臨床の知:臨床心理学と教育人間学からの問い

  • 創元社
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  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784422115016

感想・レビュー・書評

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  • 以下引用

    中村→
    臨床の知を、コスモロジー、シンボリズム、パフォーマンスの三つの特性あるいは構成原理によって成り立っていると述べている。

    科学の知→非個人性、不変性、客観性を特徴としている

    科学の知は、抽象的な普遍性によって、分析的な因果律に従う現実にかかわり、それを操作的に対象化するが、それに対して、臨床の知は、個々の場合や場所を重視して、深層の現実にかかわり、世界や他者がわれわれに示す隠された意味を相互行為のうちに読み取り、捉える働きをする

    臨床の知は、科学の知とは異なるのはもちろん、従来より科学と対照的に語られてきた人文知とも異なる、フィールドワークの知ともいうべきものとして理解されている。

    存在の真理という出来事そのものに、その都度立ち会うことのできる「知」でなければならない。ここでは、「臨床の知」は知識として保有できるようなものではなく「瞬間の出来事として生起する」もの

    ★人類学的な知には、文化的差異を生きる相対的な他者(異人)は登場するが、絶対的な「他者」は最初から排除されている。それというのも、この絶対的な「他者」が示すのは、自己の同一性が破壊される意味の「外部(非知)」ではないかと思われる。日常慣れ親しんでいる「仲間」ではなく、また「異人」でもなく、「他者」あるいは「死」と向かい合う時、「臨床」という場が生起し、「臨床の知」が生まれる。むしろ「異人」とは、このような絶対的な他者を表象するものではなかっただろうか

    ★中村の臨床の知には、たしかにパトスが語られはするが、「知る」ことの暴力性や痛みや、あるいは自己を無にさらすまでにいたる『知る』ことへの恐ろしさ、あるいは一切の対象化を不可能にする無条件の「歓待」
    の喜びが欠けているように思える

    数学は、非個人性・普遍性・客観性を体現した道具としての「科学の知」の典型であるが、しかし数学者のなかで、新たな数学理論が生まれ出る瞬間は、美的であり、かつ身体的でありつまりはパトス的性格を帯びてはいないだろうか

    繊細の精神が働いていると言わざるをえない。このように科学の先端部で、新たな知を生み出す瞬間の科学の知は、臨床の知とつながっているのではないだろうか

    ファーブルが、昆虫を観察している瞬間、エジソンが蓄音機を発明する瞬間、アインシュタインが相対性理論を発見する瞬間、、、。事象に自己を沈潜させ、場のなかで自己と世界との関係が変容し新たな知となって生まれ出るとき、その地のプロセスは人に直接教えることができないパーソナルなものである

    それまでの世阿弥は舞台一筋であったことになる、文字に残すなどということは考えもしない。まして理論家して、後世に伝えるなどということは考えることもなく、ひたすら一座の成功を願い、舞台で舞っていた。さらに重要なのは、幼少の世阿弥が、その稽古において、「理論書」から学ぶという経験をしてこなかったということ。

    ★★自ら直接伝えることができなくなる将来を予感するとき、芸を絶やさぬために、何らかの形で残す必要を感じた。この時、重要なのは、文字が次善の策であったという点である。本来ならば、直伝が最も望ましい。しかしそれがかなわぬために、仕方なく、次善の策として、文字にして残す。世阿弥が最初に取り始めた時、どこかにそうした思いがあったであろうことは想像される。

    最初に筆を執り始めたときには、文字通り、父の教えを書き残すことを目指していた。ところが、書くという行為は自分自身を対象化させる。とりわけ自らの体験を整理して、解き明かす文章の場合、自己自身との関わり方が変化する

    ★★自覚せぬままに、父の遺訓を頼りにし、あるいは亡父の声が不意に訪れるという仕方で無意識に支配されていた時と比べ、少なくともその事態を自覚することができ、あわよくばその言葉を操作することすら可能な視点を獲得した。極論すれば、亡父の遺訓の亡霊から自らを解放してゆく体験であったことになる

