お父さん、日本のことを教えて! ──はじめての日本国史

著者 :
  • 自由国民社
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レビュー : 1
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784426126421

作品紹介・あらすじ

ある日突然、わが子から

「日本はいつ、だれがつくったの?」

と聞かれたら
あなたはどう答えますか?

日本という国の基本、
39の素朴な疑問にわかりやすく答える
「日本国史」はじめの一歩。

●矢作直樹氏・推薦!
「日本を知るのに
これほど簡潔明快に
書かれた本はありません!」

●三宅マリ氏・推薦!
「哲学・宗教・心理学…
人類の幸せへの探究は
すでにこの国のなかに」

●加瀬英明氏・推薦!
「人の倫理観は
歴史観から生まれる。
愛情に溢れた本だ。」

感想・レビュー・書評

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  • ◆書評『お父さん、日本のことを教えて』◆

    本を「道具」として使っている私としては、率直に、
    「これは、入門書としてめちゃくちゃ気軽に使える!」
    というのが、現場の手応えです。


    内容自体は、特に目新しいことはなく、あちこちで繰り返し言われてきたスタンダードだ、
    と思っていましたが、
    九割以上の大人も子どもも知らない。
    ほとんど知らない。
    興味がない。

    しかし、この質問リストにある問いを、
    ぱっと見せて
    「日本はいつ誰がつくったのでしょうか?」
    とか
    「古事記と日本書紀の違いはなんでしょうか」
    とか
    「ご飯とお味噌汁どっちから先に食べるのが正しいですか」
    とか聞いてみると、
    盛り上がるのです。
    そして、
    「えー!全然知りませんでした。」
    と目を輝かせながら驚くのです。

    そして、
    「もっと調べてみます」
    と言ってくれるのです。


    そうした形で、誰かを巻き込んで、
    何度も何度も繰り返し読みました。


    この使い勝手は、「洗練されている」からならではのものではないでしょうか。


    編集者さん、すげーーーーーーーーー!

    私たちはまんまと、著者と編集部の意図するところに乗っかっちゃいました。



    はじめに、読み通したとき、
    「あれっ?
    な、何これ?
    何?」
    という、「違和感」を感じました。

    良い違和感です。
    「あ、これだ」という良い違和感、
    不思議な違和感です。


    何なんだろうと、何回もページをめくってみました。


    フワッとした感じというか、

    そう、
    たとえて言うなら、
    跳び箱のジャンプ台に、バンッとしたらその先に、跳び箱がなく、
    「あとは自分で、泳ぎなさい、飛びなさい、歩きなさい」
    と言わんばかりに、コーチに身を引かれ、
    補助輪をなくし、転んでしまいそうになった気分です。

    合気道で、強そうな有段者がどれくらいパワフルなんだろう向かっていったら、
    フワッとかわされて、「あれれ」となった感じかもしれません。


    一言で言うなら、
    「押しの弱さ」。

    それも、摩擦を避けるために言葉に規制をかけているというのではなく、
    その言葉の置き方自体があまりにも洗練されているのです。



    気がついたことがあります。

    そうだ!

    この本には、
    一言たりとも、
    「すべきであろう」
    「しなければいけません」
    という「強い主張」が全くないのです。


    左右論壇、また自己啓発書や成功哲学では、
    根拠を丁寧に挙げて、反対者の意見を引用し、間違いを正し、批判し、
    最後に自らの意見を強く「断言」します。

    「〜すべきであろう。」
    「〜は、〜であった。」
    「〜は間違っている!」
    と、
    過激になると、
    「万死に値する」「切腹すべきだ」「おおよそまともな人間とは思えない」、、、
    と愛国心なり、排外主義なり、反権力なりを叫び始めます。

    そして、
    私たちはそれを読みながら、
    胸のうちを鼓舞され、
    「ああ!そうだ!」「そうなんだ!」
    「こうするべきなんだ」「こうしよう」
    とか
    「いや、それは違うんじゃないか」
    「ついていけないなあ」
    とか、
    逐一「判断」を加えていきます。

    人が言ったことを鵜呑みにして、
    無批判のまま、わーっと熱狂して、みんなが一気に同じ方向に行ってしまうものは、
    ナショナリズムだろうが、宗教だろうが、反権力、反権威だろうが、
    恐ろしいものです。


    本書はほとんどそれがありません。

    「一神教の共通点はいさかいが終わらない」
    「カトリックとプロテスタント、イスラム教では殺し合いがあります。」
    と宗教戦争について述べつつも、
    「宗教なんかあるから戦争が起こるんだ、宗教なんかいらない、ないほうがいい、この世からなくしてしまおう」
    とまで言いません。

    「どちらがいい、悪いではありません。
    信仰する宗教によってしきたりが違うのです。」
    と認めながらも、
    共存の新しい可能性を世界に照らしています。

    (欲を言うなら、
    「宗教」の内部にも、黒いエゴの延長線上の原理主義から、
    おそらく「宗教」すら超えた透明な普遍主義まであり、
    十把一絡げにできないことも大切なことです。
    決して、殺し合いをしていた時のままではないということ。
    上の方では、平和に向けての連帯や対話の動きが大いにあります。

