たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する

  • ダイヤモンド社 (2009年9月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784478004524

みんなの感想まとめ

偶然について深く掘り下げる一冊で、日常の中で感じる「たまたま」の意味を再考させられます。著者は、物事には必ず原因があるという思い込みを覆し、私たちの直感的な理解が実はバイアスによって歪められていること...

感想・レビュー・書評

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  • 【注意】下ネタではありません。

    世の中の偶然に関する、確率や統計を用いない視点から科学的に解釈していく本です。

    世の中にはさまざまな偶然があり、それらは自分の中のバイアスや、他人からの影響など、脳裡に宿る観念、観点が引き起こしている、というのが我々の直感的な偶然に対する解釈だと思う。あるいは形而上学的な神秘論崩れなスピリチュアルもあるだろうが。
    そう言ったものが「実は直感に反してますよ」と言うのがこの本の解釈です。語弊があってはいけないのであえて書きますが、みんなの直感を否定している訳ではなく、実は必然的な積み重ねがあるという事実を掲示しているだけです。ただし、その事実の再現性までは確証できないところは否めないため、奇跡としか言えない出来事もあります。宇宙の誕生や生命の起源に比べたら大した奇跡でもないのですが。

    読み終わって思うのは、この世は誰のための世界でもなく、なんなら地球の外に出て仕舞えばこの世などと言う概念自体は意味を為さないわけです。誰でもいいから、人間が発見して、意味を与えて、観測して、研究して、実験までしたものしか享受できないのであれば、私たちの世界はすこぶる狭いことでしょう。しかし、それは真っ向から否定されます。言外にありながら意味を持つもの、意味を与えられずに名前だけ与えられたもの、見たことないけど必然性を担保できるだけの観測リソースがあるものなど、私たちの認知する世界の外側にある「偶然」の中に、現実は包含されているのではないでしょうか。

    偶然について深掘りする一冊でした。

    • 土瓶さん
      レビューの一行目でブッコんでますね(笑)
      レビューの一行目でブッコんでますね(笑)
      2026/04/07
    • 奈良さん
      土瓶さん、コメントありがとうございます。
      一応、念のため触れておかないと、と思いまして。いかがわしくないよ〜と。
      土瓶さん、コメントありがとうございます。
      一応、念のため触れておかないと、と思いまして。いかがわしくないよ〜と。
      2026/04/07
  • 過去読了
    「たまたまだよ」こんな無責任な言葉が実は正しかった、ということがわりとある、と教えてくれる本。
    物事には必ず原因がある、という思い込みを一蹴してくれた。

  • 「人生なんて上手くいくも行かないもたまたまだよ」と慰めてくれる本かと思ったら、意外と数学史をガッツリ読まされて脳が熱くなりました(それでもよくわからなかった)。

    科学も数学も興味ありませんという方は10章だけ読んでしまうという手もあり。

    わからない人なりの感想としては、「成功した時は実力のせい、失敗した時は不運のせい」と割り切った方が人間の心理バイアスに沿っていて、ラクに生きられそうだなと思いました。
    これは自分に対してだけではなくて、失敗してホームレスに身をやつしているような人達も、「運が悪かったんだな」と思った方が良いということ。

    いやホームレスは自業自得でしょ、と思ったあなたは全章飛ばさずに通読すれば、多かれ少なかれ納得してくれるでしょう。

  • 直感的に、安易に組み合わせ的な発想で物事を考えたり、ある特定の事象が起きる確率は他の事象と排他かついずれも等しい、等の誤った前提を置いて偶然の程度を測りがちであり、正しい前提を置いた式に基づき計算すると案外、何百万分の1ではなく数百分の1程度だったりするそう。
    日常でどれだけ使うかはわからないが、確率を考える時に自分の思考を一度疑うのはアリと認識できた。
    なお、個人的な感想だが文章が冗長で読むのが辛い。

