- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784422390017
作品紹介・あらすじ
他者を自分と同一化するいちばん単純な手段は、何をおいてもまず、他者を食べてしまうことである。――「われらみな食人種」より
現代思想に構造主義を持ち込み、知的光景を一新した人類学者レヴィ=ストロースが、晩年にイタリアの日刊紙『ラ・レプブリカ』に連載した時評エッセイ集。
時事ニュースを構造人類学による大胆な連想と緻密な論理で掘り下げ、パズルを解くように描き出す。
巻頭には、実質的論壇デビューを果たした論考「火あぶりにされるサンタクロース」を収録。
80年以上にわたる知的営為をエッセンスの形で読める、最良のレヴィ=ストロース入門。
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本書はレヴィ=ストロースの没後編集の時評集である。イタリア有数の発行部数を誇る日刊紙『ラ・レプブリカ』に、1989年から2000年にかけて概ね年2回のペースで書き継がれた16の文章と、1952年の発表後にどの論集にも採録されることのなかった「火あぶりにされたサンタクロース」とが一つに編まれ、オランデールが監修するスイユ社「21世紀ライブラリー」シリーズの一冊として刊行された。
本書の各論考はレヴィ=ストロースのフランスでの学術的キャリア――1949年の『親族の基本構造』と前後して始まり、1992年の『大山猫の物語』で締めくくられる――を挟む両端の時期に書かれたものである。一般の読者を想定しながら、距離や時代を隔てた他者理解を目指す人類学の営為がどのような物の見方を提供し、具体的な社会的役割を果たせるかを余さず伝えようというモチーフが貫かれている。[…]
『ラ・レプブリカ』紙に連載された16の論考も、世論を賑わせた印象的な出来事や、偏愛する画家や工芸品の展覧会、人類学に限らない学術論文まで、いずれも着想源はさまざまで、ことによると雑多な印象も受ける。時評というにはやや意表を突いた切り口で始まり、そこに自身の主な研究対象であった南北アメリカ神話や親族構造、造形表現を中心に、時代も地域も異なるさまざまな話題がコラージュされ、当初の主題を掘り下げ、異化する。扱う主題も多彩だが、著者のこうした手つきはどの論考でも変わらない。[…]
人類学にとどまらず当時最新の研究成果にも幅広く目配りして進められる晩年のレヴィ=ストロースの繊細で大胆な論の運びには、思わずにやりとさせられる。文化相対主義や多文化主義といった安易・安直な形容を許さない、世界を見る視線や世界に対する構えが印象的に浮かび上がってくる。
本書はその意味で、著者自身による理想的な“レヴィ=ストロース入門”と言えなくもない。本格的な著作と向き合う際に必要とされる詳細な用語理解なしに、わたしたちの記憶にもまだ新しい出来事を起点にして、レヴィ=ストロースの世界のひろがりを手ぶらで散策するには、本書に代わるものはないのではないだろうか。
(訳者あとがきより)
感想・レビュー・書評
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レヴィ=ストロースの思考のエッセンスが詰まった評論集。社会的事象に対して、そこから根底にある人々の思想、意識にまで抽象化した推論を行う。一見関係がなさそうな事象でさえその卓越した、帰納的思考と演繹的思考によって鮮やかな線として炙り出す。特に『まるであべこべ』では、日本人の振る舞いから見られる特徴を求心的とし、西洋の遠心的な思考と対比させて、日本人の社会意識にある方向性を見出していた。
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レヴィ=ストロースの時事問題などを踏まえたエッセイ集。
1952年の「火あぶりにされたサンタクロース」が最初にあって、そこから一気に1989年に飛び、1年に2つづつくらいのペースでかかれ、2000年のエッセイが最後。全部で17本の珠玉というのがまさに相応しいエッセイ集。
この半世紀にもわたる執筆期間にもかかわらず、レヴィ=ストロースの物事をみる目は驚くほどの一貫性がある。
人間の思考は、いかに現代的、論理的にみえても、「未開」の思考がふと思いがけなくでてくる。つまり、わたしたち「文明人」と「未開人」の差は、思いがけないほど、近いということ。
「未開というものがあると思う態度こそが未開」であるというレヴィ=ストロースの言葉をいろいろな角度から語っているのだな。(この本を読んで、この言葉の起源はモンテーニュにあるということが分かった)
テーマにあがるのは、商業化されたサンタクロースに始まり、アフリカ系移民による女陰切除、狂牛病、ダイアナ妃の死去、地球環境問題など。
それらの問題を親族構造や神話論理などを活用しながら、読みといていくのだが、その分析はなるほどの鮮やかさ。
そして、その解釈は、とてもラディカルで、現代社会の常識、良識を逆撫でするもの。
レヴィ=ストロースは、どこか静的で、過度に一般法則化してしまう印象があって、構造主義のあとにつづく哲学者などからの批判を受け続けてきたのだが、いやいや、このラディカルさは、ほんと半端じゃないな〜。
ほとんどのエッセイは、最後の主著ともいえる「大山猫の物語」以降のものだが、90才でこの切れ味は普通ではないな。
また、90才を超えて、人類学の知識のアップデートだけではなくて、自然科学をふくむいろいろな領域での知を取り入れながら、思索していることも伝わってくる。
そして、なによりも人を見る眼差しの優しさが印象的。
「わたしたちは食人種と同じだ」と批判したり、絶望したりするのではなく、「食人」や「女陰切除」を含め、どのような文化や習慣であれ、それは私たちとつながるものなのだ、とやさしくインクルードしてしまうのだ。
また、日本の文化への言及もあって、これもまたわたしたちにとって貴重な視点。
世の中が、「わたしたち」と違う文化に対して寛容さをなくしていくように思えるなかで、今、あらためて、レヴィ=ストロースを読むことがどれだけ重要なことか。
これは自身によるレヴィ=ストロースの浩瀚な仕事への入門であるとともに、その仕事がわたしたちの現代にどういう意味をもつものなのかをストレートに表現した本でもある。
これはみんなに読んでほしい! -
このところの自分の思考に顕著なある傾向には、おそらく文化人類学の論考に近しいものがみられるのではないかと思い手に取った。もっとも入門的なところに位置すると思われる一冊だが、正直なところ自分程度の教養では立ち向かうのは難しかった。それでも著者がいかにフラットな視野で世界を見ていたか、それを膨大な教養と知識の海で飾りながら綴られていることはよく分かった。
直線的・一方向的進化に対する疑問、「未開」という視点の誤りなど、触れたかった内容も通奏低音のようにすべての論考に流れていた。勉強を積んでもうすこしスムーズに、この内容を楽しめるようになれればよいが。