性の貧困と希望としての性教育 その現実とこれからの課題

  • 十月舎 (2009年8月8日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784434133800

作品紹介・あらすじ

子どもたち・青年層に拡がる「性の貧困」状況、それを生み出す貧困なマスコミ性情報-"メディア・リテラシー"の視点から性教育の新たな課題にチャレンジする。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は性教育を推進する人がどのようなイデオロギーを持っているのかを示しているにすぎないと断ぜざるを得ない。

    確かに、性に関する問題は身体的意味とともに、社会的意味を持って議論されてきた。しかし、社会的なそれを中心として議論するとき、政治的思想と切り離すことは困難であり、これを原因として議論は分裂し、結果として性教育についての結論は得られることがなく、タブー化されるのが常であると認識している。

    しかし、イデオロギーに基づく性教育議論に、教育を受ける「当事者」としての子どもたちの意識、声、そして実態は含まれているのだろうか。本書にはこうした点に触れている論も散見されたが、いわゆる左翼的イデオロギーに基づく盲信的主張が繰り返されている論の印象の方がはるかに強い。対象を見ずして「頭でっかち」になっている感が否めない。

    私自身は、性教育は思想としてではなく健康、もっといえば公衆衛生の文脈で議論されるべきものと考える。公衆衛生は政策にもつながる学問であるが、医学としての公衆衛生に限定して論ずるのが適切であるというのが持論である。

    このとき必要なのは思想や理想ではなく、現状認識と問題点の洗い出し、そしてその解決策の策定と実行である。ジェンダー論など入る余地はない上、その必要もない。こうした意味では本書にも取り上げられている七生養護学校での取り組みは実践的であり、非常に評価できるものであると言える。



    男女平等論者は何においても男女間の差をないものとしながら、過剰に女性を擁護するきらいがあると認識している。そうした意味では平等を謳ってはいるものの、その本質はフェミニストと言えるだろう。しかし、男女には厳然たる「違い」がある。それは優劣をつけられるものではない。違いがあるという事実があるだけなのである。その「違い」に見合う形で社会的な役割が異なってくることは、むしろ自然なことと考える。

    また、性交に限った話にしても、本書に稿を寄せる人々は一様な「性交における平等」を強調しており、あたかも「正しい性交」というものが存在するかのような議論を展開しているが、そうした画一的発想こそ危険を孕む可能性があると考える。

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著者プロフィール

1953年、埼玉県生まれ。帯広畜産大学教授(哲学・思想史)。
著書に『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』(花伝社)、『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集――「国権拡張」「脱亜」の果て』(明石書店)、『天は人の下に人を造る――「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)、『人にとってクルマとは何か』(大月書店)、『野蛮なクルマ社会』(北斗出版)、『クルマが優しくなるために』(ちくま新書)、『クルマ社会と子どもたち』(岩波ブックレット、共著)、『男権主義的セクシャリティ』(青木書店)、『クルマを捨てて歩く! 』(講談社プラスα新書)、『道路行政失敗の本質』(平凡社新書)、『レイプの政治学』(明石書店)、『「日本は先進国」のウソ』(平凡社新書)、『AV神話』、『買物難民』(大月書店)、『カント哲学と現在』(行路社)、『「買物難民」をなくせ! 』(中公新書ラクレ)、『逃げられない性犯罪被害者』(青弓社、編著)、『「3.11」後の技術と人間』(世界思想社)など。訳書にH・J・ペイトン『定言命法』(行路社)。

「2017年 『さようなら!福沢諭吉 Part2』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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