イエズス会 世界宣教の旅 (知の再発見双書 53)

  • 創元社 (1996年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (186ページ) / ISBN・EAN: 9784422211138

感想・レビュー・書評

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  • 原書名:Pour une plus grande gloire de Dieu Les missions jésuites

  • 2008年6月、県立図書館で読む。知の再発見シリーズの1冊です。美しい写真満載です。日本と中国では、キリスト教の禁止の理由が異なります。日本の場合、権力者が、政治的野心を疑われたためです。それに対して、中国の場合、儒教との関係です。イエズス会の内部では、儒教を宗教とみるかどうかでもめ続けていました。その内紛が、禁止の理由でした。

  • フィリップ・レクリヴァン(鈴木宣明訳)『イエズス会ーー世界宣教の旅』創元社、一九九六年:イエズス会の世界宣教を地域ごとに説明した基本図書である。フランスのガリマルディ社の叢書を訳している『知の再発見叢書』の一冊であり、図版が多いが、本文は少しよみにくい。イエズス会の初代総長イグナティウス・ロヨラの回心から、サビエルら6人の同志との「モンマルトルの誓い」、イエズス会創設までが第一章である。イグナティウスはスペイン北東部バスク地方で1491年に生まれ、簡単にいえば「おくれてきた騎士」として青年期をすごす。1521年パンブローナの籠城戦でフランス軍の砲弾が足にあたり、死線をさまよったが命をとりとめる。療養中によんだ聖人伝(『黄金伝説』のスペイン語訳といわれる)によって使徒のように生きると決心、郷士の身分をすて、放浪の旅にでる。1523年、マンレサで神と聖母の幻をみて、『霊操』の草稿がなる。この修養法がイエズス会の精神的柱である。聖地巡礼をはたし、スペインにもどると、37歳にして子どもに混じってラテン語を猛勉強、神学・論理学・自然学などを濫読、混乱した頭で同時に人に教えることもしたようで、異端審問官に嫌疑をかけられる。結局、勉学を終了するまで教えることを禁止され、パリにいき哲学課程に入る。パリではトマス・アクイナスに傾倒、修士を取得する。このときに出会ったのが、ファーヴルやザビエルで、7人はモンマルトルの聖堂で「清貧・貞潔・聖地巡礼」の三誓願をする。最後の一つは国際情勢で果たせず、彼らは「教皇の命ずる所ならどこへでもいく」と教皇に身柄をあずけ、「基本精神綱領」の提出がきっかけになり、1540年に「イエズス会」が成立する。イグナティウスは以後ローマで海外宣教や学院設立や教皇庁外交などの執務をとり、1556年に死ぬ。第二章はアフリカ宣教である。この背景にはイスラム教徒を挟撃するために東方のキリスト教国を探すという「プレスター・ジョン伝説」があり、エチオピアのコプト教(キリスト単性論)などもその候補の一つであった。エチオピア・コンゴ・アンゴラなどへの宣教は最初は成功し、信徒を獲得し、学院をつくるが、権力者の交替によって失敗している。また、奴隷貿易に荷担したイエズス会士もいて、退会させられている。第三章はインド・日本・中国などへの宣教で、ポルトガルのジョアン三世の強力のもと冒険商人たちが築いたインドのゴアを起点に、サビエルは日本に宣教する。日本では九州のキリシタン大名の強力を得て信者を獲得するが、秀吉・家康とつづく政権交代のなかで、禁令・鎖国となり、イエズス会は撤退する。ザビエルは日本宣教の基礎を築いたあと、中国にわたるはずだったが入国できず上川島で死亡した(1552年)。中国宣教の足がかりを作ったのた、ヌニエス・バレトで。グレゴリオ暦をつくったクラヴィウスに教育されたマテオ・リッチが宣教を担う。シャルやフェルビーストなどの記述も少しある。全体的にアジアへは土着文化を尊重する方針をとり、中国へは自然科学を宣教の道具とするが、祖先崇拝を認めるかどうかで「典礼論争」が起こり、結局、退去することになる。パスカルなどはイエズス会の土着文化を尊重する態度をジャンセニズム(カトリック厳格主義)から「詭弁家」であると批判している。第四章はフィリピンや東南アジアのポルトガルとスペインの衝突、第五章はラテンアメリカ、第六章はカナダ、第七章は東方キリスト教の地域への宣教と殉教である。基本的に、当地の権力と結びついて、文化を考慮しながら、工夫をして宣教するが、文化摩察は必ず起った。イエズス会は18世紀になるとブルボン王朝や啓蒙主義者に攻撃をうけ、1773年に教皇から解散を命じられ、ロシアのエカチェリーナ2世のもとで命脈をたもった。復興したのは1814年であり、現在は2万人余の会員を有する。第28代総長ペトロ・アルベ(-1983)は「インカルチュレーション」(インカネーション・受肉の言い換え)を提案している。キリスト教の精神が世界の各文化のなかに息づくということであろう。フランスではイエズス会に対する反感は「国民的感情」(ジュール・フェリーの言葉)だそうである。イエズス会設立の学校が「金持ちのいく学校」と考えられているのはフランスでも同じらしい。だが一方で、中央アメリカでは70年代後半から80年にかけて、「祖国建設」の名のもと共産主義政権がイエズス会士を殺している。「植民地支配の尖兵」などとされるイエズス会だが、彼らの最良の部分を無視して、「民族自決だから殺し合いもやむなし」という理屈はない。イエズス会が紛争地で病院・学校をつくり、弱者の救済に動いた事実は動かないだろう。かつて、サルトルはレヴィ・ストロースの「人類学」に対し、西洋中心主義から「人間学」を提唱、「人類学」を危険な退歩とした。だが、「人類学」の観点も「人間学」の理想もどちらも必要なのではないかと思う。貧困と悲惨が放置されている状況を伝統文化の尊重といっていいのかという問題もある。イエズス会は『霊操』において、(ルターのように)個人が神とつながる修養法を見いだし、それまで世を離れ共同生活をしていた修道会の概念を変え、全世界を活動の舞台とした。宣教地では清貧をむねとする中世の修道院的生活を行い、人文主義やルネッサンスの精華である人文的教養や自然科学も宣教の道具であった。彼らの活動は、中世の修道院生活、宗教改革の思想、ルネッサンスの教養などからなり、カトリック内部の改革やヨーロッパの思想家たちに自身の文明に対する真剣な反省を強いたという点で非常に意味があったと思う。イエズス会中興の祖であるアクアヴィアについては足らないので、バンガート『イエズス会の歴史』を読む必要がある。こちらは総長を軸にまとめられた歴史である。

  • 222夜

  • [ 内容 ]


    [ 目次 ]
    第1章 イエズス会の創立
    第2章 アフリカの宣教師たち
    第3章 アジア宣教での模索
    第4章 反目の地
    第5章 ラテンアメリカの傷つけられた名誉
    第6章 カナダの殉教者
    第7章 東方教会との対話

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