「経済人」の終わり ドラッカー・エターナル・コレクション (ドラッカー名著集 9)

  • ダイヤモンド社 (2007年11月15日発売)
4.15
  • (28)
  • (8)
  • (13)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 343
感想 : 32
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (324ページ) / ISBN・EAN: 9784478001202

みんなの感想まとめ

全体主義の出現とその背景を深く掘り下げた作品であり、1939年という歴史的な文脈の中で書かれた内容は、現代にも通じる洞察を提供しています。著者は、ファシズムの台頭を政治システムや経済システムの視点から...

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ドラッカー名著集 9
    「経済人」の終わり
    著:ピーター・F・ドラッカー
    訳:上田 惇生
    出版社:ダイヤモンド社

    本書はドラッカーの処女作である

    まえがきに、1939年01月 ニューヨークのブロンクスで執筆とある
    1939年09月、ナチスドイツは、ポーランドに電撃侵攻し、大戦がはじまる
    まさに、第二次世界大戦の直前に書かれた問題作である

    「政治の書」である

    プロジョア資本主義も、マルクス社会主義も、もはや、理想の政治形態ではなく、大衆は絶望していた
    そこに、矛盾にみちた、ファシズム全体主義が、ドイツと、イタリアにあらわれたとき、もはや、民主主義も、キリスト教もが、それを阻止しえなかった

    ドイツ、イタリアの人々は、今日を食うために、人々は、矛盾と知りつつ、ファシズム全体主義を選んだ

    「経済人」とは何か、19世紀から続く、ブルジョア資本主義を具現化したものと理解しました
    「経済人」は、ファシズム全体主義を止めるべき力はなく、あたらしい、政治形態を待つ、望むというのが本書の流れである

    仕事を奪われ、故郷を追われた、ドラッカーは、その原因たるナチスドイツのファシズム全体主義を欺瞞のあばき、対抗すべく著わしたものが本書だと考えました。

    気になったのは、以下です

    ・ファシズム全体主義の症状は3つ
     ①積極的な信条をもたず、他の信条を攻撃し、排斥し、否定する
     ②政治と社会の基盤としての権力を否定する
     ③積極的な信条にかわるものとして、ファシズムの約束を信じるためではなく、まさにそれを信じないがゆえに行われる

    ・ファシズム全体主義は、権力は自らを正当化する

    ・ファシズム全体主義の症状として、さらに重要な意味を持つものが、大衆心理への訴求である

    ・大衆は、ヒットラーの公約の1つひとつがいかに矛盾することを知っていた

    ・大衆の絶望こそが鍵である。絶望した大衆は不可能を可能とする魔術師にすがる

    ・1929年の大恐慌によるアメリカの崩壊は、ブルジョア資本主義を信頼するヨーロッパ人にとってはアメリカ人以上に大きな衝撃だった

    ・キリスト教とともに、自由と平等はヨーロッパの2つの基本概念である

    ・「経済人」に代わるべきものとして、人間についての新しい概念が何一つ用意されていないことが現代の特徴である

    ・最も重要な事実は、キリスト教が行った政治、社会活動のほとんどが、大衆にとって単なる反動あるいは意味のない喪にしか見えなかったことだ

    ・大衆のものとして根付いていなかった民主主義の実体が崩壊した
     実体が崩壊した以上、民主主義の信条、象徴、制度もまた、大衆の側からのいかなる精神的、心理的抵抗も受けることなく、またたく間に崩壊した

    ・ファシスト市民軍、突撃隊、親衛隊、ヒットラー青年団、各種婦人団体などの準軍事組織もまた、すべて非経済的目的のためのものである

    ・ファシズム全体主義国における軍備拡張はいかなる経済価値も生むはずもない
     軍拡は経済的には消費にすぎない

    ・西欧の民主主義諸国は、ブルジョア資本主義、マルクス社会主義、あるいは両者の折衷によっては、ファシズム全体主義を打ち破ることはできないことを認識すべきである
     それを打ち破るのは、自由と平等の社会についての非経済的な新しい概念の確立しかない

    目次

    まえがき

    第1章 反ファシズム陣営の幻想
    第2章 大衆の絶望
    第3章 魔物たちの再来
    第4章 キリスト教の失敗
    第5章 ファシズム全体主義の奇跡│ドイツとイタリア
    第6章 ファシズム全体主義の脱経済社会
    第7章 奇跡か蜃気楼か
    第8章 未来