    伝書を書くことは、ある時期から世阿弥にとって、観客のまなざしから隠れることのできる、観客に対して完全に優位な視点を提供する機会となった

    世阿弥は、父を意識すると同時に私を意識した。それに対して、観阿弥は私をもたなかった。意識もしなかった。農村の座に育ち共同体に守られそしてその中に生きた。それゆえ観阿弥は、なりきることができた。自己自身を対象化することなく、共同体の場から自己を独立させることはなかった。他方、世阿弥は自らを対象化してしまう。自分自身を対象として見る視点。自らを対象とすることのできる私を得た。と同時にもはや、自然に「なりきる」ことができなくなった。もはやその場に生じた流れに乗って、自然に舞うことが(自らを対象化する自意識によって)妨げられてしまう。だからこそ、あらためて、「なりきる」ための工夫を意識的に追及したことになる

    しかし「なりきる」ことができなくなったから伝書を書いたのか、それとも伝書を書いたから『なりきる』ことができなくなったのかか、、、、、秘伝を書くという営みが、こうした『自己意識』の発生と密接な関係を持つことだけは確か

    観阿弥は自己を対象化することができない。「なりきる」ことができた。世阿弥が理想とした「無心」の境地である。それに対して、世阿弥は、自己を意識する。自己を対象化する目を持つ。したがって、もはや自然に「なりきる」ことができない。(略)まだ何も知らなかった時の初心者の幸運は気が付いたらもうくり返すことはできない。あるいは、気づいた後で、あらためて無心になりきることのいかに困難であることか。

    問題の焦点は、「無心の体験」のために「自己対象化」の視点が必要になるという、一見逆説的な関係である

    気づいてしまったら、無心になれない。まして書くという仕方で自己対象化してしまったら、自然に舞うことはできなくなる。世阿弥はそうした危惧をもたなかったのか。つまり「伝書を書く世阿弥」の問題である。「書く世阿弥」は、「舞う世阿弥」から区別されなければならない。

    伝書を書く世阿弥は、舞台で無心に舞った経験を踏まえ、それを顧みるところにはじめて成り立つ。「書く」という営みは、自己反省的である。ましてその「書く」は、「歌う」ではなく、理論家する(整理して解き明かす)のであれば、その営みは、意識の自己回帰的機能を助長する

    世阿弥は、無心の境地を回想したのではない。伝書を書く世阿弥は、舞台における無心の体験を解き明かそうとする。当事者はそれをいかに体験するのか、その境地をいかにして作りだすのか。作為性が消えた境地をいかに「招き寄せる」か。そうした工夫を何度も言い換えながら、言葉の内に書き残そうとする。

    ★★もし世阿弥が、「無心に舞う」境地に留まったのであれば、「伝書」を書き残すなどという「無謀な」ことは考えなかったはずである。無心の境地を文字に託して後継者に伝授するなどという試みを、ひたすら無心に舞う者は企てたりしない。

    では、世阿弥は意識の立場に戻って書いたということなのか。すべてを対象化する「近代的自我の」視点に立って芸論を展開したのか。そうではない。確かに「伝書を書く世阿弥」は、自己を対象化することができた。しかし、しないこともできた。意識化することもできるが、しないこともできる。その特有の「二重性」を本稿は「二重の見」と呼ぶ。

    ★★この二重は、まず同時並行と考えてよい。意識するとしない、自己対象化するとしない。その共存あるいはその往復。それを言い換えて、意識を自在に使いこなすということもできる。少なくとも、意識に囚われてしまわない、意識から自在に身を話すことができる。意識化することもできるが、しないこともできる

    しかしその関係は、調和とは限らない、むしろその対立を強調し、両者の矛盾を生きることが大切ということもできる。しなやかに矛盾を生きる。どちらか一方に偏らない。柔軟にどちらにも傾く、しなやかに揺れ続ける。ということは、二重の見は、実はこの二つを区切る境界線の消え去った地平に働くと語られても良いということ

    ★★そう考えると、伝書の目的とされる「伝える」の意味内容は、かなり慎重な検討を要する。その時代の人にとって「からだによってしか伝わらない」ことは当然自明のことであった。文字による伝達などできるはずがない。その場を共にするしかない。からだを通して伝達する以外に芸は伝わらない。そうした理解が自明であった世界の只中において、なぜ世阿弥は芸を言葉にすることによって、「残す」などということを考えたのか。しかも、わざわざ言葉で伝えずとも、既にからだを通して伝わっている。そうした者たちに対して、世阿弥はあえて、文字によって、理念を突きつけたのではないか。からだの感覚を絶対視させてはいけない。「からだでわかっている」つもりになってはいけない。つまり世阿弥は、「からだでわかった」つもりの後継者に、問いを突き付けた。それにより、からだの感覚を意識化し、対象化する。正確には、意識するこもできればしないこともできるという二重性を求める。後継者が、「自らのからだの感覚」と「文字として突きつけられた理念」との間にずれを感じ、そのずれに駆られて探求を進める。それを願ったのではないか。
    →「その文字」が目の前にあることで、自分自身の「立脚点」が相対化されたり、その文字自体が「非知」として、つまり外部を指し示すものとして機能したということを意味しているようにも思う。文字があることで、感覚の「外」への意識を芽生えさせることができたということであり、外への運動に参入する回路をつくったともいえる。これはつまり、自分自身の拠ってたつ『境地』を、指し示したということともいえるな。


