大阪 喫茶店クロニクル 個性に満ちた憩いのワンダーランド

  • 淡交社 (2024年4月4日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (296ページ) / ISBN・EAN: 9784473045904

作品紹介・あらすじ

〈おしゃべり好きな大阪人のコーヒーブレイクを支える、知られざる喫茶店のヒストリー〉
〈日本一喫茶店の多い大阪のコーヒー史を辿る一冊〉
江戸時代より「天下の台所」として栄え、近代以降も東京に並ぶ大都市として、特に「食」に関しては京都に勝るとも劣らぬ文化をもつ大阪。本書は、明治維新よりさまざまな業態を生み出し、全国に影響を与えた大阪のコーヒー史を軸に、大阪の喫茶店の系譜を紐解く一冊です。時代ごとに著名な喫茶店、焙煎業者、カフェなどをキーワードにしてその関連性を明らかにしつつ、「日本一喫茶店の多い街」の個性溢れる過去と現在に迫ります。

感想・レビュー・書評

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  • 終了した催し
    田中慶一「カフェから大阪が見える 甘くて苦い、喫茶150年史」 - 講座 | ナカノシマ大学(開催日2024年5月17日)
    https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20240517

    大阪は今も"喫茶店ワンダーランド"であり続けているように思う|daily-sumus note(2024年4月9日)
    https://note.com/daily_sumus/n/n8e4b6bbfc2e9

    大河のようなカフェ・ヒストリー『大阪 喫茶店クロニクル』と西田辺の名店 « 140B ブログ(2024.04.17)
    https://140b.jp/blog3/2024/04/p4933/

    田中 慶一 | NETWORK | KIITO
    https://kiito.jp/people/tanakakeiichi/

    大阪 喫茶店クロニクル | 書籍,一般書,小説・随筆 | 淡交社 本のオンラインショップ
    https://www.book.tankosha.co.jp/shopdetail/000000001989/
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    (yamanedoさん)本の やまね洞から

  • メディアが取り上げる喫茶店はどうしても東京中心になる。




    今回の本は、大阪の喫茶店にフォーカスしている。




    大阪にも味わい深い喫茶店が多くある。





    最初に数軒の写真が載っている。





    その中に1947年に創業したマズラの店内の様子が写っている。




    近未来的な空間が個性を出している。




    店の名前も個性的だ。「マズラ」の由来は、インドネシアのマドゥラ島だった。




    創業者で台湾出身の劉盛森さんが19歳のときに訪れた時のことがきっかけ。




    大阪最初のカフェは明治末期に川口居留地に開店した「カフェー・キサラギ」と言われている。




    開業年については諸説あり、早いものでは1907年、遅いと1912年。




    川口は、大阪湾に注ぐ安治(あじ)川と木津(きづ)川の分岐点に位置し、1868年に川口一帯が外国人居留地となった。





    建物に関して、銀座で開業した「カフェー・プランタン」と比べて「貧弱極まるもの」と「大阪カフェ源流考」(「上方」第27号、創元社 1933年所収)で、寺川進が記している。





    メニューはどのようなものか非常に気になるが、著者は見つけることができなかった。





    大阪で現役最古の喫茶店、「平岡珈琲店」がある。




    1921年創業と100年を超えて、船場のオフィス街で営業している。




    大阪発の珈琲店で各地に支店を広げ、飲み物やスイーツを発売している「丸福珈琲店」。





    1934年、当時の盛り場だった新世界、飛田新地の近くにある今池町にコーヒー専門店「丸福珈琲」を開業した。





    戦時中にコーヒーを飲みたい常連客向けに密かに営業していたとありビックリ。





    先が見えない中で、丸福珈琲店の伊吹貞雄氏が、お金があるうちに、生豆から砂糖、バターなどを買い込んで、2階建ての家が倉庫のようになったそうだ。





    備えあれば憂いなしというがそのとおりだな。





    大阪の知られざる喫茶店の歴史を知ることができて興味深い。




    今度、大阪に行く機会のあるときに、いろいろな喫茶店を訪れてみたくなった。

  • 大阪 喫茶店クロニクル
    個性に満ちた憩いのワンダーランド

    著者:田中慶一
    発行:2024年4月14日
    淡交社

    国の調査によると、都道府県別の喫茶店数で大阪府は長らくトップらしく、2位の東京都との差はわずかだが、人口比でいうと突出しているとのこと。減ってはいるものの、大阪はやはり喫茶店文化が花開いている地ではある。そんな都市のクロニクルは一読の価値があるかもしれないと思って目を通してみた。