  • * 成功の要因における「たまたま」の大きさを実例を出して紹介してくれている。こういうのを読むと(当たり前ではあるんだけど)失敗した時に運のせいだと挑戦をやめず、成功した時にも運のおかげと努力をやめないこと、がやっぱり重要なんだなと感じる。
    * 確証バイアスについては、採用面接の時、何か大きな買い物をする時、人と初対面の時に、常に自覚できるようにならないと決断間違うなと、改めて思った。
    * モンティホール問題おもしろい。ちょっと調べてしまった。
    * https://en.wikipedia.org/wiki/Monty_Hall_problem

  • 空前の大ヒット映画が誕生する、ひいきのチームが20連敗する、宝くじで連続当選する…。なぜヒトは、「偶然(たまたま)」を「必然(やっぱり)」と勘違いしてしまうのか? 確率や統計の知見により、日常に潜む「たまたま」の働きを解き明かす。


    第1章 ランダムネスという不思議な世界
     ──ベストセラーは「たまたま」生まれる?
    第2章 「それっぽい」話の危険性
     ──真実と「一部」真実の法則
    第3章 直観はすべての選択肢を把握できない
     ──カルダーノの「標本空間」がもつ威力
    第4章 「たまたま」成功する確率を知る
     ──パスカルの果たした二つの貢献
    第5章 大数の法則と小数の法則
     ──何人調べれば当選は確実とわかるのか?
    第6章 「あなたが死ぬ確率は一〇〇〇分の九九九!」
     ──ベイズ的判断と訴追者の誤謬
    第7章 バラツキを手掛かりに真実をつかむ
     ――測定と誤差の法則
    第8章 ランダムネスを逆手に取る
     ――カオスの中の秩序
    第9章 パターンの錯覚と錯覚のパターン
     ――「偶然」の出来事に勝手に意味を見いだす
    第10章 ドランカーズ・ウォーク
     ──ランダムネスとうまく付き合っていくために

  • 多数回起きるイベントでは、偶然の一致が、結構な確率で起きるものだということ、人間はそれが理解できないということ。
    例えば、特定のファンドマネージャーが特定の15年間に市場を上回る成果を連続してあげる確率は約33000分の1だが、1000人のファンドマネージャーの誰かが、40年間のうちの任意の期間に連続15年市場を上回る成果を上げる確率は4分の3ほどにもなる。
    真珠湾攻撃の直前には、それを予測させる情報が多数あったのだが、現実には予測できなかった。それは、同じ時期に他の場所の攻撃を予測させる情報も同じくらいの頻度で起きており、その殆どが的はずれな情報だったからである。後知恵で見れば将来を予測できる情報も、未来の予測には役に立たない。

  • 楽しい本。でもワインの話、どう読んだら良いのか…高いものが美味しくて安いのがそうでもないのは、絶対だと感じているんだけど…

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「絶対だと感じているんだけど… 」
      確かに!高いモノは当り外れが少なく、安いモノは外れが多いですよね。
      「絶対だと感じているんだけど… 」
      確かに!高いモノは当り外れが少なく、安いモノは外れが多いですよね。
      2013/10/03
    • zhimeiさん
      あのワインの話は別のどこかでも読みましたが、何だかムズムズします。論文そのものを読めたらすっきりしそうですが、そこまでの読解力はありません。
      あのワインの話は別のどこかでも読みましたが、何だかムズムズします。論文そのものを読めたらすっきりしそうですが、そこまでの読解力はありません。
      2013/10/04
  • 2011年に購入した積読本。確率的な考え方入門といったところ。外国の本にありがちな関連情報を詳細に述べるスタイル。数学者や統計学者の名前が出てくる。パスカル,フェルマー,ベルヌーイ,ラプラス,ベイズ,ピアソン,フィシャー等。後付けや先入観でそれらしい意味を見いだす人間の特性があること。測定誤差や生産時の誤差があること,誤差の確率分布,中心極限定理,を知っておくことは教養だな。昔統計学が最強という新書がベストセラーになったなぁ。必然か偶然か,必然でもあり偶然でもある。一つ一つに絶望したり狂喜したりしない。