    ★★確かに芸は、文字によっては伝わらない。しかしそのことをもって、直伝のみが特権的に重視されることを世阿弥は恐れた。身をもって受け継いだ身体感覚だけが一人あるきする危険。ましてそのまま権威となって固定してしまうことへの危惧。そこで身体感覚に対して、あえて文字による理念を突きつける。つまり直接伝授の身体感覚を異化する仕掛けとして、文字言語を、限られたものに残したのではないか

    ★★そう思ってみれば、文字にして書くことは、実は、体験の固定化に対する最大の異化作用となりうる。書くことによって固定するのではない。むしろ書くことによって、体験を宙づりにする。書くという仕方で、体験にまとわりついていた思い込みを意識化し、体験の根底に潜んでいた自覚されない自明の全体に光を当てることで、流動化させる


    体験を理論化する試みは、それを開始するにふさわしい「時」があるのか。言い換えれば、体験が順調に進んでいるときは、理論化する必要がないのか、理論化する必要を感じるのは何らか流れが滞る、順調でない場合か。

    一度、自己を対象化する。しかしそれに囚われない。むしろそこから離れることができる。離れないこともできる。その反転を内に秘めたダイナミズムを臨床の実際に即して、いかに育てていけるか。

    伝書を書いて、世阿弥は、自分の「能」を深めたことは確実であったと思う。親鸞も「教行信証」を書き換え書き換え、自身の信仰を深めている。

    臨床の知は、決して体験の知、感覚の知だけではない。書物の知、言葉の知でもあるのだ。体験の知から、書物の知へと還元していかなければならない。

    こうした主体の感情や感覚、思考は、触れ続けておくには耐えがたいものだ。しかし、それでも触れ続けようとせねばならない。そしてそれをその場の二人だけで主体の知にしなければならない。さらにそれを客観的な知識と照合することも、私たちはやらねばならない。この不可能に近い仕事に、私たちはかかわっている。

    この不可能に近い仕事を可能にしようとするには、準備が欠かせない。それは、私たち自身の主体的な知、つまり私たち自身につての主体な真実を感知し、実感するだけではなく、それらを必要なときに私たちの中で現実化できるための作業を成し遂げ続けること。私たちが、どのような誰であるかを、外側からだけでなく、内側から知覚し、認識していなければならない。このこことの活動を自己分析という

    みずからについての主体の知を得ないことには、他者の主体の知を実感することができない

    主体の知は、共通感覚を基盤にしている。その共通感覚を私たち自身においてどれほど実感をもって把握できているかが、他者の主体の知に出会うための前提。私たちは、自分のこころについて得ている実感を超えて、他者のこころを実感することはできない;

    主体の知が記憶という客観知識の形態に変形されたときには、もはや主体の知は失われている。記憶は、倉庫に並べられている知識にすぎない。その知識が、主体の知が得られたときにあった元来の感情を現実化しないのなら、つまり、今ここにある感覚として確実に復元されないのなら、それは主体の知ではない。

    元来の感情、共通感覚を蘇らせるための心の作業として、普段の自己分析が必要

    その女性の主体の知を得るには、私たち自身の主体の知が生きていなければならない

    ★★主体の知、ひいては臨床の知を得るためには、私たちが実感をともなって、感知する必要がある。そして、それは知らないという苦痛にもちこたえることによって、はじめて成し遂げられる
    →この「あいまいさ」「わからなさ」の保持は、確かに自分の場においても作動している。主体の知を感知するに際して、自己分析がかかせないというのは、おそらくは自分自身の主体の知→言語化という作業における鍛練が、他者の知を感知し、またそれを探索する際に有効にはたらくということかな。つまり微細に、まだ言葉になっていないものとして働いている兆候や震えを、まずは感覚し、それを引き受けつつ、そのかたちでないものから、ことばを立ち上げていくということ。