    日本におけるカフェの誕生から終戦までのクロニクルである第1章が一番おもしろい、というか、これで大体が語られている。とくに、大正時代が圧巻で、段々とサービス競争になってやがて女給がやばくなっていく様子もわかる。

    100年続く本町の「平岡珈琲店」や、ミナミの「丸福珈琲店」、「MJB珈琲」(2017年に70年の歴史を閉じる)という多くの人が行った経験のある店も出てくるが、やはり地元の店の意外な歴史を知るのは嬉しい。僕の場合は、福島区の「カフェ バーンホーフ」(玉川)、「玉一総本店」「喫茶Stove」(聖天通商店街)、「ジャイアントコーヒーハウス」(野田阪神)、西区「日本一喫茶」(九条)あたりだろうか。

    なお、多くの文献や資料を紐解いて、よく調べていると感心できるが、誤りだろうと思われる箇所も結構あり、とりわけ年号など信頼性を損なう部分があるのが残念な本だった。最終の第5章では、アメリカからサードウェーブというコーヒーの新潮流が来て、スタバ日本進出以来の衝撃だと書いてある割には、そのサードウェーブがなんたるかという説明がない。肝腎なところが抜けている点について、著者もエディターも気づいていないのが不思議であり、完成度の低さが感じられる。これも残念。

    *****

    第1章〔明治維新~終戦〕

    1.大阪最初のカフェ

    戦前のカフェといえば、女給がいてお酒を出し、店外で男と女の仲になる商売を連想しがちだが、それ以前からあった、純粋にコーヒー(や洋食)を出す店の歴史よりスタート。

    コーヒーを出す店は、幕末に横浜やその後に上野にあったようだが、本書では「カフェ」と名乗った最初の店はどこか?という点に言及している。記録で確認できるのは、銀座の「プランタン」で1911(明治44)年に開店。一方、大阪で最初にできた川口(居留地)の「カフェー・キサラギ」は、1907~1912年までの記述、記録がある。最有力が1910年だそうで、銀座とどちらが早かったのか、微妙な問題らしい。ただ、ほぼ同時期だったことは間違いなく、その点が重要でもある。

    川口の外国人居留地は、敬遠されていたため、外から容易に入っていけず、「カフェ・キサラギ」も一般市民には縁遠いものだった。画家の小出楢重、鍋井克之、足立源一郎、鶴丸梅太郎、劇作家の食満(けま)南北、詩人の百田宗治などが参加する「プライム会」(のち「きさらぎ会」)なる月1回の例会が開かれるようになった。ヨーロッパのカフェへの憧憬が感じられたが、ただ、この店や居留地のまちなみは、ヨーロッパのそれとはほど遠い雰囲気だったようだ。

    なお、居留地にはこれ以前に「自由亭ホテル」が建てられ、コースの西洋料理を出し、最後にコーヒーも。五大友厚に言われ、長崎で日本初の洋食屋をしていた丈吉(後に草野姓を与えられて草野丈吉)という料理人がここで開業した。これについては、朝井まかてにより「朝星夜星(2023年、PHP研究所)」という小説にも描かれている。

    2.大正時代

    ミナミに次々とカフェが出現、「カフェパウリスタ」と「キャバレ・ヅ・パノン」が先駆けだった。
    「パウリスタ」は箕面に1号店(1911年)、全国展開、1913年に道頓堀に移転新装。13-16歳の少女が黒の制服に白エプロンでコーヒーを運ぶ。
    「パノン」は通称「旗の酒場」。2階建て洋館、ステンドグラス。エプロンせずに銘仙の着物、断髪や耳隠しにした若い「女ボーイ」。多士済々の客。キサラギなき後の「プライム会」メンバーに加え、宇野浩二、吉井勇、竹久夢二、岸本水府(「番傘川柳社」創立者)・・・ジャーナリストや実業家も。
    パノンがパリ好みの華麗さを誇る社交クラブ的カフェ、パウリスタが純喫茶の草分けだった(落ち着いて話しができた)。