  •  一方、別の陪審員グループには、同じ無罪の証拠でも、もっと〈真に迫った〉書き方のものが提示された――「ゴミ収集車の所有者は、反対尋問で、ゴミ収集車は色がグレーなので夜間は見にくいと述べた。その所有者は、車がグレーなのは『汚れをかくすためだ。どうしてほしいかね? ピンクに塗るべきかね?』と言った」。有罪の証拠も同様に二つの方法で提示された。ただし、この場合は前者のグループに真に迫った書き方の証拠が、後者のグループには面白みのない書き方の証拠が、それぞれ提示された。
     陪審員たちが有罪/無罪の評定をつけるよう求められたとき、真に迫った証拠を提示されたグルーブがつねに優勢で、その効果は、評決を下すまでに四八時間の時間遅れを置くといっそう強化された(それはたぶん、面白みのない話と面白みのある話との想起のギャップが、いっそう大きくなったからだろう)。


    ■「標本空間」の威力
    〈標本空間〉という言葉は、ランダムなプロセスの可能な結果は空間の中の点として考えることができる、という概念を意味している。単純な場合、その空間はわずか数点でできているかもしれないが、もっと複雑な状況では、それはちょうどわれわれが住んでいる空間のように連続体になるかもしれない。カルダーノはそれを空間とは呼ばなかったものの、数の集合が空間を形成し得るというその概念は、天才デカルトによる座標の発明や代数と幾何学の統合より、一世紀早かった。
     現代の言葉を使えば、カルダーノの規則はこんなふうになる。〈あるランダムなプロセスに蓋然性の等しい多くの結果があって、そのうちのいくつかは好ましいもの(つまり、勝ち)、いくつかは好ましくないもの(つまり、負け)と仮定しよう。すると、好ましい結果を得る確率は、すべての可能な結果に対する好ましい結果の比に等しい。このとき、すべての可能な結果の集合を標本空間という〉


     これはよくある間違いだ。たとえば、このところあなたの上司があなたの電子メールに返信するのにいつもより手間取っているとしよう。多くの人はそれを、いま自分の運が落ちつつある兆しと受け取る。なぜなら、〈あなたの運が落ちつつある場合に〉あなたの上司はあなたの電子メールに以前よりゆっくり返信する確率が高いからだ、と。
     しかし問われるべき確率はそれではなく、〈上司が返信に手間取っている場合に〉あなたの運が落ちつつある確率だ。上司が返信を書くのが遅れるのは、上司が異常なほど忙しいとか、上司の母が病気であるとか、そんなことからかもしれない。だから、〈上司が返信に手間取っている場合に〉あなたの運が落ちつつある確率は、〈あなたの運が落ちつつある場合に〉上司がゆっくり返信する確率より、ずっと低い「つまり、運が落ちている兆しと受け止めるのは誤りである、ということ」。
     同様に、多くの陰謀理論の訴えがこの種のロジックの誤りによっている。つまり、その訴えは、〈一連の出来事が大陰謀の産物である場合に〉起きる確率と、〈一連の出来事が起きる場合に〉一大陰謀が存在する確率とを、混同しているのだ。
     別の出来事が起きる場合、それが、ある出来事が起きる確率にどのように影響するかを説いているのがベイズの理論である。それを詳しく知るために、別の問題――3章で取り上げた二人の娘の問題と関連する問題―――に目を向けてみよう。ここでは、遠い親戚に子供が二人いると仮定しよう。 子供が二人いる家族の問題において、〈二人の子供のうちの一人が女児である場合〉、二人とも女児である確率はいくらか?
     3章ではそういう言い方で問題を論じなかったが、この〈場合〉という言葉が、これを条件付き確率問題に変えている。もし、〈・・・・・・である場合〉という条件節がなかったら、二人の子供がともに女児である確率は四分の一だ。四つの可能な誕生順、〈男児、男児〉、〈男児、女児〉、〈女児、男児〉、〈女児、女児)、があるからだ。ところがその家族に女児が一人いるという付加的情報があると、確率は三分の一になる。なぜなら、二人の子供のうちの一人が女児だから、この家族には三つの可能なシナリオ――〈男児、女児〉、〈女児、男児〉、〈女児、女児〉―――があるからだ。
     以上が、おそらくベイズの考え方を理解するためのもっとも単純な方法だろう。それは単に説明の問題だ。まず標本空間――つまり、すべての可能なリスト―――を書き出し、もしすべてが同等でなければそれらの確率も併せて記す(実際に紛らわしい確率問題を分析するときはそうするのがよい)。 つぎに、その条件(この場合で言えば、「少なくとも一人は女児」)によって排除される可能性を削除する。そして削除されなかったものが残る可能性であり、またそれらの相対確率である。