    自己分析は、極めて困難なこころの作業である。意識されていないものはわかりようがない。ゆえに私たちは、私たち自身が分析を受けるという形で、みずからの主体の知にまずは出遭おうとする。私たちの主体の知を実感できる人の手助けを仰ぐのである。そこから始まる。そして主体の知は、その個人によるその個人のための創造行為であることに気づく。ゆえに、それはやがて、個人分析を終えた私たち個々がひとりでなす自己分析に引き継がれる。私たちがこころの臨床家であるなら、それを続けないではおれない


    こうして私たちは私たちの臨床に戻る。それまで私たちがまったく知らない人とそこで出会うが、その人は私たちに理解され、援助されることを求める。あるいは、どんなことでもいいから、その人が楽になることを求められる。私たちは専門職として、その求めに対応しようとする。その人は、その人自身について何も言わず表さずとも、私たちがすでに準備している答えを即座に出すことを求めるかもしれない。しかし専門職である私たちは、専門知識は保持しているにしても、その人については何も知らない。ここで「知っている」と思うのは、万事休す。「答えは好奇心を病気にする、問いにとって災いである」「知識は、病気にかかっている無知」


    負の能力:不の能力、すなわち、真実や道理を得ようといらだってあがくことがまったくなく、不確実、神秘さ、疑惑のなかにることを、ある人物ができること

    知らないことは、答えの不在である。わからないという、その心的空間を確実に占める正解、すなわち充足をもたらすよい対象が全く欠如しているとのことを知らなければならない。無という空に直面するというひどい恐怖の体験が、知らないことに気が付くことなのだ。またそれは同時に、全知ではないとの万能的自己を喪失する痛みを感じることである

    わからないというフラストレーション状況に、私たちは三種の原初的な対応をする。
    ①悪い対象の幻覚。分からないというフラストレーションの痛みはそれとして体験されず、迫害が体験される。それは面接の拒否や分析不能として、具体的にのみ、対処される。「わからない」を感じさせる目の前の人物、あるいはもはや目の前にいなくなった人物は、苦しめてくるものとして、悪い対象として、具体的に取り除かれるしかなくなる
    ②わからないというフラストレーション状況の万能空想による回避。手持ちの知識、観念で、その空白な空間を一挙にここちよく埋めてしまう。即座に判断するのはその例。「人間関係が作れておらず、この人の話は
    情緒はない」など。客観的な知識の万能的な使用。それは、あらゆるものへの答えへの知識を私は持っているという全知という形態

    ③答えの不在にもちこたえながら、負の実感が得られ、現実化される答え。これが、私たちの臨床の知である、主体の知。

    不在にもちこたえることは何を意味するのか。それは、わかったという快に安易に走り込まず、その問いを吟味し続けること、漢字続けることである。ここちよい空想にふけることではなく、考えることは、現実に適う答えを得るためにそれらの空想を断念する作業。そこには快はなく、痛みをともなっている。答えの不在にもちこたえることは、この苦痛にもちこたえることに他ならない。真実に出会うまでは、もちこたえなければならない。考えることを信頼し、誠実に実行せねば

    ★現実化される知ることとは、実感をともなう感情体験。知識と感情が結合している体験である。まさに、その人自身の腑に落ちなければならない。その感情には、知りえた安堵とともに、重い悲しみがある。それは、真実を知ることにとって、真実の厳しさに向かい合うという抑うつ的な思いの発生であるとともに、大量のここちよい、もしくは破壊的な万能空想を手放さざるをえない喪失の悲哀。それが現実に沿う場合、あるものを得ることは、同時にその他のすべてを放棄すること

    答えの不在の苦痛への私たちの原初的な反応。知らないことの、この痛みを避けようとするこころの働きは執拗である。答えの不在にもちこたえ続けようとするための苦痛。とりわけ既成の答えを手放す喪失の悲哀という痛みーは避けられようとする。その回避に、四つの方策が試みられる。

    私に会ったことは、ようやくよき理解者に出会ったことで彼にとってはあった。しかし面接のなかで、私は彼に彼が回避している現実/彼の真実の姿を示した。彼はその現実をみとめ、それについて考えることをしなかった。その代わり、私を憎み始めた。

    知識の偽りの使用。真実を覆い隠すために知識を使用することー妄想形成。

    心理面接で私のほんとうの問題に面接者が触れようとすると、そうさせないように話を変えます。面接を私がコントロールします。だからカウンセリングは、何にもならないんです。

