ホームレスでいること 見えるものと見えないもののあいだ (シリーズ「あいだで考える」)
- 創元社 (2024年8月27日発売)


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本 ・本 (160ページ) / ISBN・EAN: 9784422360188
作品紹介・あらすじ
シリーズ「あいだで考える」
不確かな時代を共に生きていくために必要な
「自ら考える力」
「他者と対話する力」
「遠い世界を想像する力」
を養う多様な視点を提供する、
10代以上すべての人のための人文書のシリーズ。
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著者は公園のテントに20年以上暮らし、ほかのホームレスたちと共に生きる場をつくりながら、ジェントリフィケーションやフェミニズム、貧困などをめぐる活動をしてきた。本書では、公園や路上での生活や、ほかのホームレス女性たちとの営み、街の再開発とそれに伴うホームレスの追い出し、ホームレスへの襲撃などを伝え、現代社会の風景の中の「見えているのに見えないことにされているもの」「隠されているもの」「消されたもの」について、読者に語りかける。(装画:いちむらみさこ)
感想・レビュー・書評
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著者であるいちむらみさこさんは、2003年から東京都内のブルーテント村に住み、20年ホームレスとして暮らしている。
ホームレスの人たちの生活を守るために活動し、この本を書いた。
いくつものエピソードがある。
もちろん危険と遭遇することも…。
女性にホームレスはいないのでは…と勝手に思っていたが、案外存在していることに驚く。
ホームレスはなるようにしてなったのか?それとも自らここが居場所としてあたりまえのようにいるのか?
ホームレスでいつづけている理由はそれぞれ違っても、みな生きるためにここにいる。
わたしはわたしに帰るために家を出て、ホームレスで暮らしている。
その言葉は、わかるようでわからないと感じた。
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本質突く「当たり前」への視点
<読んでみた>ホームレスでいること:北海道新聞デジタル
https://www.hokkaido-np.co....本質突く「当たり前」への視点
<読んでみた>ホームレスでいること:北海道新聞デジタル
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1072089/2024/10/07 -
いちむら みさこ·
雑誌「VERY」12月号で、エトセトラの松尾亜紀子さんが、「ホームレスでいること」を紹介してくださいました!一緒に紹...いちむら みさこ·
雑誌「VERY」12月号で、エトセトラの松尾亜紀子さんが、「ホームレスでいること」を紹介してくださいました!一緒に紹介されている本もとても読んでみたくなりました。(11月12日)
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https://www.facebook.com/photo?fbid=10220986093281417&set=ecnf.1814256382&locale=ja_JP2024/12/03
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創元社の「あいだで考える」というシリーズを、少しずつ読んでいます。今回はいちむらみさこさん。公園でテント暮らしをしている人です。
関西では万博とかを理由に、街の様子が変わったことが囁かれています。「家」で暮らすことが当たり前だと思い込んでいる思考には「見えない」世界がいちむらさんには見えていて、「見なくていいんですか?」と静かに問いかけていらっしゃる、なんというか、姿勢のようなものにハッとします。いい本だと思います。
あほブログに、少し詳しく書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202505010001/ -
ホームレス状態で生きることを選んだ著者が語る、生き方、会ってきた人々、襲撃、排除への抵抗、より弱い立場となる女性たち。
一つ一つの言葉が、心に届いて波紋が広がっていく。
生きているというのはどういうことなのか、足を止めて考え込まずにはいられなくなる。
ざわざわして温かい著者の絵も挿画にしてくれて嬉しい。 -
ホームレスは怖い、汚い、邪魔、生活保護をなぜ受けないなど、いろいろ不安を抱くのはわかっていない・わかろうとしていないことも要因。