     先の例で言えば、ほとんどの人がただちに数列は増加する偶数からなることに気づく。そしてその憶測を確かめようと、その種の数列をどんどん試みる。だが―――奇数を含む数列を検証にかけ、 自身の考えの反証を試みることで――手際よく答えを見いだす者はほとんどいない。そのことを、 哲学者フランシス・ベーコンは一六二〇年につぎのように言っている。「人間の理解というものは、 ひとたびある見解を採用してしまうと、それに適合する例ばかり集め、たとえ反例のほうが、数も多くより重要である可能性があっても、その見解がぐらつくことがないようにと、それらに注意を向けないか、さもなければ拒絶するかのいずれかである」 (46)
     さらに悪いことに、われわれは自分の先入観を裏づける証拠を優先的に探し求めるだけでなく、 曖昧な証拠を自身の考えに有利になるように解釈する。これが大きな問題になることがある。なぜならデータが曖昧なことはよくあるから、われわれの利発な脳は、説得力のあるデータがない場合でも、あるパターンを無視し別のパターンを強調す “信念を強化することがあり得るからだ。たとえばもし薄弱な根拠をもとに、新しい隣人は友好的でないと推断すれば、以後、そのように解釈できそうな行動ばかりが頭を占め、それ以外のものは簡単に忘れ去られてしまう。あるいは、ある政治家を信じている場合、その政治家がよい業績を残せばその政治家を信任し、失敗すると状況や他の党を非難し、いずれの場合も当初の考えを強化していく。
     

     人事における決定論は、いくつかの理由で、ラブラスがほのめかした予測可能性の要件を満たしていない。第一に、われわれが知るかぎり、社会は物理学のように明確な基本的法則に支配されてはいない。逆に、人間の行動は予測不可能であるだけでなく、カーネマンとトヴァスキーが繰り返し示したように、(自身の最善の利益に反する行動をとるという意味で)不合理である。第二に、たとえわれわれが人事の法則を発見したとしても、ケトレーが試みたように、世の中の状況を正確に知ったりコントロールしたりすることは不可能である。ローレンツ同様、われわれは予測するのに必要な正確なデータを手にすることができない。そして第三に、人事はこのうえなく複雑だから、たとえわれわれがその法則を理解しデータを手にしていたとしても、必要な計算を行えるかどうか、 疑わしい。だから決定論は、人間の経験に対してはお粗末なモデルである。ノーベル物理学賞を授賞したマックス・ボルンが書いているように、「偶然は因果よりも、より基本的な概念である」の
     ランダム・プロセスの科学的研究では、ドランカーズ・ウォークが原型である。そして日常生活においても、それが適切なモデルになる。というのも、われわれはブラウン運動をしている花粉粒のように、ランダムな事象によって、間断なく、こっちの方向に押されたりあっちの方向に押されたりしているからだ。その結果、社会的データの中に統計的規則性を見いだすことはできても、特定の個人の未来を予測することは不可能だし、われわれの特定の業績、仕事、友人、経済状態に関して言えば、多くの人が思っている以上に偶然に負っているところが大きい。


