- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784422210513
作品紹介・あらすじ
フェニキア人は商才にたけた海洋民族で、地中海沿に住む人々との取引が盛んだった。そういった交易とともに彼らの文字は海を渡り、この地域に広く伝えられていったのである。
感想・レビュー・書評
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■本書の特徴
凡そ半数以上のページがカラー図版を掲載してをり視覚的に楽しめる内容となってゐる。資料篇は白黒の図版である。
「資料篇 文字をめぐる考察」は、一部の原著の内容を割愛し、独自に矢島文夫氏による「世界の文字体系」が付け加へられてゐる。
資料篇を除く本篇では、第1章より第3章で古代文字の歴史が語られ、第4章・第5章では欧洲に於ける写本と印刷文化の歴史の説明がなされ、第6章は古代文字の解読小史である。アラビア文字に就いては一定量の説明があるが、インド系文字や東アジアの文字に就いては僅かな記述があるのみである。
資料篇はディドロとダランベールの『百科全書』の文字の項目や、イスラム書道家の随筆、バルト『表徴の帝国』など様々な文字と書くことに関する文章の抄録が載ってゐる。
若干の事実誤認の修正も含め、訳文は原文の一部を書き改めてゐると云ふ。
■ターゲット層
豊富な図版で誰でも目を楽しめることのできる内容だと思ふ。言語学的な予備知識は求められてゐない。
■感想
本書の本篇には関しては、写本・印刷術・書体など書物の歴史と云ふべきものや、古代文字の解読史の簡単な紹介など、文字と云ふものを多角的に取り扱ってゐる。文字の言語学的側面に興味があっただけに、期待してゐたものと違ったと思はないこともないが、これはこれで楽しい内容であった。
資料篇では、ディドロとダランベールの『百科全書』より文字の項目の抄録とその文字表の図版が収載されてゐる。当時の西洋人が漢字や仮名をどう見てゐたのかが判る貴重な史料ではあるが、現代の水準から見ると誤りのある解説を注意書きも無しに載せるのは不親切ではないかと思った。
資料篇「中国と日本の書」のいくつかの随筆は(昔の)西洋人が中国と日本に向けた視線を体験することができる。
■覚書
第1章 文字の誕生
・p16 シュメール人は楔形文字を開発したが、その原型となったのは帳簿をつけるための単純な絵文字だった。
・p18 筆記用具の変化によって原始的な絵文字は姿を消し、代はって登場した「楔形」の文字は、次第に物の形とは対応しなくなった。
・p20 楔形文字に仮借によって表音文字としての用法が発生した。長い間表語文字としての楔形文字と表音文字としての楔形文字が同時に(混淆して)使用されてきた。表語文字と表音文字を区別する記号もあった。
・p21-22 楔形文字はシュメール、アッカド、バビロニア、アッシリアと受け継がれてゆく。法典、科学論文、文学作品……。楔形文字は発展を続け、あらゆるジャンルの事柄を書き表はせるやうになる。
・p24 文字は発展したが、それは依然として特権階級のものであり書記たちには大きな権力が与へられてゐた。
第2章 神々の発明
・p31 メソポタミアの楔形文字が帳簿の記号から出発し、ゆっくりと体系を整へていったのに対して、ヒエログリフは最初から既に文字と呼ぶに相応しい体形を持って登場した。ほぼ完全に話し言葉を文字に表はしたものであり、また抽象的な事柄も具体的な事柄も書き表すことができる文字であったため、法律から文学まであらゆる分野の事柄が書き残されてゐる。
・p43 メソポタミアでもエジプトでも、文字の読書きの能力は特権であり、権力であった。
・p44 今から5000年前、エジプトの書記官たちは、既に紙(パピルス)・インク・ペンなどを使って文字を書いてゐた詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
コメントではなくて、授業用情報。「本の歴史」とならんでフランス系の概説書。文字の歴史も聖書の翻訳を巡る歴史と大きく関わってくる。ただ、コンパクトにまとめられた文字の歴史はなかなかないので便利だし、この本は手頃でビジュアルにも訴えるのでおススメする。
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創元社の「知の再発見」双書の『文字の歴史』を読んどるですが、文字への情熱を刺激されるすごくよい本ですね。円城塔の『文字渦』にも出てきたけど、書く道具によって文字体系が変わるわけではないが書体のは変化することについて前よりも理解できた。書道とかカリグラフィとかの作品みてみたい。
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前半は文字の成立から現在に至るまでの歴史,後半は文字に関する資料を集めた本である。調べ物の導入としては使える一冊。図が豊富であることから資料集にもなる。
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NDC(8版) 801.1
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《パスカルいわく「しっかり書けることは、しっかり考えられるということだ」》p119
人類を特徴付ける最大のもののうちの一つ、言語。
それを目に見える形に残すことができる、文字。
「文字」は人類が産んだ最高クラスの発明品だ。
その歴史的な広がり、地域的な広がりを概観できるのは、なかなか贅沢な知的愉しみ。 -
2018年7月21日に紹介されました!
