五節供の楽しみ: 七草・雛祭・端午・七夕・重陽

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  • 淡交社
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  • Amazon.co.jp ・本 (110ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784473014597

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  • 五節供とは、「人日(じんじつ:一月七日)」、「上巳(じょうし:三月三日)」、「端午(たんご:五月五日)」、「七夕(たなばた:七月七日)」、「重陽(ちょうよう:九月九日)」の5つを指します。江戸時代に定められた式日です。

    節供は節句とも書きますが、前者の方が元々の書き方で、「節」は季節や時間の区切り目といった意味、「供」は食物を供えることを指します。今日では「供物」のように、上に奉る意味で使うことが多いですが、元はといえば人々が同じ場で飲食をともにすることを指し、この場合は必ずしも「ご馳走をおなかいっぱい」食べるわけではなく、分けて供することそのものに意義があったようです。

    さて、日付を見るとお気付きかと思いますが、これらの日は月・日ともに奇数となっています。一月のみは元日という大きな行事と重なるため、日がずれていますが、他は月・日とも同じ数字になっています。これは陰陽五行思想では、奇数が「陽」とされて尊ばれたことによります(九月の重陽は、「陽」の数のうち最大の九が「重」なることを意味します)。
    十一月十一日は入らないのかという疑問が残りますが、二桁の数になって繰り返しだからかもしれませんし、「五」節供でなく「六」になり、奇数でなくなってしまうからかもしれません。本とは別途に、少し調べてみたのですが、確たる説明には行き当たりませんでした。

    五節供の際には、土地により、また階級により、さまざまな形で祭りが行われ、季節の楽しみとなってきました。
    本書前半では、京の公家階級である冷泉家の習わしを中心に、節供を写真で紹介しています。飾り、料理、菓子、行事などです。
    後半は解説です。冷泉家の伝統に加えて、民間での祝われ方や節供にちなんだ和歌・俳句、元になった思想や重ね合わせられた習俗に関する解説もあります。
    奥行きのある、立体的な世界が広がっていきます。

    人日
    七草のお祭りです。人日とは、中国の古俗によるもので、元旦から6日までは、それぞれ、鶏、狗(犬)、猪(豚)、羊、牛、馬に宛てられ、それぞれの吉凶を占い、またその日にはその獣を殺さないことになっています。七日は「人」の日です。刑を行わず、七種菜羮(ななしゅさいよう:七種の菜が入った吸い物)を食すことになっていたそうです。
    若菜を食して、春の精気を身に取り入れるといったところでしょうか。「せりなづな ごぎようはこべら ほとけのざ すずなすずしろ 春の七草」ですね。

    上巳
    いわゆる雛祭です。三月上旬の巳の日とされていましたが、三月三日に統一されて行われるようになりました。かつては三月だけでなく、小正月や端午、八朔(八月一日)、重陽にも雛祭が行われたことがあったそうです。今でも「流し雛」の風俗が残るところがありますが、自らの体を拭って穢れを移し、これを水辺に流すというのが元の形です。禊ぎ・祓いの行事だったのですね。雛祭の後はお雛様を早く仕舞え、というのは、こうした厄払いの記憶がどこかに残っているせいもあるのかもしれません。
    和歌を詠んで短冊を水に流す「曲水の宴」も上巳の行事でした。流れる水と関わりの深い上巳。地域によってはこの日は浜に出て遊び、磯のものを食べることになっているところもあります。蛤が付きものとされるのも、そうした関連なのかもしれません。

    端午
    菖蒲→勝負の連想から、男の子の節供とされます。端午は月のはじめ(端)の午の日を指し、五月に限ったものでもなかったようですが、漢代以降、五月五日に固定されたようです。五色の糸を臂(ひじ)に掛け、菖蒲を浸した酒を飲んで、疫病の毒気を祓ったと言います。伝染病の流行る季節に先駆けて、無病息災を祈ったわけですね。
    鯉幟の吹き流しは五色の糸の習俗に基づくもののようです。また、農村部では矢車の代わりに杉の葉や目籠を飾るところもあるとのこと。こちらは田畑の神がそれを目指してやって来る「より代」の意味があるようです。
    菖蒲は現在ではアヤメ科のハナショウブが飾られますが、元来はサトイモ科のショウブで強い香気を発する植物です。これが邪気を払うとして重用されたようです。

    七夕
    乙姫(織女)と彦星(牽牛)が年に一度の逢瀬を楽しむというのは、漢代の伝説から来ているものです。これに裁縫が上手になるようにと祈る乞巧奠(きっこうてん)の風俗が重なったのが七夕の星祭です。日本では宮中の行事となり、詩歌管弦の遊びとなりました。この際、和歌が読まれたことから、江戸期に庶民の祭りとなった際に、習字、あるいは技芸全般の上達を願うようになっていったわけです。七夕の際は、笹が神の「より代」です。
    天の川に隔てられた二人を会わせて上げたいのは山々ですが、七夕は雨がちなもの。七夕はまた、水と縁の深い祭りでもあります。盆を前にして、先祖を迎えるため、井戸替え、墓掃除など、禊ぎ・祓いをする行事もこの頃に重なります。

    重陽
    こちらは菊の節供です。菊はその美しさと香りの高さから、邪を除け、病を防ぐとされ、この日に菊酒を楽しんだり、菊花に載せて露を含ませた綿で身を拭ったりする風習がありました。延命長寿の霊薬ともされ、不老不死となった仙童が登場する「菊慈童」の説話は能の演目にもなっています。
    菊の花は、陶淵明の「採菊東籬下 悠然見南山」(飲酒詩)など、漢詩にもよく謳われています。
    茶席の菓子である「着綿(きせわた)」は、菊花に見立てた練り切りに、白餡のそぼろを綿のように載せたもの。菊の霊力にあやかる故事をしのばせます。

    古代思想に民間伝承、地域の風習が重ね合わせられ、時間を掛けて醸成されてきたのがこうした行事です。形として残っているものの奥には、昔の人々の願いや祈りが込められています。
    土地による節供の祭りの違いなども比べてみると楽しいかもしれませんね。

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著者プロフィール

1944年生.関西学院大学大学院文学研究科博士課程修了.財団法人冷泉家時雨亭文庫理事長.京都美術工芸大学学長.

「2017年 『円山応挙論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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