    この頃の道頓堀界隈に次々と出現したカフェや西洋料理店。
    ・1912-14(大正元-3)年:「ナンバ」「クレナイ」「ミカド」
    「カフェーナンバ」は大阪で2番目のカフェとして言及されることが多い。大正元年ごろに楽天地近くに開店。「田舎のミルクホール」のような店構え。1917年ごろ閉店。
    「クレナイ」は千日前・蘆辺劇場近く。演劇人集まる。
    鰻の柴藤が戎橋南詰で始めた「ライオン」。
    「ミカド」は店主が純文学機関誌を発行、松竹座向かい。
    ・1920年ごろまで続くカフェ揺籃期
    「ムライ」は元洋食道が転業。
    「サンライズ」はアメリカ帰りの経営者がブラジル珈琲の宣伝のため開業。
    「石川食堂」アメリカ帰りの呉服店主人が経営。
    「アイオイ」は繊維会社が出資。
    「ニコニコ」は新世界にあり、噴水庭園やステージを備えた巨大カフェ。
    「白百合カフェー」は元松竹女優が経営
    ・芝居茶屋の廃業が相継ぐ

    3.大正末~昭和初期

    1925(大正14)年に人口日本一、工業生産額日本一、「大大阪時代」の黄金期を迎える。
    ミナミに続々と現れた大カフェー。女給の変貌がカフェーのイメージを決定づけた。行儀のいい白エプロン姿の若い女性は〝女ボーイ〟と呼ばれ、単なる給仕以上のものではなかった。「パウリスタ」では、「上品で行儀よくサービスをし、客席に割り込んで話の仲間入りをするなどのことは迚(とて)もなかった」。ヨーロッパで見られるカフェの光景だった。

    一方、これを大衆向けにすれば儲かると考え、昭和の初め頃に登場したのは、
    「ユニオン(1927)」「美人座(1927)」「道頓堀」「日輪」「赤玉」「南地赤玉」「フランスバア」「アシベ食堂」「ヴヰナス」「タイガー」など。「美人座」と「赤玉」は大規模(二大カフェー)。
    *ユニオンの経営者・小堀勝蔵は1917年に西九条でビアホール「朝日屋食堂」を開業し、道頓堀進出

    世界恐慌(1927)により変化。
    「カフェー丸玉(1932)」創業者の木下彌三郎が「グランドキャバレー丸玉」で「赤玉」と競争に。
    ユニオン、美人座、赤玉などが東京進出。一部は海外へも。派手なネオン、濃厚な女給サービスが「銀座を吹巻く大阪エロ」などの新聞記事も
    (大阪カフェの特色は第一にエロ、そして大衆性)

    百年喫茶「平岡珈琲店」誕生
    大阪で現役喫茶店として最古の店は「平岡珈琲店」。キタでもミナでもない、船場で1921年創業。「平岡」は創業者・小川忠治郞が婿養子入りした先の姓。サラリーマンが多かったが、リッチなサラリーマンの社交クラブ的な場に。高級珈琲の部類だった。
    同じ船場の「ゼー六」は菓子舗「ゼー六三十日堂」として1913年に創業し、和洋折衷のアイスモナカが有名。戦後に洋菓子を始めた頃からコーヒーも出す(現在はアイスモナカ一本で洋菓子なし)。

    関東大震災を機に増え始めた大阪の喫茶店は、3ランク。15銭以上が高級喫茶で、平岡珈琲店、ミナミでは、スペイン風の「アルハンブラ」、北欧風の「アジア」、フランス調の「リド」、「美松」。

    5銭均一を謳う店など、大衆喫茶も好評。ジョッキでコーヒーを出す店もあった。「パウリスタ」が萌芽で、一杯5銭のコーヒーとドーナツ。神戸の「ホワイト」が一大チェーンをなしたが、同時期に大阪では「玉一」。東区玉造一丁目で創業し、その後、現在も営業する福島区に移転した「玉一総本店」ほか9店が残る。戦前は80店以上あった。「ヤマト珈琲店」「アジアコーヒー」を加えて大衆喫茶の3大チェーンをなした。「日本一喫茶」(1932年、日本橋で創業)は、西区九条で今も営業。飛田本通商店街の「木村家(1973)」も残っている。

