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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784422360034
作品紹介・あらすじ
19世紀半ば以降欧州・ロシア・中国などからの移民が急増したニューヨーク。とりわけマンハッタン南部のロウアー・イーストサイドには、安アパート(テネメント)に貧しい移民が集住した。
その暮らしを当時まだ目新しかった写真を取り入れ活写した、フォトジャーナリズムの古典、How the Other Half Lives,(Charles Scribner’s Sons, New York)を完訳。
1890年に刊行された英語原書は大いに反響を呼び、後に第26代大統領となるセオドア・ローズヴェルトやニューヨーク市当局も動かして、スラム街の改善に大きく寄与した。
ローズヴェルトはリースを追悼して「〝理想のアメリカ市民にもっとも近い男を一人挙げよ″と言われれば、私は即座にジェイコブ・リースの名を挙げる」との献辞を捧げている。
また、近年のアメリカ社会における中間層崩壊と階層移動の停滞は、現実に街路一本を隔てた「向こう半分」との分断と無関心を各地で生んでおり、「向こう半分」の実像を世に訴えたリースの精神が、昨年小社で著作『われらの子ども』を刊行したパットナムなどによるリース再評価の機運にもつながっている。新たな移民受け入れへの規制を強めるトランプ政権誕生も、その再評価を後押ししているのである。
なお、翻訳に際しては、一八九二年版原本を用いた。
■本書の特色
★多くの英語版リプリントではよく分からない、刊行時の本文挿入写真とイラストの構成を忠実に再現!!
★新たに、イラストの元となった写真を付録として収録。
★新たに、当時のロウアー・イーストサイドの街路図とベデカ米国ガイド1909年英語版のマンハッタン市街図を収録。
感想・レビュー・書評
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原著はいささか古い本で、1890年にニューヨークで出版されている。原題は”How the other half lives”。つまりは「私たちの側(our half)」でない、向こう側のあの人たちはどうやって暮らしているのだろうか、ということを述べた本である。「半分」というのはもちろん、正確に数が半々だというわけではなく、ここでは、自分たちとは異質であるものという意味でthe other halfを用いているように感じられる。
著者はジャーナリストでもあり、社会改革者でもあるJ.リース。原著は引用・紹介されることも多いというが、完全版の邦訳としては本書が初めてである。
中心となるのは、この頃のニューヨークに多く存在した、テネメントと呼ばれる非常に安価で劣悪な条件のアパート、そしてそこに住む貧しい移民の人々の暮らしである。
慈善のためという高潔な志から、または(あるいはこちらの方が多かったのかもしれないが)単なる好奇心から、19世紀末、貧しい人々の暮らしを知りたがる人は多かった。スラム(slum)を「スラム街に見物に行く」という動詞として用いる用法は、この頃生まれたものだという。“the other”の語からも何となく感じられるように、どこか得体のしれない「彼ら」の暮らしを覗いてみたいという、幾分かの優越感を伴う関心がそこにはあったようにも思われる。
ともかくも、リースのこの本は、そうした人々の関心を引きつけ、かなりのベストセラーであったそうである。
本書のもう1つの特徴は、リースが、当時は珍しかったカメラで、人々の暮らしを多くの写真に撮って参考にしたことである。印刷技術がさほど進んでいなかったために鮮明な画像が載せられないことに加えて、リースは職業的写真家ではなく、構図も行き当たりばったりで手ブレもあったため、実際に本に掲載されたのは、写真を元にしたスケッチであった。この形式ならば、元の写真よりも劇的に、わかりやすく、さまざまなシーンを1枚の絵にまとめて示すこともできる。
この邦訳版では、リースが撮ったオリジナルの写真も収録されているので、挿絵と比べてみるのもおもしろいところである。
さて、実際読んでみると、独特の言い回しやわかりにくい表現もあり、あまり読みやすい本ではないのだが、内容としては興味深い。