    付録
     付録1◆一九三九年初版へのチャーチルによる書評
     付録2◆一九三九年初版への序文
     付録3◆一九六九年版へのまえがき
     付録4◆一九九五年版へのまえがき
     付録5◆年表─あの頃の歴史(第一次世界大戦から第二次世界大戦へ)

    訳者あとがき
    訳注
    人名索引

    ISBN:9784478001202
    判型:4-6
    ページ数:324ページ
    定価:2000円(本体)
    2007年11月15日第1刷発行

  • あまりにも有名な本著は、ドラッカー29歳の時の処女作として、そして1933年という宥和政策の時代にファシズム全体主義を喝破した本として知られています。

    その若さで既にして膨大な著作を読み、混沌とした時代に先を見据えたことは驚愕に値します。

    本著を読み終えたウィンストン・チャーチルは真っ先に書評を書き激賞しました。そしてその後首相になったとき真っ先に取り組んだ仕事は、士官学校の卒業生への支給品に本著を入れたことでした。前線に立つ指揮官へ、ファシズム、レイシズム、全体主義が許されざるものだという理論的支柱にしたのです。

    宥和政策の時代、ナチズムはドイツ人の国民性に起因する特殊要因とする説と、マルクス主義者にとっては資本主義最後のあがきとする説の二つが有力でした。

    これに対しドラッカーは、マルクス社会主義が失敗したからこそヨーロッパの大衆を絶望的な熱狂に駆り立てた要因とします。そして背景に「恐慌と戦争という二つの魔物たち」に襲われたことがナチズム隆盛の要因としています。

    さらにファシズムとは、あらゆる主義や権力を否定するだけであるとし、前向きな信条はないとします。大衆が熱狂的に全体主義を支持したのは新規な信仰箇条の性せいはなく、否定そのものであったとします。ファシズム全体主義は否定がその綱領であると。

    一番印象に残ったのは、「大衆の絶望こそが鍵である」という一説です。大衆の絶望こそファシズム全体主義を理解する上での鍵で、旧秩序の崩壊と新秩序の欠落による「純なる絶望」によってファシズムが隆盛したのだとドラッカーは言います。

    今のわが国を覆うのは閉塞感といいますが、言葉を変えれば「絶望」であるといえます。そして新秩序の欠落というのも当てはまります。

    そんな時、「否定」が大衆の熱狂を呼び、そして進む道は何かということをドラッカーは明示しています。

    あまり書くと政治的になるのでここまでとしておき、本著は社会と大衆は何かという視点で読み進めると大変参考になります。

    本著のタイトルは「経済人の終わり」で経済論を内容とするように思えますが、内容は社会学です。蛇足までに。

    以下印象に残った文章。

    ・「国民性とは歴史を説明できない歴史家の言い訳」との箴言。

    ・ヒトラーを支持したものは、下層中流階級、肉体労働者、農民など、当事の社会の不合理性と悪魔性に苦しめられていた層だった。ナチスの資金の四分の三は、一九三〇年以降でさえ農民や失業者が毎週払う党費や、大衆集会への参加費によってまかなわれていた。

    ・ドイツとイタリアという二つのファシズム全体主義国において、その主たる目標としての完全雇用は実現された。かつての失業者のかなりの部分が、経済活動ではなく軍や党で働いているにすぎないとの指摘は、完全雇用政策の成功をいささかも傷つけない。(中略)そのような経済が永続しうるものか破局にいたらざるをえないものかを検討する前に、ファシズム全体主義経済それ自体はインフレ制作ではないことを理解しておく必要がある。諸費を抑えあらゆる種類の内部留保を動員する制作はデフレ政策である。

    ・ナチズムは悪魔の化身、第三帝国によって和解しえない敵としてのユダヤ人抜きには自らを正当化できない。自らを正当化することが必要かつ重要になればなるほど、ファシズム全体主義は新しい悪魔を見つけなければならない。

  • 邦題、『「経済人」の終わり』は、原題 ”The End of Economic Man” の直訳。
    「経済人」とは、人間を「自らの経済的利益に従って行動するもの」とする、アダム・スミスに由来する規定。
    資本主義も社会主義も、人間の本性をそのように捉えた上に成り立っており、ここでいう「経済人」の終わりとは、資本主義及び社会主義の破綻を意味している。
    本書が世に出たのは1939年4月。ドラッカー29歳の処女作で、ドイツのポーランド侵攻(同年9月)の直前、まさに第二次大戦前夜に出版された。
    この時代、急速に勢力を伸ばしてきたファシズムを分析し、いち早く自由主義の立場から反論を投げかけている。