    すなわち、
    「全ての宗教が手を繋ぐ」ベクトルは、現在、確かにあるのです。

    ヨハネ・パウロ二世はキリスト教の成した植民地支配や十字軍や、ユダヤ人の迫害、ガリレオ裁判について謝罪し、
    イエスの教えとは正反対のことを為していたと認め、戻って行こうというベクトルに向いていること、
    カトリックとプロテスタントも和解しつつあること、
    フランシスコと、ユダヤ教のラビ・アブラハム・スコルカの間でも優れた友情が結ばれていることなど、
    そうした動きがある側面も覚えていただけると些か救われます。

    確かに、白人キリスト教社会は、宣教師を奴隷売買のために使い、文化を破壊したこともしたのは言い逃れがたい大罪ですが、
    宣教師の中にも、そのことに反対して、原住民を護ったものもいたのです。

    十字軍の最中には、腐敗せるキリスト教社会の中にアシジのフランシスコのような一輪の美しい花も咲きました。

    GHQが靖国神社を壊してドッグレース場にする計画を止めたのも、バチカンの大使館でした。

    そうした側面も多少は光を当ててくださると、些か救われます。)




    「私は〜と思います」
    「〜かもしれません」

    そう控えめに置くことは、ほとんどタブーと言っていいくらいかもしれません。

    本書は全篇、一歩引いたところから、
    それらの言葉が「丁寧に」置かれていることがかんじられます。

    異なる立場の人を「お前らは間違っている!目を覚ませ」
    と「改宗」を迫る姿勢もない。


    「皆さんはどちらの名前が良いと感じますか。」
    「〜があってもいいと思います」
    「国譲りをする国は聞いたことがありません。」
    「一人ひとりが自ら調べ学ぶ必要があると思います。」
    「こうした考えを誇りに思っていいと思います」
    「歌いたくて歌う人がいる一方で、歌いたくない人、歌わない人もいる。それでいいと思います。」
    「どちらが良い悪い、優れている劣っているではなく、ただ文化が違うだけ。それをお互いの国が認め合えば、お互いの国が仲良くできます。」

    こんな調子で、私たちに問いかける感じで、質問や想いが、
    私たちの目の前に置かれます。

    こりゃあ、熱い右の人からも、なんでもかんでも否定したがる左の人からもなんか言われるんじゃないかと思うのですが、言わせとけばいいでしょう 笑

    本書は、
    教育勅語や五箇条の御誓文同様、
    「神の前の呼びかけ」にも感じ取れます。

    ある種の透明感、
    それも日本の国土にもともとある清い霊性のような言葉が岩清水のように流れてきます。


    無意識のうちで、私たちは、
    「主張」に慣れすぎています。
    学校でも家庭でも社会でもそう教育されてきて、
    世の中のほとんどの文字が、
    「主張」で満ち溢れているからでしょうか。

    それらは、「正しいこと」かもしれません。
    しかし、それは時にエゴになります。



    さりげなく、
    踏み台をさらっとただそこに素朴にポンと置いた感じ。

    「なるほど、新しいことを知ることができた。」
    よりも、
    「祈り」に近いものを感じます。


    また、
    「一問一答形式」というのも素晴らしいところです。

    最近ではあまり使いませんが、
    伝統的に何か体系だった教えを学ぶときは、一問一答形式が主流でした。

    つまり、教育とは、対話であり、
    教えこみよりも引き出すことがその本義なのです。

    「よい問いかけはよい答えに勝る」というのはユダヤの格言です。

    普段文字を読んだりインプットするのに興味のない子どもに
    クイズ形式で、
    本書の問いかけをしてみると、
    「うーーん、何やろ?何でやろう?」と、
    一生懸命考えて自分なりに答えてくれます。

    正直に
    「これはめっちゃいいスタイルや」と感じました。

    本書を入り口にして、
    大人も子どもも「自分なりに」「本当かな」と感じたことは、
    実際に調べてみることが大切でしょう。


    とても良い踏み台、
    スタートラインになるべき一冊です。






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著者プロフィール

オンライン國史塾 塾長 人生が変わる聖書漫談師 ヤマト・ユダヤ友好協会会長1959年三重県津市生まれ、明治大学政治経済学部卒業。日本の宇宙開発の父、ロケット博士として世界に名高い、故・糸川英夫博士の一番の思想継承者。伊勢の父と呼ばれた伊勢修養団の故・中山靖雄先生にも長年師事したことから、その遺志を引き継ぎ伊勢神宮での「やまとこころの祭り」を開催している。ヤマト人の歴史を取り戻すべく「やまとこころのキャンドルサービス」をテーマに講演会を全国各地で開催。その集大成として「オンライン國史塾」を主催し塾長に。ライフワークとして「人生が変わる聖書漫談師」として活動し、ユダヤ人の人生の成功のエッセンスである「聖書」に学び、現地を旅し、足の裏で読み解き、人類の知恵の書として伝える「人生が変わる聖書漫談塾」を全国各地とオンラインで開催。年間100回、聴講者累計10万人以上、著作10作を上梓し、講師、作家として活躍している。

「2020年 『お父さん、日本のことを教えて!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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