    4.コーヒー焙煎業者

    パウリスタが焙煎卸業でも有名。
    「ダイヤモンド商会」の創業者もパウリスタ出身で、創業100年超の現役企業。
    「杉野商店」「進藤商店」は輸入食料卸でコーヒー専業ではなかった。
    「ジャイアント商会(1926)」は「ダイヤモンド商会」と双璧だった。「ジャイアントコーヒーハウス」という喫茶店も。2011年になんの前触れもなく解散、「ハウス」は野田阪神だけが今も営業
    「コ-ヒー卸売専業ギンカ商店(1928)」。
    「ブラジレイロ」は1930年に梅田新道角に開店、全国20店に。ブラジルコーヒー普及のための宣伝用直営店だった。

    5.カフェーの衰退、純喫茶の台頭

    世界恐慌のあおりでカフェーにもかげり(昭和4-5年)。美人座、ユニオン、日輪などの大手廃業。店内では女給の濃密接触サービス、客との同伴外出が社会問題化、取締りへ。業態は細分化。
    ①純粋カフェー②ベーカリー(菓子販売主体)③ソーダ・ファウンテン(清涼飲料主体④レストラント(西洋料理)⑤バー⑥キャバレー(飲食物+余興)
    1930年代後半になると、一転、飲食を主とした喫茶店が台頭。純喫茶化へ。

    「丸福珈琲店」「MJB珈琲」が歩みを始める。
    「丸福珈琲」:創業者の伊吹貞雄は1908年に鳥取の米問屋に生まれ、船場の電気店に方向し、料理に転じて東京で修行、「カフェー・ギンレイ」開店。大阪に戻って1934年に今池町(西成区)にコーヒー専門店「丸福商店」。現在は親族により「コーヒーショップ伊吹」として営業。
    「MJB珈琲」:創業者・秋山悟堂は1914年に愛媛県→大阪の商業学校入学。銀行勤務、京都の大学へ。1931年、大阪市港区市岡でカフェーを譲り受けたが取締規制が厳しく1年で音を上げるも、一夜で前面総ガラス張りの簡易喫茶「藤屋」に改装、大衆喫茶的な業態へと転換し、成功。
    戦況が厳しくなると、伊吹はお金のあるうちに珈琲を買いまくってストック、秋山は初芝に家を買って後に備えた。


    第2章〔1945~1960〕

    1.再開

    コーヒー豆の輸入再開は1950年だが、その前から出回る。
    戦後、神戸から大阪に移ってきた「上島珈琲貿易」は、戦時中にドイツが潜水艦で日本に持ち込んだ最高クラスの豆を手に入れて販売。
    「丸福珈琲店」は疎開させていた物資の到着を待って営業再開。今池町だけでなく、ミナミの元料理旅館の土地約10坪を買って現在もある「丸福珈琲店」千日前本店を開店(1946)。進駐軍のジャズが流行り、劇場も再建されたため、演奏者や役者などが多かった。アメリカの早川雪洲も。

    「創元」は新歌舞伎座の真向かいで開業。創元社の取締役だった内藤宗晴が経営する創元書房の奥に併設された喫茶室。
    「花月」は1946年、現在のなんばグランド花月近くに開店、後、「純喫茶アメリカン」に。

    「カミン珈琲店(1948)」新歌舞伎座北側に開店、現在は三津寺筋。
    「カーネス」(姉妹店、難波本通のどんつき)
    「千成屋珈琲(1948)」ジャンジャン横丁、ミックスジュース発祥店
    「ミツヤ(1946)」梅田新道、喫茶・レストラン、ルーツは福島区の氷販売店
    「マヅラ(1947)」大阪駅前、創業者・劉盛森は日本統治下の台湾生まれ、インドネシアのマドゥラ島が店名の由来

    「藤屋」市岡の店舗は空襲で焼失したが、初芝の家を売却し、1947年に心斎橋で営業再開。この頃の本物のコーヒーは進駐軍のポンド缶コーヒーだったが、そのブランドの一つ、MJBに惚れ込み、1年後に「MJB珈琲店」と改めた。人気の苦いのではなく、軽快でコクのあるコーヒー。