    なぜ大衆がファシズムを受け入れたのかという社会背景を探っていく中で、まず資本主義とそれを克服すべく現れた社会主義が、立ち行かなくなった理由を分析する。
    「ブルジョア資本主義とマルクス社会主義の信条と秩序は、いずれも個人による経済的自由を実現すれば自由と平等が自動的にもたらされるという目論みが誤っていたために失敗した。(P.43)」
    資本主義は1929年の大恐慌もあり、失業などの深刻な問題を解決できずにいた。またマルクス主義も階級のない社会を実現できず、理論的にも破綻していた。

    そんな閉塞した状況のなか、ファシズム全体主義はそれらに替わるものとして登場した。
    経済政策の上では、脱経済至上主義社会。まがいなりにも完全雇用を目指し、軍国主義のための軍事的自足を図る。そのめたに軍拡を続け、それゆえ次々と敵を作り上げた。
    また、社会政策では、組織を自己目的化することによって、社会の維持を図ろうとした。こちらも、ブルジョア資本主義と自由主義という敵を設定し、その象徴としてユダヤ人を迫害した。

    今から考えると、大衆はなぜこのようなファシズムを選択したのか理解に苦しむが、それほど経済的、社会的な困窮が激しく、先の見えない状況に陥っていた。
    結果的には、ファシズム全体主義側の敗北で終わったが、「経済人」に替わる人間観、価値観はいまだないままで、ファシズムに突き進んだ根本原因は未解決のままである。

    「経済人」の社会が崩壊したあとに現れる新しい社会の条件は、経済的な平等が実現され、社会の中心には別の価値観が据えられなければならない。
    本書が出版されてから70年余り、まだまだ「経済人」が中心の社会から変わっていないことを実感する。

  • 1939年において全体主義を論じたドラッカーの処女作。当時のコンテキストに関して正確な知識がないのが残念なのですが、それでもある種の説得力に満ち溢れています。

    第二次世界大戦本格化直前における過去と未来の分析を、ヒトラーやスターリンなどの個人の資質に依存せず、政治システム/経済システムから欧州情勢を分析しているところが、この本の特性なのでしょう。

    本書刊行直後に現実となった、独ソの接近(不可侵条約締結等)を予測したことで有名です。
    「あらゆる観点から、独ソ同盟はほとんど不可避のことに思われる。...この同盟は必ず結ばれる。おそらく来年、1940年には結ばれる。...両国が急速に接近していくことは間違いない。」
    後に首相となる前のチャーチルでさえ、書評で激賞しながらも、独ソ関係の部分には「若干自らの論理にとらわれている」部分だと指摘するほど可能性の低いシナリオであったということからみても、突出した分析力の証に思えます。

    他にも、今となれば当然のようにも思われますが、マルクス主義社会への容赦ない否定も特筆されるべきです。
    またナチズムにおけるユダヤ人の「最終解決」に限界がないことも正しく指摘されています。

    面白いか面白くないかは、この時代の欧州に対する興味の有無によるかと思いますが、少なくとも当時29歳にしてすごいな、ということは感じ取れるはずです。

  • 『#「経済人」の終わり』

    ほぼ日書評 Day1041

    ドラッカーの処女作として知られる1939年刊行。まさに第二次大戦前夜、それも秒読みに入っていた時期に執筆された。

    チャーチル(英国首相になるのは翌年のこと)が初版に寄せた書評で、刊行直後に行われた独ソの連携を正確に予測していることに驚き、さらに当時は(その後も多くの国で)ブルジョワ資本主義に取って代わるものと期待されていたマルクス社会主義を既にオワコンと看破、もちろんナチズム全体主義に意義を認めるものでもなく、それを単なる資本主義や社会主義に対する否定に過ぎない「非経済的」体制と結論づける論調は、一点の揺らぎもなく見事である。

    ユダヤ人については、この時点で既に社会・経済・婚姻を通じてキリスト教徒ブルジョワ層との一体化が進み、キリスト教への改宗を行うものも多かった。結果、"純粋アーリア人" の比率は著しく低いものとなりつつあったという事実も示される。彼らへの迫害の動機も経済的なものではなく、否定のための否定、全体主義の果実を手にするためのスケープゴートを作るためであったことが明らかにされる。