民族ごとの傾向の違い、酒場や宿泊所の様子、浮浪児、女性たち、心身を損ねた人たちなど、さまざまな視点からスラムが描き出される。
テネメントは元々、入植初期の上流階級のもので、広いフロアを持つ建物だった。1812年の米英戦争後、大量の移民が雪崩れ込んだのに押し流されるように、所有者たちは出て行き、大きな家は細かく区切られて、貧しい移民家族がひしめき合って住むようになった。
狭い居住空間に大家族で住み、食べるものも満足に手に入れられない。密集空間で栄養状態も悪いとなると、ひとたび感染症が蔓延すると大変なことになる。
極端な貧困は低賃金による。
今の貨幣価値との違いが今ひとつよくわからないのだが、製造部門で働くある女性の平均賃金は週3ドルで、家賃に1ドル50セント払うと、1日1食を食べるのが限度であるという。しかも彼女の賃金は決して最低ラインではない。1日に167ドルの現金販売を取り扱う少女の賃金は週2ドル。特に、女性の賃金は、「最終的に罪深い仕事(売春)という逃げ道がある」ため、男性よりも低く抑えられていたという。
児童就労や低賃金、その結果、ごく一部の経営者たちが富裕層となり、多くの人々が「搾取」されていた様子が見えてくる。
先の見えないスラムの暮らしの中で、早いうちから浮浪児、ひいてはギャングとなり、酒におぼれ、刹那的に生きるものが出てくるのも無理はないともいえる。
貧困にあえぐ人々を適切に支援することは、彼ら自身だけでなく、街の治安にもプラスに働くだろう。
だが、適切な人に適切な支援を行うのは、それほど簡単なことではない。
リースはこうした支援の難しさにも触れている。
とにかくため息の出るほどの貧困である。
社会組織がそもそもうまく回っていなかったのに、どっと大量の人が流れ込んできて問題がもつれにもつれている感がある。
その改善には、労働法による管理や住環境の整備、麻薬などの取り締まりなど、地道な作業が必要であったことだろう。
同時に、移民層を「向こう半分」と捉える意識の改革も必要であったのではないかという印象も受ける。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
19世紀末の写真家ジェイコブ・リースの写真集。リースは新聞記者で当時カメラや写真の現像の技術が向上し暗い家の中でも写真が撮れるようになり、ニューヨークの貧しい移民の住宅であったテネメントの写真が現像可能になった。日本語への翻訳は初めてである。原題は、The Other Side of America.
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はぁ~(溜息)、狭量で排他的な我が国のコトを思うと情けないです。。。
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米国市民の原像を写した幻の古典、本邦初訳
19世紀半ば以降欧州・ロシア・中国などからの移民が急増したニューヨーク。とりわけマンハッタン南部のロウアー・イーストサイドには、安アパート(テネメント)に貧しい移民が集住した。
その暮らしを当時まだ目新しかった写真を取り入れ活写した、フォトジャーナリズムの古典、How the Other Half Lives,(Charles Scribner’s Sons, New York)を完訳。
1890年に刊行された英語原書は大いに反響を呼び、後に第26代大統領となるセオドア・ローズヴェルトやニューヨーク市当局も動かして、スラム街の改善に大きく寄与した。
ローズヴェルトはリースを追悼して「〝理想のアメリカ市民にもっとも近い男を一人挙げよ″と言われれば、私は即座にジェイコブ・リースの名を挙げる」との献辞を捧げている。
また、近年のアメリカ社会における中間層崩壊と階層移動の停滞は、現実に街路一本を隔てた「向こう半分」との分断と無関心を各地で生んでおり、「向こう半分」の実像を世に訴えたリースの精神が、昨年小社で著作『われらの子ども』を刊行したパットナムなどによるリース再評価の機運にもつながっている。新たな移民受け入れへの規制を強めるトランプ政権誕生も、その再評価を後押ししているのである。
なお、翻訳に際しては、一八九二年版原本を用いた。
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