    彼女にほんとうになおるための長期の治療を提案した。「それは、できません」と答えた。彼や家族に病気を絶対に知られたくないこと、刻苦の末に積み上げた社会的キャリアを手放せないこと。「大変に苦しい人生ですね
    」やせに固執するしか存在を保てないとする主体的な信じつはわかちあわれた。

    無知のあろうとすることは、みずからの真実を知ることを回避することであり、こころを徐々に栄養失調にし、こころを餓死に至らせるものである。また偽りの知は、こころへの毒の食物。

    こころの病理を例示して、主体の知を達成することの困難さを示した。しかし主体の知が達成されないことには、健康な身体に、死につつある精神が宿ることになる

    ★経験から学ぶこと、すなわちこころを豊かにすることは、みずからにかかわる真実を知るという主体の知が達成されたはじめて可能になる。


    臨床とは、クライエントや患者と呼ばれる、主体の知の達成に苦しむ人たちと共に、その知の達成をめざすことにその目標が置かれている。しかしこの作業の困難さもすでに述べた通りである。

    空恐ろしいほどの難しさを含むこの臨床体験は、主体の知の発見と認識であり、その達成の困難さであり、知らないことの発見とともに、しらないことにも、もちこたえることの大切さ。発見されるこの主体の知は、クライエントにとっては、彼/彼女自身の主体の知である。一方、私たちには、それはクライエントのそれであるとともに、私たち自身のそれでもある。それはいきいきと生きることの実相の発見であるのだが、両者における主体の知を臨床の知とよぶ

    ボルノウによれば、危機とは、通常の生のプロセスの攪乱であり、人間の生の存続を脅かす出来事である。

    危機に関するこうしたネガティブな見解に対して、ボルノウは、むしろ危機は人間の生に「必要不可欠」に帰属するものであり、一定の「機能」を果たしているのではないかとする

    出来事としての存在の真理に由来する知

    存在の真理という出来事からの予感/合図とは、有用性や価値に還元することのできない出来事かたの窮迫であり、人間の主体性や世界の客体性を超えたこの出来事を予感/合図するようにとの差し迫りである

    出来事としての存在の真理も、これに関与する現存在というあり方も、主体としての人間の営為によって実現されることはない

    ★有用性や、価値に囚われることのない現存在というあり方は、人間が実行することはできない。ただそれを可能性として引き受けて、身を賭すことができるばかりの在り方

    宙づりにされた知としての詩作者の予感/合図は、出来事としての存在の真理に関わる知として、主体としての人間の営為にとっては実現することのできない、ありうべきものに関わる知

    詩作者は、恣意に任せて好き勝手なことを学びしり、教え伝えるのではない。

    人間の主体性や世界の客体性を超えたこの出来事を予感/合図するようにとの「差し迫り」である。この窮迫に、差し迫られることにより、出来事としての存在の真理に関して、予感するという仕方で学び知り、合図するという仕方でそれを教え伝えることができる。

    危機が素朴な概念把握や意味付与を拒否するのは、それが存在の真理という出来事に深く関与する現象=出来事だからである。固定された対象についての確立された命題は、危機の危機たる所以を立て塞いでしまう。

    臨床の知が危機に関わる知であるとすれば、そのかぎりにおいて、「臨床の知」もまた「正しい」と「照明」された命題などとは異なる、微かな予感/果敢ない合図という性格を帯びた知である。「そう思われて仕方ない」とい窮迫に迫られた知であり、主体としての人間の主体性を超えた必然性を帯びて立ち現れる

    素朴な概念把握や、意味付与を拒否する出来事かあ送り届けられた予感/合図は、固定された対象についての確立された命題のように学び知られることを徹底して拒否する知

    危機に関する知として捉え返された臨床の知が、それ自体として一種の出来事という性格を帯びた知である

    臨床の知が、危機に関わる知であるとすれば、それは危機のような出来事が人格形成のための機会として、あるいはもっとほかのものとして、改めて立ち現れてくる瞬間に、したがって存在の真理という出来事そのものに、そのつど立ち会うことのできる知でなければならな

    ★危機に関わる知としての臨床の知とは、あらかじめ知であらかじめどこかに用意されている確固たる実体などではなく、そのつど、出来事のほうから送り届けられて生起する知である。実体としての「臨床の知」は存在しない。それはただ瞬間の出来事として生起するばかりだ。この予感/合図としての「臨床の知」が生い立つその現場へとただ、黙然と耳を傾ける