    それだけドラスティックな内容だったが故に、当初の刊行には苦労したことを、著者自身の前書きで記しているが、さもありなんという内容だ。

    https://link.amazon/B05gVLep1

  • ドラッカー名著集〈9〉

  •  ドラッカー教授、29歳のときの著作。マネジメントで有名な教授の処女作は、意外にも政治、それもファシズム全体主義についての本です。しかし、この著作からは後年重要なキーワードが述べられています。以下、気になった箇所。

    p55『一人ひとりの人間が位置と役割をもつ秩序が崩壊したことによって、当然、合理の秩序だったはずのこれまでの価値の秩序が無効になった。』
     後のドラッカー教授の重大な視点の一つになる「位置と役割」が、ここで出てくるとは意外でした。

    p132『農民が「民族の背骨」であるならば、労働者は「民族の精神」である。経済的地位などとは関係なく、いつでも自らを犠牲にする用意があり、自己規律に富み、禁欲的にして強靭な精神をもつ「英雄人」なる理想的人間像である』
     「経済人」の社会が崩壊したのち、ファシズム全体主義が模索したのが「英雄人」だった。本書自体は深く書いていないものの、この「英雄人」こそ、ファシズム全体主義が「位置と役割」をドイツ国民に提示できたキーワードと言えます。

    p195『ナチズムにとって、人種的反ユダヤ主義は手段にすぎない。本当の敵はユダヤ人そのものではない。ブルジョア秩序である。ナチズムは、ブルジョア秩序にユダヤ人の名を付して闘う。ナチズム反ユダヤ主義は、ブルジョア階級の秩序や人間観に代えるべき肯定の概念を構築できなかったことに起因する。階級闘争に走るわけにはいかないナチズムとしては、別の観点からブルジョア資本主義と自由主義を攻撃せざるをえない。悪魔の化身を発見したからには、その論理的、力学的帰結として、さらには、そもそもの目的からして、それら悪魔の化身との闘いには容赦なきことが求められる。』
     ドラッカー教授がどこまで予想していたかは明確ではありませんが、本書刊行後に更に激化するユダヤ人迫害、虐殺を予期させる文章です。

    p203『つまるところ、組織そのものが自らを正当化する社会的秩序であるとしなければならない。社会組織の外殻はあらゆる社会実体に勝る。容器としての形態こそ最高の社会的実体である。こうして組織が信条そのものとなる。』
     後年、ドラッカー教授は「組織は目的ではなく手段である。」と述べていますが、この考察が念頭にあるのかもしれません。

    p227『現実には、独ソ戦が希望的観測以上のものだったことは一度もない。しかし、現在の状況が続くならば、西ヨーロッパ諸国に対抗するために両国は同盟を結ぶと考えられる。』
     チャーチルでさえ見誤った独ソ不可侵条約締結を的確に見定めていたのは驚きです。

     ドラッカー教授のその後の思想を予感させる名著です。

  • "ドラッカーの処女作。

    経営の話しでなくて、全体主義が、社会的、経済的、政治的になぜ出てきたかという話しと、今後の見通しとして、ナチスはソ連と手を結ぶだろうと、だれもが電撃的な不可侵条約に驚く前に、それがほとんど必然であることの予言。

    1939年、ドラッカー29才のときの作品ということだが、この分析の重厚さ、鋭さ、先を見通す力はとんでもないものがある。それだけでも驚きなのだが、これは1933年、ナチスが政権をとったとき、つまり23才から書き始められたということ。

    ドラッカーって、そこまで好きではないので、こういう戦前の作品は、マニアが読むものだと思っていた。ところが、これはドラッカーが書いたということを外して、全体主義の分析として古典のレベルとなっている。

    ドラッカーのスタートがここにあるのかと思うと、ちょっとドラッカーの読み方が変るかもですね。

    ほんとすごいよ。

  • 課題図書

  •  経営学の父とかマネジメントの創始者とか言われてるけど、この本の内容はファシズム全体主義とブルジョア資本主義とマルクス共産主義に関して。面白いほどにマネジメントとかの話は出てこない。ドラッカーが1939年に書いた論文で、その頃はまだ大量生産の時代だったから知識労働とかの話は出てこないけど、エッセンスを集めました的ビジネス本なんかより、非常に勉強になる。