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文字の歴史がよく分かります。後半の資料部分はちょっと難しいです。
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古代文明から現在に至る文字の系譜を概観する内容.一応世界に存在する様々な文字について言及があるが,全体としてはキリスト・イスラム教圏の文字文化を中心に話が進んでおり,ヨーロッパにおけるフォントの変遷に関する話題などは面白かった.口を使う「言語」と手を使う「文字」が必ずしも同一視できるものでないというのは,興味深いことである.また,活字やその後のデジタル技術が発達したことで「完全なコピー」を行えるようになった現在の立場からすると,それ以前の時代は文字の形自体が必ずしも一定しておらず,どんな材質に記入されるかなどといった要因が字形そのものにも大きく影響していた,というのは,気づきにくい視点で,新鮮に感じた.
これはこの「知の再発見」シリーズに共通するのかは分からないが,スペースの問題があるにしても,挿絵の解説をもう少し充実させてくれていたら嬉しかった. -
2013 8/14 前半部を中心にパワー・ブラウジング。同志社大学今出川図書館から借りた。
図書館史授業用。直球で文字の歴史の本・・・なんだが、創元社のこの体裁の本はどうもぶつ切り感というか細切れ感というかが感じられるよなあ・・・
なので『世界の文字とことば』の方が説得力/信ぴょう性が感じられたり、体系だっていたりもするように感じたので授業は専らそっちに従うかも?
ただ、ところどころは参考になった。
以下、気になった点のメモ。
・p.16~18:楔形文字の起源は帳簿をつけるための絵文字
・絵文字⇒抽象記号への変化と、表意文字⇒表音文字への変化
・p.22:会計記録⇒記憶の手助け⇒記憶を残すもの⇒思考表現の手段へと文字の役割は拡大していく、という話
・p.22 古代シュメール、バビロニア、アッシリア・・・手紙/郵便がすでに発明される
⇒・物語=ギルガメシュ叙事詩(BC7世紀)も既に発明
・p.27 楔形文字の普及について←原因は?
・p.31 ヒエログリフは最初から言語に対応した文字体系?
・p.43 書記の特権/学習の大変さ
・フェニキア文字・・・アルファベットとの起源
⇒・子音しかない/ヘブライ語と同様の母音の少ない言語=フェニキア語?
・p.70 大文字・・・文字を石に刻むときのためのもの/小文字・・・パピルス等に書くためのもの
・p.178 キープ・・・結び目による帳簿表現 -
大まかに歴史がなぞらえて良かった。偶像崇拝が禁止ゆえに聖なるもとして発展した、アラビア文字の美しさに感銘!意味わからずとも、発音だけでもたどれるようになったら楽しそうだなあ。
文字に記すことそのものを発見した経緯、課程、とかをもう少し詳しく読みたい。 -
文字なので、百聞は一見にしかず、なのだと思う。カラー図版が多いのはその点でありがたかった。
お値段からすれば、かなりお買い得なのかもしれない。
入門の入門くらいの本だとすれば仕方のないことだろうけれど、もう少し知りたいと思ったところで各章が終わってしまう。
ないものねだりを承知で言えば、もっと詳しいことを知りたい人のためのブックガイドがついていたら・・・と思う。
翻訳書なので、それが難しいことは重々承知だけれど。 -
文字の起源に始まり、印刷術の発展までを眺めていく、
カラー図版満載の興味深いコンパクトな一冊。
資料として何度でも読み返したくなりそう。
それにしても漢字&かなは美しい(*´∀`)。 -
文字の歴史を豊富な絵図とともに解説されている。入門書ではあると思うが、ある程度の文字に関しての知識があると理解しやすい。
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なかなか勉強になった。
「一瞬一瞬消え去っていく歴史。人がその流れをとどめ、保存しようと願う時、文字はいつも不可欠なものだった」
「ヒエログリフという言葉は、ギリシャ語で神聖を刻むという意で、古代エジプト人はトトという名の神がこの文字を発明し、それを人間に授けたと信じていた」