ホームレス側から見る行政の強行策、地元住民やいたずらという名の暴力、もちろん毎日の生活・健康、ホームレス内のいざこざ、寝どころの確保、さまざまな問題がある。
それでもホームレスから抜けられない事情・法に締め付けられて普段生活できない思いがある。
解決がなにか、それに向かうのは難しいのかもしれないが、まずは人権の尊重をもって対する、話し合うところから。
261冊目読了。
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『小山さんノート』に載った文章がとてもすてきだったので、刊行をとても楽しみにしていた。
ホームレスは「仕方なくなってしまう状態」「早く脱け出さなきゃいけない生活」だと思っていたので、本書の「自ら選んで」ホームレスになるという考え方に衝撃を受けた。数ある選択肢のひとつとして、特定の家を持たず、経済に過剰に関与せずに暮らすということ。
ときにはアートやボランティアの善意が他者の人生を壊してしまうことがある。価値観を揺さぶられる本だった。 -
いちむらみさこさんは、わたしにとってはいちむら先生だ。20年ほども昔、わたしは会社帰りに絵画教室に通っており、そこで出会ったのがイチムラ先生だった。とても自由でindependentでpositiveな人で、わたしの描く絵に対しても詩的な言葉でアドバイスをくれて、アーティストってこういう人なんだなぁ、素敵だなぁと思っていた。
わたしが友人と発行していた『SOY POCKET』というZINE(フリーペーパー)についてもとても興味を示してくださり、励ましてくださった。京都で置かせてもらえそうなお店なんかを教えてもらったりもした。
そんないちむら先生がホームレスとして暮らしておられる。そのことはどこかで読んだ。
この本を読み先生の思いがよくわかった。なぜ自分が生きていたくない社会で苦しい生き方を強いられなければならないのかという叫びが聞こえてくるようだ。
p89
「復帰」する先の「社会」とはどういったところなのだろうか。会社に労働者として雇われ、かせいだお金で生きていくことが前提となっている社会。そこではひとりひとりの個人が生産性によって測られてしまう。そして肩書や地位、年収、成績や能力などによって価値づけられ、序列化されてしまう。
彼女は土地や物をもつということにも疑問を抱く。
p98
この地球の地面を誰かが「所有する」とはどういうことだろうか。土地の所有意識は、街に寝ているホームレスを、勝手に占拠していると見る意識につながり、ホームレスの存在を不安定にする。
惑星の上に眠る、その体のそばに食べ物、鍋、茶碗、箸を置いて生活をする。仲間を迎えて座るための敷物を広げる。体の存在によって占める面積は、生活を営むことによって広がり、誰かと共有する場所につながる。わたしがいるこの地面には、ここは誰のものでもない場所だという反発力と、だからこそ誰のものでもある場所だという引力が生じていて、共に生きていくために、どこにどのように軸足を置くのかを問いかけ、わたしたちの視界を広げている。
そして彼女はアーティストである。
高架下の段ボール小屋の周辺で火事が起こると真っ黒に焼けた壁と地面を何度も見に行き、そこにあった生活を思い浮かべる。そしてそこで野宿することにするが、通行人たちの襲撃にあう。
p123
わたしは、銀紙で星をたくさんつくり、黒く焼けた壁や地面、そして段ボールにも貼りつけて、キラキラさせることで防衛を試みた。蹴りたくなる衝動を星のキラキラで煙に巻く作戦。
なんて素敵、なんてクリエイティブなのでしょう。
最後の文章がまた素敵なのだ。
「ひとりでいる」ということは、さまざまな人や物、草木や山や海、そして、記憶や時間など、あらゆるものと自分との距離や違いを感じて、ひとりの自分を確認することです。それぞれのものとの「あいだ」には、いろんなかたちがあります。やわらかくて伸びちぢみするようなものでつながっていたり、霧がかかっていたり、固い岩のようなものがあったり。わたしは友人とけんかした時は、深い溝を感じますが、ある日突然そこに橋が現れたりすることもありました。毎日見かける木と葉そして自分のあいだに吹く風、そこにある光。また、思いだしたくないこととのあいだには、キーンと音が鳴るような闇があります。
そのように、わたしとさまざまなものとのあいだにさまざまな関係があり、その空間に気づくことによって、誰とも決して混ざることのないひとりの自分を感じます。
(略)
生きることの中で価値を決めるのは自分でありたい。生きさせられるなんて、もうこりごりだと思いませんか。
雨があがったら、乾いた落ち葉を集めて、地面に敷いて、スケッチをして過ごそうと思います。
あなたには何が見えますか?