     どんな社会背景からファシズムが芽生え、なぜイタリアやドイツで国民の支持を集め広まったのか。そのあたりのことが熱を込めて書かれている。ちなみにこれを書いたのはドラッカーが27歳の時、マジかよ

  • 産業社会を経て 第2次大戦後の社会・経済を紐解いている作品

  • 【書評】
     自由と平等を達成し、大衆の福祉を向上するために経済的満足を最優先に希求するという社会的教義—経済至上主義たる「経済人」の秩序。それは「魔物」を退治出来なかったがゆえに大衆の支持を失った。ファシズムはそのような「経済人」秩序に引導を渡すことに成功した。脱経済至上主義を目指し、新しい人間観として組織に至高の価値置く「英雄人」を打ち出した。大衆は絶望から理性を放棄し、「不可能を可能にする奇跡」をファシズムに期待した。ファシズム全体主義に不満であるがゆえにそれを支持する宗教的信仰をみせた。しかし、ファシズム全体主義の提示した、人間の犠牲を正当化する概念は社会と相容れず、自己矛盾を抱えた観念であった。
     この矛盾、旧秩序への否定がファシズム全体主義の本質であった。ファシズムは矛盾を隠し自らを合理化するべく、「目に見える魔物」をつくり出した。ファシズムにとってのこの魔物は「和解不能の敵」である。そしてこの「敵」こそが西欧のブルジョア資本主義である。
     ドラッカーは、「なぜ民主主義勢力は自らの信条全てを脅かす脅威を抑制出来ないのか?」と問い、肯定的信条に基づく新しい秩序を作るため、ファシズム全体主義を正しく認識することが不可欠であるという。ファシズム全体主義への見立てを通じ、ドラッカーが本書で提示するものは、西欧の歴史が、いかに自由と平等を叶える秩序への動的な願望によって動かされ、いかに人間が社会における自らの役割を求めるかである。
     ドラッガーがじかに見聞きしたファシズム全体主義を理解することは、彼の思想の原点を理解する王道である。ドラッカー29歳のときの衝撃のデビュー作。

    【コメント】
     ドラッカーはブルジョア資本主義とマルクス社会主義が信奉した「経済人」秩序—個人の経済的自由を自由と平等を達成するために最優先する経済至上主義—の崩壊とそれに変わる秩序の不在との虚を衝いて、ファシズム全体主義が断ち現れたと喝破する。そしてファシズムは、矛盾や否定に立脚するため、大衆には夢を見させる程度のことしか提供出来ず、本質的には脆弱性を有していると考えている。むしろ、ファシズムがヨーロッパの信条を脅かすにも関わらず、正しくそれを認識出来ていないことがヨーロッパの民主主義を弱め、ファシズムの提供する虚構を真実だとみなす風潮をつくり出すという認識を軸に本書は書かれている。
     なぜファシズム全体主義が生まれたのかいついて理解することがドラッカーの世界観をみるのに一番都合がいいのではないか。ドラッカーはファシズム全体主義の登場を西洋文明の文脈で捉え、「西洋の歴史に特有の動的な性格」(p223)が生んだとしている。つまりヨーロッパには、人間本性における、ある領域—精神、知識、政治、経済など—を社会の中心として位置づける秩序が常に存在し、その領域を通して自由と平等を追及して来たという歴史的プロセスがある。このダイナミックなプロセスは「動的な性格」であり、ヨーロッパの大衆が新しい秩序が不在である、静的な現状に耐えられなかったがためにファシズムに向かったと捉える点は、筆者特有の理解である非常に面白い。
     本書では、1995年版のまえがきで述べられているように、社会を分析するために、政治や経済でない第三の方法を採用している。すなわち「社会における緊張、圧力、潮流、転換、変動の分析」をとおして「特異な動物たる人間の環境として社会」を分析するアプローチである。マックスウェーバーに準じているように、読者には非常に説得力があった。

  • 1939年ドラッカー29歳時の処女作ということで、経営学というより社会学の書籍だった。出身のオーストリアから追われた中で、ナチスをはじめとした社会・政治情勢について記したもの。ブルジョア資本主義が失敗し、マルクス主義が失敗した中で、大衆はファシズムに光明を見出そうとしたのか。当時としては斬新で、今となっては歴史をなぞっているような内容。本質を分析すると、未来も見えていたということか。

  • ドラッカーの世界観の原点。今の時代だからこそ読むべき!

