れる。量産型の虚無おじさん。または虚無おばさん。
老いと死を見据えたとき、それでもなお「これは自分の人生だった」と引き受けられるだろうか。マスコミやネットに作られた価値観や定型文に振り回された、ミーハーでジャンク、代替可能なよくある量産型の人生だったとしても、それを引き受ける覚悟によりはじめて到達する。幸福とは高揚ではなく“納得“であり、静かな肯定なのかも知れない… 納得のためには信仰こそ救い。信仰の対象は、身近な他者への献身や、自己受容でよいはず。見苦しくなんてないんだから。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1999年出版ですが、『中学生のような顔をした日本の大学生』は、今の時代も続いていることだと思います。
子ども~青年~中年~老いまでの導きです。
軽妙な語り口で進んでいくので、気軽に読めますが
とても深いと思います。特に中年問題である創造の病。
私もその年代ですし、余計なことばかり毎日考えて過ごしているためです。子ども達は受験戦争に突入していくころで、なるべくゆっくり構えたいとは思っていても、周りがそうはさせてくれないのが辛いところです。
いろいろ問題が起きる中で、その問題を「せっかくの課題を、意味あることにして生きられないだろうかと、考える」それにより、うまく答えが出てくることがあると。
そして、名著の紹介をしながら、心理に迫るお話もとても面白かったです。夏目漱石の道草を読んでみようと思いました。
老いを考える章がとても勉強になりました。
対話のない夫婦の問題もよく分かり、ためになりました。何か問題が起こった時に対話は生まれるようですが、我が家の場合…もっと大きな問題がないと難しいのかなと思ったら辛いです。
「一人でも二人」という感じになると「二人で生きていても一人で生きていける」という風になるとおうことは胸に刻みたいと思いました。
『ひっくり返してものを見る』何もしていないことを良しとする。これも胸に刻みたい! -
カウンセリングや心理療法という仕事をしていると、多くの人の相談を受ける。すべて何らかの「困ったこと」や「苦しいこと」があるためである。その人たちはそれを何とか早く除去したい、そこから逃れたいと思い、来談される。しかし、むしろそのような苦悩を通じてこそ、自分の新しい生き方を探し出したり、自分の人生の意味について新しい発見をされたりすることになる。悩みが成長へのステップとなる。それが人生の面白いところである。(内容)
現代には「いかに生きるか」「いかに死ぬか」について考えざるを得ない反面、自分の望むコースを進めるという面白さがある。人生の悩みを成長のステップにし、新しい生き方を模索・発見する喜びについて分かりやすく語る。 -
人生航路をうまく説明されています。うまいです。心理的な見方はこうなのでしょう。逆転の発想が大事です。
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年代別に書かれており(というか、講演内容がそうだったようだ)、児童期、青年期と中年期の内容がなるほどなあと思う内容だった。河合先生の話はわかりやすく腑に落ちる感じ。
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子ども、青年、中年、老人、それぞれの時期の特徴、起こりうること、それらについての考え方が書かれてあって、おもしろい。新しい発見があると思う。
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中年の危機 苦難は下りていく人生を考える手がかり
みなさんも、どうも中年になって、「どうしてこんないやなことが起こるんだろう」と思われることがあるでしょう。そういうときは、「どうしてこういうときに限って、俺は転勤させられるんだろう」とか、「どうしてこんなときに、あの変な親類が出てきたんだろう」とか、「なんでこういうときに、こんな事故にあったんだろう」というふうに思うんじゃなくて、それは「中年というものをどう考えるか」、あるいは「上がっていく人生じゃなくて、下りていく人生・死に向かっていく人生というものをどう考えるか」ということのために、その手がかりを与えにきてくれているんだ、というふうに思いますと、これはずいぶん意味をもってくると思います。
(河合隼雄「こころと人生」)
要約
幼年期
親の心が落ち着いていると、子供は話をしに寄ってくる。せかさないで、ゆっくりと、ただ子どもの側にいるだけでいい。こちらの心が落ち着いていなくて「きょう学校でどんなことがあったの」とか、「早く言いなさい」とか、そういう調子ではなしかけると、「ううん、別に」と子どもは言います。
大人の常識ではなく子どもの眼でものを見る。そのために、児童書を読む。
子どもの背後に神さまがいる。
青年期
青年期の子どもさんのカウンセリングをするときは、気持ちにをしっかりもつ覚悟がいる。そうまでしなかったら「包まれている」ことがわからないんだというその人の過去をもう一度考えてみること。(裏切られたときは)はじめて一体だと感じられる人に会ったけれど、本当にこの人は自分を捨てないかどうか、今、試そうとしているんだというふうに考える。
老年期
社会の評価とは違う自分だけに意味のあることを見つけること。そういう自分の世界をつくれるのは中年から老人にかけて、ということをユングは言っている。
おじいちゃん、おばあちゃんがボケて困るというが、本当は言いたいことをすごく自分の中に押し込めておられる方が多い。「あれは老人ボケや」と言いたくなるときでも、「本当は何を言いたがっているんだろう」というふうに考える。
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