茶の本

  • 淡交社
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本棚登録 : 54
レビュー : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (157ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784473013507

感想・レビュー・書評

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  • 中学生のころに教科書で名前を素通りしたぐらいの存在、岡倉天心さん。
    改めて彼の著書を読んでみるとすごく新鮮でした。
    明治時代にこんなに堂々と海外に日本人の文化を意見した人がいたんだと驚きます。
    西洋にかぶれまくっている時代だとばかり思っていましたが、臆することなく日本の素晴らしさを主張をするあたり、すっかり欧米化した現代人が見習わばければと思うほどです。

  • ‪ネットの無い時代に、これほどまでに深い教養を持っていることに驚きました。1906年に日本の茶道を欧米に紹介する目的で刊行された本です。ただ内容自体は勉強するようなスタンスで望まないと覚えてられないと思う。‬

  • 畳と抹茶の幼稚園生だった頃を思い出して。岡倉天心『茶の本』関連の本はいっぱいだったがこの忙しい試験勉強時間にすぐ読みきれそうな薄めなこの一冊を手に取る。
    やさしい女性の語り口調で翻訳されており、わかり易く3日で読めた。お茶の心に触れるには試験が終わってからにしよう…。
    ヒトは狼。
    十歳にして獣、二十歳で狂人、三十で敗者、四十で詐欺師、五十で罪人になるそうです。

  • 先日、岡倉天心の活動拠点であった五浦六角堂を訪れたこともあり、彼の著書を読んでみました。
    文章が高雅で典雅。多少難解ですが、ぐいぐいと引き込まれます。

    海外からの視点で日本文化を見つめ、海外へと紹介する目的で書かれた本ながら、広く仏教や儒教の精神も踏まえた内容であるため、日本人である私にもかなり読みごたえがありました。
    特に「茶道は道教の仮の姿」という発想には驚きました。
    わかっているようで実はよく知らない道教。そこに茶道との共通性を見いだすとは、さすが様々な文化や宗教哲学に精通した著者ならではの着眼点です。

    さらに、茶を生の術に関する宗教だとまで言い切る姿勢に、日本人にとっての茶の存在の大きさを感じさせられました。
    道教には前々から興味を持っていましたが、呪術的な決めごと、秘めごとが多く、よく把握しきれずにいる状態。
    それを天心は、「道教は美学の領域での処世術」と解説しています。
    儒教徒や仏教徒とは異なり、この浮世の中にも美を見いだそうと努める姿勢が道教なのだとのこと。

    さらにそれは「人生の些事の中にでも偉大を考えるという」禅の精神にもつながっていくとまとめられています。
    荒唐無稽な論を展開しているとは思わないながら、それほど深い思想によって成り立つものだったのかと、あらためて日常生活の中での飲茶について襟を正して考えました。

    日本美術の発展と保存のために尽くした彼ですが、自分のパトロンだった九鬼隆一男爵の妻と恋におちます。
    九鬼の妻は身重の身体で隆一と別居し、天心の元へ走るというスキャンダルを起こしたため、彼は東京美術学校を追われ、五浦へと居を移します。

    隆一の息子、九鬼周造は、幼い頃、天心を父と思っていたということ。
    既読の九鬼周造の『いきの構造』を連想させる文章だと感じられたのは、そういった複雑に入り組んだ人間関係によるものかと、考えさせられました。

    はしがきは彼の弟が書いているとのこと。兄との思い出を交えた淡々とした文章の中にも、時代の流れに翻弄された天心をさりげなく擁護するようないつくしみがかいま見られました。

  • 2012年07月 05/55
    なぜこれまで読んでいなかったのかと思った名作。
    100年前の本ですが、中身はほぼそのまま現在に通じます。

  • 本のお茶ーカフェスタイルを読んでから、
    こちらの本を手にとるんだから、
    読み手としては、無作法だと思いますが、
    そんな読み方があってもいいかなと。

    10年たったら、また違う風景がみえるかと思います。

  • 「 ”茶の心”とは、日常生活の些細な事柄に美を見出し、それを礼讃することであり、雄大な自然宇宙に存在する自己はほんの一部であり、ちっぽけであることを認めながら、自然の美、簡素の美を慈しみ、自然との調和を求めることである。」

    「ですから「現在」は絶えず移りゆく無限であり、れっきとした相対的なものです。相対的であるということは、適応を求められますし、適応とは「生きる技」であり、「芸術」なのです。このように、「生きる技」とは、我々をとりまく環境に対し、常に適応していくことをいうのです。ですから、道教は現世をありのままに受け入れ、わずらわしい毎日の中で美を見つけようとするものだといえるでしょう。」

    「「人生という喜劇において、役者全体が和を保とうとすれば、より面白くなる」と道教徒は言います。物と物との釣り合いを保ち、自分の立場を失うことなく他人に譲ることが日常劇を成功させる秘訣です。我々が自分の役をちゃんと演じようとすれば、劇全体について把握しておかなければなりません。つまり、個人という概念において全体という概念を決して見失ってはならないのです。」

    「人生において生き方をマスターした人間を「道士」と呼びます。(中略)道士は「冬、川を渡る人のようにしぶしぶと、隣近所を恐れる人のようにためらいがちに、客のように恭しく、今にも溶けそうな氷のように震え、細工のない荒木のように気取らず、谷のように空虚で、混沌として水が流れるよう」です。」

    「道教が茶道の審美的な理想な基盤となり、禅がこれを実際的なものとした。」

    「禅が東洋哲学になした貢献は、日常のありふれた事柄も精神的なものと同様に大切であると認めたことです。物事の関係において大小の区別はまったくなく、つまり、一個の原始も広大な宇宙と同様の可能性を持っているのです。」

    「つまり利休が求めていたものは、単なる清潔さだけでなく、美しくかつ自然であることだったのです。」

    「空き家」という言葉は、道教の「すべてを包含する」という教えを意味する他に、装飾の題材は常に変化すべきであるという概念に基づいています。茶室はまったく「空」で、何か置かれるとしてもある美的雰囲気をかもしだすための一瞬のものです。」

    「日々の暮らしの中に美を見出す茶人の芸術観」

    「茶人は、芸術を実生活に反映させて初めて本当の芸術を理解することができるのだと考えていました。ですから茶人は茶室で学ぶ高度に洗練された茶法を通して、日常生活も精進しようとするのです。ですからどんな場合でも、心の平静を保ち、会話は周囲との調和を損なわないように努力します。着るもののスタイルや色調、姿勢や歩き方もすべて、その人の人格を表す芸術的な表現と考えるのです。ですから、これらは軽視されるべき事柄ではありません。というのも、自分自身を美しくしてこそ、初めて美に近づく権利も与えられるからです。」

  • 日本人が明治三十九年に海外にて英文で出版した茶、茶道、および日本人の精神性を説いた本。
    欧米でかなりの反響を呼び、大正十一年に邦訳され、逆輸入された茶の古典書。

  • 淡交社のものが読みやすいとのことだったが、ほかを読んだことがないので不明   
    空(くう)をつくる というはなしが特に気に入っている

  • 茶のよさを世界に広めた名作。

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著者プロフィール

1862-1913。横浜生まれ。本名岡倉覚三。東京大学文学部卒。フェノロサに師事。東京美術学校校長を経て、横山大観らと日本美術院を創立。ボストン美術館東洋部長として国際的に名を知られた。生前刊行した単行本として、本著の前に『東洋の理想』、後に『茶の本』の英文三部作がある。

「2014年 『英文収録 日本の覚醒』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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