    「アラビアコーヒ-(1951)」南地中筋、軽やかなコーヒー
    「リヒト(1947頃)」西のコーヒー名人・襟立博保(建築家)が創業。開店と再開を(場所を変えて)繰り返し、1947-56の間に7軒。1956年には難波の鴈治郎横丁にあった。

    2.歌声喫茶、アルサロ、コーヒースタンド

    「コーラス喫茶・こだま(1958)」北区高垣町(東通り近く)、新御堂建設で東通商店街へ移転

    「ニューマルタマ(1952)」日本初のアルバイトサロン(女性のアルバイト主体)
    「コンパ(1956)」日本初の洋酒喫茶と謳う
    *この頃、風俗性を加味した変形喫茶店も多数生まれる。ヌード喫茶、指名喫茶、個室喫茶、テレフォン喫茶、落書き喫茶、連絡私書箱喫茶など
    「プランタン(1956)」心斎橋筋商店街、村野藤吾設計

    コーヒー焙煎卸「ハマヤ」は、北浜にあった大阪三越で「食品売場でお客がさっぱり通らない場所をなんとかしたい」という話を聞き、気軽にコーヒーを飲めるスタンド併設の売場を提案したのがきっかけで直営店を出す。一杯50円が相場の時代に35円に設定。


    第3章〔1960-1990〕 喫茶店黄金期

    60年代、コーヒーの輸入が自由化され、大衆喫茶人気は再び勢いを増す。環状線各駅に出店した「玉一」はじめ、「アジアコーヒー」「ヤマト珈琲店」「日本一喫茶」などが最も拡大。そこに神戸発祥の「ホワイト」が参入(65年頃に大阪へ)。最盛期には大阪だけでも約40軒近くに。

    企業のお膝元にも名物喫茶。シャープがある阿倍野区西田辺に多かった喫茶店の中でも異彩を放ったのが「珈琲専門店チ・ケ(1959創業)」。まだ場末の新開地だった西田辺に10軒以上もの喫茶店がひしめく中で「宛然鶏群の一鶴」。朝、開店前に掃除をしていると、常連客が来て「自分が掃除するからコーヒー淹れといて」。チ・ケはタンゴの曲名から。粋好みを意味するが、見かけ倒しの意味も。タンゴ楽団来日公演のおりは臨休のこともあり。コーヒーオンリ、1杯70円が相場の時代に最低でも150円、最高で400円のコーヒー。

    住之江区北加賀屋も激戦区で、名村造船所とその関連企業のまち。「コーヒーサロン・チロル」は粉浜から北加賀屋へ。山小屋風の煉瓦造り、教会を思わせるステンドグラス・・・その後はアートのまちへ

    焙煎卸業も急増。
    山本珈琲(1950、上島から独立)、マツヤ珈琲(1950)、朝日珈琲(1948)、大島屋(同)、花田コーヒー(1949)、島野珈琲(1950)、福田珈琲(1951)。西区拠点が多く、通称〝新町倶楽部〟として密な付き合い。

    MJB珈琲が、上本町6に2号店(1960)、淀屋橋に3号店(1969)。PR誌として「喫茶大阪」を編集・発行。

    万博を機に大きく姿を変えたエリアの一つが大阪駅周辺。1947年に名曲喫茶として開業した「マヅラ」は、1970年に大阪市が建設した大阪駅前ビルに移転。創業者は、名曲喫茶に代わるコンセプトとして、1961年に旧ソ連の宇宙飛行士・ガガーリンによる世界初の友人飛行に着目。壮大な宇宙のイメージを提供させた100坪のフロアは、「地球は青かった」から群青色に天井を染めた。クレーターを模した凹凸も。

    1972年にウメダ地下街センターに「蘭館珈琲ハウス」1号店がオープン

    1970年に誕生した〝日本一長いビル〟の船場センタービル。竣工と同時に開店した「スカーレット」は、赤い頭巾の女の子「マコちゃん」がオリジナルのキャラクター。描いたのは、なんと手塚治虫。仕入先である「福田珈琲」創業者が同窓生で親交のあった手塚治虫にかねてから約束していて、手塚が亡くなった後に作品が見つかったという。