  • 1年間の課題本で、この夏あたりの本が一番つらいところでもあります(笑)。個人的には先「に実践するドラッカー」三部作を読みたいところ(震災の影響で今年中に1冊になったことは残念だけど自主的には読んでおく)ですが、他にも読みたい本があるし、まずはペース配分を守って、この秋に勝負と言うところか。

    しかし、7月の課題本と合わせて、この本も好んで読むことは絶対にないのですから、読む機会が与えられたことは、非常に大きいです。

    第一次世界大戦が終わり、アメリカ経済が好景気となったにもかかわらず、Black Thursdayなんてことが起きた後に、この本を書き始め、その世界恐慌から各国が自国を守るがための経済封鎖が軋轢を生み第二次世界大戦が勃発する直前に書き上げられています。

    と言うことで、ドラッカー最初の本と言うことを除くと、歴史上の話を読む感じです。ビジネス書としてはもともと読むつもりがなかったです。

    内容的には、政治経済の両面からドイツのナチス、イタリアのファシスト党に関連する内容が多いです。日本は、同じように軍事態勢が強くなり全体主義的な色合いが強かったと思いますが、もともと一元的な政治支配を行なう集団や思想がなく単なる軍国主義だったためにここでは取り上げられていないのでしょう。

    ファシズム全体主義を既存の資本主義で打ち破ることはできないと言っています。それは、ナチズムやファシズムと言うものが、経済至上主義の挫折から生まれたものだからと言うことです。「経済人の終わり」と言うタイトルは、ファシズム全体主義を打ち破るのは、自由と平等の社会についての「非経済的な新しい概念」の確立しかないというドラッカーの認識からくるものなんですね。

    それにしても激流のこの当時を後から振り返っていうのは何でもできると思うけど、現在進行形で真っ只中にいて、全体を考察する視点を持つというのは、この筆者のすごいところなんでしょうね。

  • わからない言葉、
    マルクス社会主義、
    ブルジョア資本主義
    プロレタリアなどなど、

    まったくよくわからないまま
    読み終えました。

    経済学は難しいと思いました。


    本書をよみ終えたてから
    ドラッカーが太平洋戦争前に
    この本を書いたことに驚きました。

  • * 大衆の絶望こそが鍵


    1. 大衆の絶望こそファシズム全体主義を理解する上での鍵である。暴徒の騒動でもプロパガンダの仕業でもなく、旧秩序の崩壊と新秩序の欠落による純なる絶望がその鍵である。
    2. ここでは一つだけ予告しておきたい。それはファシズム全体主義は心情と秩序の代役の「組織」を充てる事によって、問題解決のためのお守りにすると言う事である。


    * マルクス社会主義はなぜ失敗したか


    1. しかし、ただ批判するだけの運動は、その反対する秩序が存在して初めて意義と訴求力を持ちうる。


    * 「資本論」未完成の原因


    1. マルクス経済学は、価値は労働によってのみもたらされ、労働力の総和に等しいと断ずる。したがって「労働なき所得」である利益は労働者からの収奪である。
    2. マルクス自身は、技能の力によって、製品価値に対して質的に異なる貢献を行うことができる事を認識していた。しかもその結果、特権的なブルジョア階級の存在が正当化されることになることも認識していた。


    * 経済的自由への恐怖


    1. 経済発展は平等をもたらさなかったし、機会均等という名の形式的な平等さえもたらさなかった。
    2. 20世紀のヨーロッパ社会では、生まれた階層からすぐ上の層に上る事さえ至難である。


    * 秩序を奪われ、合理を失う


    1. 「経済人」に代わるもべきものとして、人間についての新しい概念が何一つ用意されていないことが現代の特徴である。
    2. 「経済人」の概念の崩壊によって、一人ひとりの人間は秩序を奪われ、世界は合理を奪われた。
    3. 今日、社会の秩序はいかなる概念によっても説明し正当化する事が出来なくなっている。新しい社会的な価値、新しい秩序のための新しい理由、そこにおける人間の位置について説明してくれる概念は、発展もしていなければ獲得もされていない。


    * 社会政策は経済的費用を伴う


    1. 経済そのものは、完全雇用をはじめとする非経済的な目的に従属させるべきであることを明確にしておく必要がある。

  • ・サンデーモーニング 2010年11月7日(日) TBS系列にて放送


    経済至上主義社会に警鐘を鳴らしていたアメリカの経済学者を紹介。
    著書「経済人」の終わりの一文が読まれた。


    ドラッカー,ピーター・F.
    1909‐2005。20世紀から21世紀にかけて経済界に最も影響力のあった経営思想家。東西冷戦の終結や知識社会の到来をいち早く知らせるとともに、「分権化」「目標管理」「民営化」「ベンチマーキング」「コアコンピタンス」など、マネジメントの主な概念と手法を生み発展させたマネジメントの父