    現代に生きる人は、悩む力を失っている。危機を危機として、苦悩を苦悩として真に体験することの難しさを抱えている。価値判断が先取りされてきたからこそ、危機を危機として体験できない意識が生まれた

    臨床は、引き裂かれた事態を、なんとか渡すこと

    精神分析は、ばらばらになっているものを、結び付けていく仕事


    臨床の知は、いままで科学の知との対比において議論されてきましたが、私にとってはその議論はあまり面白くない。むしろ、エクリチュール、書物を相手にする学問との関係において、臨床の知をみていきた

    言葉にすることの意義というのは、それについて考えることができるということ。箱庭について考えるにも、言葉が必要。

    日常の言語ー第二者に向けての二者言語(話し言葉)
    みんなのためー三者言語(書き言葉)

    臨床の言葉の使用の大部分が二者言語。三者言語は、自己防衛のためとか、治療記録を残して学会発表するために使用されている

    臨床家になるには、対他的なやりとりの中で二者関係の言葉を学ぶことが重要。それについて論文を書くというのは副次的、二次的ばもの

    臨床の根幹にあるのは、二者言語。そこに入り込んでいるという感覚が非常に大事で、それを第三者的に見るという感覚はなかなか難しい。臨床と論文を書くということは、きびしき対立するものがあると思う

    インサイダー的な言語でしゃべり、外向きには全然語り掛けていない。臨床にはそういうものがある。」ここに、いわゆる臨床の知を、どのように伝えていくのかという問題がある

    ★★現代における臨床心理学に関して、語らねばならないと思います。異分野と関係しながら、仕事をすることが急速に増えてきたので、私たちが何をやっているのかというこを、言葉にして語らねばならない。そういう変化があり、要請があると感じています。


    そんなことは言う必要がないよと思いながら、臨床心理が語る努力をし始めている時代。その意味では、臨床心理はアートと言える。

    心理臨床の中で、たとえ何行でもいいから、記録を書く

    精神分析では、二者言語のモデルとして母子関係をモデルにし、三者言語は、父に通じるもの、わかるものということで、三者関係のところ。

    言語は、ここにはいない誰にでもわかる言葉を使わないといけない

    ★歌を歌えば、ここにいる人間だけがよろこべばいいが、げんごは、ここにいない第三者にわかる言葉でないとだめ。でも、その中にこの二者性の非常に高いものを呈示していかなければならない。今、世の中は、第三者性を非常に要求する。(マスコミ)。そこにどう二者性の非常に高い言葉をどう持ち込んでいくか。昔はもっと二者性の高い言葉が氾濫していた。三者性の高い現代において、これを忘れてはいけない。私たちがこういう場で語る時に問われる力量。それはひょっとしたら詩人の仕事かもしれない。

    →あわ居を語ることはそれこそ、臨床を、どう第三者的な言語に変換していくかというところだよなぁ、、、。

    ★臨床家には、その視点(=この場にいない人の視点)が大切なのではないか。なぜなら、臨床家は、面と向かっている人とのやり取りのなかに巻き込まれてしまってはいけないはずだから

    ★★二者関係に閉じこもって、沈潜せず、三者性を何とか高める。患者と治療者の対話を聞いて、第三者がコメントするというもの。これを繰り返すと、心の中に、スーパーバイザーが出来て、いつも横から誰かが見ており、聞いていることを意識するようになる
    →これはまさにうちも必要だ、、、。これ例えば、哲学とか、フィールドワークの記述とかも似たような所があるんでないかな。


    ★二者で語り合い、自由連想の中で対話をしているところに、精神分析家が座ってコメントをする。そうすると、三者言語と、二者言語の間の、またその間を生きる私というものを経験することになる
    →この「2と3」の間が、うちはまぎれもなく、ない。

    ★★★三者性は、あとから。最初は第二者に向けてしゃべっている。そこに第三者は遅れてやってくる。最初は二者間に沈潜しているけれど、外に出て記録を書いているうちに、私は三者性を回復します。この三者性がなくなってしまったら、この集団は、いつもカルト集団になってしまう。これは「壺を売れば治ります」というような集団になってしまう。やはり知恵の交換会を行って、お互いがお互いをけん制したり、コメントしたりするという三者性を確保していかないといけない。
    →この危うさをうちも抱えている。二者性にとどまるというのは、言い換えれば閉空間なわけで、批評性が隠蔽される恐れがある。そこで適用されている秩序や技法について自分自身で客体化できていないと、それを無条件に乱用することを正当化させてしまうと共に、一切の批評性がなくなってしまう、改善もない

