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本 ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784422210155
作品紹介・あらすじ
資本主義社会の鏡である商品広告。なかでも化粧品広告は、贅沢品であり非必需品であることから、より社会の変化を敏感に写しだしてきた。本書は「非常時」と呼ばれた満洲事変以降の戦時体制下において『主婦之友』を中心とする婦人雑誌の化粧品広告がいかに変化するかを追いながら、女性をめぐる総力戦下の世相を浮かび上がらせるビジュアル資料である。明るい「非常時」を図版数500点余で読む、80年前の「一億総活躍社会」。
感想・レビュー・書評
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1931年から1943年まで、満州事変以降のいわゆる「15年戦争」期にほぼ重なる年代の雑誌化粧品広告を見ていく1冊である。
婦人雑誌『主婦之友』(創刊1917年~2008年休刊(戦後は『主婦の友』に改名))掲載のものを中心に、時代順に追っている。
図版豊富、解説も鋭くわかりやすく、非常におもしろい。
「化粧品」と「女性の美」は不可分である。時代の流行を敏感に捉える雑誌広告には、その時代の「美」の基準が何であったか、人々が何に憧れたのかが如実に表れる。
国産化粧品メーカーの広告から、各社がどうやって商品を売り込もうとしたのか、それに戦争がどのような陰を落としたのかが見て取れる。
国産化粧品の創生期は、とにかく「色白の肌」が重視される。白粉(おしろい)だけでなく、洗粉(あらいこ)(現在で言えば洗顔料のようなもの)、ニキビが「取れる」クリームもある。とにかくつるつるすべすべの白い顔が良とされたのである。まさに「色の白いは七難隠す」といった趣きだ。元祖無鉛白粉などという文言にびっくりするが、鉛が入った白粉の製造が禁止されるのは1934年のことという。
何かの成分が入っているから白くなる、洗えば汚れが落ちるから白くなる、と謳い文句はさまざまだが、正直なところ、イメージ先行の感は否めない。
1931年~33年頃の広告に描かれるのは和装美人であったり、断髪のモガ(=モダンガール)であったり。イラストもあり、モデルや映画女優の写真もあり。そんな中、ヘチマコロンは一線を画す独自のデザインがモダンな印象である。
やはり「舶来もの」の方が高級とされた時代なのだろう、全般に「頑張っている」感が強い。日本女性の美を追求しつつ、どこか西洋美人への憧れが感じられる図柄である。
驚くのは、少女にも(控えめではあれ)化粧が推奨されていることである。雑誌『少女の友』に広告を出していた会社もあり、広告文句に曰く「通学化粧」。・・・いやいや、若い子は化粧などしなくてもお肌がきれいだろう、と思うのだが。
『主婦之友』誌で注目されるのは、広告に併せて、通信販売も担ったことだろう。広告を見て読者が気に入ったならば、雑誌社に申し込んで購入することができる。読者は婦人誌お墨付きの優良製品が買えるし、広告元は商品が売れるし、雑誌社は広告収入を得る。相利共生というか、三者ウィン・ウィンというところだったのだろう。
1933年以降、映画業界とのタイアップが増加する。加えて、売上向上を狙った懸賞がヒートアップしていく。人気女優の写真をばんと掲げ、女優の愛用品や写真集が当たると購買意欲を煽る。この賞品がど派手極まりなく、1等は訪問着やらお召銘仙やらハンドバッグやら宝飾品やらで、末等の女優ブロマイドも1万枚と、何だか途轍もない。それでほんとに利益が出たの?(ちゃんと賞品は送付されたの・・・?)と意地悪なことも聞きたくなる。なるほど、法規制が必要な過熱ぶりといったところか。
各化粧品会社には、それぞれ「マスコット」となるお気に入り女優がいる。現在のイメージキャラクターのようなもので、1つの会社の広告に多用されることで、この女優を見ればこの化粧品、この化粧品を見るとこの女優を思い出すという、化粧品業界、映画・演劇業界双方への相乗効果を狙ったものだろう。
1934年から1937年あたりは、日中戦争開戦前となるが、国内にはほぼ影響がなく、婦人雑誌も華やかなままである。
懸賞で乱売を誘う商法は社会問題となり、派手な景品つきの売り出しは減っていく。が、女優を多用した構成は依然人気である。一方で、イラストのもののデザインも、ハイセンスな成熟したものになっていく。毎号デザインは違っても、各々の会社の「カラー」が出てきているようである。人目を惹く見開き2頁広告や、目次裏の大画面広告も盛んに制作されている。
ポマードというと現在では男性のものだが、戦前・戦中は女性も使っていた。逆に、化粧水は女性だけでなく、男性の髭のそり跡などにも使っていたのがおもしろいところである。
隆盛を誇ってきた化粧品広告に影が差すのは、1937年以降である。
「贅沢は敵」となったら、化粧は肩身が狭い。なるべく「華美」でなく「素早く」できるものにしなくてはならなくなってくる。そうして生まれる呼称が「健康化粧」「国策化粧」「翼賛美人」である。銃後の女性はぱぱっと健康的な化粧をして、きりりと元気に働かねばならないのである。そして、輸入品が差し止めになるにつれて、国産の化粧品、日本女性の伝統を守る化粧品であることが「売り」になる。
しかし、やがて時局が困難になるにつれ、広告自体が打てなくなっていく。雑誌のカラー印刷が規制されていき、広告も縮小されていく。まるで新聞広告のようなスペースでは、もはや商品名を記すのが精一杯である。
そして1944年、ついに化粧品広告は姿を消す。それどころか、婦人の美容に関する記事もまったく見られなくなっていくのだ。
総数240頁弱の本書中、1942年以降の広告に関する記載はわずか10頁ほどである。それだけ、広告が押さえつけられてしまったことが、そこからも見て取れる。
女性が化粧もできない風潮とはいかがなものか。
個人的に、自分はあまり化粧をしないのだが、化粧すら許されない世界はやはり空恐ろしいと思う。
広告は世情の窓である。
デザイン自体の移り変わりを眺めるのも楽しいが、そこから透けて見える時代の空気が非常に興味深い。
おもしろい切り口の1冊である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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1931年から1943年にかけて、化粧品の広告がいかに変遷したかをまとめた一冊。
図版も多く、眺めているだけでもとても興味深い。この頃の「美人」はこんなイメージなのか、ふむふむ。
「美白」「若返り」いつの時代も関心を集めるポイントは同じようだ。
時代背景を考えれば自然なのかもしれないが、カラフルで溌剌としたキャッチコピーから段々と色と活気が抜けていく様子に窮屈さを感じてしまう。
豊富に種類があった化粧品も徐々に減り、シンプルになる。
「銃後の女性は健康化粧」「非常時」「国策化粧」「勤労女性」というワードが目立ち、1943年頃になるとこのような文句まで現れる。
「お化粧にも戦時調と云ふものがあります。未だに平和時の厚化粧では明らかに敵性米英超と云われても仕方ないでせう」
この風潮は化粧品にとどまらなかったのだろう、と色々な考えがめぐる一冊だ。
We can see how the advertisement of cosmetics have changed from 1931 to 1943, during the wartime. From color to black-and-white advertisements, from colorful to very simple makeup, it shows the lack of allowance. Even taking just a look at the pictures, is very interesting.
著者プロフィール
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