  • 読書の目的
    ①ドラッカー思想の原点を知る。
    ②この著書で行った未来予測(「ナチスはユダヤ人を迫害する」、「ヒトラーはスターリンと条約を結ぶ」)の手法を学ぶ。

    言わずと知れたドラッカーの処女作。
    ドラッカーは、序文の中で本作を「20世紀前半における最大の社会現象としての全体主義の興隆を理解するための最初の試み」としています。

    ・「経済人」とは何か。
    自らの経済的動機(経済的地位、報酬、権利)に従って行動し、そのための方法を知っているという概念上の人間。自由な経済活動をあらゆる目的の手段として見るブルジョア資本主義社会とマルクス社会主義社会の基盤となるもの。

    ・何故、全体主義は発生したか。
    ヨーロッパの基本的価値観は、正統な権力の下で人間を自由と平等の存在と見ることだった。

    18世紀後半の産業革命以降、ブルジョア資本主義は経済発展をもたらしたが、格差と疎外を生んだ。
    これに対する秩序として期待されたマルクス社会主義も、特権階級による大衆支配を生んだ。ブルジョア資本主義とマルクス社会主義は激しく争いながらも、その本質は「経済人」の概念を基礎とする「経済至上主義」であり、ヨーロッパの価値観である自由と平等をもたらさなかった。そして「経済至上主義」に代わる秩序が現れない中、第一次世界大戦による破壊と大恐慌による大量失業が発生し、旧秩序は完全に崩れ去った。

    国家社会主義という名の全体主義は、このような状況下で発生した。その本質は「経済至上主義」を否定した「脱」経済至上主義である。当時、経済至上主義に代わる概念は、この国家社会主義という名の全体主義だけであった。イギリスやフランス等、歴史的に国民が自らの手で民主主義を勝ち取った国々は、全体主義に進むことを踏み止まった。しかし、民主主義を国家統一の手段としていた国、つまりドイツとイタリアが耐え切れずに全体主義に走った。日本も同様であった。

    ・新たな社会秩序の出現
     国家社会主義という名の全体主義は、あくまで「脱」経済至上主義である。これは“「経済至上主義」ではない”と言っているに過ぎない。ヨーロッパ伝統である自由と平等を基礎とした新しい秩序を一切提示はしていない。したがって、旧い秩序に代わる新しい秩序を作ることが出来れば、全体主義を克服することができるとドラッカーは本作を締め括っている。

    【感想】
    正直な感想は、「疲れた」です。内容は非常に難解。理解できるまで何度も読み直しが必要でした。
    上記で掲げた目的意識がなければ、途中で挫折したでしょう。
    ドラッカーは冒頭で、本書を「政治の書」としています。私は、政治書であると共に、歴史書、思想書、哲学書でもあると感じました。

    一方で、本作を読み進めるうち、ドラッカーの問題意識が「正統な社会の下で人間は位置付けと役割を必要としている」という点を理解することが出来ました。この考えがドラッカーの思想の原点と言えるのではないかと考えます。

    この「経済人の終わり」では、旧秩序に代わる新たな秩序の提起には至っておらず、その具体的な提起は、次回作の「産業人の未来」で改めて行われるようです。

    【参考文献】ドラッカー入門(上田惇生著 ダイヤモンド社)

  • 東洋経済新報社 岩根忠訳 昭和38年 を読んだのですが、このバージョンは流石に手に入らないかというので、こちらを本棚に。

    ドラッカーが、1939年に書いた著作です。
    全体主義、共産主義、ファシズムについて、語っています。…
    ファシズムといえば、ヒトラーが、ユダヤ人を滅茶苦茶に殺したとか、ヒトラーがあの地位に就くにあたっては、支持を受けていたとか。そのくらいのことしか知りませんでしたが、実に読み応えがあるというか、必読。という内容です。

     絶望がファシズム支持の背景にあったという指摘は、説得力がありまして、且つ、未だに現代社会でも無視はできないのではないと感じました。怖いものがあります。

全25件中 1 - 20件を表示

この本が好きな人におすすめの本

P・F・ドラッカーの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×