    眼前心後といって、目は前を見ていても、心が後ろにある。背後から一人が見ているような感覚。つまり、自分を客観視する努力です。

    舞台に上がった人は、みな観客私、スタッフ、演出家の眼を意識する。これがさっきから言っている第三者だと思う

    私じゃない人がいっているような感覚です。何かその存在が、、。

    治療室は楽屋である。社会は表舞台で、治療室は稽古場または楽屋。稽古場は二者言語の充満するところですが、でも舞台にあがるときには三者性となる。そういう感じ。

    ★二者性を維持しながら、三者言語の執筆をすること、それが臨床家にとって大事。

    記録は、三者の位置で書かなければならない。二者と三者の間でゆれ、その間をいったりきたりしている
    治療記録を書くときは、こうこうこのようになっているという三者性と、相手を得て話している二者性という、二つの言語のありよう、モードの間を揺れている

    その記録の中に、様々な視点がある。

    わかるというのは、三者性。分類的。非常に排除性の高い営み。しかし、通じる、通じ合うは、二者性。二者的コミュニケーションは、この「通じる」ことを目指して紡ぎ出されている可能性が高い。でもこの通じた言語ー通じたとkの感動や輝きーは第三者になかなかわかってもらえない。

    ★これを書いていて思うのは、僕はまぎれもなくこの二者的なコミュニケーション=「通じる」ことを求めている。他方三者的なものは分類的であり、「わかる」というところに着地点があるという意味で、知的な理解なのかなという印象を覚える。自分はこの「わかる」コミュニケーションに、ほぼ関心がない。だから、知的に説明したり、知的に、論理的に説明して説得したり、納得してもらうこと、あえてすり合わせてなんとか知的に理解してもらうとすることに対して力がわかない。他方で、「通じる」ことへの希求がある。従って、今の課題はいかに「二者的」なコミュニケーションを作り出せるかという部分と、また三者的な話法を用いつつも、二者的な形での「通じる」をテキストという場においていかに実現していけるのかということなのかな。それはいわゆる「詩」の仕事だと思うし、例えば井筒にしろ見田にしろ、彼らの書物を読むときの読み方は、極めて「二者的」=「通じる」で読んでいる。知的に理解しているわけではなく、その共鳴、響き合いに入っているのだと思う。それは表向きは「三者的」な文字の羅列なのだが、でもそこで表出しているものは、「二者的」なものになっている。
    だから、おそらくあわ居を「三者的」なところでテクスト化していく作業は、詩と同様の作業になるのだと思うし、それが届く時には、「通じた」ものとして、享受されるのことが重要なのかな。

    ★★よい文章は、二者性を維持しながら、三者言語での執筆活動をするということ。私たちの仕事が市民権を得るには、二者言語を大事にしながら、三者性の高いところでしゃべって私たちの仕事を紹介してくれる臨床家が必要。

    臨床には、二者言語と三者言語がある。フロイトはどこをごっちゃにしてしまった。ウィニコットは、べつに第三者にわかってもらえなくてもかなわないから、もうちょっと二者言語性というところにあるようなもののことを一生懸命書いている。

    その飛び出してくる感覚は、自分の中から出てくるのだけれど、しかし自分が生み出したとは全然思えない。

    自分にとってもよくわからないものを書いたときに、それを取り上げた詩の選者がいた。それを面白いと思って後押ししてくれる人の言葉というものが、自分の次の運動を生み出す。

    寺山が取り上げてくれなかったら、おそらく私の中でそれ一回で収束していた可能性がある。そのまま自分の中に閉じこもってしまった。

    言おうとしていること、伝えたと思っていることを汲み取って頂きうれしです。第三者のことなんかわからなくたっていい、みんなにわかってもらわなくてもいい、ここにいる人にさえわかってもらえればいいこれが関心ごと