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正直わたしにはホームレスとして生きたいという気持ちに共感はできない。安定した暮らしを求めてしまうし、そこでわたしなりに楽しく生きていける。
だけど夫に指摘されて気づいたのだけど、わたしも安定した職を辞したり、建売の家を買わずに建築家を家を建てるという選択をしたり、程度の差こそあれ、自分らしく自由に生きるための選択をしているのだと思う。
いちむらさんにとって、ホームレスでいることが彼女らしい生き方なのであり、であればそれはやはり尊重されるべきなのだと思う。
とても大変な生き方であることは間違いないけれど、そのくらい彼女がこの社会でいわゆる普通に生きることに、また福祉の力を利用して生きることにも向いていない、ということなんだろうと思う。 -
公園のテント村に住む著者が見たもの感じたこと考えたこと。
視点が変わることで見えるようになるものや、見えなくなるものがある。権威や強者や世間が作った「当たり前」から外れた時に見えるもの。
支援者視点とも違う価値観が見えた。 -
『小山さんノート』についてエトセトラブックスの店員さんと話していたら、ぜひこれも読んで欲しい、とすすめられた本。ああ、私はやっぱりまだまだわかっていないのだなと思い知らされた。たぶん小さい頃から、ホームレスの人が視界に入りながら、入らないようにしていたこと、ホームレスの人は仕事も家族もない人、拾ったものを食べたりお風呂にも入らないから臭かったり、あまりに違うところにいる人だと思っていたことを、おそらく、親からもそんなふうに教えられていて、ホームレスの人がいると一歩でも二歩でも遠ざかるようにして歩いていたことを、思い出さずにはいられなかった。それ以外のことを考えなかった、同じ命で、同じ地球に住んでいることすらも。
正直、まだまだわからない。わかってしまったら、私のこの生活が揺らいでしまいそう、という不安みたいなものもある。そこまではわかってしまった。
家も家族も仕事もあるけれど、常に情報や多くの物に囲まれて踊らされて、誰かと比べて知らないうちに競争させられて、押し付けられてはならないはずの個性にも多様性にも押し潰されそうになって、役に立つもの価値あるものになりたくて、全てをお金にしばられて。それでも恵まれているのだからがんばれんばれとせき立てられている私たちは、本当に自分の足で立っているだろうか。自分の生活を自分の目で見ることができているだろうか。 -
出版社(創元社)
https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4766
内容紹介、目次、著者紹介 -
野宿して、襲撃されるのは怖い。
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ホームレスを知ることが出来る貴重な図書かと思われます。
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どうやって生きていくか選択するのは自分自身だし、各々の自由だからこそ、いろんな人が分かり合える世界は難しいけど作らなきゃいけないよなーって漠然思った。
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□選定理由
・タイトルに興味を持った為
□感想
・自らの意志で、ホームレスになった人の視点から普段深く知ることのないホームレスの事情を読み解いたもの。
・自分で考えて自分の生きたいように何物にも指示されずに生きていく様は自由と言えると思った。
・タワマン建設やオリンピック、万博等により、ホームレスの居場所が減少していく一方だとも知った。 -
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ホームレスとしての立場、社会への視線を語ってくれていて、そういう考え方があるのかと視野が広がった。ひとくちにホームレスといっても、本書に書かれているのが全てではないとは思うが、この著者は、こう思いながら暮らしているのだ。
著者プロフィール
いちむらみさこの作品