    「英國屋」は心斎橋に1号店(1975)。
    山本珈琲の「yc」、クラウン珈琲の「喫茶ケニア」など焙煎卸もチェーン店を展開し始める。
    「珈琲専門店MUC」は、上島珈琲が1号店を茨木にオープン(1971)。


    第4章〔1990-2010〕カフェブーム

    ▼アメリカ村の誕生
    1969年「ループ」オープン。場所は三角公園前。創業者は日限(ひぎり)萬里子、後に「アメリカ村のママ」と呼ばれた人物。店名は見上げたところにある阪神高速環状線に書かれたLOOPの文字からつけた。客は近所にあったVANの社員ぐらい。しかし、大学生が来るようになって一変し、サーファーや音楽好きが常連になり、大阪で最も先端をいくスポットに。周辺にアメリカンカジュアルの古着や輸入中古レコードなどが集まり、小さな街を形成し始める。ただし、ループ自体は1976年に閉店。1978年にニュースで取り上げられると、アメリカ村の名は一気に全国に。

    アメリカ村はミナミの街を初めて西へと広げたが、90年代はさらに新興エリアが広がり、それはカフェの台頭と一にしている。大阪のカフェブームの発信地となったのが南船場エリア。アメリカ村から長堀通りを挟んだ北側。元材木倉庫だった天井高空間にオープンした書店「ハックネット(1996)」。これを手がけた建築デザイナー・間宮吉彦は、1990年代半ばに鰻谷で「カフェ・コロンビア」を手がけて火付け役に。「カフェ・コロンビア」スタイルの店が周辺に誕生していった。

    一方、かつての商工業地区に残る古い建物や空き地をリノベートした南船場スタイルとでもいうべき店も多く現れ、ブラッスリー・カフェ「アマーク・ド・パラディ(1995)」、3年後には元運送会社ビルをリノベートした「CAFÉ GARB」が開業。300席超の大型カフェは南船場のランドマークになり、大阪のカフェブームの代名詞的な存在に。

    他業種との融合も(ハイブリッドカフェ)。美容室と併設された南船場の「LIM CAFÉ(1996)」。

    その後、南船場が御堂筋と四つ橋筋の間を、北へ北へとエリア拡大。同時にアメリカ村の西側の堀江エリアも姿を変えた。立花通りはオレンジストリートと改称し(1992)ていたが、まだ閑散としていた。そこに、日限萬里子が「ミュゼ大阪」をオープンした。堀江公園前、1998年。堀江の新たな拠り所となり、家具問屋や倉庫がアパレルや飲食店に代わっていき、東京資本の人気ブティックやセレクトショップが進出してきた。

    本町の南にポツンとオープンした「コンテンツレーベルカフェ(1996)」は、食を通じた文化施設、がコンセプトだった。10年目に火災、別名で再開するも閉店。

    スタバ進出とともに注目されるようになったバリスタ。大阪ではスタバ進出(1998)の1年前に、源八橋近くで「BAR UNO」がオープンし、店主・宇野圭介が本場イタリアのスタイルを踏襲するバリスタとして存在を示した。この衝撃は大きく、影響された人たちが今も店をする。しかし、「BAR UNO」自体は、2014年に宇野の急逝により閉店。

    シアトル系カフェの上陸を経た1990年代後半は、スペシャルティコーヒーの概念が登場、日本スペシャルティコーヒー協会が出来、2007年にはバリスタチャンピオンシップ世界大会が東京で開催されたこともあって、コーヒーを取り巻く環境は大きなターニングポイントを迎える。

    東京の「カフェバッハ」が1968年に開店し、誰もが安定した味を再現できる焙煎の技術理論を確立した創業者・田口護が、全国に教え子たちの店を輩出。大阪における先駆けが「カフェ バーンホーフ(2003年、福島区野田)」だった。

    こうした自家焙煎コーヒー店の登場とともに「ロースター」という言葉が広まった。通販により、全国各地のロースターの豆を取り寄せることが可能となった。例えば、福島区の聖天通商店街に2008年にオープンした「喫茶Stove」では、大分県の景勝地・耶馬溪の奥地に店がある「豆岳珈琲」の豆を使っている。