    →あの`創発’のキャッチコピーの違和はこの辺に原因があるなぁ。つまり、何かしら第三者的に整理するというのは、二者的なものをもうすこし公共化することなのだとおもうけれど、それを、あのようにあまりにざっくりと「わかる(分類)」形で伝えてしまうことへの違和があったのだと思う。あくまでも客観化し、公共化するのだけれど、そのように「わかる(分類)」に訴えかけるものではなく、「通じる」においてコミュニケートが起きるもの、つまり三者的なプラットフォームを用いているのに、二者的なコミュニケーションが起きているという、そのようなものを僕は書きたいのだと思う

    ★★★言葉が通じなくなったときに、はじめて言葉が生まれ、可能になる。言葉ですべて解決するとか、言葉ですべてつながるとも思いません。だから、言葉では語りえない、言葉では行き届かないことがある、あるけれども、だからこそ、言葉を大切にしなければならないし、その言葉を超えた先は、おそらく直接触れてはいけないのではないか。言葉に来てもらう、降りてくるのか、湧き出てくるのか、いろいろですが。でも、それを待っているだけではなく、やはり言葉を大切にしていくことだと思うのです。




    通じることから、やがて、通じない世界に直面していく。だから通じる世界がある、けれどもないという人もいる。

    通じないといっているのは、たぶん通じないのか、通じなかったのでしょう

    主体の死といって、単純化するなら、要するに、社会適応するには、主人公は死ぬんだと。自己は死んでいるということ。


    臨床。剣道の立ち合い稽古のような緊張感と、直接相手と向き合っている対面性、逃げ出すことのできない当事者的な現場性。そこに放り込まれて、さてどうするか、どうすることもできなが、まずはとにかく腹を据えて、そこで立ちおこってくることに、向き合うしかない。

    何が飛び出してくるかわからない不分明な超越性と、それに瞬時に対応する臨機応変力

    緊張をほぐすというか、ほどくというか、ゆるめることができなければ、ならないが、これが用意ではない。

    聖地、霊場の隣地の現場においてもそれと同様のことが起きる。ぼやーっと、ふわーっとしていないと、感知できないような何かが蠢いている

    臨床心理学を、テクノロジーとアートの間に位置づけている。学者が論文を書くような体系的な学問は必要なかった。かといって、個人の自由な自己表現では個々の患者のかかえる深刻な問題には対処できない。自己表現でもない、自己主張でもない、体系のある知識でもない、刻々の具体の場で役立つ英知のようなものを探りつつ、絶えず自分の自分の存在をかけて患者に対していた

    臨床の知や、臨地の知は、身体知、ないしは生態知としての臨機応変力を発現させる

    この臨機応変力は、遊行性でもある。その場で組み立て、即座に、即応、対応する

    言語には二者言語と、三者言語があって、これは区別した方が良い。文学者が使う言葉は、みんなに向けて書かれている、使用される言語。私たち臨床家が用いる言葉は、第二者に向けてのもの。二者言語はあなたに向かって語っている。そして、三者言語はみんなのために語っている。私は言語には、力点の置き方が異なる二種があると思っている。

    ★★では哲学者の言語は果たしてどういうものか。エリクソンが論文を書こうとしたとき、それはみんなに向けて話している。でも、臨床の知恵や力量が一番問われるのは、二者コミュニケーション、二者関係における言語使用。それは、第三者に向けて報告するときには、さまざまな要素がものすごく変質している。しかしこれをなんとかして、第三者に向けて報告したり語っていく。今日のように、二者言語の価値をなんとかんして報告し伝えるのが、私たち臨床家が外向きに話すときの仕事なのではないか。

  • 「臨床知への認知心理学的アプローチ」p216-220として,実践知としての臨床知,臨床知の獲得としての熟達化について,認知心理学の視点から記述しました.

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著者プロフィール

京都府立医科大学卒業、医学博士。ロンドンのモーズレイ病院およびロンドン大学精神医学研究所で卒後研修。帰国後、北山医院(現・南青山心理相談室)院長。九州大学大学院人間環境学研究院および医学研究院教授、国際基督教大学客員教授、白鴎大学副学長を経て、現在、北山精神分析室で個人開業。

九州大学名誉教授、白鷗大学名誉教授。前日本精神分析協会会長、元日本精神分析学会会長。国際精神分析協会正会員。

主な著書:『悲劇の発生論』『錯覚と脱錯覚』『幻滅論』『劇的な精神分析入門』『覆いをとること・つくること』『最後の授業』『評価の分かれるところに』『意味としての心』『定版 見るなの禁止』ほか多数。

ミュージシャンや作詞家としての活動でも知られる。

「2021年 『コロナと精神分析的臨床』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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