へうげもの 古田織部伝―数寄の天下を獲った武将

著者 :
  • ダイヤモンド社
3.19
  • (0)
  • (5)
  • (9)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 60
感想 : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478009062

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 織部が交わした当時の手紙などから、本物の古田織部の生涯を紹介されています。
    どんな人だったかを想像して、自分なりの最後の切腹の理由を考えてみます。


    雑感
    どうかしてると思うほどの美意識の持ち主。
    突き抜けた発想を活かすバランス感覚が”天下一の茶人”といわれた理由だと思います。加えて信長から秀吉、家康まで生き延びた武将。茶室の中では身分のない平等の世界で、堺、大阪、京都、江戸など各地をフットワーク軽く駆け回って、茶に生きた。

    茶を通して、かなりの情報を持っていでしょうし人脈もすごかったはず。電話も電車もない時代。やり方次第では、無いものも有る、嘘も本当に変える事もでる。戦国時代こそ、情報が全て。危ない芝居で、話を聞き出したり人を意図的に操作することも可能でしょう。

    徳川も最重要人物として、織部の力を利用したが、同時に恐れていた。まだどうなるかわからない戦国時代。真の天下を焦っていた。
    誰が味方で誰が敵かわからない。どこで誰がつながっているとまでは、とても把握できるはずがない。戦は力の実証で、やる前からすでに結果は予想できる。誰が何を考え、つながり、動いているか。それを正確に掴む必要がある。茶はそれができる。

    ちょっとのズレが妄想が織部の最後となったのでしょうか。それとも、織部の野心に気付き先手を打ったのか。この時代の茶の力は凄まじいものだと想像できます。

  • 今年は古田織部没後400年、
    つまり”織部イヤー”だそうです、

    古田織部とは、信長・秀吉・家康に仕えた武将で、陶芸指導者であり、大茶人でした。
    千利休が秀吉によって切腹させられたあと、次の時代の茶匠となりますが、結局彼も徳川から切腹させられるのです。

    古田織部は徳川秀忠の茶道師範として、歴史的な茶匠のひとりでした。
    そして同僚としては毛利秀元、松井康之、伊達政宗、佐竹義宣、浅野長政父子、織田有楽、黒田官兵衛、大野治房、板倉重宗、猪子一時、有馬豊氏、小堀遠州、
    商人文化人としては京都の商人川端道喜、豊臣の家来横浜一庵、博多商人の神谷宗湛、島井宗室、堺の松井友閑、当時の日本一流の芸術家であり茶人の本阿弥光悦、石清水八幡宮滝本坊社僧として名高い松花堂昭乗、家康の使番田中清六、寛永の三筆の一人であり織部に連歌の指導をした近衛信尹、近衛家の家老進藤修理大夫、秀長家康に仕えた後大和の町人になった尾崎喜介らの交誼が紹介されています。

    この時代についての自分の知識では、「昨日の友は今日の敵」が日常茶飯事で、誰も信じられないと思ってしまいます。
    でもこの本を読むと、お茶の世界ではあたたかい交流があったことがよくわかります。

    千利休と古田織部の処罰の理由ははっきりしません。
    でも桑田忠親さんの推察には、なるほどと思います。

    秀吉は天下統一をなしとげた翌年、千利休を追放します。
    長年利休について茶道を学び、その権勢を利用することに汲々としていた天下の大名たちも、
    事態の容易でないことを知ると、みな秀吉の機嫌を損ずることを恐れて、利休への見舞を遠慮したらしい。

    しかし、そのなかにあって、細川忠興と古田織部だけが、ひそかに淀まで見送りにきてくれました。
    そのふたりの姿を淀の船着場でみつけた利休は驚喜したのでした。
    一方細川忠興の老臣松井康之は公務のため間に合わず、急いで飛脚に書状をもたせ、決別にかえました。
    利休はこれにも感激し、返事をかいています。