     とりわけ私が学んだことは、前向きに歩きつづけることだ。なぜなら、幸いなことに、偶然がかならず役回りを演じるので、成功の一つの重要な要素、たとえば打席に立つ数、危険を冒す数、チャンスを捉える数が、われわれのコントロール下にあるからだ。失敗のほうに重みをつけてあるコイン投げでさえ、ときには成功が出る。あるいは、IBMのパイオニア、トーマス・ワトソンが言ったように、「もし成功したければ、失敗の割合を倍にしろ」ということだ。

  • 大当たりの偶然にひっかかってはいけない。ギャンブル等法則はあるもので、完全に不規則なものとだまされないこと。

  • 偶然性をテーマにした本が好きなのだが、この本はある読書会で知り積読になっていたもの。
    10年以上前の本なので行動経済学の話などはすでに何度も知っていたし、世の中の成功も失敗もその多くが偶然によるものだというのも今ではよく語られる。それでも良くまとまっていて今読んでも面白かった。結局は未来を予想してより成功の確率を高める方法は、唯一、打席に立つ回数を増やすだけだ。

  • 飛ばし読み。確率、統計に関する歴史やエピソードのまとめ。
    ジェロラモ・カルダーノを知れたこと
    モンティ・パイソン問題がわかったこと
    が収穫。

  • 以前から興味があって今回やっと手に入れたので読んだ本。

    結論から言うと自分のガチガチの文系頭では難しかった。
    憧れだけ先走って身にならずという感じだった。

    ※ 星の評価も自分の認識足らずの側面を踏まえての評価であり、必ずしも本書の中身を正当に評価しているものではないとする。

  • 読み物として面白いし参考になる

  • 統計学エッセイです。

  • 確率論の話。
    興味深いネタだが、よく考えると日常では使う機会は無さそう。
    一見の確率と実際の確率とは違うため、数字のマジックに偏見を持たない様に

  • ごりごりの統計学というわけでもなく、割と初歩的な内容や統計学の面白くて分かりやすい部分のみにうまく触れている一冊。

    統計学の本かと思って手に取ったら、人生勝ち確定ルートの開拓方法を教えてもらえた気がする。
    あざす!!!

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    コインの表を「成功」、裏を「失敗」と定義したとして、何回でも投げていいといわれたら誰でも表が出るまでコインを投げるだろうに

    でも現実世界だとコインを1,2回だけ投げて、「俺には成功なんて無理だー」とあきらめる人が多いのが事実ってことを教えてくれた

  • 読んだのか?

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著者プロフィール

1943年、日光市生まれ。1977年に原発設計技師として9年間勤務した民間会社を退社後、吉福伸逸主宰のC+Fコミュニケーションズに席を置き、主として「ニューサイエンス」の海外書籍の翻訳や、米国の科学雑誌Popular ScienceやOMNI の日本語版の編集や執筆に携わる。88年C+F解散後は、科学系の翻訳、評論、執筆活動を展開。2011年12月〜12年7月、福島原発事故に対する国会事故調委員として原因調査にあたった。2013年、居を東京から八ヶ岳北横岳山麓に移す。
著書に『原発はなぜ危険か』(岩波新書 1990)、『科学という考え方』(晶文社 1992)など。
訳書(含共訳)にF・カプラ『タオ自然学』(工作舎 1979)、F・カプラ『ターニング・ポイント』(工作舎 1984)、M・ワールドロップ『複雑系』(新潮社 1993)、A・ダマシオ『感じる脳』(ダイヤモンド社 2005)、同『デカルトの誤り』(ちくま学芸文庫 2010)、同『意識と自己』(講談社学術文庫 2018)、L・ムロディナウ『たまたま』(ダイヤモンド社 2009)などがある。

「2021年 『ホロン革命 部分と全体のダイナミクス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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