「古代エジプトの神殿の壁や墓の内側には、今なお無数の神々を讃える碑文が残されている。その文字の一つ一つには人間の手になったとはおもえないほどの美しさがあり、文字自身が神々しく感じられる。偉大な詩や祈りの言葉にこめられた熱い思いが強い感動となって押し寄せてくる。神の文字ヒエログリフ。そこには文字の意味とは別の目で見る詩がある。古代エジプト人にとってこの文字はまさに神から与えられた霊感だったといえるであろう」
「世界にある3000ほどの言語の中で文字を持っている言語はわずか100程度にすぎない」
「印刷機の発展で、手書きの文字など価値のないものになってしまうかに観えた。ところが現実は逆で、しっかりかけるということは」しっかり考えられるということだとなった」
「写本職人」
「国家がテレビを掌握する時代において、書くことだけが自由を救う道でありうる」
「規範は書家の内部のざわめきを沈め、感情の反乱を抑えるのに役立つ。こうして打ち建てられた基準体系は作品の評価のためのより所となる。しかし書家はいったん確立さえた規範を越えなければならない。作品が芸術の域まで達するにはそれにそむくことも必要になる。なぜなら書は見に観えず言葉にも言い表せない力を発揮するものであり、それはあやゆる規範を超えたものだからである。」
「文字が発音の要素から分解されていないのは中国独自の文明である。中国で文字が祈りの表現に使われている理由はまず第一に文字がそれに対応する事物を想起させるような独特の形態を持っていること。第二にそれ自体美的な価値があり、装飾としての働きを持っていること」
「中国では文字に描かれた名前がその当人をそっくりそのままあらわす手段となりうる。たとえば死者の名前を刻んだ位牌にはその魂が宿っている。家の門から悪い例が入ってこないようにするには見張りをしてくれる神々の絵を書くこともあるが、たんにその名前を書いて貼り出すだけでも事足りる。」
●ローマ字と漢字(その他ヒエログリフ、楔形文字)を比べる、つまり表音文字と表意文字を比べると明らかに後者の方に何かが宿っている。より自然や美に近いことを実感する。なぜなら表意は者の形態の簡略であり、突き付ければ自然物を根底に有しているからである。従って表意文字はそれ自体として芸術的価値を有すると考えられる。
●効率社会における非効率。そこにこそ日本人が書道を捨てきれない何かがあるのではないか。筆で描くというその無意味な行動の中にンないか日本人気質に特有なものが存在すると考えられる。ペンがあるにかかわらず、筆はなくならない。従って現在でも書道が成立する理由は伝達手段としての文字をより美しくしたいというモチベーションよりも、ひとつの無意味な行動を生活の中に取り入れる、その空間に身をゆだねるということにある気がする。
●上記のことを念頭にしたうえででは、なぜ白隠や良寛らに芸術的なもの、美を感じるかということを考える。それは文字にならないものが示されているからに違いない。つまり彼らの作品を見ている時、我々は文字の造形を見ているのではなく、その先になる、「何か」を見ていることになる。岩本悠の流学日記の巻頭に描かれた文字は戦慄を覚えるものに違いない。それはペンで描かれている。しかし感情が見えた。そのように考えるとその「何か」を証明する手段はペンでも良いかのように感じられる。しかしペンはインクであり、より均質的なものである。他方、墨、筆というのはその人の使い方次第で大変する。つまり感情表現のバリエーションが多く、より「何か」が伝わりやすいのではない。そんなことを感じる。
●最後になぜ中国では書道は「芸術なのか」。それは祈りだからである。文字自体が祈りの対象であり、その意味では日本で言う仏師と中国の書家は対等なのかもしれない。 -
p.177のアンリ・ミショーの漢字に関する説は、白川静の言う、元の形意文字と異なる字形から意義を判断する誤りの可能性あり。
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ユウリンドウで見かけた本
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図表がきれい。
解読者の話でわくわく。日本語の解説でにやにや。