マティス―色彩の交響楽 (「知の再発見」双書)

制作 : 田辺 希久子 
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本棚登録 : 34
レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784422210971

感想・レビュー・書評

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  • モスクワ、ロシアなどを舞台とした作品です。

  • [ 内容 ]
    新印象派やフォービズムなどさまざまな絵画運動との関わり、2度の大きな戦争など激動する時代背景の中でもまったく変わらない一貫した創作態度が感動的に描かれている。

    [ 目次 ]
    第1章 絵画修業
    第2章 野獣(フォーヴ)の誕生
    第3章 彫刻と陶器
    第4章 アトリエの風景
    第5章 「新しい光」を求めて
    第6章 辛苦の道の果てに
    資料篇 (マティス自身によるマティス;マティス訪問;アトリエ兼アパートで;理論家としてのマティス;マティスと若い世代)〔ほか〕

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • (2004.10.14読了)(2000.12.25購入)
    副題「色彩の交響楽」 (「知の再発見」双書)
    著者のグザヴィエ・ジラールさんは、ニースのマティス美術館の学芸員。

    ☆高階秀爾さんの序文より
    「数多いフォーヴの画家たちの間でも、マティスほど一貫して絵画における色彩表現の意味と役割を追求し続けた画家は他にいない。」
    「美術史的に見て、フォーヴィスムの果たした役割は、色彩を現実再現の桎梏から開放してそれ自体の表現力を最も純粋な形で甦らせた点にあるといってよいが、マティスはそのフォーヴィスム革命の中心的存在であったと同時に、その成果を最も豊かに取り入れて20世紀芸術に大きな実りをもたらしたのである。」
    「マティスが本気で画家を志すようになるのは、20歳を過ぎてからのことである。盲腸炎が悪化して長いこと入院生活を送らなければならないという、思いがけない長期の病院生活の徒然を慰めるために母親が送ってくれた絵の具一式と、ベッドで読んだ「絵画論」の本とが彼を画家という天職に目覚めさせた。」

    ☆絵画修業
    アンリ・エミール・ブノワ・マティスは、1869年12月31日に誕生した。
    父エミールは、穀物と薬品を商っていた。
    マティスは、高校卒業後、パリに出て法律を学び、法科適格試験に合格する。1889年には、ドリュー法律事務所に入った。
    盲腸の手術後、絵画に目覚め、法律事務所に勤めながら、デッサンを習い始め、1891年秋、再びパリにでた。美術学校に入学するため。
    美術学校の夜間教室で、アルベール・マルケと出会い、その後も長く友情を育んだ。
    1892年末、マティスは聴講生として美術学校のモロー教室に入る。モローは学生たちをルーヴルに導き、巨匠からいかに学ぶかを教えた。マティスは、シャルダンの静物画を選び、5点以上を模写した。
    1895年4月1日、マティスは美術学校への入学を果たす。25歳。
    ☆野獣の誕生
    1898年1月8日、トゥールーズ出身の女性、アメリー・パレルと結婚。
    「猛々しい、狂ったような印象主義と呼ぶに相応しい、激しい絵を描くようになる。」
    1905年、サロン・デ・ザンデパンダンに「豪奢・静寂・逸楽」を出品。

    ☆イスラム美術
    1910年10月1日、マティスとマルケはミュンヘンへ向かった。イスラム美術展を見るためである。絨毯に描かれた細密画の中に表現された「空間」に、マティスは特に魅せられた。作品の枠が外部の日常空間と作品を断ち切ることなく、アラベスク文様の重なり合いや、縁取りの豪奢さが、むしろその境界を押し広げていく。このイスラム美術の持つ「空間」が、マティスに与えた影響は、決定的なものだった。

    1954年11月3日、死去。84歳。
    2004.10.14読了
    著者のグザヴィエ・ジラールさんは、ニースのマティス美術館の学芸員。

    ☆高階秀爾さんの序文より
    「数多いフォーヴの画家たちの間でも、マティスほど一貫して絵画における色彩表現の意味と役割を追求し続けた画家は他にいない。」
    「美術史的に見て、フォーヴィスムの果たした役割は、色彩を現実再現の桎梏から開放してそれ自体の表現力を最も純粋な形で甦らせた点にあるといってよいが、マティスはそのフォーヴィスム革命の中心的存在であったと同時に、その成果を最も豊かに取り入れて20世紀芸術に大きな実りをもたらしたのである。」
    「マティスが本気で画家を志すようになるのは、20歳を過ぎてからのことである。盲腸炎が悪化して長いこと入院生活を送らなければならないという、思いがけない長期の病院生活の徒然を慰めるために母親が送ってくれた絵の具一式と、ベッドで読んだ「絵画論」の本とが彼を画家という天職に目覚めさせた。」

    ☆絵画修業
    アンリ・エミール・ブノワ・マティスは、1869年12月31日に誕生した。
    父エミールは、穀物と薬品を商っていた。
    マティスは、高校卒業後、パリに出て法律を学び、法科適格試験に合格する。1889年には、ドリュー法律事務所に入った。
    盲腸の手術後、絵画に目覚め、法律事務所に勤めながら、デッサンを習い始め、1891年秋、再びパリにでた。美術学校に入学するため。
    美術学校の夜間教室で、アルベール・マルケと出会い、その後も長く友情を育んだ。
    1892年末、マティスは聴講生として美術学校のモロー教室に入る。モローは学生たちをルーヴルに導き、巨匠からいかに学ぶかを教えた。マティスは、シャルダンの静物画を選び、5点以上を模写した。
    1895年4月1日、マティスは美術学校への入学を果たす。25歳。
    ☆野獣の誕生
    1898年1月8日、トゥールーズ出身の女性、アメリー・パレルと結婚。
    「猛々しい、狂ったような印象主義と呼ぶに相応しい、激しい絵を描くようになる。」
    1905年、サロン・デ・ザンデパンダンに「豪奢・静寂・逸楽」を出品。

    ☆イスラム美術
    1910年10月1日、マティスとマルケはミュンヘンへ向かった。イスラム美術展を見るためである。絨毯に描かれた細密画の中に表現された「空間」に、マティスは特に魅せられた。作品の枠が外部の日常空間と作品を断ち切ることなく、アラベスク文様の重なり合いや、縁取りの豪奢さが、むしろその境界を押し広げていく。このイスラム美術の持つ「空間」が、マティスに与えた影響は、決定的なものだった。

    1954年11月3日、死去。84歳。

    (「MARC」データベースより)amazon
    マティスほど一貫して絵画における色彩表現の意味と役割を追求し続けた画家は他になく、八十有余年に及ぶ長い生涯において色彩への関心を一刻も失う事はなかった。マティスの生涯を作品と証言で紹介。

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グザヴィエ・ジラールの作品

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