    さらに、昭和のコーヒー専門店をリスペクトする店も現れ、深煎り・ネルドリップコーヒー専門店なども登場。

    焙煎のメーカーは、各店舗で使えるマイクロロースターを開発。


    第5章〔2010-2023〕新しい波、喫茶文化の継承

    2010年代になると、アメリカ西海岸から起こったサードウェーブと呼ばれるコーヒーの新潮流が来た。2015年、米サードウェーブの旗手「ブルーボトル コーヒー」の日本進出はスタバ以来の衝撃だった。
    *そのような書き出しがあるが、では一体、サードウェーブとはどんなものかという説明が本書にはほとんどない。書き手もエディターも肝腎なところを見逃してしまっている(ありがちなことだが)。

    大阪では、2013年に北浜にオープンした「ブルックリン ロースティング カンパニー」が先陣。
    南船場の「サタデーズ サーフ ニューヨーク 大阪店」、
    中津の「HOOD CAFÉ」→「HOOD by Vargas」。
    2014年には、梅田地下街にフランスのサードウェーブ「COUTUME(クチューム)」が出来たが2018年に撤退。
    西区「TAKAMURA COFFEE ROASTERS」(2013)は、今や浅煎り主体のスペシャリティコーヒー専門店の一つに。

    2016~2019年は新店舗のオープンラッシュ。ロースターを主にした店が多かったが、隠れ家的なカフェやクラシカルなコーヒー専門店も。
    「CAFE TAKES」(2019、本町)は関西唯一のコロンビア産コーヒー専門カフェ。同一産地でありながらバラエティに富んだ品揃え。

    スペシャリティコーヒーの普及を機に、コーヒーの持つ果実味を生かした浅煎りが徐々に浸透していったが、深煎り嗜好が根強い大阪では広く受け入れられるまでに時間を要した。

    昔からの名店を継承した店もある。特に注目は・・・
    「井尻珈琲焙煎所」(大正区、2016年):京都の老舗「六曜社」が原点、パソコン使用不可、入店は1組3人まで。
    「喫茶水鯨(すいげい)」(西区旧居留地、2021年):金沢の名店「禁煙室」を大阪に持って来た。

    *********

    大阪の近代工業の出発点は、1870(明治3)年に造兵司仮庁として出発した大阪砲兵工廠と、翌年に開業した造幣局。だが、実質的に大阪が全国有数の商工業都市に発展するきっかけになったのは、1883年に創業を開始した大阪紡績三軒家工場だった。

    1903年に実質的な日本初の万博である「第五回内国勧業博覧会」後の大阪を象徴したのが、都市・大阪最初のメインストリートとして開通した堺筋だった。紀州街道の一部だったこの道が。1908-1912年にかけて北浜~恵比須間で12間(21.8メートル)に拡幅され、大阪市電が通り、大正時代に入ると、高麗橋の三越呉服店、白木屋、高島屋、松坂屋が店を構えた。心斎橋には大丸呉服店、心斎橋十合呉服店もショーウインドウを持つ店舗に改装した。北では梅田に日本初のターミナルデパート、阪急マーケットが開業。

    芝居小屋の廃業が相継いだ大正時代の道頓堀。その仲にあって、老舗茶屋「稲竹」が看板を下ろし、五代目今井寛三が発案したのが西洋楽器店。1916年、今井楽器店誕生。おもちゃ屋も併設してスタート。真向かいには「キャバレ・ヅ・パノン」。大阪うどんの「今井」のルーツでもある。

    90年代はアジアンカルチャーへの関心が高まり、第一次タピオカブームが起こる。また、1972年に中津で創業したエスニック系カフェの草分け「カンテグランデ」にタンを発し、チャイ文化がいち早く浸透。1980年代には谷九にあった「伽奈泥庵」、90年代には「チャイ工房」「ガネーション」が続き、「カンテ」からのれん分けしたアメリカ村の「モンスーンティールーム」も。

    「朝星夜星(2023年、PHP研究所)」読書メモ

    https://booklog.jp/users/iadutika/archives/1/4569854036

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著者プロフィール

コーヒーライター

「2021年 『京都 喫茶店クロニクル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

田中慶一の作品

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