    なぜ利休が処罰されたかは、この本の46、47ページを。

    織部は茶道の師匠千利休を失ったあと、秀吉に茶の指南を命じられます。
    「利休相伝の茶の湯というのは、要するに堺の町人の茶であるから、武家にはふさわしくない。だから、利休流の町人茶を、武家流、大名風に改革せよ」
    封建身分制度がかたまっていきます。

    その後古田織部は徳川将軍家の茶の湯指南役として、その令名を天下にとどろかし、かたわら諸大名の茶事をも指導します。
    でも結局、徳川によって切腹させられるのです…。

    余談をふたつ。
    この本は桑田忠親さんの1968年に出版したものを、矢部誠一郎さんが、私のようなものでもわかるように作ってくださったものです。

    そしてもうひとつ。
    古田織部が生まれたのは1544年。
    ポルトガルから種子島に鉄砲が伝わった翌年…ということになります。

  • ■2012.04 図書館⇒読了!

    アニメ『へうげもの』の地上波再放送にむけて図書館で借りてきた!

    冒頭の『まえがき』で
    「終戦直後というと、もう二十年以上も前のことになるが」
    とあって
    は?とよくよく見たら
    まえがきが書かれたのが「昭和四十三年」で
    著者の桑田忠親さんはすでに故人となられていた(1987年没)
    この本は1968年に刊行された『古田織部』を改題、現代語訳したものらしい
    全く知らずに
    2010年発行の新しい本だと思っていたので
    ビックリした

    文中に度々「最近〜が発見され」と
    出て来るけれど全然「最近」じゃない!笑

    内容については
    あちこちよく調べてあるなぁという感じ
    ただ
    織部の字面についても触れているけれど
    文章ばかりで写真などは全くないので
    凄く残念。。。
    文だけでは分かりにくい点も多い
    (特に茶室や茶道具の説明など)

    それから
    400年も前なのに
    織部の手紙のやり取りが残っていて
    まるでTwitterのTLを覗き見してるようで
    なんだかこそばゆい感じがする(苦笑)

    織部については
    アニメでしか知らなかったけれど
    昨年の大河『江』とまさに同時代であり
    (大河では一度だけちらっと出ていた)
    しかも、なんだか凄いヒトだったんだなぁ
    と感じた
    70過ぎまで長生きしていたのに
    最期が残念でならない。。。


    ●メモ
    美濃にて誕生(1544)
    ・17歳⇒桶狭間の戦い
    ・26歳⇒中川清秀の妹せんと結婚
    ・34歳⇒アニメ『へうげもの』#1
    ・39歳⇒本能寺の変
    ・48歳⇒利休切腹、『へうげもの』#39
    ・55歳⇒秀吉死去
    ・57歳⇒関ヶ原の合戦
    ・70前後⇒江戸〜駿府〜京都を行き来
    ・72歳⇒大坂夏の陣、切腹(1615)

  • モーニング連載中の『へうげもの』の小ブームに乗っかっただけではないのね。現在発表されている古田織部の研究書の中では最も充実しているもの、ということらしいが、なるほど当時のカルチャーや織部の交友関係を示唆する多量の資料を基に、緻密な考察が加えられている。印象深いエピソードは、織部と織田有楽とが頭を枕に乗せ寝転びながら無礼講で茶を飲んだというシーン。
    熱心な『へうげもの』読者なら一読の価値あり。

全4件中 1 - 4件を表示

著者プロフィール

1902年、東京都出身、1987年没。國學院大學国文科卒。東京帝国大学史料編纂所を経て、國學院大學文学部教授、同名誉教授。文学博士。戦国史・茶道史研究家。『日本茶道史』(角川書店)、『古田織部』(徳間書店)、『千利休』(宮帯出版社)、『本朝茶人伝』(中央公論新社)など著書多数。

「2018年 『ビジュアル版戦国武将茶人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

桑田忠親の作品

ツイートする
×